ミューズの肖像~乙女顕現~

 東京ドーム内部に足を踏み入れた観客の誰もが、豪華絢爛、しかし異様なステージに息を呑む。これはいったい何なんだ……? そう目をぱちくりさせて、ステージの様相を二度見、三度見するのだった。自らの席を探すことさえ忘れ、唖然とする者が続出した。


 バックスクリーン側を占めるのは、天から突き立てられた巨大な剣によって破壊された中世ヨーロッパ風の城砦。


 砦の手前には青々とした芝生の地面が広がり――あちらこちらに突き刺さった剣や槍、無惨な姿で転がった西洋甲冑の数々が、戦いの終わりを推測させる。


 ステージからアリーナ席の後ろまで伸びた花道は、さながら城門から続く石畳の街道か。


 そしてステージセットの最上段、横いっぱいに広がった特大のLEDビジョンが、ちぎれ雲の流れる青空を映し出していた。


 それはまるで……大いなる神の怒りを買った結果誰もいなくなった戦場みたいで……観客たちは、異世界ファンタジーの一場面に迷い込んだかのような錯覚を覚えるのだった。

 巨剣の一撃によって崩れた砦の壁が、その実、階段ステージになっていることに一目で気付く人間はあまり多くなかった。


 観客たちが足を止めてステージを見たからだろう。五万人の収容は思いのほか時間がかかり――それでも優秀な誘導スタッフのおかげで開演時間には間に合ったようだ。


 平地にパイプ椅子が並ぶアリーナ席も、アリーナを取り囲むスタンド席も、見事に埋め尽くされた。


 サウスクイーンアイドルの姿を直接見ることを許された五万人は、潮騒のようにざわめきながら『その時』が訪れるのを待つ。


 ――――――――


 やがて、ステージ反対側からドーム屋上の照明が順々に消えていき。

「おお、おおおおおおおおおおおおお――」

 期待と緊張感を帯びた唸りとサイリウムの光が会場を満たした。 


 そして――


 そして、彼ら彼女らの待ち望んだオープニングは、激しいギターサウンドから始まった。


 “ナイトダンサー”。


 悠木悠里の代表曲だ。彼女のイメージカラーである赤色の光が客席で乱舞する。


 観客たちは悠木悠里の力強い歌声を思い浮かべ。

「「黄昏の終わり、今日も赤い夕日が沈んで」」

 しかし悠木悠里のアルトボイスと重なった澄んだ歌声に耳を疑った。


 ――冴月晶――


 “ナイトダンサー duet with 冴月晶”。


 誰もそんなこと聞いていなかった。ライブの初っ端からこんな奇跡みたいなことが起きるとは、誰も……!


 スポットライトの当たるステージ上に二人の姿はまだない。


「「滑り込んできた夜がボクら包む」」


 次の瞬間、音楽が止まって――――誰もいないステージから跳び上がって現れた二人の乙女。

 景気よく爆発した砲煙が、二人のポップアップに華を添える。


 ギターサウンドが再び走り出し、マイクを手にしたアイドルは着地と同時に踊り出した。


 切れのいいターンの後、「ねえ、君はいつか」悠木悠里がアリーナ席を指差し。


「明日を求め」

 冴月晶はスタンド席へと手を伸ばす。


「「別の道を行くだろう」」

 二人してスカートの中が見えそうなぐらい大きなステップを踏んだ。


「「その時は二人笑っていられるように」」

 Aメロが終わり。


「時は進む」

「月に吠える」

 曲調の変わったBメロの歌い出しは、向かい合った悠木悠里と冴月晶が一小節ずつ。


「「今はこの夜にいたいから」」

 客席を真正面に踊る。


「「君の手を取ろう」」

 そして張り合うみたいに歌う二人が目いっぱい喉を震わせたなら。


「「誰もが降り注ぐ光を望み」」

 かき鳴らすようなサビだ。


「「それでもボクと君は踊る」」

 赤のフリルドレス、黒と銀のフリルドレスが、アイドルの動きについて行けない。


「「家族、友達、制服も投げ捨て」」

 正確無比に伸ばした腕、空間を切り裂いた脚にワンテンポ遅れてひるがえる。


「「深い夜を踊る」」

 二人のダンスに追いついたのはステージの上を走るライトだけだ。


「「このまま壊れたって構わない」」

 彼女らの一挙手一投足を白い光で照らし出す。


「神様どうか、ボクら二人ほうってて!」

 一瞬声を裏返した悠木悠里が右手を薙ぎ払って。

「黙ってて!」

 冴月晶の左手が続いた。


「「ボクらナイトダンサー」」

 あまりにも美しく身をよじった、たった一秒間の決めポーズ。


 そして二人は。

「「踊ろう、朝が来るまで」」

 サビの終わりで華麗なターンを決めて、客席に背中を向ける。

 と同時に、アイドルの動きを逐一捉えていたスポットライトが消えた。


 長い間奏の間、明かりとなるのは、ステージを縦横無尽に動き回るムービングライトだけ。


 目を凝らしたくなるような薄暗いステージの上――しかし、腰に手を当てた悠木悠里と冴月晶は、観客に背中を向けたまま全力で踊り続ける。

 太ももが見えてしまうのも構わず。

 身体が千切れそうなほど激しい腰つきで、踊り狂っていた。

 ナイトダンサーがごとく。


「「星空も消えて、大人たちが眠った真夜中」」


 スポットライトの復活とともにAメロが始まり、再びアイドルは歌い出した。

 闇夜に踊る少年少女の輝きを。

 今この瞬間を生きる命の煌めきを。


 ライブのオープニングにこれほどふさわしい曲はないだろう。

 問答無用で五万人のボルテージを最高潮に持っていった。たった一曲で、サウスクイーンアイドルのステージがどんなものかを観客に知らしめたのだ。


 そして――――

「「踊ろう、朝が来るまで」」

 ライブ演出も含めて五分五四秒……圧巻の全力歌唱が終わる。


 ギターの余韻が消えて、赤のフリルドレスの悠木悠里はステージ中央。

 一息吐く暇もなく。

「年末だああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 拳を突き上げて、そう声を張り上げた。


 冴月晶がすぐさま完璧なアイドルスマイルでフォローに入る。

「今日は一〇〇パーセント楽しんでいってくださぁい!!」

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