終章

 目一杯に段ボールを載せた台車が、カラカラと音を上げながら廊下を行く。


 一二月を迎え、世間はクリスマスシーズンに突入したらしい。都会のあちこちでは色とりどりの電飾が光り、サンタクロースの衣装を着た店員もだいぶ増えてきた。


 俺はと言うと、そんな世間の空気に混じることもできず、今日も残業に勤しんでいる。

 時刻は夜八時前。

 疲れにうつむきながら台車を押し続ける俺。

 綺麗に清掃された大理石の廊下を一人進んでいると、不意に、女の子たちの談笑が聞こえてきた。若く張りのある綺麗な声だ。何のグループかはすぐにわかった。


 矢神カナタ。

 レオノール・ミリエマ。

 アレクサンドラ・ロフスカヤ。


 サウスクイーンアイドルの仲良し三人組が、エレベーターホールで年相応に騒いでいるのである。厚手のコートにお揃いのマフラーを巻いて、今しがた帰ってきたところだろう。

 さすが若者というべきか……矢神カナタなんて生足ミニスカートだ。寒くないのだろうか。……若いっていいなぁ。


 彼女ら三人は俺の姿に気付くと。

「お疲れ様でーす」

 そう会釈してくれた。俺も「今、収録帰りですか? 遅くまで大変ですね」と返す。


 アレクサンドラ・ロフスカヤがエレベーターの下ボタンを押して、ボソリと言った。

「どうせ書庫棟でしょ……」

「あっ、すみません」

「……和泉さんこそ、遅くまで大変だね……」

 それで俺はペコペコと頭を下げながら台車ごとエレベーターに乗り込んだ。


「…………ふぅー」


 一人っきりの密室で大きく一息つく。駄目だなと思った。やっぱりまだ彼女たちには慣れることができない。どうしても緊張して舞い上がってしまう。


 ――同じ会社で働く人間になったというのに――

 ――俺もサウスクイーンアイドル側の人間になったのに―― 


 そうだ。あの『一件』の後、俺の身柄は、ソロモン騎士団に引き取られることになった。

 というよりは、ソロモン騎士団が運営するアイドル事務所サウスクイーンになかば強制的に転職することになった。そうしなければどちらかが滅びるまで戦うことになる――そう『あの銀色の双子』に脅されたのだ。

 俺は首を縦に振るしかなかった。


 どんな力が働いたのか、退職願を書いてすらいない月曜日、いつも通りに出勤したら当日付けで退職することになっていた。

 支店長からは最低限の引き継ぎだけを指示され、同僚からは何があったのかを根掘り葉掘り聞かれたりもした。『ま、まあ、色々あったんです。すみません。私もよくわかってなくて……』と、それ以外は何も言えなかったけれど。

 窓口係の女性たちの間では――俺がとある有力国会議員の隠し子で、渉外課長のパワハラに激怒した実父が圧力をかけた。俺は大企業に役職待遇で転職――という結論に至ったらしい。

 それで若い女性職員が『さびしいです。メールしてもいいですか? あと和泉さんのお父さんって偉い人なんですかぁ?』としなだれてきたりもしたが、愛想笑いで逃げ切った。

 結局、最後の最後まで課長の顔を見ることはなかった。脳卒中の手術は成功したらしいが、当分は入院生活らしい。天敵の顔を見ずに済んでホッとした反面、罪悪感は残った。


「一階です」

 エレベーターがそう告げてきて、扉が開く。

 すると一気に視界が開けた。何もない大空間が目の前に広がった。


 俺の前にあったのは単なる一階ホール。

 とんでもなく天井が高く、広い壁にサウスクイーンアイドルの超特大ポスターが掲げられているだけのエントランスホールだ。


 書庫棟に行くためには、裏口から一度外に出なければならない。どうして同じビルの中に書庫がないのかという不満はあるが……まあ、小さな問題だろう。


 前方から――ダッフルコートに黒タイツを合わせた人物が歩いてくるのが見えた。

 赤縁メガネをかけた高杉・マリア=マルギッドだ。


 すれ違う瞬間、俺は「お疲れ様です」と声をかける。

 高杉・マリア=マルギッドは小さく首を動かしただけだった。

 一つの言葉もなくさっさと行ってしまった。


 ……嫌われてるなぁ……そう思ってちょっと凹む。いや、警戒を解かれていないだけか。


 東京に暮らして一ヶ月余り。さっきの三人娘みたいに愛想良くしてくれるアイドルもいれば、高杉・マリア=マルギッドみたく未だに敵認定を解いてくれない人もいる。

 仕方がない。俺は魔王と関わってしまったんだから。その事実だけはどうしようもなかった。


 俺はため息混じりに台車を押し続ける。

「よっす! おつかれちゃん!」

 そう背中を叩かれるまでは。


 意外と強い衝撃に俺は驚き、ハッと視線を回した。

 ダウンジャケットの悠木悠里が仁王立ちしていた。


「あ。悠木さん。今お帰りですか?」

「寒いぞ、外。めちゃくちゃ冷えてる。雪降るかも」

「ええと、今日は少年誌のグラビア撮影でしたっけ?」

「おう。クソダセェお子様水着だったけどな、めっちゃエロい顔してやった。だからお前、絶対買えよな。ナニしてもいいぞ」


 いきなり何を言い出すんだろうこの人……と思った。


「缶コーヒーいる? 撮影所で配られたから、オッサンの分ももらってきたんだ。どうせ今日も残業だろうと思ってさ」

 そう言ってバッグから微糖の缶コーヒーを取り出した悠木悠里。


 俺は、冷たいそれを「すみません」と低頭しながら受け取った。

 俺の方がずっと年上なのだが、悠木悠里は遠慮なくタメ口で接してくる。しかし、それを嫌だと思ったことはない。


「もう慣れた? 仕事」

「それ昨日も聞かれましたけど……今日もしっかり水無瀬さんに迷惑かけてます」

「経理だろ? 元金融マンのくせに数字に弱いわけ?」

「いや、決算書類は読めるんですけどね。決算書を作ったり、支出伝票切ったりは素人なんです。簿記の資格持ってても、実践はなんともね……」

「ふぅーん。大人も大変だな」

「水無瀬さんが優しくフォローしてくれるので、逆に胃が痛いです」

「そういや、水無瀬さん、あれでも元ソロモン騎士だからな」

「え?」

「大怪我して引退したんだけど、昔は静佳さんレベルの騎士だったんだぞ。あんまり怒らせて殺されないようにしろよ。もしかしたらオッサンのこと、危険視してるかもしれないし」

「ま、またまたぁ。冗談きついんだから。あの人が、そんな――」

「実はあたしだってまだ諦めてないしな。オッサンをぶち殺すこと」


「…………え……?」


「ばーか。嘘だよ、冗談。なんて顔してやがる。騎士団がオッサンの危険度認定を取り消したんだ。上が魔王召喚者を保護するって言うんなら、あたしたちはそれに従うだけだ。抹殺命令が下らない限り、味方でいてやる」

「あ、あー。びっくりしました。もうこりごりですよ、あんな命懸け」

「まあ、ちゃんと仕事して、大人しくしてろってこと」

「がんばります。それと、水無瀬さんは怒らせないように」

「ん。それじゃあ、あたし、もう一回出ないといけないから」

「え? これから仕事です? もう八時ですよ?」

「アイドル稼業じゃねえ。労働基準法無視の本業の方だっての。なんか――どっかの集落が消えたらしくてな。多分、めんどくせぇ神が出た」

「大丈夫なんです?」

「魔王ほどじゃねえよ」

「気を付けてくださいね。怪我だけはしないように」

「あー、はいはい。明日も撮影入ってるし、ちゃんと帰ってくるって」


 そして、悠木悠里は軽く手を挙げて行ってしまった。俺は不安げに彼女の背中を見送った。

 悠木悠里にはかつてひどい目に遭わされた。大剣は何度も打ち込まれたし、腹を思い切り蹴り抜かれたりもした。暴言も吐かれたはずだ。

 それでも、ここで働き始めた俺を、彼女はいつも気にかけてくれた。口は悪いが、優しい少女なのだ。だから今の俺は彼女の無事を本気で祈っている。


「………………ふぅ」


 悠木悠里がエレベーターに乗るのを見届けてから、俺は前を向いた。

 すると視界の隅で誰かが片膝を付いていて。

「――へ?」

 思わず声が出てしまった。何事かとまじまじと見つめる。


 照明を反射して艶やかに輝いた長い黒髪。うなだれつつも俺を睨み付けてくる絶世の美貌。大きなリボンベルトが特徴的な、ベージュ色のスタンドカラーコート。


「はぁ……はぁ……」


 言わずと知れたトップアイドル、ソロモン騎士最強の一角――妙高院静佳。

 俺は彼女の手に握られた赤銅色の杖を見て……あぁぁぁ……と頭を抱えたかった。


「はぁ、はぁ……クソ和泉ぃ……」

 魅力的な唇から、熱い吐息とひどい言葉が漏れる。


 それで、嫌な予感がした俺は、台車ごと妙高院静佳と距離を取ろうとするのだが――しかし次の瞬間、俺の予想を超える速度で『獣』が襲いかかってきた。


「ひ――」

 情けなく喉を鳴らす。鎖の音を聞いた。


「ぁがっ!?」


 杖を振り上げた妙高院静佳を空中で拘束した大量の鎖。

 黒い鎖は、何もない空間から突如として現れ、妙高院静佳の全身を絞め上げた。


「くそぁ……この程度ぉ……っ」

 首、胸、腹、腕、脚――柔らかそうな部分すべてに、深く鎖が食い込んでいる。ミシミシと音が聞こえそうなぐらいだ。

 彼女の手からこぼれ落ちた杖が、ガシャンと大きな音を立てた。


 鎖の端には何もない。やる気のないコラージュ写真みたいに『ただの空間』でブツッと途切れていた。だからこそ、これが、魔法さえも凌駕した『懲罰現象』だとわかる。


 無様な格好で空中に固定された妙高院静佳。俺はそれを、壁掛けの昆虫標本のようだと思った。最強のソロモン騎士といえども、こうなってしまえば俺なんかに手も足も出ない。


「なかなかそそる姿ですね、静佳様」

 静かなエントランスホールに冷静な声が響く。


「……冴月さん」

 俺は平然と歩いてくる少女の名前を呟いた。


 美少女だ。

 セーラー服の上に学校指定のコートを羽織り、黒いストッキングを履いた銀髪美少女。どこにも悪魔っぽさなどない。どこからどう見ても美しい人間の姿をしている。


 俺の隣まで来た冴月晶が、妙高院静佳を見上げながら言った。

「また和泉様を襲ったのですか? 静佳様は緊縛趣味だったのですね」


「う、うるさ……っ」

「もう諦めては? 人の身で偉大なる王に逆らおうなどとは、実におこがましいことです」

「――死、ね――」


 妙高院静佳の声は、今にも消えてしまいそうなぐらいに微かなものだった。多分、首を絞めている鎖のせいだ。

 四肢と胴体も他の鎖に引き絞られて、わけがわからない姿勢になっている。あんなに海老反りにされて、よくバラバラにならないものだ。


 俺は冴月晶にすがりつくように言った。

「あの……これって、やっぱりどうにも……」

「なりません。偉大なる王から静佳様に与えられた罰です。例えソロモン騎士団の総力を尽くそうとも、どうにかなるものではありません。静佳様に攻撃の意思がある限りは」


 不安げに妙高院静佳を見つめる俺に、冴月晶が優しい微笑みを向けてくる。

「ご安心ください。騎士はとても頑丈ですから――――ほら、落ちました」


 妙高院静佳の身体から力が消えた瞬間、彼女を空中に固定していた鎖も消えた。糸の切れた人形が、大理石の床に崩れ落ちる。


「身体が壊れずとも、意識を失えば責め苦は終わるのです。和泉様の命を狙う不届き者に与えられる罰としては余りにも軽い――天国のようなものでしょう」


 仰向けに倒れた妙高院静佳。近づいた冴月晶が、「減刑を懇願してくださった和泉様への感謝が足りません――ねっ」彼女の心臓にローファーのかかとをぶち込んだ。

 ギョッとした。かなり本気で蹴り込んだのだ。


 しかしそれで最強の少女騎士は息を吹き返す。ブレイクダンスみたいに冴月晶への蹴りを繰り出しながら起き上がった。


 バク転で俺と冴月晶から距離を取ると、鎖の跡が残る首筋をさすりながら吐き捨てる。

「……今日は二回も失敗した」


 冴月晶が俺の隣に立って、俺を守るみたいに腕を横に伸ばす。

「もう諦めては? 和泉様の命を狙うたび、静佳様が惨めになるだけです」


「うるさいわね。負けっぱなしが性に合わないだけよ。晶こそどういうことなの? 騎士団に復帰したくせに、いつまでもその男にかしずいて」

「ボクがソロモン騎士に戻ったのは和泉様の立場のためです。教義を取り戻したわけではありません」

「わけわかんないわ。全部なかったことにできるチャンスがあったのに、身体以外は直さなくてもいいって、馬鹿なの?」

「そうですか? あの責め苦は、実に得難い経験でした。静佳様も偉大なる王の手にかかってみればわかります」


「そう。あなた……もう壊れてるのね」

「色気が出てきたと、アイドル業の方ではおおむね好評ですが」


 しばらくジッと睨み合う二人。


 やがて、「……もういい……」妙高院静佳の方が俺たちから視線を外した。

「疲れたんで今日は帰ります」

 そうため息を吐きながら、床に転がる赤銅色の杖を拾い上げる。


 俺が「……あの……」とおそるおそる声をかけると。 

「なんです?」

 憮然としたような横顔を見せた。


「いや……なんていうか……そろそろ仲良くしてくれませんか? 毎度毎度、静佳さんに飛びかかられるの、心臓に悪いんですよ……」

 いい大人のくせに消え入りそうな声を絞り出す俺。


 妙高院静佳は一瞬きょとんとした顔を見せ、「それはよかった」何ともいえない笑みをつくるのだった。


「勝ち誇ったらいいじゃないですか。どうせあたしは、和泉さんになにもできないんだから。鎖に繋がれた妙高院静佳を見て、優越感に浸ったら。ねえ――カードゲーマー?」


 そして俺と冴月晶は妙高院静佳の後ろ姿を見送る。

 背筋を伸ばしてすらりと歩く彼女を美しいと思った。


「今日も残業なんですか?」

「ええ。ちょっと遅れ気味で」

 トボトボと台車を押し始めた俺にくっついてきた冴月晶。まるで恋人みたいに俺の腕に抱きつくと、小さな声で『友人の訪問』をささめいた。

「偉大なる王が遊びに来られています」


「えぇ~。マジですかぁ」

「何でも新しいデッキをつくったとかで。上手く回るか試してみたいと」

「それってどっちですかね……ワイズマンの方か、デモンズの方か……」


 果たしてソロモン騎士団は知っているのだろうか。あの戦いが終わった後も、俺のところに魔王がちょくちょく遊びに来ていることを。

 一度だって歓迎したことはないが、なぜか勝手に上がり込んでくるのだ。一般人の俺が魔王相手に何ができる? せいぜい不平不満をぼやくぐらいだ。


「あの――」

 不意に、スーツの肘を引っ張られたので、「はい?」俺はまた冴月晶を見た。


 彼女は少し照れくさそうに、俺に頼み事を一つ。

「ボクも新しいデッキをつくったので、お相手してもらいたいのですが……」

「え? ――あっ、もしかしてこの前言ってた王剣デッキです?」


 今回の一件を経て、冴月晶はずいぶんと様変わりしてしまった。仲間のソロモン騎士や騎士団の関係者に対して、妖婦みたいな仕草を見せるようになった。〝光亡の剣 冴月晶〟のままに、だ。


「なんだか決め手に欠ける気がして。アドバイスもらえたら……嬉しいなぁって」


 しかし、時折、俺にだけは以前の表情を見せてくれることがある。心優しく、生真面目で、少し遠慮しがちな……抱きしめたくなるような顔を。


「わかりました。もう少し仕事片付けて帰りますんで、先に部屋で待っててもらえます?」


 すると、冴月晶の顔がパッと華やぎ。

「早く帰ってきてくださいねっ」

 俺の部屋の合い鍵をチャラと持ち上げるのだった。


 嬉しそうに走り去っていく冴月晶を見送りながら……いくら事務所の許可があるからって、中学生アイドルが男の部屋に入り浸るのは問題あるよなぁ……そう考えて胃が痛くなる。


 深いため息を吐いた。


 生きるって大変だと思った。


 結局何一つ解決していなくて、魔王とかいう訳わからない奴に絡まれ続けてるのに、働いて食べていかなくちゃいけない。

 カードゲームばかりやっているわけにはいかない。

 あれだけ憧れたサウスクイーンアイドルも、今となっては、純真無垢に好きでいるわけにはいかなくなった。


 失ったものは人並みの日常。手にしたものはよくわからない。


 それでも――


 それでも俺は生き続けるのだろう。

 幾つもの不安に苛まれ、猛然と続いていく毎日に疲弊しながらも、ぼんやり生き続けるのだ。


 そしていつか息絶える時に――色々がんばってみたけれど、はかない人生だったなぁ――なんて思ったりするのだろう。


「……生きるって、大変だ……」


 書類を満載した重たい台車を押し続ける。


 静けさに満ちた夜のエントランスホール、街を走る車の音がかすかに聞こえた。


                      【ザ・カードゲーマー 了】

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