融通の利く番人

「待ってください。なんでこのタイミングで九〇〇万も支出が増えるんですか」


 魔女バーバヤガーを倒し、吸血鬼集団に喧嘩を売られたりと盛り沢山だった土曜日。日曜はぼーっとしているうちに終わってしまった。

 そしていまいち疲れが抜けていない憂鬱な月曜日、一二月一七日――俺は、業務机の上に広げた書類に頭を抱えている。


「クオリティアップのために必要な経費なんです。お願いしますよ和泉さん」

 スーツ姿の男が手近なオフィスチェアを引っ張ってきて、そのまま俺に寄り添う形で座った。親しげに肩をさすってきたりと、だいぶ距離感が近い。


 谷口公希――アイドル事務所サウスクイーンお抱えのイベントプロデューサー。二週間後に迫った年末の大型ライブイベントの演出責任者である。


 俺よりも年下で、確か……二八か二九歳。三十路にはぎりぎり到達していなかったはず。


 仕事のできる爽やかイケメン。

 彼に対する俺の第一印象は、実に好感に満ちたものだった。

 有名私大卒なのに偉ぶる素振り一つなく、誰に対してもフレンドリー。当然、ソロモン騎士団なんかの裏事情もしっかり把握していて――というか、彼の先祖にソロモン騎士がいたらしい。その縁と卓越したイベントプロデュース能力を買われて、アイドル事務所サウスクイーンに入社したと聞いた。


 実際、彼の実績は年齢にそぐわぬほどに凄まじい。

 日本国内における近年のサウスクイーンアイドルのライブは、ほぼすべて彼の手によるものだ。

 妙高院静佳のアリーナ単独公演も。

 悠木悠里と高杉・マリア=マルギッドの武道館も。

 冴月晶の東京ドームも。

 矢神カナタたち三人娘の富士急ハイランドも。

 すべてのライブが後世に語り継がれるほどの好評を得た。ライブDVDだって異常と思えるぐらい売れた。


 だが、しかし――である。


「言いたいことはわかりますが、うちの会社にも予算ってのがあるんですから……」

「オーディエンスにとってライブは一期一会でしょう!? お金なんかに縛られてどうするんですか!?」


 一緒に仕事するようになった今、経理担当の俺は、谷口公希の厄介さというものにひどく悩まされているのだった。


 ……なんにせよ、アーティスト気質が強すぎる。


「谷口さん。何事もお金あってこそですよ。年末ライブの予算はとっくに使い切ってますよね? というか――」


 お金のことなど何一つ考えずにあれこれやるものだから、そのしわ寄せがすべて経理部門に押し寄せてくるのだ。


「この『西洋甲冑一五着』ってなんなんです? 見積もりじゃなくて、すでに請求書なんですが……」

「廃業した武具専門店のね、倉庫から出てきたそうなんです」

「はあ」

「それを急いで調達してもらいました」

「…………なんで?」

「そんなのステージセットに使うために決まってるじゃないですか。やっぱり本物の鉄はいい。ライトが当たった時に鈍く光るあの感じ……あれこそ僕が求めていたものです。『古の戦場に舞い降りた女神』、このライブテーマにはやはり本物が必要……」

「待って――なにそれ、ありえない」

「嫌だなぁ。ちゃんとセットの雰囲気に合わせて汚しますって」

「違いますよ! 小道具でどうにかなる部分にいくら使ってんだって話です!」

 嫌みなく笑う谷口公希に思わず声を荒げてしまった俺。


 彼は、意味が理解できないとでも言いたげな顔をしていた。

「でも、そっちの方がステージセットの完成度は高くなるんですよ?」

「だからって予算オーバーしてるのに、更に五〇〇万上乗せする人がいますかっ」

「細かい人だなぁ」

「ブツは? もう全部納入しちゃったんですか?」

「二次発送分が昨日届きました。順次、ダメージ加工を施してますけど……」

「……くそ……返品は無理か……」


 五〇〇万円の請求書を握ったまま力なくうなだれる。しばらく立ち直れなかった。


「大丈夫ですか和泉さん。元気出して」

 谷口公希に背中をポンポン叩かれて、俺は――誰のせいだよ――と人知れず鼻にしわを寄せるのだった。とはいえ理性で怒気を押し殺し、ため息混じりに言う。

「谷口さん……」

「はいはい」

「私も彼女らのファンですし、谷口さんのプロデュースしたライブにも行きましたから、あなたの才能が素晴らしいのは知ってます」

「じゃあ――」

「でも、仕事ってそういうものじゃないでしょう。決められた枠組みの中で実力を発揮するのもセンスだと思いますよ」


 若手ナンバーワンのイベントプロデューサーに何偉そうなことをほざいてんだとは思う。しかも、アイドル事務所に転職したばかりの新入社員が。

 しかし、経理の担当者としては、どうしても言っておかねばならなかった。


「これは処理しておきますから。次はあらかじめ相談してください」


 何の才能もないが一応年上……そんな俺の言葉がどれほどの意味を持つかは知らない。それでも谷口公希は鳩が豆鉄砲を食ったような顔だ。やがて彼には珍しい気弱な笑みを浮かべ、「すみません。面倒かけます」と頭を下げてきた。


 気を取り直して、「それで残りの追加支出ですが――」谷口公希が持ってきた別の見積書に改めて目を通す。


「……アンリエッタさんのサプライズ出演で、プロジェクションマッピングのパターン追加ですか」

「ええ。大天使の降臨をイメージしたゴージャスな奴を」

「ステージと天井を、それぞれワンパターンずつ……」

「特に天井のパターンには力を入れたいんですよ。神々しい光が雲間を割って――それでアンリエッタ・トリミューン登場。ステージには天使たちが溢れます」

「どちらか一つにしてください」

「馬鹿な! アンリエッタ・トリミューンなんですよ!? 世界一の――」

「だからってライブまであと何日ですか。この金額だって、無理な納期に対する追加料金込みでは? 映像会社の人、困ってませんでした?」

「それは……」

「クオリティを重視するなら、納期に関しても安全策を取るべきだと思いますよ」


 そして俺は、一昨日アンリエッタ・トリミューンに殴られた左頬に触れて、「きっと大丈夫」と苦笑するのだった。


「あの人は世界一のアイドルですから、なんだかんだと最高のステージにしてくれます」


 谷口公希が腕を組んで唸る。

「ですかねぇ……」

 不服はあるが納得せざるを得ないという微妙な態度だった。多分、彼の中にも『間に合わないかも――』という一抹の不安はあったのだろう。結果として、俺の言葉がその不安を肯定することになった。


「それじゃあ、ステージのパターンは諦めます。お金が出ないなら仕方ないですね」


 それから俺と谷口公希は、細かい支出についてみっちり協議すること三〇分。


 別れ際。

「色々迷惑かけますけど、これからもよろしくです」

 そう握手を求めてきた谷口公希に、俺は「これ以上の支出増だけは勘弁してください」と返す。彼の手を握った。


「当日は一ファンとして参加させてもらいます」

「期待しててください。和泉さんが泣いちゃうような、最高のライブをつくりますから」


 谷口公希が意気揚々と執務室を出て行った後、「…………さてと……」俺はデスクに残された書類に深いため息だ。


「苦労してますね」


 顔を上げると水無瀬りんがいた。土曜日の乱れっぷりが夢幻だったかのような涼しい美貌で、コーヒーカップを二つ手にしていた。


「どうぞ。あの人の相手は疲れるでしょう?」

「ああ。どうもすみません」


 そして彼女は俺の机から『西洋甲冑一五着の請求書』を取り上げ、「これはひどい」と苦笑いする。コーヒーカップに唇を付けた。


「……わたしだったら本気でキレてるな……」

「今さらですが、ディスカウントをお願いしてみます。よく使ってる商社さんですし、次回の利用を約束すれば、少しはがんばってもらえるかもしれません」

「予算の手当はどうします?」

「二月のイベント分を先食いするしかないですね。課長と相談ですけど、会場使用料がかなり抑えられそうなので、それを流用してやろうかと」


 頭を掻きながら俺もコーヒーを一口。


 すると水無瀬りんがくすりと笑った。


「水無瀬さん?」

「ごめんなさい。魔王召喚者とか関係なく、和泉さんがいて助かるなと思って」

「そ、そうです?」

「さすがは金融出身者、数字の勘所がいいです」


 そのまま俺のデスクに軽くもたれかかった元ソロモン騎士の美女。コーヒーを飲みつつ、「そういえば土曜日の吸血鬼たちですけど――」と声色を落とした。


 俺はビクリと肩が震えてしまう。


「最近台頭し始めたブラッドストローとかいう集団みたいです」

「……やばい奴らなんですか?」

「強姦、強盗、それに殺人――人間の真似事が好きな若い吸血鬼が集まっているようですが、和泉さんに比べればかわいいものですよ」

「は、はあ……」

「そもそも吸血鬼自体、それほど恐ろしい怪物じゃありませんし」

「そうなんです? 漫画とかだと強キャラなことが多いですけど」

「怪力、再生、変身、催眠、増殖――そんなものですからね、彼らの能力なんて。慎ましいと言うかなんと言うか」

「そ、そりゃあ、ソロモン騎士の皆さんからすればね……」

「というわけで、向こうが接触してくるタイミングで適時殲滅ってことになりましたから」

「……なるほど」

「はい」

「……こちらからは特に何もしない、と」

「ええ」


 らしくないな――そう思った。

 ソロモン騎士団ほどの好戦的な組織であれば、人類の敵が存在していると判明した途端、喜んで滅ぼしに行きそうなのに。現に俺は容赦なく攻撃されたじゃないか……。


 よほど腑に落ちない顔をしていたのだろう。

 水無瀬りんが苦笑とともに内情を明かしてくれた。


「実は、以前からあの集団と対立している方たちがいてですね、うちだってたまには遠慮することがあるんです」

「正義の組織が別にあるんですか?」

「んー……どちらかというと内輪揉め的な……?」

「はあ」

「ともかく、和泉さんは多分大丈夫です。あの手の輩は行動原理が性欲ですから、襲撃を受けるなら騎士たちでしょうね。吸血鬼たちに同情しますよ」


 そして、そのままコーヒー片手に仕事に戻ろうとする。


 俺はそれ以上詮索することなく、そんなものか……と思い込むことにした。

 なにせ、吸血鬼ギャングと同じぐらい厄介な経理仕事が立て込んでいるのだ。吸血鬼は天下のソロモン騎士様にお任せして、俺は目の前の仕事に思い悩んだ方が建設的だろう。


 不意に。

「そうそう――」

 前髪を掻き上げながら俺に振り返った水無瀬りん。

「奴ら、あのレストランに転移してきたらしいじゃないですか。それで、悠里たちがなんか魔法っぽかったって言うんですよね。あの場に魔法使いでもいたのかしら?」


 ペロリと舌先を出してかわいらしく笑むのだった。


「わたし、全然覚えてないんですよ。お酒入ってたから」

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