不釣り合いな二人
ソロモン騎士は誰からも守ってもらえない。
俺が出会った超常の力を有する少女たち――ソロモン騎士は皆、人類の剣だ。人類という種族に襲い来る滅びの運命を殺すための美しき剣たち……武器を守る人間なんていないし、彼女らだって脆弱な人間なんかに守って欲しいとは思っていないだろう。
日常でも戦場でも彼女らは無敵。
その美しさと反則的な魔法の数々、そしてソロモン騎士団が持つ絶大な権力で、あらゆる道理を思ったとおりにできる。
それなのに俺は、冴月晶がソロモン騎士であると承知の上で、咄嗟に彼女を助けようとした。
もしもこれが悠木悠里だったら『余計なことすんな! あいつら泣きながら土下座させてやる!』と尻を蹴っ飛ばされたことだろう。冴月晶のような驚いた顔は見せてこなかったはずだ。
……この子は、魔王に一度折られてるからなあ……。
目当てのイタリア料理店に向かう道すがら、冷たい北風に背中を丸めた俺は、斜め後ろをしずしず付いてくる美少女のことを気にするのだった。
「冴月さん大丈夫ですか? 気分がすぐれないなら、今日はもう――」
「だっ、大丈夫です! 何を言っているのですか和泉様」
「でも、なんかボーっとしてません?」
「してません! お腹が空いているだけです!」
それからすぐ予約した店に到着し、案内された窓際の席に腰掛ける。
対面に座った冴月晶がマフラーを外しながら微笑んだ。
「いい雰囲気のお店ですね」
俺は彼女にメニューを渡してから、「でしょう。ほとんど満席だし、予約しておいて正解でした」と店内を見渡した。
品のいい調度品が並ぶ落ち着いた店内だ。
レンガ風のタイルが張られた壁に、そこかしこの棚に飾られたイタリアワインの瓶、そしてアンティークっぽい木製テーブルに掛けられた草色のテーブルクロス。それらすべてをオレンジ色の照明が包み込み、不思議な統一感を醸成している。
「ご注文はお決まりですか?」
水を持ってきた店員にそのまま料理を頼んで、それからは冴月晶と向かい合う時間となった。
「あの。冴月さん」
「は、はい――」
職務質問の一件以来、彼女は言葉少なく、時折俺の顔を見つめては気まずそうに目をそらす。何か言いにくいことがあるのだろうと思った。
「どうしてさっきは、あんな顔を?」
「え?」
「俺がでしゃばった時、ひどく驚いたような感じだったので。何か下手をこいたのかと」
すると冴月晶が「ああ……」と表情をほぐし、困ったような顔でこう言った。
「まさか、和泉様がもう一度身体を張って助けてくださるとは思っていなかったから」
「もう一度、ですか?」
「一度目はボクを人間に戻してくれました」
「……それ、一度目に換算しちゃうんだ……」
「同じ人間に二度も救われたソロモン騎士はいません」
「さっきのは別に……冴月さん一人でどうとでもできたでしょうに」
「それでもです。それでもボクは、凄く嬉しかった。和泉様がボクを守ろうとしてくださったことが――」
窓の外に視線を移すと、町を行く男女が皆、窓から覗く冴月晶の物憂げな横顔に見惚れているのが見えた。デート中のカップル、冴月晶に気を取られすぎた男性の方がつまづいてこけてしまった。
不意に、冴月晶が長いまつげを震わせながら、消え入るような声で言った。
「ボクは、やっぱりカードの方がいいです。“光亡の剣 冴月晶”として、和泉様に使ってもらいたい、です」
俺には彼女がどうして急にそんなことを言ったのかがわからない。
わからないが、その発言は否定すべきだと思った。
「駄目ですよ。どれだけ苦労して人間に戻したと思ってるんですか」
「…………でも……」
「人として生まれたなら、最期まで人として生きるべきなんです。私みたいな何の取り柄もない男に、かかずらったりせず」
「和泉様は魅力的な方です! 卑下しないでください!」
いきなり大きな声を出されて、俺は言葉をなくす。
店の中が一瞬静かになった。
店内にいた客の多くが人知れず冴月晶に注目しており、俺同様に彼らも驚いたからだ。やがて、誰かの咳払いを契機に、満席の店は元通りのにぎやかさを取り戻す。
「……和泉様でなければ静佳様には勝てなかった」
真顔の冴月晶にそう言われ、俺はそんな馬鹿な――と苦笑いだ。
「わたしより強いカードゲーマーはいくらだっているでしょう……」
そうだ。別に俺じゃなくてもよかったはずなのだ。
世の中に溢れる人間を思えば、俺なんて一般人の中でも下の方。もっと頭のいい人間、もっと勇気のある人間、もっと幸運な人間は腐るほどいる。
もしも英雄みたいな誰かが魔王の力を手に入れたなら……きっと俺よりもずっと上手くやっただろう。あんな無様な戦いなんかせず、世界だって我が物だったかもしれない。
そうだ。俺は――
「物語の主人公じゃない」
しまった、と思う。つい言葉に出してしまった。
俺の本音を聞いて、それでも首を横に振った冴月晶。
「それでもやはり、和泉様でなければ静佳様には勝てないのです」
「カードゲームの世界にも天才は結構いますけど」
「もしそうなら静佳様は最初から本気で殺しに来ていたはずです。わずかでも戦士の素質がある人間が魔王召喚者だったら、“瓦解の果て”が降臨することはなかった」
「……そんなものでしょうか」
「ええ。基本的には抜け目のない人ですから」
そして冴月晶は珍しく爪を噛む。
ほっそりとした綺麗な親指、その爪を噛みながら、「和泉様を『羊』とみくびった……死にあらがう羊だっているのに」と。
空気が重い。せっかくのおでかけなのにまるでお通夜のようだ。
話題を変えようと思って、俺は無理矢理笑い直すのだった。
「そ、そういえば、次のライブ、凄い規模になりそうですね」
冴月晶も俺の意図を汲んで微笑んでくれた。
「説明されたステージの規模が尋常ではないのですが、あれは大丈夫なんですか?」
「いや、全然駄目です。プロモーターの谷口って人が色々無茶言ってきてですね。もうとっくに予算オーバーしてるのに」
「ステージの真ん中に剣がありました」
「そう。剣のオブジェです。全長一五メートルの」
「あれには何か意味があるのでしょうか?」
「見栄えはいいと思いますがね。なにせ今回のライブテーマが――」
「古の戦場に舞い降りた女神」
「ですしね。後日発売されるライブDVDでも、いい感じの存在感を放つんでしょう。……とてつもなく予算を喰ってくれましたが……」
「和泉様の頑張りに応えるステージにしなくては、ですね」
「踊りの方はどうですか?」
「余裕です。ただ、今回の衣装が……」
「気に入らないんですか? 可愛くないとか?」
「いえ、ちょっと露出度が高くて……あまり和泉様以外に肌を見せたくはないのです」
「大勢の人に夢を売る商売ですからねえ」
「あの、和泉様……」
「はい?」
「お仕事の方が大丈夫なら遊びに来ていただけませんか? 新曲のお披露目もありますし、チケットを用意しますから」
「あ、それは大丈夫です。チケットなら持ってます」
「そうなのです?」
「ええ。ファンクラブ特典の先行抽選で当たってまして。夏からこの時期が来るのをずっと待っていたんですよ。ようやくです」
「そういえば和泉様はボクの――」
「大ファンです。あの日もらったサインカードだって家宝にしてるんですから」
「でしたね。なんだか忘れてました」
「どれだけ仕事残ってても必ず行きます」
「――ふふっ……現金なものですね、ボクも。ようやくやる気が出てきました」
と――そこでオーダーした料理が続々運ばれてきた。
「お待たせしました。牛タンのカルパッチョとイワシのベッカフィーコ、シーザーサラダ、ポモドーロです。豚肉のグリルはこちらに置かせていただきますね」
「マルゲリータは窯焼きで熱くなっておりますので、ナイフとフォークをお使いください」
「こちら殻付きウニとなります。是非、オリーブオイルを掛けたバケットに乗せて食べてみてください」
ちょっと頼みすぎたかなという量だ。今月の食費を切り詰めないといけないぐらい、奮発してしまったかもしれない。
まあ……冴月晶が結構大食いだから問題ないだろう。
アイドル事務所サウスクイーンに転職してから知ったことだが、ソロモン騎士の少女たちは、その身体のどこにそんな量入るんだというぐらいに食べる。一番小さなレオノール・ミリエマですら俺の三倍は食べているのを社員食堂で見かけたことがある。悠木悠里なんて大食いタレント並みだ。
「これから行くカードショップはどんなところなのですか?」
牛タンのカルパッチョはあっという間に冴月晶の胃袋に消えた。
ランチに選んだ店が彼女の舌を満足させたことにホッとしつつ、俺は生ウニをバゲットに乗せるのだった。
「ちょっとマニアックな店で、かなり古いカードも取り扱ってるんです。ほら、“荒涼たるアルテミス神殿跡”が手に入らないって言ってたでしょう?」
「あるのですか? 一八年前のレアカードですよ?」
「可能性があるのはあそこだけでしょうね。まあ、一緒に探しましょう」
それから俺と冴月晶はワイズマンズクラフトのことで盛り上がる。
つい先日、新エキスパンションの発売が発表され、先行情報としてレアカードの何枚かが公開された。そのうちの一枚“天蓋の死天使アマルスフィア”が冴月晶の琴線に触れたらしく、期待に胸膨らませる彼女の話を聞いていたのだ。
周囲の客のちょっとしたざわつきには気付かなかった。
「晶様。お勤めでございます」
やたら渋い声と共にテーブルに影が乗って――それで俺はハッとしたように首を回した。
……いつの間にか、黒服が並んでいる。
体格のいい男が四人、クール系って感じの女が一人。
五人の黒服がただならぬ感じで、俺たちの座るテーブルを取り囲むのだった。
なんだこれ? この人たち、絶対お客じゃないだろ。
トマトのパスタ、ポモドーロを口に入れながら冴月晶が言った。
「お店の迷惑になるとは考えないのですか?」
彼女は黒スーツの五人組を一瞥もしない。
それで俺は、この五人組の正体に何となく見当がついた。多分、ソロモン騎士団に繋がる人間たちだろう。何かあったのだろうか。
白髪交じりの髪をオールバックで固めた一人が小さく頭を下げた。海外の映画スターみたいな彫りの深い顔をしている。
「失礼しました。携帯電話の電源を切られておいででしたので、致し方なく」
「今日はオフだと伝えておいたはずですが」
「承知しております。しかし事態は緊急を要しているのです。お力をお貸しください」
「お断りします」
即答だった。喰い気味の即答だった。
まさか一顧だにもされないとは予想していなかったのだろう。オールバックは困惑したように言葉を探す。
「多数の人命が懸かっているのですよ?」
「それが?」
冴月晶が俺には見せたことがない顔をしていた。あまりにも冷たい顔だ。例えるならば、慈悲を知らぬ戦いの女神のような…………こんな表情ができる一五歳の少女なんて普通いない。
「以前のボクならばすべてを投げ打ってでも剣を振るったでしょう。いつもの日々に事件が起きたのなら、今のボクでも助けてあげます。ただ――」
彼女が持つフォークに赤く色付いたパスタが巻かれていく。それを口に入れてから、「今日だけはダメです。和泉様との休日に勝る命なんか、この世にありはしないのだから」退屈そうにフォークの先をぷらぷら揺らした。
「他の騎士を当たってください」
さすがにそれはちょっと……と思って場を取り成そうとした俺。
「冴――」
しかし俺の言葉を遮ってスーツ姿の女が声を上げる。
「引きあげましょう課長。時間がありません」
そして彼女は、豚肉のグリル焼きにフォークを刺したまま固まっている俺に向かって苦しまぎれの笑みを向けるのだった。
「和泉慎平。あなたのせいで人がたくさん死にますね」
直後、テーブルを叩く音。
料理の残る皿がガチャンと一斉に鳴り響いた。
見れば……テーブルに両手を突く形で冴月晶が立ち上がっている。
華奢な肩が怒りに震えていた。
「……卑怯者どもが……」
スーツの五人組が道を開けた。
店内全ての視線が注がれる中、大股で歩き出した冴月晶。下唇を噛みながら機嫌悪そうに店の出口へと向かう。
「あの――」
俺は何となくの事情しか理解していない。
五人組の正体もわからず、これからどうすべきかもさっぱりだ。
すると、オールバックが店の出口へと指先を伸ばし、俺にも退店を促した。
「和泉さん。外に車を待たせております。同行をお願いできますか?」
なるほど、そう来たか。
俺は「ちょっと待ってください。お金だけ払っていきますから」とスラックスのポケットから財布を取り出した。
しかし財布を持つ手をオールバックにそっと押さえられる。
「ここは私どもがもたせていただきます」
「しかし――」
「お気になさらず。どうせ国費ですから」
その瞬間、俺は眉間にしわを寄せていた。
なんだこの人たち。もしかして国の人?
というか――国費なら尚更駄目だろう。
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