夜の軍勢

 いったい何十回目のため息だったのだろう。


 立ち続けることに疲れた俺は、地面にあぐらを組んで寒さに耐えていた。


 年末ライブはそろそろ佳境、アンリエッタ・トリミューンももうすぐ登場するだろうか……そんなことを考えながら、緊張に震える右手を揉みほぐし続けていた。


 何度となくため息を吐いた。


 そして――

「…………来たか……」

 来て欲しくなかった『その時』は何の前触れもなく、唐突にやってくる。


 最初に耳に届いたのは背後からの足音一つ。

 それはすぐさま数えきれぬ音の群れとなり、俺にブラッドストローの到着を知らせるのだった。


「Damn it! やってくれるぜ、ヒューマンどもがぁ」

 今のが多分ギルゴートギルバーの声。

「どうなってんだ?」とか、「どこだよここ?」とか、「まさかソロモンの奴らにはめられたのか?」とか――慎重に辺りをうかがう他の吸血鬼たちと違って、「ダリアてめえ!! とんだヘマしやがって!!」一人だけやけに声が大きかった。


 俺はいまだ『デモンズクラフトの箱』が出現しないことを嘆息しつつ、立ち上がる。


 風に吹かれながらゆっくり振り返ると。

「…………やれ……やっぱ、多いな……」

 三〇メートル向こうからこちらに歩いてくるガラの悪い集団に、ついつい笑いがこぼれてしまった。恐怖のあまりもはや笑うしかなかったのである。脚が震えた。


 顔面をピアスと入れ墨で埋め尽くしたギルゴートギルバーが先頭。その背後に、剥き出しの上半身を多種多様な入れ墨で飾った五〇以上もの吸血鬼が広がる。


 吸血鬼の襲撃というよりは、まるで海外ギャングの殴り込み。


 全員が全員、殺意に溢れ、それぞれに物騒な武器を手にしていた。大ぶりのナイフなどかわいいもの。日本刀、グレートソード、戦斧、モーニングスター……中には身の丈以上の巨大なハンマーを引きずっている奴もいる。


 見た感じ飛び道具が見当たらないのは、圧倒的な身体能力を誇る吸血鬼のこと、『近づいて殺す』方が手っ取り早いからだろうか。


 まあ……奴らがどんな武器を持っていようと……その前に一人立ち塞がる俺の姿は、端から見れば、狼の群れに追い詰められた子羊みたいに頼りないに違いない。


「おい、そこの人間」

 一〇メートル手前で足を止めたギルゴートギルバーが青白い光の中に立つ俺を呼ぶ。


 俺は乱暴な呼びかけには一切答えず、黙ってベンチコートのファスナーを開けた。


「てめえだよクソヒューマン、ボケッと突っ立ってんじゃねえぞ」


 そのままベンチコートを脱いで適当に投げ捨てる。


 途端。

「なんだありゃあ」

「ただの人間かよ」

「喰っちまおうにも、まずそうなおっさんじゃあなぁ」

 ずらりと並んだブラッドストローのあちらこちらで失笑が上がった。

 俺を指差して爆笑している怪物もいる。


 無理もない。あちらとしては、東京ドームへの転移失敗は想定外の展開――そして訳もわからぬまま辿り着いた先で待っていたのが、ジャージ姿の中年一人だったのだから。


 吸血鬼の中でたった一人レザージャケットに身を包んだギルゴートギルバーも肩を震わせて笑っていた。

「てめえ、どこのどいつだ? おら、名前言ってみろ」


 どうやら俺の顔は少しも覚えていないらしい。


「………………」


 ギルゴートギルバーがソロモン騎士たちに宣戦布告した時も、ブラッドストローの根城に水無瀬りんが迷い込んだ時も――俺はその場にいたのに。


「とっとと名前言えっつってんだよ!! 王の命令だぞ!?」


 それでも無言を貫いた俺。ギルゴートギルバーのすぐ後ろにボロ切れ一枚の幼女――ダリア――を見つけ、ここは寒いだろうに……と少しやりきれなくなるのだった。


「あぁん? ざけんな、おかしいだろうが」


 おそらく身長一二〇センチ程度――小さなダリアが大事そうに握るのは、無骨な短剣だ。刀身のところどころにサビの浮いた、切れ味の悪そうなダガーナイフを左右に一本ずつ。


「なんでヒューマン風情がオレの言葉に逆らえる?」

「………………」

「答えろや人間。殺すぞ?」

「………………」


「ちっ――おいダリア。あの男、魔法使いか? あいつから魔力感じるかよ?」


 するとダリアは即座に首を横に振った。そのままギルゴートギルバーの顔をじっと見上げ、「……っ」まるでそれが精一杯の愛嬌であるかのごとくに小首を傾げるのだ。


 ギルゴートギルバーがダリアの顔に唾を吐いた。


「クソ奴隷が気味のわりぃ目ぇしやがって」


 そしてその細い首根っこを鷲掴みにすると、まるで気に入らない人形を弄ぶみたいに土の地面に放り投げる。ダリアは受け身も取らずにまともに墜落した。


 ふと、「ボス――」ギルゴートギルバーの隣にいた巨体の吸血鬼が言った。

「奴隷が気に入らないなら、いいかげん血を吸うか、殺すかしたらどうですかい?」


 ギルゴートギルバーは「お前馬鹿だろ。死ねよ」と吐き捨てる。


「オレの血族にしてやって下手に図に乗られんのもムカつくし。あんだけの魔法使い、まだ使い道はあんだろーが」


 固い地面に激しく身体を打ち付けたダリアは、「……っ」しかしもう動き出していた。震えながら起き上がると、ギルゴートギルバーのそばに戻っていくのである。


「まあ、ソロモン騎士が手に入ったら一思いに殺してやるよ」


 俺はその間、目の前で繰り広げられる吸血鬼の王様と奴隷魔法少女のやり取りを静かに見つめていた。ダリアの姿を哀れに思いながらも――ありがたい――そう思うのだ。


 いつの間にか……脚の震えが消えている。


 ダリアへの憐憫、ギルゴートギルバーへの義憤――正直、俺の精神力の燃料になるならなんだってありがたかった。


 おかげで。

「で? どうしててめぇ、オレの『催眠』――始祖アルメイアの『催眠』が効かねえ?」

 思いきりドスを効かせて問いかけてくるギルゴートギルバーに。

「さあ。なんでだろうな」

 そう言い返してやることができた。声は震えていなかった。


 思い通りの答えが返ってこないことにギルゴートギルバーの顔色が変わる。黄ばんだ大きな犬歯を剥き出しにして、獣のように喉を鳴らすのだった。


「もう一度聞いてやるぞ、人間。お前は何者だ?」

「さあな」

「ここはどこだ?」

「どこだっていいだろう」

「何をやっている?」

「……お前たち、ブラッドストローを待っていた……」

「待ってただぁ?」


 初めてまともな回答を受けて、にわかにざわめく吸血鬼たち。


 そして俺はおもむろに右手を前に差し出してから――「吸血鬼どもは、ギルゴートギルバーとダリアを差し出せ」そう言い放つのだ。


 一瞬の沈黙の後。

 ――――――――――

 大爆笑のブラッドストローである。

 俺の視界に入る限り、ダリア以外の全員が腹を抱えて笑い転げていた。


 爆笑の渦は一分近く続き――しかしある瞬間、「わかった」ギルゴートギルバーの笑い終わりに合わせて、いきなり水を打ったように静まりかえる。


「それじゃあ、秒でてめぇ殺して、あとのことはそっから決めるわ」


 ギルゴートギルバーだけじゃない、ブラッドストロー全員が俺に向かって一歩を踏んだ。


 俺は逃げない。

 その時、ようやく『デモンズクラフトの箱』の現れたからだ。


「――っ」

 人間の左手で構成された気味の悪い箱から、初手のカード五枚を抜き取る。


 手札の中身を確認したら――我が運の悪さにちょっと笑えた。

 五枚すべてがマジックカード。

 定番のドローマジックである“二冊の魔導書”が手札に来ていなければ、本当に困っていただろう。


 とりあえずマジックカード“雷雲の落とし子”で吸血鬼の足を止めることにする。

 カードを切った。


 手札を引いてからここまでに三秒。


 時の止まった世界で俺はダイスを振り――“雷雲の落とし子”は発動成功。

 狙ったのはギルゴートギルバーやダリアから離れた左側の一角だ。


 空中に現れた雷球から放たれた太い紫電が、地面を砕きつつ一体の吸血鬼へと迫り――強烈な電撃魔法による被害がその一体で済むわけがない。

 周囲にいた他の吸血鬼も丸ごと巻き込んで、ただちに消し炭と化した。

 吸血鬼ご自慢の再生能力が発揮されることもなかった。


 “雷雲の落とし子”で処理した怪物は多分七体。


「な――」

 破裂した紫光と耳をつんざく轟音にさしものギルゴートギルバーも足を止めるほかなく、生き残った吸血鬼たちも仲間七人の突然の消滅に絶句するのだった。


 その隙を狙って俺は二枚目のカードを切る。

 ドローマジック“二冊の魔導書”。


 祈りながら振ったダイスのおかげで発動は成功――『箱』がカード二枚を吐き出した。

 “聖者の雄叫び”と“燃え盛る聖女レディ・フランメ”が俺の手札にやってくる。


 その直後だった。

「なんなんだテメエはぁああああああああああああああああああああああっ!!」

 九メートル向こうから、ギルゴートギルバーが唾液の飛沫と『夜の翼』を俺に向かって飛ばしたのは。


 ギルゴートギルバーのレザージャケットの背中が弾け飛び、『実体化するまで凝縮された暗闇』が解き放たれた。


 夜を統べる怪物の恐るべき業。


 しかし俺は目を閉じることもなく、空間を切り裂いて襲い来る『漆黒の翼』を睨むのだ。

 右手はすでにカードを三枚切っていた。

 “燃え盛る聖女レディ・フランメ”、そしてその召喚条件を満たすための手札二枚を。


 ――――――


 何もない地面から勢いよく吹き上がった炎が俺を守る分厚い壁となる。


『攻撃力〇、防御力六。召喚条件・手札二枚破棄。このモンスターは召喚されてから三分後に捨て山に置かれる。このモンスターは、相手モンスターの特殊能力の効果を受けない』


 突っ込んできたギルゴートギルバーの翼をことごとく焼き払った紅炎。


 その瞬間、ギルゴートギルバーの顔に驚愕の色が宿り、俺は――レディ・フランメの防御力を舐めるなよ――そう笑ってやりたかった。


 少し遅れて俺の背後に燃え盛る十字架が現れる。

 金髪の女性がくくりつけられた巨大な火刑台が丸ごと召喚されたのだ。


 すると吸血鬼たちが、「あれは――」「あれはぁ――っ!!」と色めき立った。


 当然だ。この異様な光景を吸血鬼たちは知っている。俺は前に一度、血に染まったダンスクラブで、吸血鬼たちに“燃え盛る聖女レディ・フランメ”を見せている。


 業火に取り囲まれた俺を見て、忌々しげにギルゴートギルバーが言った。

「いったい……いったい、なんなんだよお前はぁあ……っ!!」


 そして俺は、時間経過で『箱』が吐き出したカードをドローしながら、ほんの一瞬考える。さて俺は何者なのだろう、と。


 和泉慎平。


 魔王召喚者。


 アイドル事務所の経理担当。 


 ソロモン騎士団関係者。


 しかしどれもいまいちしっくり来なくて――結局、俺は、一番最初に思い浮かんだたった一言をギルゴートギルバーに告げるのだった。


 魔王の奴にこの力を押し付けられる前からずっと、俺は時折こう呼ばれてきた。


「――カードゲーマー」

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