聖痕の獣
巨大悪魔“冥府喰らいのネビュロス”の全力攻撃が大地を粉砕する。
口腔から放たれた細い光線が明後日の方向に飛んでいき、その直後、遠くに炎と石礫の壁が立ち上がったのだ。地形を変えるほどの圧倒的熱量だった。
俺はその破壊力に顔を引きつらせながらも、視線を回して敵の姿を追いかける。
「ちくしょう、どうして――」
そして見つけた、空に立つ少女騎士の姿。ネビュロスがもたらした大破壊にキャッキャッと手を叩いていた。
「凄い凄い! 聖域で力落ちてるはずなのに!」
彼女の足下には淡い緑光を放つ魔法陣が広がっている。それを足場にしてクルクル踊った。
俺はネビュロスの掌の上。不安定な足場にドキドキしながらも彼女を睨んだ。
妙高院静佳の足下の魔法陣から大量の光線が放たれる。
ネビュロスのバリアがそのすべてを阻んだ。
「立派な悪魔ですねぇ。今日の和泉さんは、きっと現代最強の悪魔使いですよ。このあたしが打ち倒すにふさわしい魔人です」
俺はカードを一枚ドローし、手札に加えた。
ネビュロスに再攻撃を命じたかったが、さっきのビーム攻撃からまだ一分経っていない。
「ソロモン騎士が存在していなければ、世界征服ぐらいはできたんじゃないですか?」
俺は――妙高院静佳には、どれぐらいデモンズクラフトのことを話しただろうか――そんなことを思い返す。こんなことになるなら何一つ情報を与えなければよかった。
ライフのことは話したはずだ。彼女は、俺が五つの命を持っていることを知っているはず。
それ以外のルールはどうだろう。俺が詳しいルールを説明し始めたら、心底つまらなそうな顔をしていたような気はするが……。
カードのドローは一分ごとに一枚。
モンスターの召喚は一体だけ。別モンスターを召喚したら、今いるモンスターは消滅する。
マジックカードが発動するかどうかは俺のダイス運次第。
さすがにこれぐらいは覚えているだろう。完全な秘匿情報と断言できるのは、手札の中身とデッキの構成カードぐらい。“光亡の剣 冴月晶”が守ってくれたおかげだ。
「もうやめましょう! 私は、あなたを攻撃したくない!」
時間を稼ぎたくて適当に言葉をつくった。
「はあ? 無理。あたしは、和泉さんをいたぶってから殺したい」
「詐欺ですよ! 日本一のアイドルがこんな危険人物だったなんて! 帰ったら暴露しますからね! ネットに書き込んでやる!」
大丈夫だ。俺はすでに覚悟を決めている。生存のために戦う覚悟を、だ。
戦いが始まってすぐさま告げられた事実。
『聖域から出たければあたしを倒すことです。なにせ、聖域の基点はあたしの心臓ですから』
だが――そんなことを言われずとも、妙高院静佳が敵意をあらわにした瞬間に、俺の心は固まっていた。死んでたまるか、と。
「ネビュロス!!」
力一杯叫ぶ。俺が妙高院静佳を指差したら、ネビュロスがその巨体をズズズッと動かした。
大きく開いた口に紫色の光が集まっていく。
さっきは見事なまでに避けられたネビュロスの一撃。しかし当たりさえすれば、妙高院静佳とて無事ではいないだろう。そうだ、当たりさえすれば――
カードを切る。
マジックカード“雷雲の落とし子”を使用した。発動は成功。
妙高院静佳の周囲に雷球が発生し、すぐさま強烈な電撃を浴びせ掛けた。
「こざかしい真似を」
当然、光り輝く障壁魔法が展開されたが――構わず俺はもう一枚マジックカードを切った。
目くらまし代わりの火炎魔法だ。
炎の柱が立ち上がり、妙高院静佳を足場の魔法陣ごと呑み込んだ。
そしてネビュロスの攻撃。大熱量を収束させた極細の光線が瞬時に炎柱に到達し、妙高院静佳がいると思われる場所に直撃する。
やったと思った。
しかし――次の瞬間、目を疑った。
ネビュロスの熱光線がなにかとてつもなく強固なものに止められ、どうしても打ち抜くことができずに四方八方に散らばったのだ。
「ひっ――!?」
散らばった熱光線は、俺たちの足下の地面を融解、爆発させ。
上空の浮遊大地を幾つか撃ち落とし。
空中に静止した『赤銅色の正八面体』を二、三基消滅させる。
「……ぅ……嘘、だろう……?」
ネビュロスの攻撃が通らなかったという事実に絶句した俺。たなびく煙の向こうに、弓を構える妙高院静佳を見た。
真白き少女騎士が、背丈ほどもある自身の杖を長大な鉄弓につがえる。
一瞬、何をしているんだろうと首を傾げた。それで防御・回避の判断が遅れた。まさか魔法使いの杖を矢の代わりにするとは思いもしなかったのだ。
発射――直撃。
ネビュロスのバリアは何の役にも立たず、俺と巨大悪魔は一緒に塵芥へと返された。
今の弓矢がどんな攻撃だったのかはよくわからない。
尋常ならざる衝撃力に身体が分解されるのが見えて……気付いたら荒野に立ち尽くしていたからだ。
死という結果が無効化された。その代わりにライフポイントが一つ減った。
左手には手札が五枚。キョロキョロと辺りを見回すが、“冥府喰らいのネビュロス”の巨体はどこにも見当たらなかった。
「これでライフポイントはあと三つ? 数え間違えてないですよね、あたし」
目の前に着地した妙高院静佳に俺は身構える。
なんだ、やっぱりライフポイントのことは知っていたか。ていうか、さっき矢として飛ばした赤銅色の杖を持ってるぞ。もう回収したのかよ。
俺は生唾を呑み込んでから、絞り出すように言った。
「……ええ。ネビュロスを出す前に一回殺されてますから……」
「あははっ。ごめんなさいね、ただの人を相手にしたのは久しぶりだったので。そうですね、たかが石つぶて一つで死んじゃうくらいもろかったんですよね」
カツンカツンとブーツのかかとを鳴らしながら近寄ってくる。
少女騎士が赤銅色の杖を高く掲げたので、何を企んでいるのかと思ったら……。
「でもさっきの攻撃にはヒヤリとさせられたので、憂さ晴らしにもう一回殺させてください」
そのまま思いっきり脳天をぶん殴られた。
運がいいのか悪いのか――俺はその打撲では死ななかった。二撃目のフルスイングでことごとく顔面を潰された。
ライフポイント減少。残数は二つ。
きりもみしながら派手に吹っ飛び、しかしその時俺はすでに生き返っている。
モンスターカードを使った。
それで地面に激突するはずだった俺の身体が、一気に空中に引き上げられる。
見れば、俺の腰に巻き付いた長い黒布。布の先には小さなお尻があって、そこから真っ白な太ももが伸びている。骨の翼も見えた。
“光亡の剣 冴月晶”だ。
赤銅色が閃き、漆黒がそれを受けた。
甲高い激突音が響き渡った。
「やぁっと出てきたわね、晶ぁ」
「まだ終わってませんよ。なに勝ち誇った顔をしてるんです?」
飛びかかってきた妙高院静佳の赤銅杖を、冴月晶の黒脚甲が受け止めている。
まるで鍔迫り合いするみたく、お互いの金属がキリキリと音を上げた。妙高院静佳と冴月晶の筋肉がギリギリと震えていた。
俺はカードをドロー。ドローできずに溜まっていた三枚のカードを一気に引き抜いた。
「冴月さん!! お願いしますっ!!」
「はい!」
俺の攻撃命令を聞いて本領を発揮する冴月晶。
黒脚甲の両脚がトリッキーに動き、妙高院静佳の腹を思いきり蹴り込んだ。
「あがっ――!?」
鋼鉄さえもぶち抜く破壊力に細い身体がくの字に曲がる。空気と胃液を吐き出し、一気に後方へ吹き飛んだ。
それでも冴月晶は止まらない。彼女の攻撃は、おそるべき連撃だ。
「このまま蹴り殺します!!」
乱舞する漆黒の足で追撃をかけ。
彼女と腰布で繋がった俺も、空中でマジックカード“雷雲の落とし子”を切った。
「あッああああああああああああああああああああああああああああああああ――!!」
冴月晶の咆吼。
俺が呼び出した雷球の光。
幾多の蹴りと雷撃になぶられる少女騎士。
圧倒的すぎる連撃に、「トッドメぇええええ!!」早々に勝負は決したかと思われた。
「――!?」
しかし、トドメと思って撃ち込んだ冴月晶の蹴りは、なにか柔らかい感触によって受け流されてしまう。
美少女悪魔の顔が歪み。
俺が見たのは、蹴りの衝撃力と雷撃魔法を完全に殺す『巨翼の鎧』であった。
「……ひよっこが……妙高院静佳をなめるなよ……」
突如として現れた六枚の光翼が妙高院静佳を包み込み、冴月晶と俺が追い込んだ白レオタードを覆い隠している。
一分経った。「冴月さん! まだです!」俺は冴月晶に再攻撃を命じた。
「こっのぉおおおおおおおおおおおおお!!」
鋭くも重たい蹴りを一〇発。
だが、単なる力任せでは、しなやかさで勝る光翼の鎧を蹴り抜けなかった。
その時――まったく予期していなかった反撃。
重なり合った翼の間から赤銅色の杖が飛び出してきたのだ。
「ちぃっ!」
寸でで首を振った冴月晶の頬を、炎のごとく叩き延ばされた杖が薄く切り裂いていく。
止まらない杖先はそのまま銀髪に突っ込み――絹糸のような銀色をハラハラと地面に落とした。
俺は咄嗟に火炎柱の魔法を使う。
真っ赤な柱が現れて、轟々と唸りを上げた。
駄目押しにと思ったマジックカード“南風の激怒”は発動に失敗した。
驚いたのは、冴月晶が燃え盛る火炎柱にさえ蹴りを叩き込んだこと。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ――!!」
彼女は火炎柱程度では妙高院静佳を倒せないことを知っているのだ。
格闘技のセオリーなぞまるで無視した三次元的な連撃。
重心は無茶苦茶で。
身体と地面を繋ぐ支えである軸足すら必要としない。
両脚を駆使して、たった三〇秒足らずで一〇〇発近く蹴り込んでいる。
「ああああッ!!」
最後に繰り出すのは“光亡の剣 冴月晶”の全力を注ぎ込んだ一撃だろう。
しかし冴月晶が前蹴りを放とうとしたその時。
「――っ!?」
彼女の足が動きを止めた。
何事かと見れば――岩の地面が、冴月晶の右足を包み込むような形で不自然に隆起していた。
妙高院静佳の拘束魔法だと思った。
「ちぃっ」
うざったい拘束魔法に舌打ちしながら、悪魔の脚力で一気に足を引き抜いた冴月晶。
俺からしてみれば、なんでもないような小さな隙。
しかし妙高院静佳を相手にしている今、それは決定的な死相の現れであった。
「――――ッッ!?」
冴月晶の胸に沈み込んだ赤銅色の杖。
心臓のすぐ隣を通り抜け、背中へと突き抜ける。
――串刺し――
それは……誰が見ても、致命的すぎる致命傷であった。
冴月晶と妙高院静佳の戦いを終わらせてしかるべき、決着の一撃であった。
「…………え……?」
到底信じられない結末だったのだろう。ゆっくりと顔をあげた冴月晶は、火炎柱からぬぅっと出てきた手甲に首を鷲掴まれても無反応だった。
「冴月さん!!」
思わず叫んだ俺を、美少女悪魔の腰布が優しく放り投げる。最後の力を振りしぼって少しでも俺を妙高院静佳から遠ざけようとしたのだろう。冴月晶の献身に涙が出そうだった。
いまだ燃え盛る火炎柱。
だというのに、妙高院静佳は、何でもなかったかのように炎を割って歩き出てくる。
魔法で創り出した光翼の鎧はすでに消えていた。
冴月晶を片手で軽々掲げながら、妙高院静佳は笑う。
「お疲れ様、晶。こんな形でお別れなんて思いもしなかったわ」
「……ぁ……ぐ……」
「でもしょうがないわよねぇ。あなたは和泉慎平なんかに味方したんだもの」
「……ぃ、ずみ……さ、ま……逃げ……」
冴月晶のうめき声がかすかに聞こえ、しかし俺は震える手で『箱』に手を伸ばした。カードをドローするためだ。
手札を見て、次の一手を考える。
俺は一体何をやっているのだ。なんて薄情者なのだ――そんな思いしかなかった。
俺のために命を尽くしてくれた少女が呆気なく最期を迎え、それでもなお俺自身が生き残ることを考えている。どうやったらあのバケモノ女を倒せるかを考えている。
馬鹿野郎と自分を罵ってやりたい。俺なんかが生き残ってどうすんだ、と。
だが駄目なのだ。どうしてもこのまま死にたくないのだ。
――負けて、終わりたくないのだ――
後悔ばかりの人生だった。
負けてばかりの毎日だった。
生まれ出でて三四年と一〇〇日と何十日か。不器用でも精一杯やってきた。社会人になってからは、毎日毎日『疲れた』とか『死にたい』と思いながら、それでもここまでやってきた。
しかし報われなかった。
人間誰しもが報われるわけじゃないことは知っている。この世が、そんな優しい世界であるはずがない。それでも――
それでも俺には『俺』しかいないのだ。
和泉慎平。三四歳。ただの社畜。彼女なんかいたことがない、しがないカードゲーマー。
俺の幸せを、俺が求めないでいられるか。
声を裏返しながら叫んだ。
「晶ぁ!!」
一分ごとに訪れるモンスターへの攻撃命令。“光亡の剣 冴月晶”に下した最後の命令。
死にかけた美少女悪魔の右脚がかすむ。
漆黒色が弧を描き、最期の蹴上げが白レオタードを深々と切り裂いた。
妙高院静佳の左脇腹から左鎖骨へと血しぶきが走った。
そして――蹴りを振り抜いたと同時に黒いモヤと消えてしまう“光亡の剣 冴月晶”。
「………………」
妙高院静佳は血を吹き出しながら立ち尽くしている。
いかなる回復魔法か、内臓がこぼれ落ちてしまいそうなほどの深傷が、みるみるうちにふさがっていった。
「…………和泉ぃ……」
聞こえたのは、地獄の底から湧き上がってくるような薄笑い。
「…………和泉、慎平ぇ……」
俺は手札を見た。それから、妙高院静佳をまっすぐに見据えた。
戦いはまだ終わっていない。
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