独り立つ

「谷口さん! いったい何が起きてるんですか!?」

 思わず上擦ってしまった声。

 一足先に庶務課の執務室を飛び出した谷口公希に、そう問いかけながら並ぶ。


 焦燥に駆られて廊下を突き進む彼は「わかりません! わかりませんよ!!」と吐き出し、両手で頭を掻きむしるのだ。


「ライブは明日だってのに、欠員が二人!? そんな馬鹿なことがあってたまりますか!?」


 サウスクイーンアイドルの年末ライブを明日に控えた、一二月二八日の金曜日。

 明日のライブに思いを馳せてそわそわし始めた午後三時過ぎ。


 自席でパソコンを叩いていた俺は、やってくるなり『和泉さん! ちょっと付き合ってください!』と机を叩いた谷口公希の剣幕に何事かと思う。


 そして、不満と焦りに震える彼によって持ち込まれたのは――明日の年末ライブに、アイドルが二人出演できなくなる――そんなとんでもない凶報だった。


 それで俺は、谷口公希を追いかけて廊下に出た。


「私をからかってるんじゃないですよね!?」

「冗談でこんなこと言いますか!! プロですよ僕は!!」


 二人して午後の倦怠感に緩む廊下を大股で歩く。


 他人事ではない。俺だってサウスクイーンアイドルのファンなのだ。ここ何ヶ月かは、明日の年末ライブを生きる糧にしてきたのだ。

 それになにより、経理とはいえ、谷口公希のライブ作りをサポートしてきた自負がある。


「でもっ、誰がそんなこと――」

「水無瀬さんですよ!! ふざけんなってごねたら、じゃあ説明するから会議室に来いって!」


 どうして水無瀬りんがライブに口を出すのか一瞬わからなかった。そういえば昼過ぎから姿が見えなかったな……と思っただけ。

 だが、すぐさま俺の口から「くそ――ソロモン騎士の方か」と言葉が漏れる。


 谷口公希が廊下の壁に平手を叩き付けた。

「クリスマスが終われば怪異も落ち着くはず! だからこの時期にねじ込んだんです!」


 そのまま人目など気にせずまくし立てる。

「それにっ、何か起きたにしたって、ステージに上がるまでに片付けてくれればいいじゃないですか!! 彼女らにはその力があって! そのためのサポートもあるんだから!」


 俺はふと一昨日の夜のことを思い出して、強く唇を噛んだ。


 ――吸血鬼関係で何かあったな――


 エレベーターホールに向かうために廊下の角を曲がったら。

「あ、和泉くん」

 アイドルグッズの企画担当者とすれ違った。薄くなった髪を坊主頭に刈った中年男性だ。


「あのさぁ、この前の見積もりだけど――」

 そう話しかけてきた彼を、「すみません! 今はちょっと!」とかわす。


 俺と谷口公希の異様な雰囲気に気付いたのか、アイドルグッズ担当者が食い下がってくることはなかった。ぽかんと俺たちを見送っただけ。


 エレベーターホールに辿り着くと、谷口公希が上ボタンを連打する。

 落ち着いてくださいとはとても言えなかった。俺だってひどく混乱している。


「それで谷口さん。私は何をしたら?」

「一緒に水無瀬さんを説得してください。今回のライブにどれだけ金かかってるか言ってやってください」


 エレベーターのドアが開くまでがなんとももどかしい。エレベーターに乗り込むと、階数表示を腕組みして睨む。谷口公希はここでも階数ボタンを連打していた。


 エレベーターから降りれば、水無瀬りんに指定された会議室はすぐそこだ。


「なんで会議室……」

「知りませんよ。何言われても絶対に折れないでくださいよ」


 そして会議室の前に立った谷口公希は、明らかに強いノックを二回。室内からの入室許可を待つことなく扉を開け放った。


 瞬間。

「……っ」

 俺たち二人は息を呑み、すべての言葉を失ってしまう。


 ――――――――――――――――


 広い会議室に、ソロモン騎士の魔法少女たちが勢揃いしていたのだ。


 それに、ソロモン騎士団の使者である銀色の双子、総務省社会維持局の黒服、アンリエッタ・トリミューンの付き人もいる。


 会議室の机はコの字型に並べられ。

「……し、失礼します……っ」

 おそるおそる入室した俺と谷口公希は、その場にいた全員の視線を浴びることとなった。


 中央奥の議長席に並んで座るのは銀色の双子――シルバージャックス。魔法少女たちはその近くに集まっていたのである。


 きちんと席に着いたのは冴月晶とアンリエッタ・トリミューン、高杉・マリア=マルギッド、それに水無瀬りんの四人。


 悠木悠里は腰掛けた窓際からこちらを見ているし、レオノール・ミリエマとアレクサンドラ・ロフスカヤなんて長机にお尻を乗せて足をぷらぷらさせていた。行儀の悪い二人をいさめるように困り顔の矢神カナタがそばに立つ。


 妙高院静佳は床だ。コの字型の内側、議長席のすぐ手前でヤンキー座りだった。


 そして、シルバージャックスの背後にうやうやしく控えるのは、社会維持局の黒服二人である。課長・刀根勇雄とその部下・斎藤弥恵子。


 アンリエッタ・トリミューンの斜め後ろからは、アベル・アジャーニが端正な顔を俺たちに向けていた。


「…………う…………」


 総勢一四名。

 怪異対策のプロフェッショナルたちが居並んだ光景に、俺と谷口公希は気圧され、早くも当初の気勢を奪われてしまう。


 銀色の双子がまったく同じタイミングで首を傾げ、完璧にハモりながら言った。

「どうして和泉慎平がここにいる? 君を呼んだつもりはないのだがな」


 俺は今すぐにでも回れ右したい気持ちをグッとこらえ、シルバージャックスを見据えた。

「経理担当として来ました。私にも、事情をお聞かせ願えたら――と」


 幼さの残る双子は互いに目を合わせ、そしてやはりハモりながら言うのだ。

「まあいい。とりあえず、何が起こっているか話そうか」


 俺と谷口公希は入り口から二歩ほど歩み出た所に並び、シルバージャックスの言葉に背筋を伸ばした。


「二人とも、今この地で吸血鬼が暴れているのは知っているな」


俺たちが雇われているアイドル事務所サウスクイーンは、事務所単体で法人登記が行われているものの、実態としてはソロモン騎士団の下部組織でしかない。

 いわゆる本社と営業所という力関係だ。 


「それで昨晩、ブラッドストローとアルメイア王国騎士団の間で大きな戦闘があった」


 どれだけ不満があろうとも、本社のお偉方が何か言おうものなら、襟首を正して傾聴しなければならない。悔しいけれど、それが勤め人というものだ。


「結果は、アルメイア王国騎士団の敗北」


 抑揚なく発されたその言葉に俺と谷口公希は顔を見合わせた。

 谷口公希は、馬鹿な――とでも言いたげな驚愕の表情。

 俺は、多分、苦虫を噛み潰したような顔をしていることだろう。


「土壇場で社会維持局を出してマリアベーラは救ったが、もうあの集団に継戦能力は残っていない。対してブラッドストローはいまだ五〇以上の吸血鬼を有し、ダリアとか言う子供の魔法使いも健在だ」


 次の瞬間――タイミング良く咳払いしたのは、社会維持局の刀根勇雄だった。


「虚を突けたからよかったようなものです。そもそも我ら常人にギルゴートギルバーの相手は荷が重い。次やれば『催眠能力』で全滅でしょうな」

 苦言を呈すような声色。きっと……よほど無茶なことをさせられたのだろう。


 しかしシルバージャックスにそれを気にした素振りはなかった。

「マリアベーラはようやく根を上げたよ」


 まったく顔色を変えずに淡々と話し続ける。

「つまり、吸血鬼の姫君は、あとのことを我々ソロモン騎士団に託したわけだ」


 そして人間味をまるで感じさせない人形のような顔で、怖いことを言った。

「これで、大手を振って好きにできる」


 谷口公希がおずおずと声を上げる。

「それで……ブラッドストロー討伐のために、ソロモン騎士を出すというわけですか」


 シルバージャックスは工業機械のごとく無機質に首を振った。

「いや。目的はあくまでもギルゴートギルバーの捕獲だ」


 瞬間、俺は、「捕獲――?」その回答に大きな違和感を持ってしまう。


 吸血鬼の姫君・マリアベーラは、ソロモン騎士団がやりすぎてギルゴートギルバーを殺すことを心底恐れていた。だから自分たちでなんとかしようとした。

 正直、彼女のその感覚は決して間違っていないと思う。

 ソロモン騎士団は、基本、殺したがりの殺戮集団なのだ。『俺の時』もそうだった。

 それが、ギルゴートギルバーの捕獲を優先する? どういう風の吹き回しだ?


 俺はソロモン騎士団の思惑を推測し――

「ここで彼らの願いを成就させてやれば、善良な吸血鬼たちに最も高値で恩を売れるだろう?」

 しかし、答えは思った以上にひどいものだった。


 思わず「ちょっ、ちょっと待ってください――」過剰に反応してしまう俺。横から口を出してしまっては、もうシルバージャックスと張り合うしかなくなった。


「まさかソロモン騎士団は全部知ってて、吸血鬼を戦わせていたと? 負けるとわかっていて!?」

「当たり前だ。だから騎士たちにも手出しするなと通達したのだ。あまりブラッドストローの戦力を削ってしまうと、アルメイアの子供が勝ってしまうからな」

「どうして!?」

「どうしても何も、自分たちで解決したいと言ってきたのはあちらだ。我々はその気高い意思を尊重しただけのこと。何の悪いことがある?」

「し、しかし……っ」

「アルメイア王国騎士団の後ろにいるのは誰だ?」

 その問いの意味がわからず、思わず「は?」と聞き返した。


 だが、双子が俺に考える時間を与えてくれることはない。冷たく正解を告げてくる。

「一〇〇〇を超える吸血鬼だ。戦闘の任につかぬ穏やかな者がほとんどとはいえ、その力は通常の吸血鬼になんら劣るものではない」


 俺はもう絶句するしかなく。


「彼らが愛して止まない始祖アルメイアをソロモン騎士団が救う。まさか恩人からの依頼を嫌とは言うまい。多少、無茶な仕事でも、な」


 それでも「……っ」何か反論できないかと口を開いた。


「非力な吸血鬼に戦いなんぞ求めてはいないが、夜の哨戒には便利だからな」


 結局――ソロモン騎士団の手のひらの上だったということだ。


「これで欧州から出たがらない引きこもりを全世界に送り込める」


 すべては、協力関係にある吸血鬼たちをこれまで以上にこき使うための企み。アルメイア王国騎士団はソロモン騎士団の都合に翻弄されただけ。


 そして……クリスマスイブに俺が見た肉塊の山、床に転がった頭部……あの人たちの命運もソロモン騎士団が握っていた。死ななくても良かったはずなのに、無惨に殺された。


「……人だって……」


 俺は、黙って視線を向けてくる水無瀬りんを一瞬見やってから、みぞおち辺りのスーツ生地を力いっぱい握りつつ訴える。

「人だって、死んでいるんですよ……っ!」


 しかしシルバージャックスは興味なさげに首を傾けただけだった。

「一〇〇か二〇〇だろう?」


 すると社会維持局の斉藤弥恵子が、「ブラッドストローの犠牲者と見られるのは三九名です」と口を挟む。


「そうか。アルメイアの子供も意外とがんばったな」

 何の感情も入らない無味乾燥なため息を一つ。銀色の双子はこれもハモった。


「和泉慎平。君はなにか勘違いしているようだが」

「――勘違い、ですか……?」

「ソロモン騎士団は人を守る組織ではない。人類という種の守護者だ」

「……種……」

「例え国が潰れようと、一億死のうと、最後に人類が存続していれば勝ちなのだよ。そのためなら、我々は何でもやる。何だって使い尽くす」

「…………」

「今回は、一〇〇〇人の吸血鬼、その忠誠の方が欲しかったというだけだ」


 シルバージャックスは冷淡にそう言い放って、お前にはもう用はないとでも宣告するかのごとくあからさまに視線を動かした。


「で、谷口? 誰を選ぶ?」


 いよいよ来た。本題だ。

 完全アウェーの冷たい空気の中、谷口公希が唾を飲む音が聞こえた気がした。


「お、おそれながら……誰も、選ぶことはできません……」

「ほう? 面白いことを言う」

「イベントプロデューサーとして、ソロモン騎士団に作戦の変更を願い出ます。どうか、ライブ開始までに吸血鬼を捕らえてはいただけないでしょうか?」

「無理だな」

「そんなっ! いったいどうして――」

「吸血鬼とてそう無能ではない。神出鬼没は奴らの十八番だ。明日のライブぐらいまでは、我々の目もかいくぐるだろう」


 すると、「――っ」助けを求めるように社会維持局の黒服二人を見やった谷口公希。今すぐギルゴートギルバーを見つけてくれとでも言いたげだ。


 刀根勇雄は肩をすくめて、「昨晩は私たちも必死だったのですよ。吸血鬼たちの追跡まで、手が回るわけがない」と苦笑。


 斉藤弥恵子も「一応、新たな潜伏先の特定は進めていますが……流石に今日、明日のことには――」そう言葉を濁すのだった。


「簡単な話だ」

「は――?」

「ギルゴートギルバーの目的はソロモン騎士の拉致篭絡だという。わざわざ向こうからライブに来てくれるのだから、素直に迎え撃てばいい」


 シルバージャックスが『拉致篭絡』と口にした途端、魔法少女たちが揃って吹き出した。

 悠木悠里は窓ガラスにもたれかかり、「またかよ。どいつもこいつも、あたしらを欲しがるねえ」と呆れ顔である。緊張感のかけらもない。


 とはいえ俺はシルバージャックスの言葉から耳を離すことができず。

「地上からの吸血鬼の侵入――これは防ぐのは容易い。社会維持局が保管している呪具のいくつかで東京ドーム周辺はカバーできる」

 ギルゴートギルバー捕獲作戦の概要がわかるにつれて、胃が潰される思いだった。


「問題は魔法による転移だけだ」


 どんな裏技を使えば年末ライブを完全な形で行えるか見当も付かない。

 ソロモン騎士団は、俺と谷口公希の仕事の集大成を、吸血鬼どもをおびき寄せる餌としか思っていない。


「ライブの最中、吸血鬼たちは会場を急襲し、何万という観客を人質に取るだろう」

「ちょっ――ちょっと待ってください! それじゃあライブ自体が――」

「安心しろ谷口。魔法使いダリアの使う『転移魔法』――その発動を妨害し、転移先の書き換えを行う。こちらのフィールドにのこのこやって来たところを、騎士で叩く」

「だから……ソロモン騎士がライブに出られなくなる……と……」

「ああ。殲滅するだけなら一人で十分だが、今回は生け捕りが目的だ。万全を期すためにも騎士は二人欲しい」

「――――――」


 いよいよ谷口公希が黙りこくる。


 ここで俺まで沈黙してはソロモン騎士団の方針がそのまま通ってしまう。そう判断した俺は、「あの。一つだけ」時間稼ぎにしかならぬとはわかっていながら言葉を紡いだ。


「ギルゴートギルバーがライブを襲うと判断した理由を、お聴かせ願えませんか?」

「なに、ソロモン騎士団の対立組織を装って、あらかじめ日本の吸血鬼たちに噂を流しておいただけのことだ」

「……どういうことでしょう……?」

「ソロモン騎士は手強いが、無辜の民を人質に取られたら何もできない。騎士全員が観客の前に出る年末ライブを狙えば、打倒も不可能ではない、とな」

「な――っ!?」

「そしてブラッドストローの傘下に入った彼らから、ギルゴートギルバーに進言があったことだろう。ソロモン騎士を手に入れたいなら明日が好機だと」

「はっ、初めから――っ、ライブでの捕獲を予定していたのですか!? アルメイア王国騎士団が負けることもわかっていてっ、ライブがこうなるのも当初の計画どおりと!?」

「そうだが? 何か不満か?」


 当たり前のような顔で言うシルバージャックスに、「ギ――っ」俺は奥歯を噛んだ。


 表情を固め、しかし突如として燃え上がった激怒に心臓を高鳴らせる。頭蓋骨の中に沸騰した血液が流れ込んでくる気がした。


 いったいいつからだ!? いったいいつから――ソロモン騎士団は、サウスクイーンアイドルの年末ライブを利用するつもりでいたのだ!? 何百人もの人間が誠実に取り組んだ仕事を!! 日本中のファンたちが心待ちにしてきた大イベントを!!


 不意に、アンリエッタ・トリミューンが微笑みを浮かべて、谷口公希に話しかける。

「シルバージャックスは二人と言いますガ……ワタシかシズカを選ぶナラ、サポートの一人は要りませんヨ。お得デショウ?」


 だが彼はアンリエッタ・トリミューンを見やることもなく――――いきなりその場に両手両膝を付いた。


「お考え直しください!! どうかっ、ご再考を!!」


 ひたいを床に擦り付けて、深い土下座。


「誰をっ! 誰を選んでも、悲しむファンがいるのです! アンリエッタ・トリミューンのサプライズだって――! 彼女をステージに上げるために、何日も徹夜してくれた人がいます! 私は! 彼らを誰一人っ、裏切れないんです!!」

「頭を上げろ谷口」

「いいえ!! どうか!! どうか――!! 他国のソロモン騎士での対処を!!」

「これは決定事項だ。他の騎士は動かない。頭を上げて、早く二人選べ」

 声色を変えないシルバージャックスの命令。


「何卒っ!! 他国のソロモン騎士での対処を!!」」

 谷口公希の背中が恐怖に震えている。


 彼だって、こんなことをしても何にもならないことは百も承知だろう。だが、それでもこうせざるを得ないのだ。イベント責任者として頭を下げるしかないのだ。


 俺は、両手を握りしめながら、谷口公希の土下座を見ていた。


 そして――

『勘弁してください!! 後生ですからっ、私の話を――!!』

『おやめください、命乞いなど。例えばあなたが魔王に騙されたのだとして、それがなんだというのですか?』

 五人ものソロモン騎士に命を狙われて、必死の思いで土下座して、それでも救いの手など差し伸べられなかったあの日のことを思い出す。


 ……どんな大人だって……簡単な思いで、こんな風に頭を下げられるわけがない。


「どうでもいいから早く選べ」

 壊れたテレビのように重なり合う双子の声。


 俺は社会維持局を頼って刀根勇雄を見たが……彼は申し訳なさそうに首を振り、「言ったでしょう。ギルゴートギルバーは私たちには荷が重いと。部下を殺すことになる」と。


 何者かはよく知らないが、もしかしてアベル・アジャーニならば――そう思って視線を送るが、即座にアンリエッタ・トリミューンに苦言を呈された。

「ダメですヨ。アベルも魔法使いではありマスが、今回、彼は仕事があるのデ。転移魔法の妨害役、大役デス」


 俺は拳を握り直し。

「……っ」

 谷口公希の土下座に何も言ってくれない魔法少女たちを見た。


 気まずそうに目を落としていた冴月晶と水無瀬りんに少しだけホッとして。


「もういい谷口。ならばこちらで――」


「俺が――っ!」


 こうやって戦おうとするのは、まるで『あの時』みたいだな――そう思う。


 まるで……五人もの魔法少女に追い詰められて、生き残るためにカードを握ったあの時のような。


 ――――――――――


 魔法少女たちが、銀色の双子が、社会維持局が俺を見ている。いきなり声を上擦らせた俺を。


「私が、やります……!!」

「なんだと?」

「私が、ギルゴートギルバーをっ、吸血鬼を捕らえます……!!」


 そして一瞬水を打ったように静まりかえる会議室。


 俺の心臓の音だけが、やけにはっきりと聞こえていた。


 やがて。

「そんなのダメです!!」

 冴月晶が机を叩き――その時、俺は一匹の獣に襲いかかられる。


 妙高院静佳。


 俺はまったく反応できず胸ぐらを掴まれた。


 彼女が飛びかかってきた瞬間、その四肢を拘束する形で『漆黒の鎖』は発現したが。

「和泉ぃ……っ!!」

 きっとその身がバラバラになるほどの力で俺に指を伸ばしたのだろう。ギリギリと震える細い指先がかろうじて俺のネクタイに届いたのだ。


 妙高院静佳は鎖に繋がれたまま俺に牙を剥いた。

「バカ言ってんじゃないわよ……!! 吸血鬼舐めすぎでしょ。もしかして余裕とか思ってますぅ……っ!?」


 俺は仁王立ちしたまま一歩だってひるまず。

「そんなわけないでしょうっ。でも、私がやらないと色んな人が困るんですよ。だからやるんです……っ!!」

 ネクタイを引っ張る少女の手首を握った。遠慮も手加減もなく、力いっぱいだ。


 中年男の反抗的な態度にあおられて、国民的アイドルの瞳に炎が灯る。


「ろくに能力も出せないくせに!」

「死ぬような状況になればっ嫌でも発動しますよ!!」

「あたしに勝ったぐらいで調子に乗るなよ!! たかがカードゲーマー風情が!!」

「策はあります!!」


 怒号のやり取り。


 俺が前のめりになって唾を飛ばしたせいか、妙高院静佳は怒りのあまり言葉を失ったらしい。わなわなと唇を震わせ、犬歯を見せつけてくる。


 それで俺は歯を食い縛りながらもう一度言った。

「策は、ちゃんとあります……っ!!」


 刹那――俺と妙高院静佳の間に割り込んでくる銀色。


 冴月晶が横蹴りを放ち。


「晶ぁっ!!」

 妙高院静佳は俺のネクタイを放して大きくバックステップだ。その瞬間、妙高院静佳の四肢を締め付けていた魔王の呪いが消える。


 ――ドン!!


 妙高院静佳が荒っぽく降り立ったのは議長席、シルバージャックスの机だった。


「いけません和泉様。どうして和泉様が危険な目に遭わなければならないのですか」


 妙高院静佳が離れたのを見て、今度は冴月晶が俺に詰め寄ってくる。

 まるで神にすがろうとする聖女のように、優しく、情熱的に、俺に身を寄せたのだ。


「吸血鬼を甘く見てはなりません。生身の人間が勝てる相手ではないのです。和泉様の腕前といえど、もしも状況に対応できない手札であれば……っ!」


 俺は冴月晶の銀髪を軽く撫でてやり。

「すみません。でもこれも――これが、仕事です」

 震えのおさまらぬ声のまま、わざとらしく笑った。


 しかし冴月晶は引き下がってはくれない。俺の顔を一心に見上げてきて。

「あんなボロボロになって、それでもなんとか繋いだ命ではないですか。和泉様はどうしても死にたくなくて、だから必死で戦ったのでしょう!?」

 紫色の綺麗な瞳には涙がにじんでいる。


「冴月さん」


 困った俺は一度眉尻を掻いてから、たどたどしく、ずいぶん似合わぬ言葉を口にするのである。


「誰にだって……私の人生にだって、一度くらいこういう時は来るもんです。命を張ってでも、意地を通そうって時が」


 そして、本気で抱き付いてきた冴月晶の背中を、子供でもあやすように叩いてやった。


「私は……どうしたって、明日のライブが成功して欲しいだけです。沢山の人たちが、ちゃんとがんばってきたの、見てきましたから。経理としてですけど、ね」


 見れば――膝を折ったままの谷口公希が、俺の方を呆然と見上げている。

「和泉さん……あなた、いったい……」


 俺は答えない。正直、なんと答えればいいか、すぐには思いつかなかったのだ。


 そのうち、「カードゲーマー」相変わらず表情のないシルバージャックスから声がかかる。


「…………」

 ますます密着してくる冴月晶と共に、魔法少女たちの中心にいる銀色の双子を見据えた。


「君のそのわがままを、ソロモン騎士団が許すとでも?」

「バーバヤガーの時は、私を戦場に出したではないですか」

「あれは君がまだ魔王の力を行使できるか見たかっただけだ。“聖痕の獣”との一戦以来、力を使わせる機会がなかったものでな。だいたいわかったので、もういい」


 手強いなと思った。どうやって了承させるか、そう思案するが――


「いいではないですカ」

 不穏な空気の中に突如として生まれた忍び笑い。

 それは、背もたれを大きくきしませたアンリエッタ・トリミューンだった。


「ひとかどの戦士が男を見せようというのデス。思いを汲んであげルのが、慈悲というモノでは?」

「メリットがない。無名のこの男を出して、アルメイアの子供に今回のことを軽く見られても困る」

「ケチ臭いデスねぇ。うちの秘密兵器をわざわざ投入するのデス。真面目な彼らのこと、必要以上に引け目を感じてくれマスヨ」


 不意に、アンリエッタ・トリミューンが立ち上がる。彼女が立ち上がるのに合わせて、アベル・アジャーニが椅子を引いた。


「それに、明らかなメリットが欲しいというのなら――そうですね。年明けのバカンスを取りやめて馬車馬のように働いてあげましょうカ、このワタシが」


 椅子を元に戻したアベル・アジャーニは「お嬢様。よろしいのですか? ようやく取れたお休みを――」と眉をひそめるが、アンリエッタ・トリミューンが軽く右手を持ち上げると何事もなかったかのように口をつぐむのだ。


「アンリエッタ・トリミューンの一ヶ月が手に入るのデス。ソロモン騎士団にとって、悪い条件ではないでしょう?」

 シルバージャックスに微笑みかけるアンリエッタ・トリミューン。俺はそれを怖いと思った。言葉の端々に、拒否を許さない凄みのようなものがあった。


 銀色の双子はお互いの顔を長い間見合わせ――最後は「しかたないな」と。


 薄笑みを浮かべたアンリエッタ・トリミューンが俺の元に歩いてくる。


 そして彼女は、俺の唇に人差し指を押し当てながら、俺の眼を覗き込んでくるのだった。

「吐いた唾は、もお、飲めませんヨぉ」


 さっきからずっと膝は震えている。


 だが、それでも――――戦うと決めた。

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