戦乙女の幸福
「うっそだろ!? この子、強すぎるって!」
大机が並ぶデュエルスペースに男の子の悲鳴が響いた。頭を抱えて勢いよく席を立つ。
どよめくギャラリー。
店内にいた客のほとんどが、広げたカードを涼しい顔で片付ける美少女に注目していた。
「おい。よっちゃんに三連勝かよ」
「しかも今のデッキ、こないだの全国大会で予選抜けた奴の改良版だろ?」
「うちのショップの優勝常連がフルボッコじゃねえか」
「こんな強ぇ女の子、どこに隠れてたんだ?」
「知らねえよ。こんな子がいたら、すぐ噂になんだろ」
人垣の中心にいるのは……。
「ありがとうございました。いいバトルでしたね」
派手にならない程度の茶髪ウィッグで銀髪を隠した冴月晶だ。
赤フレームの伊達メガネをかけ、オーバーサイズの白セーターにカーキ色のスカートを合わせている。なんだか凄く今時の女の子っぽい感じだ。少なくとも、オタク共の集うカードショップで無双する格好ではない。
今朝、冴月晶が俺の部屋に来た時、俺はまだベッドの上でまどろんでいた。
七時前のことだ。彼女はインターホンを一度鳴らすと合鍵を使って部屋に上がり、キッチンで朝食をつくり始めたのだった。
寝不足でボロボロの俺は、エプロン姿の一五歳に揺り起こされるまで冬の寒さに負け続けた。冴月晶の訪問に気付いてはいたが、布団から這い出ることができなかったのである。
温かいコーンスープ。炒り卵とレタスのサンドイッチ。
寝起きにはありがたい軽めの朝食を二人一緒に食べていると――俺は、ふと、シャワーも浴びずに眠ってしまったことを思い出した。
案の定背中を流したがる冴月晶を必死に押しとどめてバスルームに入ったのだが、頭を洗っている時に背中に感じた熱い視線……ゴミ出し用のビニールひもで冴月晶をふん縛ってからシャワーを浴びるべきだったと反省した。
それから髭を剃ったり、部屋干ししていたカッターシャツに冴月晶がアイロンをかけてくれるというのでお言葉に甘えていたりしたら、結局、部屋を出たのは九時四〇分過ぎになった。
マンションを出た瞬間から道行く人々が俺たちを見てくる。
サウスクイーンアイドル・冴月晶のことがバレたわけではない。
ソロモン騎士の用いる『認識阻害の魔法』が一般人に看破されるようなチャチな代物ではないことを俺は知っている。
俺の隣を歩く少女を見ても、その姿形が『サウスクイーンアイドル・冴月晶』と結び付くことは決してない。どうやっても――凄く綺麗な女の子――としか認識できないのである。
衆目を集めたのは、単純に俺と美少女の組み合わせが違和感の塊だったからだろう。
「次! 次はオレとやらないかっ!?」
「いいや。ボクのデッキの方が面白いぜ。この店じゃあ、ネタデッキの慶太って言われててさ」
「待て待て待て! 女の子を困らせんな! ここは平等にじゃんけんだろ――」
広く、明るく、掃除の行き届いたカードショップの店内。
謎の美少女カードゲーマーが色気づいたオタクたちに群がられている。
俺は少し離れた席に座り、その光景を苦笑まじりに眺めていた。
……まあ、悪くないカードショップデビューかな……。
カードゲーマー・冴月晶は、今までずっと――俺と魔王、そしてネット対戦でしかワイズマンズクラフトをやったことがなかった。
カードショップで色んなプレイヤーと戦ってみたいという思いはあったが、いまいち踏み切れなかったらしい。
だから俺がお供を買って出た。
俺のマンションから歩いて二〇分のカードショップを選んだのも俺だ。
近いからという単純な理由ではない。
雑居ビルの二階を間借りしたこのカードショップは、まず第一に店内が綺麗で、店主の愛想がよく、ライトユーザーにも友好的なプレイヤーが出入りしているみたいだったからだ。
事前リサーチ済みなのである。
さすがにカードショップ初心者を魔窟みたいな店に連れていくわけにはいかない。
明るい店内に足を踏み入れて、『な、なんだかボク、緊張しちゃいます』と、最初は居心地悪そうにしていた冴月晶だが……長机が並ぶ対戦スペースで俺とワイズマンズクラフトを遊んでいたら、その美貌に惹かれて人が集まってきた。
『この子、この店は初めてなんですけど、誰か対戦してやってくれませんか?』
そうやって呼び掛けてやると即座に申し出があった。それで俺はお役御免。
「よっしゃあ!! 伝家の宝刀チョキじゃオラぁ!!」
「次のお相手はあなたですか? それでは、お願いします」
「おっ、おおお、おなしゃす!!」
なんだかんだ上手くやっている冴月晶から視線を外して、高額なレアカードが並ぶ壁際のショーケースを見ていたら。
「すみませんね。うちの常連たちが、娘さんに迷惑かけてるみたいで」
不意に店主に話しかけられた。
「いえ、娘じゃなくてですね」
「失礼。もしかして年の離れた恋人でしたか?」
「知り合いです。前々からカードショップに行ってみたいと言ってたものですから」
小太りでひげ面。赤茶色の作業エプロンがいかにもカードショップの店長って感じだった。
「随分とお強いみたいだ」
「強いですよ。プレイも丁寧で、ミスも少ないですからね。ここぞというところで攻勢に出れる度胸もある」
「……先週のワイズマンズクラフトの店舗大会で優勝してましたよね?」
「え?」
「あなたです。確か、“いずみん”というプレイネームだったと記憶してますが」
「ああ――はい。その節はお世話に」
「さっき彼女に三連敗した高校生がいたでしょう? この店じゃあ、アレがずっと連続優勝していたんです。ところが、ふらっとやって来た凄腕に連勝記録を止められたと」
「なるほど。それは申し訳ないことをしてしまったな」
「あなたもお強いと見える」
「そんな。長くやってるだけですよ」
「もしよければ、また彼女と一緒に店に遊びに来ていただけるとありがたい。男性でも、女性でも、熱心なプレイヤーは店の宝ですからね」
「こちらこそお世話になります。多分あの子、今度は大会に出たいとか言い出すでしょうし」
「ワイズマンズクラフトの大会は、毎週日曜の午後一時からです。ご都合が合えば是非」
「ええ。必ず」
やっぱりこのカードショップにして正解だったな。
ニコニコしながらカウンターに戻っていく店主を見て、俺は心の底から安堵するのだった。
カードゲーム界隈も色々ある。マナーの悪いプレイヤーは一定数いるし、どうしようもないショップだって少なくない。そんな奴らと遭遇してカードゲームそのものを嫌いになるのは、とても不幸なことだろう。冴月晶にはそうなって欲しくない。
「――ふぁあ――」
あくび。
冴月晶がカードショップを楽しんでいるのを確認したら、急に眠くなってきた。
長机に頬杖を突いて目を閉じる。
――――――
――――――そして。
「聞いてください! 全部勝ちました!」
夢を見る間もなく、耳元で発された冴月晶の声で一気に目が覚めた。
冴月晶に背中から抱き付かれている。
少し首を回すと、とんでもない美貌が俺の肩ではしゃいでいた。
「七戦全勝です!」
寝ぼけ眼の俺は「それはよかった。普段のプレイの成果が出ましたね」とゆっくり立ち上がって、腰を伸ばした。
「それじゃあ、何かご褒美をあげないと」
「――え?」
「ここはカードショップですし、好きなカードを買ってあげます。何でもいいですよ。カードショップデビューが上手くいった記念です」
「ぇ、え……でも――」
きょとんとする冴月晶の背中を押した。
二人でレアカードが並ぶショーケースの前に立つ。
そして――
「誰、あのおっさん? あの子の父親か?」
「はあ? 顔が全然ちげぇじゃん」
「嫁がすげぇ美人なのかもよ」
「それはねえだろ」
対戦スペースの長机から俺に向けられる、女子と縁のないカードゲームオタクたちの視線。少しだけ気まずい。
「ほ、本当に、いいのですか……?」
「子供が遠慮するもんじゃないですよ。いつもお世話になってますし、こういう時ぐらいは甘えてください」
「は、はい………………それじゃあ……」
しがない勤め人の俺よりも遥かに高給取りの人気アイドルにカードをおごろうとは、実におこがましい。そう思って恥ずかしくなったが、俺にできるのはこういうことぐらいしかなかった。
男子小学生みたいな熱心さでレアカードのショーケースに張り付く冴月晶。
ワイズマンズクラフトのコーナーを端から端まで吟味して、やがて俺の服の袖を控えめに引っ張るのだった。
「……あれが、いいです……」
そう言って指差されたカードを見て、俺は少し困惑する。
彼女が望んだのは、“宮廷召喚術師ドローイ・ローガン”という最高レアリティの箔押しカード。
だが、イラストがコレクター受けしないくたびれたおじさんで、性能も玄人好みはするが強くないと――外れレアカードの代表と言ってもいいような一枚だった。値段も破格の三〇〇円だ。
俺は思わず聞き返してしまう。
「ローガンでいいんですか?」
冴月晶は、コクコクと首を縦に振った。
はて? 彼女が今使っているデッキに入るカードではないがなぁ……俺は首を傾げながらも、彼女の言うとおりにしてやった。
店主を呼んでショーケースを開けてもらう。さすがに三〇〇円のカード一枚だけ買って帰るというのは申し訳ないので、俺が今構想している新デッキ用のカードを何枚か買っておいた。
「大事にします……!」
駄目レア“宮廷召喚術師ドローイ・ローガン”を抱いて本当に嬉しそうな冴月晶。
……この子、駄目カードコレクターだっけ?
俺は腑に落ちなさを感じながらも、はしゃぐ冴月晶に手を引かれて店を出た。
真冬にしては珍しく抜けるような青空が見えた。眩しくて俺は目を細める。
スマートフォンで時刻を確認すると正午になろうとしていた。
「いい時間ですし、お昼にしましょうか? 何か食べたいものあります?」
「和泉様が食べたいものが食べたいです」
「そ、そうですか。じゃあイタリアンでも?」
「問題ありません。願ってもないことです」
女子=イタ飯好きとは俺の短絡的な思考の結果だが、なんにせよ了承してくれてホッとした。実はこの近くのイタリア料理店を予約済みなのだ。
雰囲気のいい店で、冴月晶が気に入るかはわからないが、先週下見した時に俺は美味しいと感じた。まあ、酷いことにはならないだろう。
俺は愛用しているボディバッグのストラップを片手で握りながら歩き出す。
ふわっとした感じでマフラーを巻いた冴月晶がトコトコと後ろを付いてきた。
「さっきはどんなデッキと戦いました?」
「流行りの“天竜”が二人。それに、青ウィニー、白タッチのネクローザ。静佳様メインのヴァルキリーはやっぱり強いですね。アンリエッタ様とクリス様が三積みされたデッキは、手札が回らなかったのか、楽に勝てましたが。オリオン型のデッキ破壊もいました」
「アンリエッタとクリス・キネマトノーマのガン積みは欲張りすぎだなぁ」
歩いている最中の話題はやはりカードゲームのこと。
地方都市出身の俺には、東京の街は人が多すぎるように思えた。気を抜いていると誰かにぶつかってしまいそうになる。
冴月晶のデッキのキーカード“灰翼の熾天使アシュエル”、強力ながらもクセの強いそのユニットの運用方法について二人で検討していると。
「そこのお二人さん、ちょっといいかな?」
何の前触れもなく呼び止められた。
「ごめんなさいねー。お兄さん、お嬢ちゃん。今何してるか教えてもらえる?」
俺たちを呼び止めたのは、たった今すれ違ったばかりの紺色帽子の男二人組だった。
恰幅のいい初老の警察官。
そして、彼の部下と思われる若い男。
見てのとおり職務質問だ。
冴えない中年男にうら若い美少女、そんな奇妙な組み合わせを彼らは見過ごせなかったのだろう。多分、援助交際を疑われてしまった。
「はあ。お昼に行くところですが」
面倒なことになったな。店の予約時間に間に合えばいいが……そんなことを考えながら俺は気のない返事だ。
初老の警察官が大きな身体を揺らしながら聞いてきた。
「隣のお嬢ちゃんは娘さんかな?」
「知り合いです」
「お兄さんは今日お休み? この辺りに住んでるの? もしよかったら身分証見せてもらえる?」
矢継ぎ早に繰り出されたぶしつけな質問。俺は反抗することもなく、素直に財布から免許証を取り出すのだった。
冴月晶が俺にそっと身を寄せてきた。
「……和泉、慎平さんね」
初老警察官が俺の免許証番号を手帳に控えている間、若い方の警察官が冴月晶の顔をのぞき込むようにして言う。
「ねえ、お嬢ちゃん。君とこの人はどんな関係なの?」
「…………」
冴月晶がすぐに答えなかったから、「ですから知り合い、と」俺が代わりに答えた。
「お兄さんは黙ってて。僕はこの子に聞いてるんだから」
若いわりに随分と偉そうな物言い。
すぐさま初老警察官がフォローに入ってきた。
「ごめんなさいねー。この頃、お金で女の子といけないことをする悪い男が多いから。あ、和泉さんがそうだって言ってるわけじゃないよ。そういうことが多いってだけだから」
その言葉が終わるか終わらないかといった瞬間、冴月晶がたった一言だけ口を開く。
「――師匠……」
「師匠? お稽古事か何かの?」
「………………」
それで俺は、俺と冴月晶がワイズマンズクラフトのプレイヤーであることを明かした。ついさっきまで近くのカードショップで遊んでいて、今から昼食に行くところだということも包み隠さず伝えた。
「荷物見せてもらえる?」
若い警察官が馴れ馴れしげにそう言った瞬間――
「いいですよ、別に」
沼の底のような目をした冴月晶が魔法を使いそうな気がしたから、片手でそれを制しつつボディバッグを渡した。
なんとなく……何でもかんでも魔法で解決すべきじゃないと思ったのだ。日常の些末な出来事にまでソロモン騎士の力を使うのはもったいない気がした。
カードケースに入ったワイズマンズクラフトのカードを広げて、若い警察官は笑いをこぼす。
「お兄さん、いい年してこんなことやってんの?」
「私の勝手でしょう。今の警察は、人の趣味にも文句言うんですか?」
さすがにイラっとした。
職務質問中の信用失墜行為として警察の監察官室に苦情入れてやろうかと思った。
「まあ、いいですよ。わかりました。それじゃあ今度はそっちのお嬢さんの身体検査を――」
下卑た笑みを浮かべながら冴月晶に腕を伸ばした若い警察官。
俺は思わず、二人の間に身体を入れた。
「それやるなら女性の警官を連れてきてください」
意識せずとも自然と声色が低くなっている。
「それとお二人の警察手帳見せてもらえます? 今回のことは、そちらの監察官室に報告しておきたいので」
監察官室という言葉にハッとしたような若い警察官。
面倒事になりそうな気配を感じ取ったのだろう。初老の警察官が愛想笑いを浮かべつつ頭を下げてきた。
「ごめんなさいね、お時間取らせちゃって。ご協力感謝します。それじゃあ、よい休日を」
警察手帳を俺に提示することもなく、そのままそそくさと歩き去ってしまった。
ボディバッグを肩にかけ直しながら俺は深いため息を一つ。
せっかくの土曜日なのに、なんとも残念な気分だ。
冴月晶も礼儀知らずな大人に絡まれて怖かっただろうな。ソロモン騎士と言えども、まだ中学生だぞ。幼いといってもいい年頃のはずだ。
心配になって冴月晶に視線を移したら。
「大丈夫でしたか、冴月さん。とんだ災難――」
伊達メガネの向こう側で見開かれたまん丸の瞳と目が合った。
唖然としたような表情で俺を見上げていた彼女。やがて、喉の奥からかすれた声を絞り出す。
「…………まさか……ボクを、守って……くれたのですか……?」
俺はそんな彼女の態度が何を意味しているのかわからず、きょとんとするのだった。
「え?」
守ったといえば守ったのかもしれないが、そんな大いに驚かれても困る。
――ただの一般人が人類の守護者たるソロモン騎士を守ろうとした――
結果的にそうなっただけで、俺は子供に嫌な思いをさせたくなくて反射的に動いただけだ。冴月晶には楽しい休日を過ごしてもらいたかったのだ。
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