円卓に集う騎士たち
都内中心部にそびえる超高層ビルに世界有数の高級ホテルが入っているのは知っていた。
一泊二〇〇万円を超えるスイートルーム、都心の夜景を眼下に望みながら美食を堪能できるレストラン、世界レベルのコンシェルジュサービス……どれもこれも俺のような庶民には縁遠い世界の代物だ。
今夜の会食は、このホテルのレストランの一つを貸し切って行われるらしい。
支配人と名乗った初老のホテルマンに案内されて、地上五〇階へ。
両開きの大扉が開かれると――木目調のレストランホールが広がった。
ホール中央に鎮座する特大の丸テーブルには、宝石のような料理の数々が並び。
「おう。オッサン」
「悠木さん? それに皆さんも」
俺の知っている面々が着席している。
「悪いな、先にやらせてもらってるぜ」
「すみませんウェイターさん。お肉追加で」
「あっ! アンリエッタちゃんだ!」
「……待ってた……待ってたアンリエッタ……」
「ちょっとぉ、二人とも食事中に席立っちゃダメでしょ。お行儀悪いよ」
悠木悠里。
高杉・マリア=マルギッド。
レオノール・ミリエマ。
アレクサンドラ・ロフスカヤ。
矢神カナタ。
そして――ブランデーグラス片手にテーブルクロスに顔を突っ込んだ水無瀬りんだ。
「うー……もう飲めない……」
室内にいたのは彼女らと熟達のホテルウェイターが三人だけ。
あれ? と思ってレストランホールをキョロキョロ眺める俺にアベル・アジャーニが耳打ちしてくれた。
「本日はソロモン騎士の皆様とのお食事です。堅苦しいマナーなどございませんから、どうぞおくつろぎください」
「あ――ああ。なるほど」
盛大なパーティーに身構えていた俺は照れくささに頭を掻きつつ、紳士然としたウェイターが待つ席に着いた。冴月晶は当然のごとく俺の隣だ。
「お飲み物はいかがいたしましょう?」
「ええと……ウーロン茶で」
「かしこまりました。すぐに料理をお持ちしてもよろしいですか?」
「お願いします」
床から天井へと続く大きなガラス窓には見事な夜景が広がっていた。満天の星のような東京の夜景だ。灯りの一つ一つに人の気配を感じ、目を伏せたくなるほどに美しい。
「お土産ちょうだい!! 前に約束したでしょー!」
「アンリエッタ……なんかレアいの……」
「もー! アンリエッタ様困らせちゃダメだってー!」
にぎやかな声に目を移せばアンリエッタ・トリミューンが三人娘にワチャワチャまとわりつかれて動けないでいる。アベル・アジャーニが赤い小箱を渡しているのが見えた。
「お嬢様が斬り落とした魔竜の首が封印してあります。一発ならばブレスを放つでしょう」
ちょっと待て。お土産にしては物騒すぎないか?
「はれ? 和泉さんじゃないれすか」
名前を呼ばれたことに反応すると、テーブルに突っ伏していた水無瀬りんが顔を上げていた。とろんとした目……深酔いしているのは明らかだ。
彼女の左隣では悠木悠里が分厚いステーキに齧りついており、右隣では高杉・マリア=マルギッドが上品に肉を切り分けていた。
そして俺の目が次に捉えたのは……水無瀬りんの手元にあった、貝殻のような美しいブランデーボトル。「――ぶっ」驚愕に吹き出してしまった。
冴月晶が俺を見上げて不思議そうな顔をする。
「どうされました?」
「いや……水無瀬さんが飲んでるのが、ルイ一三世だったもんで」
「ルイ?」
「レミーマルタンのルイ一三世、それこそ何十万もするコニャックです」
「美味しいのですか?」
「庶民が飲める代物じゃないですよ。特に、こんな高級ホテルじゃあ――」
信用金庫職員時代、取引先の酒好き社長に自慢された高級酒の一つ。
どういう食事会なんだ、これは……俺はなんだか怖くなってしまって、料理を運んできたウェイターと目を合わせることができなかった。
一皿目は透き通るようなイカに柑橘ジュレと岩塩を合わせたもの。
俺と冴月晶に料理を運んだウェイターを水無瀬りんが呼び止めた。
「これ、もう飽きたんで、思いっきり古いお酒もらえます? 一八〇〇年代のテセロンとか」
彼女の口から飛び出した超高級ブランデーに俺は恐怖するばかりだ。「ま、まだ飲むんですか?」と問いかけずにはいられない。
「いいんですよぉ。どうせアンリエッタが全部払うんだからぁ」
上機嫌な水無瀬りんの隣で、「酒くせぇ……」悠木悠里がテーブルに肘を突いてうんざりしている。
「この人、昼からこんな調子らしいぜ」
「ずっと飲んだくれてるんですか?」
「本当はあたしやマリアたちを迎えに来てくれるはずだったんだけどな、おかげで全員自分の足でここまでくる羽目になった」
高杉・マリア=マルギッドもため息混じりだ。
「シェフが二〇〇四年のモンラッシェを見せてしまったらしいですよ。よりにもよって白ワインだったのが運の尽きでしたね」
俺は、「もう飲めない」とかのたまいながら琥珀色の液体を流し込む水無瀬りんを、苦々しげに見ていた。……酔っぱらった水無瀬りんは見たくなかった気がする……。
「ソロモン騎士のイメージが……」
「ミナセは酔った時の方が強かったのですけどネ。酔拳と言うのデショウ?」
「……アンリエッタさん……」
三人娘と共に席に着いたアンリエッタが、ウェイターに「辛口のサケをロックで。料理もそれに合わせてくだサイ」と告げた。日本酒に氷を入れようだなんて、なるほど海外セレブっぽいなと思う。
アベル・アジャーニは椅子に座ることもなく、彼女の後ろに静かに控えるのだった。
そして――
「はいっ!! ここで重大発表があります!!」
いきなり声を張り上げた酔っ払い。予期していなかった俺はフォークを取り落としてしまった。冴月晶が酔っ払いを睨んで小さく舌打ちした。
「年末のライブにアンリエッタも出ることになりましたぁ。サプライズゲストでーす」
「――は――?」
ウェイターがフォークを取り換えてくれるが、そんなことどうでもよくなるぐらい、俺は水無瀬りんの言葉に動揺する。
「――はい――?」
椅子に深くもたれてえへらえへらと笑う彼女を見つめ、茫然としてしまった。
……アンリエッタ・トリミューンのステージが見れるの……? ……マジで……?
しかし、言葉を無くした俺と違って、悠木悠里と高杉・マリア=マルギッドはひどく冷静だった。
「いや、知ってたけどよ」
「戦力的には足りてる状況ですしね。アイドル関係なのは想像通りです」
アンリエッタ・トリミューンの隣に座るレオノール・ミリエマがドヤ顔で言った。
「それじゃあさー、可愛いあたしが一緒に踊ってあげちゃおうかなぁ」
アレクサンドラ・ロフスカヤがこくりとうなづいて「アンリエッタとレオノール、わたしの三人でユニット結成だ……」と。
矢神カナタが机を叩いたのは言うまでもない。
「私はっ!?」
またワチャワチャし始めた三人娘を尻目に、冴月晶がぼそりと一言だ。
「ボクの姉弟子様は暇なのですか?」
すると日本酒に浮かぶ氷をカランと鳴らしたアンリエッタである。
「馬鹿ナ。可愛い後輩のステージに華を添えるため、働きたくないと叫ぶクリスに仕事をぶん投げてきたのですヨ」
クリス――おそらくクリス・キネマトノーマのことだろう。
アンリエッタ・トリミューン、妙高院静佳に並ぶサウスクイーンアイドルのトップだ。そして……ソロモン騎士団屈指の実力者でもあったはず……。
「それ二、ちょうどワタシの探し物が日本に来てるらしいデスし」
微笑みながら日本酒を口に含んだアンリエッタ・トリミューン。すぐさまアベル・アジャーニを呼び、「同じ銘柄を一〇〇本ほど買っておいてくだサイ。気に入りましタ」なんて金持ちみたいなことを言うのだ。
……色々とすごいな、この人たちは……嘆息しつつ前菜のイカ料理を口に入れたら。
「そういえば和泉さん、お疲れさまでした」
高杉・マリア=マルギッドがそんなことを言った。
「?」
俺はなんのことかわからない。
「バーバヤガーぶっ殺したんだろ? 刀根の奴からあたしらにも報告があったよ」
「ああ。なるほど」
三人娘が続けて教えてくれたのは、俺の知らない情報だ。
「乗ってた人たちみんな生きてたってぇ」
「今は昏睡状態ですけど、病院で処置すればじきに目を覚ますみたいです」
「ほら……ネットニュースにも出てる……」
アレクサンドラ・ロフスカヤが自身のスマートフォンを冴月晶に放り投げた。俺では取り損ねると思ったのだろう。その判断は間違っていない。
「本当にお疲れさまでした。彼らは和泉様が救ったのです」
心底嬉しそうな冴月晶からスマートフォンを受け取り、日本最大のニュースサイトをスワイプする。
当然、魔女バーバヤガーのことは何一つ記載がなかった。エンジントラブルを起こしたジェット旅客機ボーイング787が横田基地にダイバードした。乗客乗員二一八名の命に別状はなく、検査のため病院に搬送された。あとは、緊急着陸の原因となったエンジントラブルへの考察――記事の内容はこれぐらいだ。
真相を知らない大多数の人間からすれば、取り立てて騒ぐこともない日々のニュースの一つ。社会維持局は事件の隠匿に成功したのだろう。
「わりぃな。撮影中だったからさ」
ごめんとでも言いたげに両手を合わせた悠木悠里。
すると高杉・マリア=マルギッドが「私は朝から北海道の悪魔を」と呟き、三人娘は元気いっぱいに「お料理番組でケーキつくってました!」なんて手を上げるのだった。
「いやいや。やはり皆さん、それぞれにお忙しい」
多忙を極める少女らに俺はひどく感心してしまう。
彼女らと同じ時分の俺なんて……なんとなく学校に行って、カードゲームで遊んでいただけだ……とても人様に言えるような青春時代ではなかった。
「和泉さん何飲んでるんです?」
いきなりの声。俺はギョッとして股下に視線を落とした。
「は――? なんで水無瀬さんそんなとこ……」
いつの間にかテーブルの下に潜り込んだ水無瀬りんが、俺の足元まで来ていたのである。俺の膝に手を置いて、目尻の下がった眼で俺を見上げている。
「私にも飲ませてくださいよぉ」
傍若無人な酔っ払いは俺の手元からグラスをかすめ取って一口。「ウーロン茶じゃないですか」とケラケラ笑った。
触れられるだけでこっちが酔いそうになるぐらいの酒気だ。
そして――
「タダ酒なんだからもっと飲みましょーよー」
服を手掛かりに這い上がってくる普段は超有能な同僚。
「水無瀬さんっ、ちょっと酔いすぎ……っ!」
俺は彼女を突き放そうとするが……さすがは元ソロモン騎士、腕力ではとても敵いそうになかった。がっちり服を掴まれては剥がすことなど不可能だ。
なんだこの人、めんどくせぇ。
「……無礼者が」
まずいと思った。冴月晶のスイッチが入った。
「冴――」
まずは冴月晶を止めなければ……!! そう判断した俺だが、レストランの大扉が壊れんばかりの勢いで開いたのでそっちに気を取られてしまう。
――――――――
立っていたのは……黒髪紅眼の完璧美少女、妙高院静佳。
彼女はどこかで見た学生服と黒タイツ姿で。
「……『僕と会長』の……」
そうだ。本日封切りの恋愛映画『僕と会長』、そのメインヒロインである生徒会長そのままの格好をしていた。映画公開イベント終了後にそのまま駆け付けた感じだった。
妙高院静佳が大股で歩き出すと同時、長い黒髪が揺れて彼女の表情が明らかになる。
――目を吊り上がらせて、俺を睨み付けていた――
どうして怒っているのだ? 理由など知るわけがない。
とはいえ、いつかの妙高院静佳を思い出して心底ヤバいと思った俺。
椅子から立ち上がって彼女と向き合う態勢をつくりたいが、水無瀬りんが邪魔で動けなかった。
瞬間、俺の代わりに冴月晶が妙高院静佳に牙を剥く。
しかし――「邪魔」妙高院静佳の一言で、冴月晶の動きは封じられた。冴月晶の頭上に現れた魔法陣から紫電がほとばしったのだ。
「あが――っ」
冴月晶の喉から濁った声が漏れる。電撃は彼女の手首足首に取り付き、強烈な電気刺激と激痛によって身体の自由を一瞬奪い去った。
俺は咄嗟に右手付近に視線を走らせる。
『デモンズクラフトの箱』が出ているかもと思ったが、何の変化もなかった。
そして、妙高院静佳が俺を傷付けようとすれば発動する魔王の呪い――『漆黒の鎖』も現れてはくれない。
「邪魔です」
「あふん」
虫でも払うみたく水無瀬りんを引き剥がし、椅子から動けないままの俺の頭部を両手で鷲掴みにした妙高院静佳。吐息がかかるほどの距離に絶世の美貌を寄せる。
「怪我は?」
………………は? と思った。
「――え?」
「怪我ですよ。バーバヤガーと戦ったって聞きましたけど」
「……怪我……?」
「怪我をしたか? って聞いてんの」
「あ、ああ――だい、じょうぶ……」
「本当?」
「え……ええ、本当です。怪我なんかしてません」
その直後――妙高院静佳の表情が、ふっと弛んだのを俺は見た。
赤い瞳に安堵の感情が宿り、口元がかすかに微笑んだような……。
「あっそ」
しかし俺の頭を解放した彼女は、野良猫のようなそっけない態度だ。冴月晶に使った魔法を解除すると、俺の隣の席に座って脚を組む。
ていうか……なんでわざわざ俺の隣……。
俺は、膝を付いた冴月晶を抱き起こしつつ。
「大丈夫ですか」
「申し訳ありません。油断しました」
彼女の身体に大きな外傷がないことにホッとするのだった。
「心配しすぎだオッサン。あれぐらいで壊れる晶じゃない」
「静電気にビックリしたようなものです」
悠木悠里と高杉・マリア=マルギッドの言うとおりだ。立ち上がった冴月晶はふらつくこともなく、ウェイターに「ボクにも何かガツっとしたものもらえます?」と注文した。
妙高院静佳の魔法に動揺した素振りもないウェイター。
「では飛騨牛のビーフシチューはいかがでしょう?」
「ステーキがいいです」
「かしこまりました。焼き方はいかがいたしましょうか?」
「レアで」
もしかしてソロモン騎士ってヒグマよりも頑丈なんじゃないか……席に戻った俺は、ウーロン茶で喉を潤した。
――たまらず苦笑。妙高院静佳に声をかける。
「また攻撃されるのかと思いました」
「……今日はいいです」
「はあ」
「……和泉さんはもう戦ったでしょう? だから、いいんですよ」
よくわからなかった。
相変わらず、この人の考えていることは本当によくわからない。
「ていうか、和泉さんの顔、なんか腫れてないです?」
学生服のポケットから棒付きキャンディを取り出した妙高院静佳。ガリガリと飴を噛み砕きながら、獣のような鋭い目が俺の左頬を見つめた。
「晶に魔法で治してもらいました? 丁寧な仕事ですけど、少し未熟です」
すぐさま俺は、そんなことはないと冴月晶に首を振る。アンリエッタ・トリミューンに殴られた傷を懸命に癒してくれた彼女に文句などあろうものか。
「バーバヤガーじゃない……誰にやられたのかしら?」
「いや……それは……」
さすがにアンリエッタ・トリミューンに出合い頭に殴られたのだとは言いにくくて、言葉を濁した俺。
それなのに、「お嬢様が殴ったのです」アベル・アジャーニが即座に真実を吐露するのだ。
「は? なにそれ?」
魔法発動。光の双剣がアンリエッタ・トリミューンの眼前に現れた。
見覚えのある魔法にドキリとする。
あれって……前の戦闘で、俺の両手を突き刺した奴じゃないか……?
「ねえアンリエッタ。どういうこと?」
光剣の切っ先を突き付けられて、しかしアンリエッタ・トリミューンは余裕だった。冷たい日本酒で喉を濡らしつつ「アキラを取られた腹いせにちょっと撫でただけですヨ」と。
「これはあたしの獲物だ。手ぇ出してんじゃないわよ」
妙高院静佳の声が、獰猛な獣のような唸りを帯びる。
あっちゃーという感じで悠木悠里が表情を固めていた。
「この二人仲悪いからなぁ……静佳さん、年上だとか全然気にしないタイプだし」
高杉・マリア=マルギッドは「止めてみる?」とあくまでも冷静だ。
「嫌だね。大怪我するだけだろ」
「でしょうね。この人たちを止めるならクリスさんを連れてこないと」
「喧嘩が止まる頃には東京が焦土になってるけどな」
え? なにこれ――? と焦る俺である。
今にも妙高院静佳とアンリエッタ・トリミューンが殺し合いを始めそうな空気なのに、誰も止めようとしない。
……俺か? 俺が仲裁に入らないといけないのか?
「……あの……ちょっとですね、御二方――」
おそるおそる『落ち着きませんか?』と提案しようとしたら。
「私の扱いが雑すぎる!!」
妙高院静佳に投げられて床でうつ伏せになっていた水無瀬りんが復活した。
手足をバタつかせながら半泣きで訴えるのだ。
「ちょっと静佳!! あなたねぇ! まずはいっつもお世話になってる私にお酌でしょ!」
妙高院静佳が死んだ魚のような目で水無瀬りんを見た。
そして、深いため息。
「……なんか冷めたわね……」
アンリエッタ・トリミューンを狙っていた光剣が光の粒子へと返っていく。
アンリエッタ・トリミューンの方も、憐れみを込めた視線を水無瀬りんに送るのだった。
「今夜は彼女のためにロイヤルスイートを用意しまショウ」
ウェイター二人によって両脇を抱えられた酔っ払い、「はい。ごめんなさい。明日からちゃんとします」とか言っているうちに元の席に戻された。
しかして――円卓にソロモン騎士が揃い踏み。
右を見ても、左を見ても、人類の歴史に残るような美貌たちが並ぶ。
奇跡みたいな光景だな……と思った。
そして、そんな場所に、俺のような地味極まりない中年男が混ざっているのが嘘っぽくて仕方がない。
美少女ばかりのにぎやかな食事会が進み――それでも俺がいたたまれなさに苛まれないのは、彼女ら全員が過剰にかまってくれるからだ。
「和泉様? 本当にお酒じゃなくてよろしいのですか?」
瓶入りのウーロン茶とはいえ、冴月晶にお酌してもらっているし。
「どうせ殺すなら万全の和泉さんがいいんで肉食ってください。いっつも仕事しすぎでヘロヘロなんだから。ほら、じゃんじゃん持ってきてもらいましょう」
妙高院静佳には精がつきそうな料理ばかりを押し付けられる。
「あの静佳さん? 私もう、大量の肉とかキツい年なんですけど……」
悠木悠里たちからは昼間のバーバヤガー戦のことを根掘り葉掘り聞かれた。“冥府喰らいのネビュロス”でフィニッシュまで持っていったことを伝えたら、実物を見たことがないアンリエッタ・トリミューン以外の全員が納得の表情だった。
「それと、だ――バーバヤガーの魔法に耐えたっていう、十字架の女が気になんな」
「聖女レディ・フランメ……ただの悪魔ではなさそうだけど……」
そして高級酒をあおるように飲んだ水無瀬りんはとうとう完全沈黙。俺が気付いた時には、テーブルの上で寝息を立てている。
「――ん?」
異変に気付いたのは、そんな時だった。
水無瀬りんの背後の景色が歪んで見えたのだ。
あれは何でしょうか? そう冴月晶に相談しようと思った瞬間――歪んだ景色に魔法陣が浮かび上がり、黒衣の輩が飛び出してきた。
一人ではない。
魔法陣は円卓を取り囲むように幾重にも出現していて、現れた黒衣をすぐに数えることはできなかった。全員が刃を握った刺客だ。多分、三〇人以上いる。
「死ね」
黒衣の誰かがそんなことを言った気がした。
気がしたというのは、その声がすぐさまおぞましい断末魔の叫びに変わってしまったから……。
目が眩むほど強烈な炎。
神秘なる人体発火。
黒衣の輩たちが一人残らずいきなり炎に包まれたのである。
俺はすぐに、悠木悠里の魔法だ――と気付いた。
悲鳴。悲鳴。
悲鳴。悲鳴。
悲鳴。悲鳴。
悠木悠里の炎は、黒衣たちがどれだけ振り払おうとしても消えることはなかったし、レストランのインテリアに燃え移ることもなく、肉が焼ける嫌な臭いすら発さなかった。
突然現れた黒衣の刺客たちは、線香花火のように、美しく燃えていくのだった。
見れば、悠木悠里は食事の手を止めてすらいない。
「なにこいつら?」
高杉・マリア=マルギッドも同様だ。黒衣たちに視線を送ることもなかった。
「ただの吸血鬼」
「それはわかるよ。なんであたしらの居場所がバレてんのかってこと」
「さあ。知らないわ」
突然の事態に唖然としているのは俺だけ。アベル・アジャーニだけでなく、壁際に控えるウェイターたちですら平静を保っていた。
「和泉様。どうかご安心を」
冴月晶が俺の手を握ってくれる。
妙高院静佳があくび混じりに言った。
「何人ソロモン騎士がいると思ってんですか。世界で一番安全ですよ」
俺はふと――それはつまり、魔王召喚者の俺にとっては、最悪の危険地帯ってことじゃないか? なんてことを思い付く。
怖くなりそうだったので考えないことにした。
黒衣の刺客たちが魔法陣から現れて、およそ二分……彼らは何も果たせず、三〇人分の灰すら残すこともなく、ただ『燃え尽きていなくなった』。焼失ではなく消失したのだ。
いったい彼らは何者だったのか?
それは……刺客全滅から二〇分後に明らかになった。
食いも食ったりで肉料理に飽きた少女たちの前にデザートが並び始めた頃。
「よう、人類の守護者ども。楽しんでるか?」
東京の夜景を映していた大きなガラス窓に変化が生じたのである。
星空のような電灯の海が塗り潰され――
「オレはギルゴートギルバー。偉大なるアルメリアを受け継ぐ、吸血鬼の王だ」
ガラスはこことは別の景色を映し出す。
それは、派手に飾り付けられた洋館の一室に見えた。
顔中ピアスと刺青だらけの金髪男が中央の玉座でふんぞり返り、その両隣には筋骨隆々の偉丈夫が立つ。
「驚いたか? いや、なに――お前らソロモン騎士もオレが誰か知らねぇまま殺されんのは、不憫と思ってな」
あとは、下卑た笑みの不良少年たちが景色を埋め尽くしていた。
「だからよ……人類みてぇな下等生物に尻尾を振る犬なんかに、このオレが姿を見せて、わざわざ戦争の申し込みをしてやろうってわけだ。ありがたく思え」
いや、違う。景色に映るのは不良少年たちだけではない。
景色の右端――ボロ切れのような服を着た、小さな女の子が見えた気がした。
「いきなり襲われてどうだったよ? 大丈夫か? まだ全員生きてるか?」
玉座のピアス男――ギルゴートギルバーが舌を出して、目をひん剥いた。
「今回送り込んだのはオレの兵隊だ。どうだ、楽しめたかよ!?」
あれはきっと、俺たちを威嚇しているのだろう。
すると不意に「何言ってるのかしら、この人。ほんと、おかしい」高杉・マリア=マルギッドがくすくす笑い始めた。本気の嘲笑だ。
「聞かせてください。あの蝋燭たちの何を楽しめと?」
それを皮切りに、悠木悠里や三人娘も笑い出した。
「つか、出てくるタイミング完全にミスってんぞ! 引っ込め大根役者!」
「ねえねえサーシャ。あれって、あたしたちがまだ戦ってると思って出てきたんだよ」
「……知ってる。恥ずかしすぎでしょ……」
「もっと強いのを用意しないから。ただのお間抜けさんです。ぷ、くく――」
意気揚々と姿を見せたのに散々な言われ様だ。
真面目な冴月晶だって。
「……ふふふ――」
珍しく口元を押さえて震えていた。
「ふ――ふざけんなてめぇら……っ!」
ギルゴートギルバー側にも俺たちの様子は見えているのだろう。
テーブルに着いたまま食事を続ける魔法少女たち、たいした乱れもないレストランホール、たった一人とて残っていない部下の行方――予想と違う展開に声を荒げるのだった。
「兵隊どもはどこ行きやがったあ!! あいつらぴんぴんしてんじゃねえか!!」
手近にいた不良少年の一人が殴られる。
――血しぶきが飛んだ。
熟れたトマトをバットで叩いたみたいに、頭部が丸ごと弾け飛んだのである。
首から上のなくなった不良少年が力なく崩れ落ちた。
玉座から身を乗り出したギルゴートギルバーが思いっきり顔を歪めて、牙を剥く。
「いいだろう!! 全面戦争だ!!」
黄ばんだ巨大な犬歯。明らかに人間のものではなかった。
仲間の頭を吹っ飛ばした怪力といい……なるほど、確かに吸血鬼だ。化け物だ。
「このオレをコケにしやがった罪を償わせてやるよ……!! てめえらの顔はっきり覚えたかんな。全員、ただじゃ殺さねえ……殺してやらねえ……さんざん犯し抜いてから、ぶっ殺してやる。血を吸って奴隷にして、そのあと引き裂いてやる……!!」
怒りに震えるギルゴートギルバーを最後に映して――ガラス窓が東京の夜景に戻る。
……今の……いったい何だったんだ……。
俺は思わず息を呑んだ。心臓が高鳴っている。
吸血鬼を恐れたというよりは、ギャングのような輩に絡まれたという緊張感。
地味でオタクな青春時代を送ったせいか、ああいう手合いは心底苦手なのだ。嫌悪していると言っていい。吸血鬼だとか、人間だとかはあまり関係なかった。
「オッサン、さっきの聞いた?」
悠木悠里に話しかけられて俺は目線を動かした。
緊張を悟られないよう、ウーロン茶を飲んでグラスで顔を隠す。
「顔覚えたって言われてもさ――」
悠木悠里は両手で口元を覆い……しかし目が笑っている。今にも吹き出しそうだ。
「すでにアイドルだって」
爆笑。
それは魔法少女たち全員のツボにはまったらしく、冴月晶までもがテーブルを叩いて笑うのだった。
「あっははははは。なにあれ――何がしたかったんですか。ははははは――」
そして、少女たちの華やかな笑い声にまぎれるように俺も笑う。
「は……はは……」
さっきの不良吸血鬼たちの標的に俺も入ってるんじゃないかと思って、乾いた笑いを浮かべる。
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