車内の歌姫

 レンタカーショップの店員には激しく不審がられた。そりゃそうだろう。入店してきた客が、ズタボロのスーツ姿だったのだから。


「お客様? 大丈夫ですか?」と眉をひそめられたから、「走ってたら転けちゃって。運動不足ってこわいですね」と返しておいた。


 事件性を疑われたらアウトだったが、愛想良くしていたおかげか、無事に車を調達することができた。無難な黒のコンパクトカーだ。


 車は持っていない。だが、社用車を運転することには慣れている。


 レンタカーショップ近くのコンビニに車を入れた。すると、助手席の扉が開いて。

「肉まんとあんまんどっちがいいですか?」

 妙高院静佳が乗り込んでくる。


 キャップとサングラスで簡単に変装していた。でもバレバレだ。一目で妙高院静佳だってわかる。魔法か? 俺以外の人間には幻惑の魔法を使っているのか?


「あたし、あんまんの方が好きなんで。肉まんをあげましょう」


 俺は車を発進させた。すると敷紙を剥いだ肉まんを渡される。


「安全運転でお願いしますね」

「……街を出ればいいんですよね?」

「はい。とりあえず北へ」


 肉まんを噛んだ。まだ一〇月で、木枯らしも吹いていない。それでも噛み締めた暖かさが、身体中に染み渡った。疲労困憊には味の濃いものが効く。


「あの……妙高院さん? 色々と聞いても?」


 ほんの少しだけ車の速度を上げた。道は意外と空いている。


「静佳でいいですよ。あんまり好きな名字じゃないんで」

「じゃ、じゃあ……静佳さん」

「はいはい。なんでしょう?」

「……サウスクイーンの人たち、みんな、魔法少女だったんですね……」


 チラリと助手席に視線を送ったら、口の端に付いたあんこを親指ですくい、舐め取るところだった。何気ない仕草がいちいち様になっている。


「騎士です。ソロモン騎士」

「ソロモン? 七二悪魔の?」

「ええ。ありとあらゆる暗闇から人類という種を守護する戦士……魔法少女ってわけじゃないですよ? 普通に男の人もいるので。色々と忙しくて、表には出てきませんけど」

「すごい、お仕事なんですね……」

「ふふふ――本気で殺されそうになったり?」

「え、ええ。まあ」

「許してあげてくださいね、マリアたちのこと。使命感が強いだけなんです。あたしたちがヘマしたら人類終わっちゃうし、責任重大で」

「なら、妙高――えと、静佳さんたちは、どうしてアイドルを?」

「そりゃ騎士団に命令されたからですけど。あたしは、割のいいアルバイト感覚ですよ」

「はあ。バイト、ですか」

「……あたしたちは綺麗でしょう?」

「え? そ、そりゃあ、もう」

「実のところ、ソロモン騎士はみんな美形なんです。ていうか、人類の方が、魔法使いの姿が好きでたまらない。これは、無意識にあたしたちのことを『人類の庇護者』と認識してるって話ですけど」

「はあ」

「サウスクイーンの女の子を見るとホッとしたり、元気が出ませんか?」

「確かに。確かに、そうです」

「庇護者の姿に安心するんでしょうね。これはもう遺伝子レベルの話ですよ。心さえ平穏であれば、些末な怪異の多くは、その人に手出しはできません。今は簡単に悪意が広がる時代ですから、あたしたちがメディアに出張るのも結構大事なことなんです」

「ははぁ。なるほど」

「まあ、それで金儲けしてるのは、うちの騎士団がゲスいだけですけど」

「サウスクイーンの運営母体が、そのソロモン騎士団? なら、ずいぶんと大きな組織なんですね」

「大きいですよー。あたしたちが、あらゆる国であらゆる行動を許されてるぐらいには」


 音を立ててコンビニ袋を漁る妙高院静佳。また棒付きキャンディが出てきた。口に入れるや否や、すぐにガリガリと噛み始める。飴をなめるってことはしない人らしい


「あたしからも一つ聞いていいですか?」

「もちろん」

「魔王のことなんですけど。どんな感じでした?」

「え? どんな感じって……?」

「なんでもいいです。なにせ初めてこの世界に現れた魔王ですから。姿形とか、名前とか、印象とか――どんな些細なことでも」

「印象…………クソガキ?」

「はあ?」

「あっ、いえ、すみません。ええと……どう、なんでしょう……私は、結局、今日の朝まであいつがそういうのだと思ってなくて。普通にカードで遊んでただけですし…………ああ、そういえば、やたら運はよかったです。イカサマかよって思うぐらいに、勝負所で切り札を引いてきたり。せっかちで、考えが浅いんで、ブラフにはよく引っかかってましたけど」

「ん~? 魔王のくせに人間よりも頭悪いんです?」

「少なくとも、ワイズマンズクラフトのプレイングに関しては」

「ふぅん……人間に出し抜かれる魔王、ねえ……どこまで本性なのかしら。それとも、人間が彼の思考を理解できないだけ……?」

「どうにかなりそうですか?」

「さあ。手は尽くしてみますけど」

「でも、本当に心強いです。静佳さんがお力を貸してくださって。私一人じゃあ、正直、冴月さんを元に戻すのに何をしたらいいのかも……」

「まー、こう見えても、最強の一角ですしね。その責任はあるかなって」

「さ――最強なんです? えっ、魔法使いで?」

「ですよ。あたしとアンリエッタ・トリミューンとクリス・キネマトノーマ。現役の女騎士なら、これが三すくみ」

「ははぁ……コラボパックのままなんですね」

「コラボパック?」

「あ、いや、こないだ発売されたワイズマンズクラフトのカードの話です。やっぱり、静佳さんとその二人がチート性能でして。ご存じでした?」

「興味ないですー」

「あ……そう、ですか」


 しゅんとした俺を無視して、妙高院静佳がインパネをつつきだした。ラジオのスイッチを探しているみたいだ。


「魔王のことは追い追い詳しく教えてください。和泉さんのその能力のことも」

「は、はい」

「まだ時間はあります。のんびり行きましょう」


 選局によるノイズの後、ラジオが流れ出した。しっとりした声の女アナウンサーが交通情報を読み上げている。県内で大きな渋滞は発生していないらしい。


 赤信号。余裕を持ってブレーキを踏んだ。


 停車を待って「そういえば」と妙高院静佳の指が伸びてきたから、俺は少しドキリとする。何事かと思った。しかし、たおやかな指先は、俺の前髪にそっと触れただけ。


「ひたいの傷、大丈夫ですか? 跡とか残ってませんか?」

 そう言って俺を覗き込んでくる。テレビで毎日見る顔、なりたい顔ランキング首位の美貌が、十数センチの距離にあった。


「痛みはもうありませんか?」

「は、はぁ。おかげさまで」

「んー。見る限り綺麗にふさがってるみたいですし。さすがあたし、天才ですね」


 ひたいの裂傷は妙高院静佳が治癒魔法で治してくれた。あれがなければ、何針も縫うことになっただろう。あちこちの打撲だって気にならない程度まで回復している。


「治癒魔法なんて使うことないから、呪文うろ覚えだったんですよねー」


 俺をガン見してくるトップアイドルにドギマギしていると、背後からクラクションの音。信号が青に変わっていた。慌ててアクセルを踏んだ。


 コホン――俺はわざとらしい咳払いを一つ。


「『聖域』でしたっけ? これから向かうのは、どんな所なんですか?」

「綺麗な場所ですよ。空気は澄んでて、人はいない。紅葉にはまだ少し早いでしょうけど」

「わかりやすい建物とかあります?」

「ええ、ご立派な神殿が。あー、でも、和泉さんにとっちゃただの野原かも」

「え? でも神殿って――」

「隠匿処理が施されてるんですよ。普通の人が見たらただの山。まあ、和泉さんは魔王の影響がありますからね。行ってみないとちょっとわからないです」

「そこなら魔王よりも静佳さんの方が有利なんですよね」

「多分」

「多分?」

「ええ、多分」

「はは……少し不安になってきました」

「まあ、魔王に負けたら、あたしも和泉さんもおしまいなんですから。その時は一緒に闇に沈みましょう。一人じゃないですよ」

「……すみません……私なんかのために……」


 妙高院静佳は何も言わなかった。また棒付きキャンディの封を開けて、囓りだした。


 フロントガラスから見える街の風景は普段と変わらない。

 一〇月の陽光、列を成して整然と進む車、いつもと変わりなく営業を続ける諸々の店舗。コンビニ、銀行、ファーストフード店、スポーツショップ、百貨店、古びた定食屋、大型書店。


「……本当に、なぁ……」


 手を伸ばせば届く距離に、穏やかな日常があった――俺がいるはずの日常が――


「……本当……どうしてこんな……っ。こんなことに……っ」


 別に何かを深く考えたわけではない。だが――気付けば、俺は涙をこぼしていた。


 唐突、喉の辺りから、熱い何かが込み上げてきて止まらない。鼻をすすった。

 一七歳も年下の少女を助手席に乗せたままだ。恥ずかしい。情けない。


 俺は涙をぬぐい、ハンドルを強く握り直した。しかしすぐさま視界は滲んでしまう。


 なんとなく視線を感じた。妙高院静佳が俺を見ているのだろう。

 できれば見ないで欲しい。本当に情けない。惨めな大人って失望されただろうな。


 不意に、ラジオから聞き覚えのあるイントロが流れてきた。

 リリース間近の新曲だ。サウスクイーンアイドル・妙高院静佳の新曲。『いつか許されて、朝が来て――』と歌詞が続く優しいバラード。深夜アニメのエンディングにもなっている。


 少し長めのピアノイントロの後――――俺の耳を包んだのは、生の歌声だった。


 え? と一瞬耳を疑った。


 歌っている。

 本物の妙高院静佳が、ラジオの音楽に合わせて歌っている。


 ――――――――――――――――


 ……優しい人だ……泣いてしまった俺を慰めてくれているのだろうか。もしかしたらただの気まぐれかもしれないけれど、今は、そう思っていたかった。


 風のような、雨のような、光のような声だと思った。

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