むせる聖夜(前)

 今日は休日出勤で、それに聖夜だし……と、一二月二四日の月曜日、振替休日の仕事は夜九時に打ち切った。


 性の六時間――クリスマスイブの夜九時から始まる六時間は、日本人が最も性交するタイミングらしい。ひとたびネットを開けば、タイムラインには独り身たちの強がりと焦り、怨嗟、達観がごろごろ転がっている。一方、世の中の恋人たちはロマンチックな夜を堪能し、粛々とやることをやっているのだろう。


 俺は当然、独り身側だ。

 俺と同じく休日出勤の水無瀬りんを午後五時過ぎに「お疲れ様です」と見送ると、終わらない経理仕事を抱えて夜の部の業務へと突入したのである。


 そしてたった一人歩く孤独な家路――イチャつくカップルとすれ違っても、今さら何も思わない。クリスマスと縁のない独身社会人歴が一〇年を超えれば、まあこんなものだ。


 真っ暗な自宅に辿り着き、リビングで部屋着に着替えていたら。

「ん?」

 冷蔵庫にメモが貼ってあることに気が付いた。サンタクロースがデザインされた可愛らしいメモには、丁寧な文字で『おかえりなさい。メリークリスマス♪』と。


 それで俺は――まさか冴月さん、出撃前にここに寄ったのか――小さく苦笑する。

 そのまま冷蔵庫を開けば、『丸太を模したクリスマスケーキ』が大皿の上に鎮座していた。


「……ブッシュ・ド・ノエル……」


 洋菓子店で売っていても良さそうなほどの出来映えだが、きっと冴月晶の手作りだろう。俺は彼女がこういうものに手を抜かないことをよく知っている。


「いつの間に……今日は、冴月さんも忙しいだろうに……」

 申し訳なさにそう独りごちて、重たいクリスマスケーキをこたつに運んだ。今日の夕食はこれに決まりだ。というか、しばらくはこのケーキを食べ続けることになるだろう。


 こたつに入りテレビを付けると、サウスクイーンアイドル・悠木悠里がスポーツ系バラエティで躍動していた。体力自慢の芸能人が有名アスリートと勝負する企画らしい。女子サッカー日本代表選手との二〇〇メートル走、悠木悠里は僅差で敗北した。


 俺はブッシュ・ド・ノエルをフォークでつつきながら――悠木さん、めちゃくちゃ手ぇ抜いてるなぁ――思わず笑みをこぼしてしまう。


「だああーっ!! あとちょっとだったのにぃ!」なんてぴょんぴょん飛び跳ねて悔しがるアイドル。この美少女がキック一発で俺を何十メートルも吹っ飛ばした魔法少女だとは、どんな視聴者も思うまい。


 そして――そんなアイドルが、たった今、数々の怪異と戦っているとも――


「……みんな、怪我してなきゃいいが……」

 ふとソロモン騎士の少女たちのことが心配になった。


 子供たちにプレゼントを配るサンタクロースなんてただの幻想――クリスマスイブに現れるのは、決まって人類に死を運ぶ怪異たちなのである。


『申し訳ありません。イブの夜を、ご一緒できず……』

 つい先日、クリスマス任務を強制されて意気消沈の冴月晶が教えてくれた。

 大悪魔の陰謀策略。

 狂った自然精霊たち。

 隕石と共に降り注ぐ宇宙的脅威。

 古代呪物の大暴走。

 異世界からの望まれぬ来訪者……などなど。

 クリスマスイブからクリスマス当日にかけては不思議と怪異が異常発生する。それで魔法使いたちは、ずっと昔から、クリスマスの猛威よりこの世界を死守してきたのだ――と。

 今夜ばかりはソロモン騎士全員が各地に派遣されて警戒任務に当たるらしい。


 そんなわけで魔法少女たちも休日返上で朝から全員大忙し。

 出撃前の彼女らを邪魔したくなくて、『用意していた七人分のクリスマスプレゼント』は水無瀬りんに託すことにした。


 そう――クリスマスプレゼントだ。


 俺みたいな独身中年が顔見知りの女の子たちにプレゼントだなんて……ずいぶん大それたことをしたものだとは、重々自覚している。


 最初は冴月晶だけに贈るつもりだった。だって、彼女はしょっちゅう俺の家に遊びに来ているし、俺の健康を気遣って食事の世話もしてくれているのだ。俺がプレゼントを贈っても、それほど常識外れじゃないような気がしたから。


 方針転換のきっかけは、水無瀬りんから投げかけられた一言。

『晶にだけプレゼントしたら、他の子が嫉妬しますよ』


 あれは先々週の木曜日だったはず……昼休憩、デスクで菓子パンを囓る俺は、『クリスマス特集! もらって嬉しいプレゼント!』という記事目当てに購入した情報誌を眺めていた。やっぱり一番人気はブランドもののネックレスかぁ……と感心していたのである。

 俺が冴月晶に贈るクリスマスプレゼントを吟味していることに気付いたのだろう。コーヒーを差し入れてくれた水無瀬りんがそんなことを言った。


 思わず首を傾げる俺。

『皆さん人気アイドルですし、私からのプレゼントなんて間に合っているのでは?』


 すると彼女は『気にかけてあげてください。和泉さんは、あの子らに初めて勝った男なんですから』そう微笑みを浮かべて行ってしまった。


 残された俺は、そんなものなのか……と途方に暮れる。


 結局――日本ブランドのネックレスを七つ。

 冴月晶には、十字架。

 妙高院静佳には、狼と言い張りたくて犬。

 悠木悠里には、炎。

 高杉・マリア=マルギッドには、星。

 矢神カナタとレオノール・ミリエマ、アレクサンドラ・ロフスカヤの仲良し三人組には、お揃いのハートモチーフ。


 若い女性に人気のブランドらしく目玉が飛び出るほど高価な品ではなかったが、それでもピンクゴールドのネックレス七つは財布にこたえた。過労死ラインまで働いた先月の残業代が全部吹っ飛んだ形だ。


『あの、水無瀬さん。お願いが――』

 朝一番、綺麗に包装されたプレゼント七つを水無瀬りんに託したら『あれ? 私のは?』と真顔で言われ、『ええぇ~』と俺が頭を抱える事件はあったが――元ソロモン騎士の彼女は、普段から魔法少女たちの出撃準備もよく手伝っている。無事、七人全員にプレゼントを渡してくれたようだ。


『みんな喜んでましたよ。好感度アップですね』

 キーボードを叩いていた俺の元に帰ってきた水無瀬りんは『これ、お土産です』と、折りたたまれた包装紙一枚をデスクに置いた。その顔には妙な含み笑い。


『お土産?』

 何気なく包装紙を広げた俺は、『えひ――』思わず変な声をあげるのだった。

 上質な包装紙の裏にサウスクイーンアイドル七人のメッセージとサインが寄せ書きされていたのだから、当然だ。


 見慣れた丁寧な文字は冴月晶のもの――大好きです。帰ったら誠心誠意ご奉仕させていただきますので、御覚悟を。


 乱暴な走り書きは妙高院静佳――これ、あたしが和泉さんの犬とでも? かじりますよ。


 女の子っぽい可愛らしい丸文字は悠木悠里だろうか――さんきゅー。


 高杉・マリア=マルギッドは、生真面目な性格どおりお手本のような楷書体だった――ありがとうございます。


 仲良し三人娘は、一番字が綺麗な矢神カナタが――可愛いネックレスありがとうです。おそろいとか、和泉さんわかってますね――と書き、その下に三人のサインが並ぶ。


 ……なにこの凄いお宝……。

 こんなの、何百万円出したって手に入るものじゃない。


 俺は、図らずも至高の一品となった包装紙を震える指でたたみ直し、無言でスーツの内ポケットに入れた。本格的な額装っていくらかかるんだろう……と本気で考えたのだった。


「しっかりせえ山本! 周回遅れってどんだけや!」

 その時、俺の意識を現実に引き戻す鋭いツッコミ。


「にしても悠里ちゃんはめっちゃ惜しかったなあ。次回リベンジしたいんとちゃう?」


 ブッシュ・ド・ノエルを食べつつテレビ画面を見れば、関西弁の大物司会者と悠木悠里の絡みが始まっている。スポーツ対決のVTRが終わり画面がスタジオに変わったのだ。


「え? 別にいいですけど。あたしの負けで」

「なんでやねん!! あんな悔しがっとったやないか!!」


 それにしてもアイドル・悠木悠里の存在感は圧倒的……他の芸人、俳優たちがかわいそうになるぐらいキラキラ輝いている。抜群に顔がいい。


「ちょ――ちょっと待ってぇな。次の三時間スペシャルは悠木悠里リベンジで決まっとんやぞ。な? な?」

「いやいやぁ。現役の日本代表とガチンコとか、アイドルのお仕事じゃないんで」

「だったらそのまま世界目指せばええやないか!」

「できるかぁ! てかっ、二カメぇ! さっきからおっぱいのアップばっか撮ってんじゃねえ! ――です!」

「いや、二カメは悪くないで。悠里ちゃんが体操服なんが原因や」

「これ、番組衣装だって渡されたんですけど?」

「じゃあ悠里ちゃんから視聴者へのクリスマスプレゼントってことにしとこか」


 ――――――――――


 それからブッシュ・ド・ノエルを六分の一ほど食べ進めた俺は、持ち帰った『奇跡の寄せ書き』をこたつの中でニヤニヤ眺めていたのだが……ふとした瞬間に、突然の着信音。


 壁掛け時計は一〇時三〇分を回り、テレビはニュース番組を始めていた。


「ちょ、ちょっとタンマ――」

 聞き慣れた大音量で我に返る。

 壁に吊したスーツに入れっぱなしのスマートフォンに駆け寄り、画面を確認した。


「水無瀬さん?」


 いったいなんだ? と思いながら「もしもし?」受話口を耳に当てる。

 そして聞こえた水無瀬りんの第一声に、俺は――げ――と眉をひそめた。


「あー。和泉さんれすぅ? 私は元気でーす」

 鼻にかかったような甘い声。これは明らかに……。

「あの水無瀬さん? まさか酔ってます?」

「えええー? 酔ってませんよぉ。全然酔ってないですけどぉ?」

「いや、めちゃくちゃ酔ってるでしょ……それであの、どうしました?」

「なんでもないでーす」

「馬鹿言わないでください。いったいどうしました?」

「んー……一人で飲んでたら、ちょっと帰れなくなっちゃったかもでぇ。和泉さん迎えに来てくんないかなぁって」


 マジかよ。ていうか、クリスマスに一人で飲んでたのかよ……そう思った。俺はもう一度壁掛け時計を見やり、酔っ払いの相手は心底面倒だとため息を吐くのだ。しかし――

「わかりました。心配なんで行きます。水無瀬さんどこにいます?」

 次の瞬間には、スマートフォンを頬と肩で挟みながら着替えようとしている。部屋着のズボンを脱ぎ捨てて愛用のスラックスに脚を通した。


「渋谷ぁ。渋谷のブロッサムってバーでーす」

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