秩序守る黒服

「社会維持局の刀根と申します」

「これはどうもご丁寧に」


 店を出た俺たちを待っていたのは大型トラックの荷台を改造した指揮通信車だった。長さ九メートル、幅二.五メートル、高さ二メートル超という広い荷台の中には最新鋭の通信設備が詰め込まれ、女性オペレーター二人が矢継ぎ早に届く情報を処理していた。

 警察が潜入捜査とかに使う偽装車両のようなものだろうか。


 緊迫感漂う車内で刀根と名乗ったオールバックの男から名刺を受け取り、俺は恐縮する。


「すみません。今日は名刺を持ち合わせておりませんで。サウスクイーンで経理をやっております和泉です」


 それから、渡された名刺をまじまじと見つめ――こいつはシンプルすぎやしないか? と首を傾げた。


 刀根勇雄という名前、そして携帯電話番号。

 それしか情報がないのだ。

 所属も肩書も記載がない。シンプルというよりは、不親切なぐらい真っ白な名刺だった。

 これではここにいるのがどんな人間たちなのか確かめようもない。


「失礼。さきほど、社会維持局と……」


 俺の戸惑いを当たり前と思ったのだろう。刀根勇雄が真面目な顔で補足してくれた。

「日本国におけるソロモン騎士団の協力機関です。総務省社会維持局――騎士殿の輸送や補給、情報操作、各種秘密結社の内偵、アーティファクトの保管と廃棄……その他、超常災害に関わる雑多なことを包括して担っております」

「はあ……しかし、今の総務省にそんな組織は……」

「あるのですよ。我々はどんな法律や通達にもその設立や運営が記載されない超法規的組織です。あらゆる政府系機関に強制力を持ち、ソロモン騎士団の活動をサポートするためだけに存在しています」


 そして刀根勇雄は人当たりのいい笑顔をつくりながらこんなことを言う。

「もちろん魔王召喚者――和泉さんの時も動いておりましたよ」


 そして俺は――もしかして俺がとんとん拍子で信用金庫を退職することになったのって……と、自分の身に起きたことを思い返すのだった。


「まあ、なんとなく……そういうのがあるんだろうなとは、思っていましたが……」

「規模は様々ですが、ほとんどの国家に同様の組織が存在しています。特に古来から超常災害が頻発していた欧州では予算も桁違いだとか」

「総務省が管轄するんですね。こういうのはてっきり警察か防衛省がやるものかと」

「戦前は警察のお仲間だったのですがね。GHQに内務省が解体された際、万が一にでも機能不全を起こしてはならぬと総務省にそのままスライドしたわけです」

「なるほど……」

「なにしろ公にはならない秘密組織ですから、そのような簡素な名刺でご勘弁ください」


 次の瞬間。

「お――」

 俺は、車内を襲った強烈な横Gによろめいた。

 通信設備に思い切り手をついて、女性オペレーターの一人に「すみません」と愛想笑いで頭を下げる。


 輸送トラックに偽装したこの車は、かなりの速度で走行しているらしい。

 どこに向かっているかはわからない……俺がここにいる理由も……。


「あの。刀根さん――」

 いいかげん何が起きているのか尋ねようとした瞬間だ。


「――それで? 現状は?」

 荷台の奥にかかっていた黒カーテンがいきなり開け放たれ、白マントの少女が現れた。


 少女はフードを目深に被っており顔は見えなかったが……俺は思わず懐かしさを感じてしまう。いつかの時、『女の悪霊』から俺を救ってくれた少女騎士……ソロモン騎士としての冴月晶がそこにいた。

 “光亡の剣 冴月晶”の印象が強いせいか、なんか新鮮だ。


 冴月晶の着替えを手伝ったスーツ姿の女が、冴月晶に付き従いながら言った。

「超常存在に旅客機がハイジャックされています。確認されている乗客乗員は二一八名。生死は不明です」

「機内との交信は?」

「呼び掛けてはいますが返答はありません。航空自衛隊のイーグル三機が“パドヴァの撞鐘(どうしょう)”装備で出撃。横田基地上空に追い込んでいます」

「よろしい」


 狭い車内をすり抜けながら俺の隣へやって来た冴月晶。フードの影から銀髪と紫色の瞳を俺に向けるのだった。

「申し訳ありません。せっかくのお休みを台無しにしてしまって」

 俺は「気にしないで」と笑みを返す。ソロモン騎士の仕事を間近で見られると、思いの外ワクワクし始めていることは黙っておくことにした。


「――ん?」


 刀根勇雄の隣にスーツ姿の女が立つと同時、室内の照明がグッと絞られた。


「こちら斎藤弥恵子くんといいます。それじゃあ斎藤くん、和泉さんにも理解してもらえるよう、状況の説明を。時間ないので簡潔にね」


 壁にかけられていた大型モニターに光が入り。

「日本時間で昨晩一〇時二〇分頃、フランクフルト発、羽田直行便のボーイング787の機長から次のような通信が入りました」

 液晶画面に鮮明な世界地図が映し出される。


 スピーカーから俺では聞き取れない英語が流れた。


「雲間に人のようなものを見たが、あれは何か。おばあさん。丸太のようなものに乗っていた――機長はこう言っています」


 次いで世界地図に飛行機型のポインターが現れ、ドイツから東京へと線が伸びた。飛行経路を示しているのだろう。ウクライナとロシアの国境付近にバツ印だ。


「フライトプランから推測して、機長が何かを見たのはここ。日本とは時差がありますから、目撃は昼間です」

 すると冴月晶がぽつり。

「……高度一万メートルに人、ですか」

「通信を受け取った管制通信官は見間違いではないかと返していますが、その後、当該機は沈黙。社会維持局が事態を把握したのは、それから四時間後になります」


 四時間後という言葉に冴月晶のフードがかすかに動いた。

 すぐさま刀根勇雄が弁明する。

「申し訳ありません晶様。他国の領空内で起きたことでしたので、情報入手と確認に時間を要しました」

 しかし冴月晶はそれには何の反応も見せず、「…………」冷たい無言だった。


「……続けてよろしいでしょうか……?」

 斎藤弥恵子が機をうかがいながら説明を再開した。


「――本日九時過ぎ、当該機が日本領空に侵入するのを待って偵察機を向かわせました。その時の映像がこちらです」


 モニターが世界地図から動画に切り替わる。

 気持ちいい青空の中を白い旅客機が飛んでいた。


 だが……「――んん?」なにやら様子がおかしい。太い胴体に何かくっついている。俺はその正体を見定めようと目を細めたが。

「ひ」

 そんな必要はなかった。映像はすぐさまズームされ、旅客機にしがみついていたものをでかでかと映し出したのだ。


 巨大な老婆。

 身長が二〇メートルはありそうな全裸の老婆が、飛行機の胴体に腕を回していた。


「いかがですか、和泉さん。なかなか衝撃的な映像でしょう?」

「え――いや。あの、衝撃っていうか――ええぇぇぇぇぇ……」


 ため息というか、自分でもよくわからない声しか出てこない。


 驚愕と恐怖と嫌悪、そして老婆の丸裸を見てしまったという奇妙な罪悪感……それらすべてを俺の心が一度に受け止めきれなかったのである。モニターから目を離して頭を抱えた。


「和泉様大丈夫ですか? ボクが抱き締めた方がいいですか?」

「いや、大丈夫。大丈夫です。ていうか、さりげなく変なこと言っちゃ駄目です」

「…………あまり和泉様に変なものを見せないでください……」

「これは失礼しました。斎藤くん、映像消して」

「いや、本当に大丈夫なんで。ちょっとびっくりしただけです。もう慣れました」


 心臓を押さえながらおぞましい映像を再び目に入れる。


 俺は鶏ガラのような老婆を指差して問うた。

「なんなんですか、これ」


 即答してくれたのは斎藤弥恵子だ。

「バーバヤガーだと思われます」

「――バーバ……ロシアの魔女でしたっけ?」

「よくご存じで」


 その怪物の名には聞き覚えがあった。長年カードゲームやってきたせいか、世界中の神話・伝承について最低限の知識は有しているのである。


「スラヴ地方の民話では鶏足の小屋に住む魔女として伝わっていますが、その実、精霊の成れの果てのような存在です。公式記録に残る人類との接触は一七回。そのほとんどで何らかの犠牲者が発生しています。一二〇年前には村一つがなくなったことも」

「なるほど……しかし、どうして飛行機を?」

「不明です」


 突き放すような斎藤弥恵子の言葉。

 刀根勇雄が苦笑いつつフォローを入れてくれた。


「残念ながら、超常存在は我々人類の理解の外にいるのです。発生メカニズム、行動原理、ほとんど何もわかってはおりません。まあ……たちの悪い自然災害と割り切った方がよろしいでしょうな。起きてしまったことに対処するしかない」


 その時俺が考えていたのは、小生意気な美少年――恐るべき魔王のこと。

『新しいデッキ作ったんだよねぇ。ちょっと一戦付き合ってよ』

 そう言って俺の部屋に押しかけてくるあいつは……もしかしたら化け物の中じゃあ、相当な変わり者なのかもしれない。即物的で、何を考えているか少しは理解できるから。

 俺は、偵察機のカメラに気付いてニカッと笑う巨大老婆に眉をひそめた。


「それで、これからどうしようと?」


 冴月晶はこんな奴と戦うことになるのか……そう思って少し心配になる。ソロモン騎士だから大丈夫と信じたいが、相手は得体の知れない怪獣だ。


 モニターが航空写真に切り替わり、俺の質問には刀根勇雄が答えてくれた。

「横田基地で叩きます」

 航空写真に写されていたのは、人口密集地に忽然と現れた巨大な滑走路だ。東京都福生市――航空自衛隊とアメリカ空軍が設置される横田飛行場だった。


 とはいえ、俺は刀根勇雄の言葉に耳を疑うのだ。

「まさか! そばに住宅地があるんですよ? 大丈夫なんですか? その、周りの被害は当然として――人の目とか」

「目くらましはご心配なく。手前どもは、その道のプロですから」

「しかし……」

「おおまかなシナリオはこうです。晶様と和泉さんにバーバヤガーを倒していただき、ボーイング787は無事滑走路に着陸します。その後、世間には機体トラブルによるダイバートとして発表。完璧です」

「いや、完璧って……そんな馬鹿なこと――って、はあぁ?」


 俺は刀根勇雄の大言壮語を思い返し、彼のプランの中に俺の名前が出てきたことに声を上げた。


 刀根勇雄がニコニコしながらとんでもないことを告げてくる。

「今回は魔王召喚者――和泉さんにも作戦に参加していただきます」


 その直後、冴月晶が動こうとしたので――

「冴月さん待ってください。私が話します」

 俺は、白マントの下の十字剣に手を掛けた彼女の肩を握った。ここで血の海をつくっても何にもならない。


「……刀根さん。おっしゃる意味が理解できないのですが……?」


 声のトーンを落とした俺に対し、刀根勇雄は少しも悪びれることなく笑顔で返してくるのだった。


「言葉のとおりです。今回の事件、バーバヤガーを打倒するだけなら晶様のお力だけで十分。しかしながら、それでは乗客乗員二一八名は全滅だ。何の罪もない彼らを生還させるためには、和泉さんあなたの――いえ、あなたの召喚する悪魔の力が必要なのです」

「……私の力がどういうものかは、よくご存じですよね?」

「もちろん。もちろんです」

「馬鹿げてる。あれは『魔王にかけられた呪い』です。私の思い通りになるものじゃないんですよ。やたらめったらに使うべきじゃない」

「見解の相違ですなぁ。和泉さんは無暗に使うべきではないと言いますが――では、いつ使うというのです? 多くの人命を救える今こそが、使うべきその時なのでは? それとも和泉さんは、彼らが死ぬべきだと?」

「そうは言っていません。魔王の呪いに手を出して、余計酷いことになる可能性もある。責任を取れないと言っているんです」

「それはその時の話ですよ。和泉さんに心配していただく必要はございません」

「……くそ……話にならないな……」

「使えるものは神でも使え。それが社会維持局のモットーでございますから」

「いつか痛い目を見ますよ」

「ご忠告痛み入ります。それでも我々が方針を変えることはありません。それにこれは、ソロモン騎士団から指示でもあるのですから」

「はあ? ソロモン騎士団の?」

「魔王召喚者に力を使わせろ――騎士団は騎士団で、和泉さんに思うところがあるのでしょう。決して飼い殺しにするつもりはなさそうだ」


 ――このタイミングで電話が鳴った。

 慌ててスマートフォンを見てみれば、非通知設定で何者かからの着信だ。


 ……何かの冗談だろう……?

 俺は血の気が引いていくのを感じながら、「もしもし……」とスマートフォンを耳に押し当てる。


『刀根の言葉に嘘はない』


 何の前置きもなくそれだけ告げてきたのは、かつて妙高院静佳を倒した時に聞いた声だった。確か、シルバージャックスとかいうソロモン騎士団の使者……銀色の双子。

 ……まさか、電話口の声もハモって聞こえるとは……本当に奇妙な使者だ。


 俺は気を強く持って、ソロモン騎士団――俺の再就職先、アイドル事務所サウスクイーンの上部組織に具申する。

「また魔王の力を探るつもりですか……? もうやめるべきです。考え直してください。あいつに――魔王に手を出しちゃいけません」

『休日勤務手当は出る』

「……これは業務命令だと……?」

『そうだ』


 ――通話終了。

 承服できない旨を伝えることもできず、一方的に通話を切られてしまった。


「……くそ……」


 ……ここでも、パワハラか……。

 スマートフォンを握ったまま、俺は力なく顔を上げる。


 すると、有無を言わせてくれない笑顔が並んでいた。

 刀根勇雄と斎藤弥恵子だけではない。

 今まで俺に目を向けてくることがなかった二人の女性オペレーターまで、期待を込めたような視線で俺を見てくるのだった。


「さあ、魔王召喚者。人助けと参りましょう。計画の詳細をお話しします」

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