ゴミの中で

「囲め! ――囲めっつってんだよっ!! ビビったら殺すぞ!!」

 爆ぜる炎の向こうに聞こえたギルゴートギルバーの怒号。


 不意に吹き上がった橙色を見れば、吸血鬼の一人が投げたアーミーナイフを炎の壁が受け止めている。鋼鉄の融点一五〇〇度を遙かに超えているのか、火中のアーミーナイフはあっという間に形を崩し、滴り落ちて消えてしまった。


「駄目だ、この炎……とても近寄れ……」


 “燃え盛る聖女レディ・フランメ”の炎に尻込みする名も知らぬ吸血鬼たち――彼らはその数を、すでに一三体減らしている。


 開幕の“雷雲の落とし子”で七体。

 炎の壁の内側で使用した“氾濫する焔”は発動に失敗したが、続けざまに放った破壊光線――マジックカード“聖者の雄叫び”――で三体まとめて消し飛ばした。

そして、「ざっけんなあああっ!! なんで届かねえ!!」さっきからずっと見境なく振り回されているギルゴートギルバーの翼に巻き込まれて三体……。


 俺はカードをドローしながら、“燃え盛る聖女レディ・フランメ”を攻略できない吸血鬼たちを注意深く観察する。


「こっち来んな! まとまったら狙い撃ちにされる!」

「お前行けよ!!」

「ふざけんな!! お前が行け!」

「――押すなって! あんな炎、入れるわけねえだろう!」


 あちこちで聞こえる日本語、英語、聞き覚えのない言葉。彼らは俺を囲む炎に自らの武器を投げ込んでは、そのことごとくをドロドロに溶かされてしまうのだ。


「おいこらっダリアぁ!!」

 暗闇の翼を燃やされる度、執拗にその身から翼を生み出し続けるギルゴートギルバーが、魔法少女の名前を叫んだ。


 それに合わせて俺も視線を回してダリアの姿を探す。


 ――いた。


 俺の斜め後方で、黄緑色の巨大魔方陣が浮かんでいた。

 魔方陣の向こうに垣間見えるダリアが魔法を唱えたのだ。俺を殺すための魔法を――


「フランメ! 魔法が来る!」


 魔方陣から放たれたのは大量の光弾だ。

 空気をぶち抜いて飛翔した光の群れは、しかし、猛る炎の結界によって一蹴された。


 さすがは防御特化モンスター。

 ダリアの呆然とした顔が見えた。


 俺は手を叩いて“燃え盛る聖女レディ・フランメ”を褒め称えてやりたかったが、そうも言っていられない。もうすぐ三分だ。

 “燃え盛る聖女レディ・フランメ”が有する時間制限……十字架に繋がれた聖女が燃え尽きる時間がやってくる。


 俺は火刑台が崩れ落ちる音を背中で聞きながら、三枚の手札へと目を落とした。


「ボスっ! 炎が消えます!!」

「うるせえ! いいから野郎のタマぁ取ってこい!」


 そして、炎の聖女の消滅に合わせて召喚したのは――ついさっき手札に加えたばかりのモンスターカード“常夜の軍勢 白騎士”だ。


『攻撃力二、防御力二。召喚条件・なし。このモンスターが相手モンスターを破壊した時、あなたはカードを一枚ドローする』


 直後、純白の鎧を着込み、純白の剣を手にしたドクロ頭が俺の右隣に現れた。


「人間風情があああ――っ!」


 日本刀を振りかざして突っ込んで来た吸血鬼は尋常ではない速度だが、「――頼む!」さすがに俺の指先の方が少し速い。


 ――――――


 残像すら残らぬ白き斬撃。

 白騎士の剣術が、吸血鬼の身体能力をいとも簡単に凌駕して、「あが――」日本刀ごとその肉体を縦に両断した。


 再生能力を超えた一撃に、吸血鬼は黒く変色してそのまま闇へと帰る。

 その瞬間、『デモンズクラフトの箱』がカードを一枚吐き出し、俺は――相手を破壊するだけで一枚ドローとは、美味しい能力だ――そう思いながらカードを引いた。


 白騎士の特殊能力でドローしたのは、無敵の防御系マジックカード“生き残りの障壁”。


「な、なあ……今……」

「ああ……ゲンゾウの奴が、一撃かよ……」


 それからすぐさま時間経過によるドローもあって、俺は更に一枚手札を増やした。“常夜の軍勢 黒騎士”、白騎士と対になるモンスターカードだった。


「……アンデッドの騎士だと……?」

「……ドクロの顔……あんな強い奴が、どうしてこんな所に……」


 いまだ三五体以上残る吸血鬼の群れが、俺と白騎士をぐるりと取り囲んで。

「ボス教えてくれ……オレたちは、オレたちはいったい何と戦っているんだ……?」

「……ギルゴートギルバー様……」

 しかしうろたえてざわつくだけの有象無象。


 吸血鬼たちは、デモンズクラフトのルールを何も知らない。モンスターの攻撃後に発生する一分間の待機時間を知らないのだ。

 今俺に近づけば白騎士に斬って捨てられる――そう勘違いしているのだろう。


「――白騎士、ついてきてくれよ」


 俺は、奴らの動きが止まった今こそが好機だとカードを切った。

 マジックカード“刃蔓の繁茂”。


『成功判定:一・二・三・四・五。相手モンスターに【斬撃:二点】のダメージを与える』


 ギルゴートギルバー、ダリアから十分に離れた固まりを狙った魔法は発動成功。

 すると、ゴミの埋まった地面が爆発する。


 爆発とともに現れたのは――大量の、見たこともない銀色のつる植物だった。

 当然それはこの地球に息づく植物ではない。タコやイカの触手がごとくに茎を激しくうねらせ、獲物を探してのたうち回るのである。


 そして銀色の茎に触れてしまった吸血鬼は、まるでスライサーにかけられたキャベツみたく、千切りにされていった。


「さあ行こう!」

 野太い悲鳴が上がるのを待って、俺は思いきり地面を蹴る。


 五体もの吸血鬼が消滅し、それ以上の数が軽くない傷を負った混乱の真っ只中へと、まっすぐ突っ込んだ。


 いまだ刃蔓は暴れ回っている。しかし俺は止まらなかった。

 触れてしまえば微塵切り確実という刃蔓の中を白騎士と一緒に突っ切って、瓦解した包囲を抜ける。


 一瞬後ろを振り返って――心底ホッとした。

 刃蔓が俺たちを傷付けるとは思っていなかったが、さすがに怖かった。


「お前ら追えっ! 逃がすんじゃねえぞ!!」


 ギルゴートギルバーの怒りに真っ先に呼応したのはダリア。

 血の滴る切創を再生能力で塞ぐ吸血鬼たちの頭上を跳び越え、頭を低くした全力疾走で俺に追いすがると。

「んっ!」

 蝶の羽ばたきのように両手のダガーナイフを閃かせるのだ。


 俺は足の回転をゆるめない。俺に付き従う白騎士が剣で受けた。

 そこから先は金属音が奏でる超高速ワルツだ。

 ちらりと後ろを見やったが、正直、次々とナイフを打ち込むダリアも、それを一つ残らず受け止める白騎士も、訳のわからない動きだった。


 その時――

「逃げられると思っているのか人間んんんん!!」

 戦斧を握る吸血鬼が俺の前に立ちはだかる。


「白騎士!」

 俺は防御行動中の白騎士に構わず攻撃命令を下した。


 走る俺が吸血鬼と接触する刹那――身をひるがえした白騎士が吸血鬼の首を飛ばす。

 『箱』が一枚カードを吐き出した。


 しかしその隙をダリアが見逃すわけがない。


 『箱』へと手を伸ばした俺に二本のダガーナイフが迫り、白騎士が身を挺してかばってくれなければ間違いなく頸動脈を切り裂かれていたことだろう。

 俺が“混沌狂い”のカードを引いたと同時、白騎士のドクロ頭が地面に転がった。


 白騎士はそれで死んだわけではなかったが。

「おっせえんだよダリアあああああ!!」

 その後、彼に降り注いだ暗闇の槍が決定打となった。モヤとなって消えてしまった。


 思わず足を止めて空を仰げば、一〇メートル上空、真っ黒な翼を広げたギルゴートギルバーが俺を見下ろしている。


「ヒューマンてめぇ……このオレに勝てる気でいんのかよ……?」


 俺はその問いかけには一切答えず。

「はぁ、はぁ――」

 手札から新しいモンスターを召喚した。

 鎧の色が漆黒という以外は白騎士と瓜二つのドクロ騎士――“常夜の軍勢 黒騎士”。


『攻撃力二、防御力二。召喚条件・なし。このモンスターが相手モンスターの攻撃・特殊能力によって破壊された時、あなたはカードを二枚ドローする』


 俺の左隣に立った黒騎士を見て、「て、てめぇえ……っ」忌々しげに犬歯をむき出したギルゴートギルバー。


 俺は、ダリアの隣を抜けて飛びかかってきた吸血鬼を指差し。

「ぎゃんっ――」

 黒騎士に両断させる。


 その直後、時間経過で『箱』が出したカードは二枚目の“二冊の魔導書”だ。


 俺と黒騎士の前でナイフを構えるダリアの背後、残りの吸血鬼全員がこちらに走ってくるのが見えた。それで俺は手札のマジックカードを切る。“裏切りの血潮”。


 発動は成功し、今まさに押し寄せてくる吸血鬼の群れ――その先頭三人がいきなり全身から鮮血を吹き出して倒れた。


 ――――――――――――――――――――――――


 声にならぬ悲鳴が夜に響き渡る。


 趣向を凝らした噴水のように、吸血鬼の毛穴という毛穴から真っ赤な血が飛んだのである。吸血鬼の再生能力でどうにかなる状況ではない。


 それは俺も眉をひそめてしまうほど凄惨な光景で……地面に倒れてもなお、血を垂れ流し喉を掻きむしる仲間の姿は、後ろに続く者たちに強烈な印象を与えたようだ。


 思わず群れの足が止まる。


 俺と黒騎士から目を離さないダリアも――――――吸血鬼三人の断末魔の叫びを聞いて、目を見開いていた。


 ……それほど威力のある魔法じゃないんだがな。発動率も高いし……。

 そもそも、このデッキに投入しているマジックカードは、一部除いて発動率が高いものばかりだ。強力な効果を捨てて確実性を優先したカード選択。ギルゴートギルバーとダリアを巻き込まずに吸血鬼を処理するならば、大魔法は不要だろう。


 俺はそんなことを考えつつマジックカード“二冊の魔導書”を使う。

 ダイスの結果は発動成功で、“月夜の鎧剥ぎ”と“聖者の雄叫び”を引いた。


 ……二枚とも、また、マジックカード……。

 カードを手にした瞬間、俺の表情は多分ぴくりとも動かなかったはずだ。

 だが、向こうにずらりと並んだ敵勢を前に、俺は内心頭を抱えていた。今日はどうにもモンスターカードの巡りが悪い。手札にモンスターが来なくてどう戦えというのだ。


 不意に――――俺と吸血鬼の間を強い風が吹き抜けた。

 ダリアの可愛らしいくせ毛が揺れる。


 ――モンスターカードの切れた頼りない手札――

 ――同胞の壮絶な死に様にまごついてくれる吸血鬼集団――


 そのうち『箱』がまたカードを吐き出し、それはマジックカード“月夜の鎧剥ぎ”だった。またもやのマジックカードにため息が出そうだ。


 手札を貯めたい俺は、このまま戦場が膠着することを期待するが……。

「誰が止まっていいと言ったああああああああああああああああああっ!!」

 怖じ気づいた吸血鬼たちの頭上まで広がった暗闇の翼が、夜空で怒り狂うギルゴートギルバーが、それを認めてくれるはずがなかった。


「人間なんぞにコケにされてんだぞ……っ。夜の支配者であるオレたちがよおおおお!!」

 白騎士を倒した暗闇の槍が一人の吸血鬼に投げつけられ、俺の手に寄るものではない死が一つ増える。


 しかしそれがブラッドストローへの起爆剤となった。

 暴君ギルゴートギルバーの振る舞いが、彼らの俺に対する戸惑いを塗り潰したのだ。


 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――

 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――


 広大な新海面処分場に雄叫びの波が響き渡る。


「――っ」

 ダリアがダガーナイフを構え直すのが見えた。


 ――来る――

 俺がそう思った時には、もう遅い。

 気付けば黒騎士がダリアの突進を受け止めてくれていた。


「ちいっ」

 そして俺は迫り来る吸血鬼の大波を迎え撃つためマジックカード“聖者の雄叫び”に指を伸ばす。


 しかし――嫌な予感。


 カードを切るよりもバックステップを優先したら、その瞬間、俺の立っていた地面に暗闇の槍が深く突き立った。

 何が起きたのかは空を見なくてもわかる。ギルゴートギルバーが槍を投げてきたのだ。


「くっそ!」


 だから俺は即座に駆け出さざるを得ない。

 黒騎士はダリアと斬り結ぶので手一杯らしく、俺に付き従うことができなかった。


 たった一人逃げる俺は手札のマジックカード“生き残りの障壁”を握るものの。

「ハッハア! どうした人間!? もう妙な魔法は使わないのかよ!?」

 虫でも弄ぶみたいに槍を当ててこないギルゴートギルバー。

 俺はギリギリまで防御系マジックカードを温存することを決めた。


 俺の行く手、すぐ真後ろ、左右が――次第に暗闇の槍に埋め尽くされていく。


「ちくしょう」


 余裕なく逃げ回っていたら、やがて『箱』が一度にカードを二枚吐き出した。

 それで俺は、“常夜の軍勢 黒騎士”がやられたことを知るのである。あのモンスターの特殊能力は、敵に破壊された時、カードを二枚ドローできるというものだったから。


 見れば――黒騎士のいた地面に吸血鬼たちが寄ってたかっていた。

 さしもの黒騎士も、ダリアと大挙した吸血鬼たちを一度に相手することはできなかったらしい。


「見ろよっ!! ハハッ!! あの黒い奴は死んだぞ!!」


 よくも……と思った俺は、吸血鬼たちが団子になっている場所をマジックカードで狙い撃とうとするが――ダリアを巻き込むか――すんでのところでそう思い直した。


 とはいえ、黒騎士の置き土産の二枚は悪くない。

 “雷雲の落とし子”。そして“鶫の囀りアキム”だ。

 悪魔アキム――攻撃の要となるモンスターがようやく手札にやって来た。


「おら!! 何かやってみろ!! もう品切れか!? さんざん舐めた真似しやがって!!」

 上空から降り続ける槍の雨とギルゴートギルバーの高笑い。


 だが。

「おっさんなんざお呼びじゃねえんだよ! せっかくソロモンの女をめちゃくちゃにできると――」

 その下卑た笑い声は、ある瞬間、唐突に止まることになる。


 キュキュキュ、キュキュキュ、キュキュ、キュキュキュ、キュキュ、キュキュキュ――


 辺り一面を埋め尽くした甲高い鳥の鳴き声。

 そして、その中に混じった「ギャア」という短い悲鳴。


「……はあ……? ……なんだよ……あれ……」


 夜空に立って戦場を見下ろしていたギルゴートギルバーならば、きっと、はっきり見えたことだろう。自らの兵隊の只中に、いつの間にか『白き異形』が現れているのを。


 全長三メートルを超える、どこかカマキリに似た体躯。

 重槍ランスとして用いられるであろう巨大な前足。

 口も鼻も耳もない小さな頭部をびっしりと埋め尽くした黄色い眼球。


 そんな――『気味が悪い』としか形容しようのない白い悪魔が、その槍状の前足で吸血鬼の土手っ腹をぶち抜いてたたずんでいるのを。


「――また――またっ、てめえの仕業かああああああああああっ!!」

 ギルゴートギルバーの激昂。

 走りながら『箱』からカードをドローしていた俺の背中へと槍が投げつけられた。


 濃密な暗闇が空気を貫き。

 ――――

 しかし瞬間移動で俺の背後に出現した悪魔アキムが、それを叩き落とすのである。


「なぁ――っ!?」


 俺はマジックカード“死者並ぶ朝”を手札に加えながら、「頼むぞ、アキム」そのまま全力で走り続けた。

 キュキュキュ。キュキュキュ。

 小鳥のごとく小刻みに首が動く悪魔アキムは、吸血鬼たちから距離を取ろうとする俺に瞬間移動で付いてくる。


 ふと嫌な予感がして後ろを振り返れば……いよいよ二四体まで数を減らした吸血鬼、そしてダリアが、鬼気迫る形相でまっすぐ俺に向かってくるではないか。


 身体能力がまるで違う。

 あっという間に追いつかれたところで――三〇秒だ。

 悪魔アキムが前回攻撃してから三〇秒が経過した。


 モンスターが一分間に一度しか攻撃できないデモンズクラフトにおいて、この“鶫の囀りアキム”だけが『三〇秒ごとに攻撃することができる』という特殊能力を有している。


 それで俺は、「ダリア以外なら誰だっていい!」すぐ背後の吸血鬼たちをそう指差すのである。

 瞬間、悪魔アキムに下から心臓を貫かれて、吸血鬼が一人宙を舞った。


 カードを切る。マジックカード“聖者の雄叫び”――失敗。

 クソったれ! と即座に二枚目。マジックカード“混沌狂い”――成功。


 突如として空中に出現した黒い染みのような正体不明の現象が吸血鬼を三体呑み込んだところで、「あァっ!!」ダリアが悪魔アキムに攻撃を仕掛けたのが見えた。

 彼女のその行動は俺を守る悪魔の動きを止めるためだ。


「死にくされ人間っ!!」


 俺の視界の端で――――大柄な吸血鬼が巨大なハンマーを振りかぶっている。


 まずいと思って“生き残りの障壁”を投げた。

 ――発動失敗。

 無敵の防御系マジックカードは何一つとして効果を発揮することなく、俺は横殴りの一撃をまともに食らうことになる。


 ハンマーに殴打されたのは身体の右側面。

 直撃の瞬間、咄嗟に右腕で防御していたが何の意味もなかった。

 体内にとてつもない衝撃が響いたかと思ったら身体が浮き上がり、上下左右前後の区別もなくなったからだ。


 枯れ葉のように吹っ飛ばされたのはわかった。


 土の地面で一度大きくバウンドして、首や背骨から嫌な音がしたのも聞こえた。


 だが――――――――――――――――――俺が覚えているのは、たったそれだけだ。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――ぶはぁっ!!」

 次、気付いた時には俺は不燃ゴミの山に突っ込んでいて、何かの拍子に口の中に入ったらしいチョコレートのビニール包装を吐き出すのだった。


「……くっそ……ライフ減らした……っ!」


 真っ先に左手に視線を落とす。

 俺の左手は手札を固く握っていて、一枚のカードだって落としていなかった。


「吸血鬼め。本気で殴りやがって」


 次いで探ったのはジャージのポケットだ。

 マリアベーラから借り受けた金属片――ギルゴートギルバー用の拘束具――の無事を確かめる。見た感じ変形もなさそうだし、問題ないと判断した


 強烈な臭いを発する食品トレーを頭に乗せたまま辺りを見回すと――

「……そうか……隣の埋立ブロックまで吹っ飛ばされたか……」

 ここは多分、さっきまでの高台から見えていた不燃ゴミの埋立ブロックだ。悪臭を放つビニールやプラスチックが一面に広がり、うずたかく積み上げられた、ゴミの島だ。


 明かりはある。

 社会維持局が放った青白い光球は、こんなところにも幾つか浮かんでいた。


 ――キュキュキュ。

 どこかから悪魔アキムの囀りが聞こえる。


 そして。

「いたか!?」

「駄目だ! 臭すぎて鼻が利かねえ!」

 俺を探しているであろう吸血鬼の声も。


 すると俺は、身体半分埋まったゴミ山に更に深く潜り込もうと、身をよじるのだった。


 最悪の気分。何かの汁がジャージに染み込んできて肌を濡らすし、前髪からは鼻がひん曲がりそうな臭いのしずくが滴り落ちる。顔だってヌルヌルだ。

 今すぐにここを飛び出して風呂に入りたい……心の底からそう願うが、それでも俺はゴミの中で息をひそめた。腐臭にまぎれて吸血鬼から隠れようとした。


 音を立てないよう、『箱』からそっとカードを引く。


 その時――乱暴にゴミを踏みつける足音が耳に届いて。

「……っ」

 潰れた弁当容器の陰からおそるおそる見てみれば、すぐそばの斜面を巨大なハンマーを担いだ吸血鬼が歩いていた。さっき俺を吹っ飛ばした奴だ。


「……アキム。いるか?」


 まっすぐこちらに向かってくる吸血鬼を小さく指差した俺。どこにいるのかは知らないが、悪魔アキムに攻撃命令を下した。


 次の瞬間――俺が潜ったゴミ山の隣にあった山が崩れ落ちる。


 なるほど。そこにいたのか。

 そう思った時、悪魔アキムはすでに吸血鬼の背後に瞬間移動していて、前脚の一撃で俺のライフを減らした仇敵を仕留めていた。


 吸血鬼は悲鳴を上げる間もなく絶命。その肉体はこの世界にとどまることもなく黒っぽい灰と化した。巨大なハンマーだけが音を立てて地に落ちる。


 それで……ゴミ山の内部、俺は人知れずほくそ笑むのだった。これはいける、と。


 悪魔アキムの姿が消えた。またどこかゴミの中に隠れたのだろう。


 そして。

「おい、どうした? 見つけたか?」

 ハンマーが落ちた音に気付いてのこのこやってきた吸血鬼が一人。


 悪魔アキムの『三〇秒』を待って再び攻撃命令を下す。すると吸血鬼はいとも簡単にゴミの地面に沈んだ。あとに残るのは黒灰だけだ。それもすぐに風にさらわれた。


 カードを一枚ドローする。


 二〇秒後……斜面の高い位置に吸血鬼の姿が一つ浮かんだ。


 どうやら奴ら、単独行動で俺のことを探しているらしい。広大なゴミの島を探し回るためとはいえ――さすがに不用心に過ぎるだろう。


 悪魔アキムが飛んだ。非力な吸血鬼に抗う術はない。


「――ったく。あんな人間、どうせもう死んでるだろ」

 すぐにまた吸血鬼が一人でやってきて、三〇秒前とほとんど同じ事が起きた。


 前回のドローから一分が経過。俺は悠々と『箱』からカードを引いた。


「やべえって! マジでボスに殺されっぞ!?」

「お前はあっち見てこい! オレは下の方を見てくるから!」


 次なる獲物。悪魔アキムに喉を貫かれたその吸血鬼は最期、くぐもった悲鳴を吐き。


「あぁ? 今、呼んだか? どこにいる?」

 新たな犠牲者を呼び寄せた。


 そして、それからも――――――――俺の思い付きは冗談みたいに上手くいくのである。結果、更に四体の吸血鬼を処理し、いつの間にか手札も四枚増えていた。


 事態が急変したのは。

「いつまで遊んでやがる!? 本気で殺されてぇか!?」

 ゴミを蹴散らしながらギルゴートギルバーがやってきたからだ。ダリアと吸血鬼一〇体を引き連れている。多分きっと……あれがブラッドストローに残された最後の戦力だろう。


 一向に戻ってこない部下たちを叱責しに来た暴君。

「――ああん?」

 しかし彼は、不燃ゴミばかりが広がる静寂の地に眉を曲げ、不満げに喉を鳴らした。この一帯に足を踏み入れた部下の姿がないことを不審に思ったはずだ。


「……………………はあ?」


 やがてギルゴートギルバーはゴミの中に転がる巨大ハンマーを見つけ……。


「ぼ、ボス――っ!?」


 背中から大量の暗闇を噴出し始める。


「出てこいやああああああああああああああああああああああああ――!!」

 今までで一番大きな夜の翼を広げ、振り回し、手当たり次第にゴミの山を薙ぎ払った。


 ピアスと入れ墨だらけの顔面――見える肌のすべてに網の目のごとき血管が浮き上がり、脈動に合わせて赤黒く光る。


 そのうち夜の翼は、俺よりも先にゴミの中の悪魔アキムを探り当てた。


 花吹雪のように舞い散る各種包装ビニール。


「そこにいたか悪魔ぁ!!」


 切れ味抜群の翼と悪魔アキムの前脚がぶつかった。

 だが、吸血鬼の王と白き異形のぶつかり合いはその一合だけだ。


 瞬間移動で出たり消えたりと、次々襲い来る翼を軽妙にかわしていく異形。途中、戦いを見守っていた吸血鬼の前に一瞬現れてその命を奪った。ゴミ山の中から密かに伸びていた俺の指先を見逃さなかったのである。


「ゆっ、油断するな! あいつ、オレたちを狙ってるぞ!」


 今さら身構えた吸血鬼、そしてダリア。


「ちょこまかとよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 悪魔アキムとギルゴートギルバーの追いかけっこは一見終わる気配がなく……俺はこの隙にマジックカードで残る吸血鬼を狙い撃とうと試みるのだった。


 “氾濫する焔”――失敗。

 “混沌狂い”――失敗。

 ……ダイス運の悪さに言葉も出ない……。


 悪魔アキムの攻撃再開を待って、こそこそとゴミ山から指を出した。直後、神出鬼没たる重槍が吸血鬼の頭を粉砕する。


 ギルゴートギルバーとダリアを除けば、残り八体。

 このまま押し切れるかもと思ったが――俺の戦いが、平穏無事に終わるわけもなかった。


「死ぃいいいねえええええええええええええええええ――!!」


 ギルゴートギルバーの渾身の一撃を悠然とかわした悪魔アキム。

 だが、猛然と伸びたその翼の行く手に、たまたま俺の隠れるゴミ山があったのだ。

 白き異形はその身をもって俺をかばうしかなく、夜の翼に細長い胴体を食い破られてしまった。モヤとなって消えてしまう。


 唐突なる“鶫の囀りアキム”の死……。


「はっはあ!! このオレにひれ伏しておけば良かったものをよぉ!!」

 ギルゴートギルバーは腕を広げて歓喜の声を上げ、「さすがボスだぜ!」配下の吸血鬼たちも手を叩いて喜び合うのだった。


 俺は手札からマジックカード“死者並ぶ朝”を切る。


『成功判定:一・三・五。自分の捨て山にある防御力四以下のモンスターカード一枚を手札に戻す』


 ――成功。

 たった今倒された“鶫の囀りアキム”を手札に戻して、もう一度召喚した。


「あ――?」

 完全に油断しきっていた吸血鬼の一人は、自らの腹から飛び出した重槍を見て背後に白き異形が立っていることに気付き。

「……なん……で……?」

 最期にそう言葉を残して闇へと帰っていくのだった。黒い粉末となって夜風に舞った。


 そこから先は――――俺の予想を超えた大混乱だ。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああ――!!」

 パニックを起こした吸血鬼たちはきびすを返して悪魔アキムから逃げ出すし。


「ふざけんなお前ら!! 敵前逃亡は一切認めねえ!!」

 そう叫んだギルゴートギルバーが逃げ出した吸血鬼を追いかけては殺し始めるし。


「待ってボス! 待ってく――」

「オレたち逃げたわけじゃ――」

 ほとばしった鮮血と夜の翼が入り交じってまさしく混沌だった。


 そんな中、俺は一人、ゴミの中から攻撃命令を下し続けるのだ。

「ひ――」

「こんなの勝てるわけ――」

 三〇秒に一体。邪魔な吸血鬼をすべて処理するまで、白き異形を動かし続けたのである。


 やがて……最後に残った吸血鬼を悪魔アキムに狙わせた直後、ふと思った。

 あれ? ダリアは? と。


 ダリアがいない。“鶫の囀りアキム”の再召喚までは吸血鬼の中にいたはずなのに、ほんのわずか目を離した隙に消えてしまった。


 刹那、血の気が引く気がした。


 俺の姿を隠してくれるゴミを動かさないよう……そっと顔を上げる。


 ――――――いた。

 視線を持ち上げるとすぐに、どこか憂いを帯びた幼い瞳と目が合った。


 社会維持局の放した青白い光を背中に浴びながら、ダリアが俺の眼前に立っているのである。当然、その両手には物騒なダガーナイフが握られていた。


 まずい、見つかった。

 そう思って俺が跳ね起きたのと、ダリアがゴミ山に突っ込んで来たのは――ほぼ同時。


「ちょちょちょ――ちょっと待って!」

 汚れたプラスチックゴミを撒き散らしながらゴミ山から脱出する。

 反射的に握った弁当容器、お菓子の袋をダリアに投げつけ、とにもかくにも魔法少女から距離を取る事を第一とした。


「ひ――ひい――」

 みっともなく四つん這いで逃げ回ることになろうが、どうだっていい。


 最終的には。

「――――くっ」

「すっ、すまんアキム!」

 俺の攻撃命令を遂行した悪魔アキムが瞬間移動で戻ってきてくれて、ダリアのダガーナイフを前脚で止めた。


 ダリアは深追いしてこない。すぐさま大きなバックステップを踏んだ。


 夜風を受けてビニールゴミがあちらこちらを飛び回る。


「…………はあ……はあ……」

 悪魔アキムを隣に控えさせつつゴミを踏んだ俺。


 正面を見れば――血まみれのギルゴートギルバーがダリアと並んでいるではないか。


 激情に任せて三人もの仲間を粛正した暴君が、「……人間……」俺を睨んで言った。

「……やっぱ……生きてやがったか……」


 俺は何も答えず、濡れた頬にへばり付いていたバラン――緑色の弁当仕切り――をつまんで足元に捨てるのだ。


「……てめえのせいでこっちの計画はグチャグチャだよ……っ」


 『箱』からカードをドローする。これで手札も随分貯まった。


「そうか」


 そしてジャージの右袖で鼻をぬぐう。


「なら良かった」

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