光指す方へ
先陣を切ったのはやはりダリアだった。
二本のダガーナイフを逆手に握り直すと、「ん――っ!」ギルゴートギルバーに命令されるまでもなく地を蹴った。
たった三歩で最高速まで加速すると――そのまま人間離れした大跳躍だ。
俺の頭上に舞い上がり、真上からの一撃を狙う。
「アキム!」
急降下する猛禽類のような影に俺は思わず声をあげた。
悪魔アキムの太い前脚がダガーナイフの刃を受け止め、続いた回し蹴りにもその体躯は少しも揺らがない。
ダリアが悪魔アキムの前脚を蹴って夜空に舞い戻った。地上一〇メートル近くで魔方陣を展開すると、黄緑色の光弾を雨あられと降らせてくるのだ。
「ちょ――っ!?」
魔法による絨毯爆撃。
ゴミが弾けた。地面にクレーターができた。
光弾の直撃は悪魔アキムが残らず防御してくれる。とはいえ、思わず目元を覆った俺の両腕、衝撃に備えて丸めた背中は、すぐそばから弾け飛んできたプラスチックゴミの破片で傷だらけだ。ジャージを破って肌に突き刺さったらしい。
たまらず駆け出した。止まっていたら狙い撃ちにされる。
だが、走る俺が顔を上げた瞬間、空に見たのは――
「逃がすかよぉ!」
視界いっぱいに広がった夜の翼。
思わず急停止した俺の前に悪魔アキムが出た。ギルゴートギルバーを起点に四方八方から襲いかかってきた夜の翼をどうにかこうにか打ち落とす。
瞬間、バキンッと嫌な音がした。
激突時の衝撃に悪魔アキムの右前脚が耐えきれず、中程から先が砕け散ったのだ。
「サポートしやがれダリアぁ!」
ギルゴートギルバーがそう叫ぶやいなや、ダリアが悪魔アキムの腹の下に飛び込んだ。
カマキリのような細長い胴体、そこから伸びる後ろ足の付け根にダガーナイフが突き立つ。それでも白き異形は、俺を守るため瞬間移動で逃げるわけにはいかなかった。
動きの止まったその瞬間をギルゴートギルバーに狙われる。
獰猛なホオジロザメがごとくに、悪魔アキムの小さな頭をかっさらったギルゴートギルバーの翼。
首のなくなった悪魔アキムは俺の前にまだ立ってくれるが。
「ハァッハア!!」
笑いながらの追撃によって胴体の上半分を失い、モヤと消えた。
その直後――悪魔アキムの腹に潜っていたダリアが身をひるがえして飛びかかってくる。
「ちい――!」
しかし俺が手札を切る方がほんの少し早かった。
ダリアのダガーナイフとぶつかって高い金属音を奏でたのは黒い剣だ。二枚目の“常夜の軍勢 黒騎士”。
俺は黒騎士の後ろで手札に目を走らせる。そして舌を打った。
ずらりと並んだ手札、しかしまだ、フィニッシュまで持っていくカードが揃っていないのである。“ルインスライム”と“月夜の鎧剥ぎ”はすでに引いた。足りないのは“悪夢より生まれしイゴーシュ”と“塵と化す戦意”の二種類だ。
まだ動き出すわけにはいかない。カードを使う順番があるのだ。
特に、モンスターカードである“悪夢より生まれしイゴーシュ”と“ルインスライム”の順番は、絶対に入れ替えることができなかった。“悪夢より生まれしイゴーシュ”が先だ。
マジックカード“塵と化す戦意”だって、“ルインスライム”の召喚前に使っておきたい。
時間経過のカードドロー。
「――まだか」
剣撃の音響く中、俺は小さく小さく呟いた。
手札に来たのは、マジックカード“聖者の驕り”。六点以下のダメージを三分間無効化するカードだが、今はなにより“塵と化す戦意”が欲しい。
「ダリアぁ! んな雑魚に手こずってんじゃねえぞ!」
ダリアが黒騎士の防御を突破できないでいたら、ギルゴートギルバーが来た。
ダガーナイフを振り回していた幼女の襟首を背後から鷲掴みにすると、邪魔と言わんばかりにその辺に放り投げるのだ。
それで俺は「黒騎士!」即座にギルゴートギルバーを指差した。
黒騎士が動く。
尋常ならざる速度で前に出て、大上段から剣を振り下ろした。
だが――
「……ってぇな……」
ギルゴートギルバーの命を奪うには至らない。
見れば、ギルゴートギルバーの右腕が黒き剣を受け止めているではないか。黒騎士が斬ったのは奴の腕の肉だけで、その強靱な骨は断ち切れなかったらしい。
ギルゴートギルバーがニヤリと大きな犬歯を見せた。
「王の身体を傷付けた罰だ」
次の瞬間、吸血鬼の左拳が黒騎士の鎧を叩き潰し――黒騎士はモヤと消える。
すると黒騎士の特殊能力発動。『箱』がカードを二枚排出した。
そしてそれと同時――マジックカード“刃蔓の繁茂”発動――俺とギルゴートギルバーの間の地面を割って銀色のつる植物が出現するのだ。
つるのうねりに合わせて不燃ゴミが舞い踊った。
「クソが!! うぜえな!!」
無茶苦茶に暴れ回る刃蔓が【斬撃:二点】のダメージをギルゴートギルバーに与える。
無論、二点ダメージでは『黒騎士の攻撃力二』を耐えたギルゴートギルバーを倒せないことは知っている。そもそも倒すつもりなんて毛頭ない。ただの目くらましだ。
ギルゴートギルバーから距離を取った俺はカードを引き、黒騎士の残した“不死沼のドラゴン”と“混沌狂い”をまあいいか……と思うのだった。
刃蔓が消えると同時、手札からマジックカード“聖者の雄叫び”を使った。
『成功判定:一・二・四・五・六。相手モンスターに三点のダメージを与える』
――成功。
狙ったのはギルゴートギルバーだ。
刃蔓を耐えきって――とはいえ傷だらけになっていた吸血鬼の王を破壊光線が襲った。
幾筋もの白色光線がギルゴートギルバーを貫通。
「がはっ――」
穴だらけの身体は立つこともできず、いとも簡単にゴミの海に沈んだ。
そして俺は……始祖アルメイアの力を奪い取ったという不届き者が『再生能力』を発揮してくれることを心から願うのである。
ふと視線を動かしてみれば。
「――っ」
ダリアが俺を見て目を丸くしていた。ギルゴートギルバーが殺されたと思ったのだろう。
しかし、だ。
「…………殺してやるぞ人間……てめえだけは、オレの誇りに懸けて、必ず殺す……」
二〇秒もしないうちに、ギルゴートギルバーは当然のように立ち上がってくる。
穴だらけの肉体から大量の暗闇を溢れさせ……暗闇が引いたあとは入れ墨まで元通りだ。直っていないのは、レザージャケットとレザーパンツぐらいなものだろう。
「……ソロモン騎士なんざ、もうどうでもいい……」
俺はレザージャケットを脱ぎ捨てたギルゴートギルバーを見据えつつカードをドロー。
二枚目の“鶫の囀りアキム”を手札に加え、なるほど防御力は三か……そう思うのだった。
考えなしにマジックカードを使ったわけではない。
ギルゴートギルバーの防御力がどれほどのものか確かめていたのだ。“刃蔓の繁茂”の二点ダメージに耐えたから、それを一点上回る“聖者の雄叫び”を使っただけ。
俺はふと、ギルゴートギルバーに声をかけた。
「本当に助かったよ、起き上がってくれて」
「…………ああ?」
「今ので終わってたら、マリアベーラさんに申し訳が立たないところだった。さすがは『始祖アルメイアの再生能力』だ」
「………………」
「それに、攻撃力も結構あるよな。レディ・フランメを抜けなかったから六はないんだろうが……アキムの防御力三は超えてきた」
「頭おかしいのか? なに言ってやがる?」
「いや、別に。これで俺が『こいつ』を召喚できたなら、お前の攻撃力は四か五のどちらかなんだろうと思ってさ――」
そして俺は手札のモンスターカードを切るのだ。
“不死沼のドラゴン”――『攻撃力三、防御力四。召喚条件・相手モンスターが攻撃力四以上の時。このモンスターが破壊された時、あなたは手札を二枚捨てることができる。その時、このモンスターはフィールドに残り、攻撃力をプラス一、防御力をプラス一する』
――――――――――――――――
怪獣映画で聞くような凄まじい咆吼が夜空を震わせた。
ギルゴートギルバーとダリアが何事かと空を仰ぎ、しかし俺は二人から目を離さない。
やがて…………曇天を引きずりながら巨大な竜がゴミの島に降り立つのだった。
全長三〇メートル、翼長一五メートル。
後ろ脚と比べて前脚の方が異常に巨大という奇妙な体躯は、不気味な紫色の鱗でびっしりと覆われている。前脚のすぐ後ろから伸びた力強い皮膜の翼。三つ叉に別れた長い尾は、それぞれが独立した意識を持っているかのごとくゆらゆら揺れていた。
とはいえ――なによりも異様なのはその頭部であろう。トカゲには似ても似つかず、どちらかと言えばミミズに似ている。顔全体が凶悪な乱杭歯の並ぶ口となっているのだ。
正真正銘、本物の怪物。というか怪獣。
“不死沼のドラゴン”が前脚の間に俺を置き、ぬぅっと首を伸ばした。
怪獣がつくる影の中、俺は、ギルゴートギルバーをあおるようにこう言うのである。
「この際、攻撃力も確定させておきたいからさ、もう少し付き合ってくれよ」
わざとらしい作り笑顔。多分、目は笑っていなかっただろう。
途端、ギルゴートギルバーが歯を剥いた。
「舐ぁぁめるなああああああああああああああああああっ!!」
足を踏ん張って全身から暗闇を噴き上げる。
天まで届く暗闇の大剣を生み出したのだ。
その時――ギルゴートギルバーの一撃をサポートしようと、ダリアの光弾が何十と飛来する。ドラゴンの顔面で弾けてもうもうたる白煙を上げた。
しかし、当然のように白煙を割って現れる無傷の頭部。
「……ふむ……」
俺は『箱』からカードをドローして、ようやく来てくれた“悪夢より生まれしイゴーシュ”を無言で手札に加えるのだった。この調子で“塵と化す戦意”の方も頼む、と思った。
ギルゴートギルバーの一撃が来る。
「くたばりやがれ――」
そう言って振り下ろされた『夜の大剣』は俺の頭上を越え、“不死沼のドラゴン”をゆっくり断ち割っていった。
メリメリ――と、嫌な音を上げながらドラゴンの頭部、頸部、胸部が二つに割れていく。凄まじい量の鮮血が滝のように落ちた。血しぶきでジャージの背中がぐっしょりだ。
ドラゴンの上半身をあらかた両断したところで夜の大剣は消え――
「これがぁっ、これが王の力よ――!!」
地響きを立てて崩れ落ちた怪獣に、ギルゴートギルバーは天を仰いで歓喜するのだった。
そして、その場に突っ立ったままの俺は、「まあ、当然こうなるよな。攻撃力四はあるんだから」と手札からカードを二枚捨てる。“不死沼のドラゴン”の特殊能力を発動させた。
『このモンスターが破壊された時、あなたは手札を二枚捨てることができる。その時、このモンスターはフィールドに残り、攻撃力をプラス一、防御力をプラス一する』
直後、倒されたはずのドラゴンが再び動き出した。
まるで動画の逆再生。二つに裂けた胸部から頭部に向かって、順々に身体が繋がっていくのである。その際、地面にこぼれ落ちた血液のすべてがドラゴンの体内に吸い上げられていった。俺の背中を濡らした血も回収されて、ジャージがフッと軽くなるのを感じた。
――――――――――――――――
冗談みたいな復活を終えて、力強さを増す咆吼。
元々の巨体が更に一回り大きくなった気がする。
果たしてギルゴートギルバーは何を思うだろう。不利を悟って出方を変えてくるかもと思ったが……。
「ざけやがって。何度だって殺してやる――」
始祖アルメイアから力を奪った暴君は折れなかった。もう一度夜の大剣を手にすると、ゴミの山を巻き込みながら真横に薙ぎ払ってくるのだ。
「ゴリ押しか」
俺がそう呟いたのと同時、どこか人間の腕にも似たドラゴンの前脚が動いた。
指を開いて暗闇の刃を掴み取る。
そして次の瞬間、バキンッ――分厚いガラスが割れたような耳障りな音があった。見ればドラゴンが夜の大剣を握り潰しており、そこから連鎖的に刃すべてが砕けていく。
俺はギルゴートギルバーの驚愕の表情を見逃すことなく――なるほど。攻撃力は四で決まりか――そんな確信を得るのだった。
特殊能力を使用して蘇ったことで“不死沼のドラゴン”の防御力は四から五に上がっている。防御力五のドラゴンを倒せなかったのだから、ギルゴートギルバーの攻撃力は四と結論付けても良いと思ったのである。
攻撃力四、防御力三。そして……強力な再生能力。
それがギルゴートギルバーの、いや始祖アルメイアの力だ。
「なかなか立派なモンスターじゃないか」
俺は思わず本心を漏らし、『箱』から一枚ドロー。
カードの表を見た瞬間――あ――と少し固まる。このタイミングで手札に来たマジックカード“塵と化す戦意”に、なにか運命めいたものを覚えた。
…………そうだな、もう動こうか……。
自分自身にそう言い聞かせ、笑みをつくった。
ゴミの中で吸血鬼や魔法少女と戦うという奇妙きてれつな人生を笑い――最後の覚悟を決めるための笑みだ。
ギルゴートギルバーとダリアを見据えた。
使役モンスター交換。
手札から“悪夢より生まれしイゴーシュ”を切る。
その瞬間、“不死沼のドラゴン”の巨体が掻き消え…………俺の頭上に顕現したのは『攻撃力〇、防御力一。召喚条件・なし』の悪夢だった。
――頭部が異常に膨らんだ、青紫色の子供――
風船頭にはまだ黒髪がまだらに残っていて、その両目は太い糸で縫い合わされてしまっている。グチャグチャに生えた歯を見せつけるように気味悪く笑っていた。
そして異形は衣類を纏わぬやせっぽちな肢体にも続き……。
腹から下――下半身が人間のものではないのである。一見スカートを履いているのかのように見えたそれは、何千、何万という極細の触手だ。風になびいて大きく揺れていた。
ギルゴートギルバーが鼻筋をヒクつかせる。
「次から次へとよぉ……」
そう吐き捨ててから大きく踏み出し、「人間風情が、調子に乗りやがって」憤怒の形相で俺を殺しにやってくるのだ。
俺は一歩だって逃げることなく、ギルゴートギルバーを指差して言った。
「すまないな、イゴーシュ」
直後、イゴーシュの頭が限界を超えて膨張。水を入れすぎた水風船のように弾け飛ぶ。
――――――――――――
濁った叫びが走った。
ギルゴートギルバーだ。殺意を立ちのぼらせながら俺に向かっていた吸血鬼が、唐突、膝を付いて頭を抱えたのである。
「てめ――今っ、何を――何をやったあっ!?」
俺は何も答えない。イゴーシュの自壊によってその特殊能力が発動したとは一切口にしない。ただ……怒りに染まった眼で俺を睨め上げてくる暴君を見つめただけだ。
ギルゴートギルバーを狙って手札からカードをもう一枚。
マジックカード“塵と化す戦意”――成功。
しかし、吸血鬼に特段の変化はなかった。凄まじい頭痛にギャアギャアわめいたままだ。
「ダリア! ――ダリアぁっ!」
攻撃を命令されたと解釈したのだろう。ギルゴートギルバーの声に合わせるように、ダリアの身体が躍動した。
前傾姿勢の全力疾走。
「――ッ」
惚れ惚れしてしまうような大ジャンプの落下に合わせて転移魔法を展開する。足元に現れた魔方陣にそのまま突っ込むと、俺の死角に瞬間移動してくるのだ。
呆気なく背後を取られた。
とはいえ。
「――ルインスライム」
魔法少女が来ることを予期していた俺は、すでにカードを三枚投げている。
モンスターカード“ルインスライム”とその召喚条件である二枚の手札破棄だ。
まるで噴き上がるマグマのように、ゴミの地面を吹き飛ばしてオレンジ色の半液状生物がそそり立つ。巨大な壁となって俺とダリアの間に割って入った。
数瞬遅れて振り返れば、ルインスライムの体内にダリアのダガーナイフが一本浮いているではないか。
「く――」
トップスピードで俺とルインスライムから距離を取り、光弾を放ってくるダリア。
オレンジ色の表面で光が破裂し、しかしルインスライムの壁が揺らぐことはなかった。『攻撃力一、防御力四』をダリア一人でどうにかするのは難しいだろう。
重さ二〇〇トン近く――二五メートルプール半分ほどの体積を持つ巨大スライムが、いきなり俺を取り囲む。
何事かと視線を回したら、「人間がぁ……っ!」ギルゴートギルバーの腕が肘までルインスライムに埋まっていた。力任せに俺を殴ろうとしたらしい。まなじりがピクピクと痙攣している。頭痛はまだ治まっていないようだ。
「ちょっと寝ててくれ」
ギルゴートギルバーを指差して、ルインスライムに攻撃命令を下した。
オレンジの壁から飛び出した重さ数トンの触手が、「ガ――」吸血鬼を軽々吹っ飛ばす。
そして俺は、ギルゴートギルバーが遠くのゴミ山に落ちるのを見守ることもなく。
「それじゃあダリアを捕まえようか」
背後の魔法少女に向き直って、ルインスライムの特殊能力を使うのである。
ルインスライムが壁を崩してゴミの地面に大きく広がった。すぐさまダリアを目指して猛スピードで這いずり始める。
重さ二〇〇トンの高速移動だ。ゴミを巻き込みながら進むそれは、ほとんど津波のようなもので、尋常な人間であれば逃げ切れるはずもない。
だが、「くそ。転移魔法か」相手は尋常ならざる魔法少女だ。そう容易くはなかった。
転移魔法でまさかと思う場所に現れ、攻撃魔法で俺を狙ってくる。
五〇メートル頭上から降り注いだ大量の光弾。
「あっぶな――」
すんでのところでルインスライムの防御が間に合った。
オレンジ色の傘の下、俺はカードをドローする。二枚目の“燃え盛る聖女レディ・フランメ”に少し困った。頼りになるカードだが、正直もういらない。使わない。
今必要なのは“塵と化す戦意”の二枚目だ。
ダリアが地面に降りた瞬間――ルインスライムの触手がいくつも飛んだ。
不定形の腕がゴミ山の間を跳び回るダリアを追いかけ、追いすがり。
「くそっ。大人しく捕まってくれよ――!」
俺もダリアを目指して本気で走り出すのである。
触手を伸ばすにつれてルインスライムが小さくなっていたからだ。俺が走れば、それに合わせてルインスライム本体も動き始める。ほんの少しでも射程距離を稼ごうとした。
中年男の全力スプリント。
不安定な地面に足首をくじきかけ、手を突きながらも走る。
犬のごとくよだれを散らしながら。
「あのゴミ山に追い詰めよう! 違う! そうじゃない!」
もう必死だった。
だというのに、あと一歩というところで俺の視界から消えるダリア。
また転移魔法――そう思った刹那、俺は自分からゴミの地面に飛び込んでいた。突然目の前に現れたダリア、そのダガーナイフの切っ先をよけるためだ。
命が残ったのはただの幸運。
首筋を薄く切られただけで、すぐさまルインスライムがフォローに入ってくれた。飛び退るダリアをルインスライムの触手が追いかける。
「はあ、はっ、は、はあっ――」
俺は息を上げながら『箱』からカードをドロー。二枚目の“生き残りの障壁”を手札に加えると、よろよろ立ち上がった。
ダリアとルインスライムの触手が視界を横切っていく。
……魔法少女を無傷で捕まえるには何をすべきか……すぐさま思い付いたアイデアは、それはそれは恐ろしいものだった。思わず鼻で笑ってしまった。
しかし悩んでいる暇などない。即座に実行を決断する。
「ざけてんじゃねえぞにんげえええええええええええええええええ――!!」
遠くに見えるゴミ山の頂――先ほど吹っ飛ばしたギルゴートギルバーがようやく立ち上がり、甲高い雄叫びを上げた。
ちょうどいい。俺は怒り狂う人影を指差し、「ギルゴートギルバーを攻撃」そうルインスライムを向かわせるのである。
直後、俺が無防備になる時間が生まれ――その好機をダリアが見逃すはずなかった。
転移魔法。
反応も動きも鈍い中年男の真正面に突如出現して。
「やあっ!!」
ダガーナイフで確実に仕留めに来る。心臓を狙ってくる。
だが、俺の胸にダガーナイフを突き立てる瞬間、きっとダリアは見ただろう。
――凄まじい形相をした中年男が、魔法少女の一挙手一投足を睨み付けているのを――
「ッ!?」
常人の反射神経を凌駕した高速の世界。俺にできるのはほんの少し身をよじらせることぐらいだ。
それでも――ダガーナイフの先端は俺の心臓を外れた。
「ぐうぅっ!!」
刀身の根元まで胸に埋まり、しかし俺はまだ息がある。後ろに倒れ込みながら両腕でダリアを抱き締めた。残されたすべての力を込めてそのまま締め上げた。
「来い!! スライムぁああああっ!!」
ルインスライムを呼ぶ。
暴れるダリアを両脚まで使って押さえ込もうとした瞬間、視界がオレンジ色に染まった。
そして、胸に突き刺さったままのダガーナイフを通して身体に魔法を流し込まれたのを感じた。ダリアの光弾が俺の体内で弾け…………そこで意識が途切れた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ルインスライムがつくってくれた脱出口を通って外に這い出る。
「寒――っ」
思わずそう漏らしたのは、冷たい夜風が剥き出しの肌に触れたからだ。
ダリアの魔法は俺の上半身を爆発四散させたらしく、ジャージの上はあらかた吹き飛んでしまったみたい。
残りライフ三点…………ライフを一つ減らして生き延びた俺は、ただの布切れと化したジャージを脱ぎ捨て上半身裸になってから、後ろを振り返った。
そこにあったのはオレンジ色の巨大なオブジェだ。
完璧な立方体へと形を変えたルインスライムが、その身の中心にダリアを取り込んで静かにたたずんでいるのである。
それはまるで、古代の蝶を閉じ込めた琥珀のようでもあり。
「……ごめんな……」
ふと、スライムに呑み込まれた魔法少女と目が合った。窒息はしておらず、意識もあるようだが、鼻や口から体内に侵入してくる半液状生物に動きを制限されているようだ。
これがルインスライムの特殊能力――『相手モンスターの攻撃力がルインスライムの防御力以下の場合、相手モンスターは攻撃・防御・特殊能力の使用ができなくなる』
つまり相手のモンスターを塩漬けにしてしまうモンスターなのだ。
まあ……この能力を使用している間は、ルインスライムも一切動けなくなってしまうのだけれど……。
俺はポケットを触って、マリアベーラからもらった金属片の存在を確認した。そして『箱』からカードを引いた――マジックカード“塵と化す戦意”。
「……残すはギルゴートギルバーだけか……」
そう呟いて、我ながらとんだ無茶をしたものだと思う。
自分ごとダリアをルインスライムに取り込ませようとするとは……ダリアの攻撃で即死していたらライフを一点無駄にするところだった。
「さて……」
気を取り直すためのため息を一つ。
しかし、「やってくれたな」いつの間にか後ろにいたギルゴートギルバー。
――――――
振り返る俺は咄嗟に右腕を持ち上げるものの、吸血鬼の拳を防ぐにはあまりにも頼りない。顔面を狙った一撃必殺はかろうじて逸らしたが、枯れ枝のように折られてしまった。
粉砕骨折に悲鳴を上げる暇はない。二撃目のボディブローが来る。
腹を叩かれた瞬間、「がは――」強い衝撃に横隔膜がせり上がって肺が潰れた。
身体が硬直する。
死の気配に意識だけが加速し、世界がひどくスローに見えた。だが、動かない身体で何ができるわけでもない。迫り来るギルゴートギルバーの拳を見ただけだ。
最後は左フックに力いっぱい横面をぶん殴られて――命を落とした。
ライフ減少、残り二点。
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