討伐者と鼠


「あの、おはようございます、和泉です」


 普段ならとっくに出社している時間。シャワーを浴びた俺は、覚悟を決めて職場に電話をかけた。緊張と憂鬱に手が震える。


 朝七時四五分。朝礼の三〇分前だ。大半の職員は出社済みだろうが、俺の電話を取ったのは窓口係のクール系美人だった。俺よりも一年先輩で、窓口係の良心と言っても過言ではない人。来月にも産休に入ってしまうのがとても惜しい。


「和泉くん? あなた大丈夫なの? かなり飲まされてたみたいだけど」

「あ、いや……実は、記憶がほとんど飛んでて……」

「そう……和泉くん、フラッといなくなっちゃったのよ。それで動ける人で探したんだけど、見つからなくて――」

「ええぇ……私、そんなご迷惑を……」

「いいのよ。あたしこそ、昨日は助け船を出してあげられなくてごめんなさい」

「課長……大激怒してます……?」

「あ、ええと……渉外課長さん、今日は来てないのよ……」

「はい? あの仕事の鬼が?」

「あたしからはこれ以上はちょっと……和泉くんから電話があれば支店長に繋ぐよう言われてるんだけど、大丈夫?」

「……繋いでください。覚悟はしてます」

「わかったわ。何言われてもあんまり気にしないのよ?」


 それから、無味乾燥の保留音。地獄の到来を予告するファンファーレに聞こえた。


 喉が渇いた。呼吸が乱れる。

 いっそのこと通話を切ってしまおうかとも考えたが、ここで逃げてしまえば後がもっと辛くなる。必死に弱気を押さえ込んだ。


 そして支店長との直接対決は、いきなりの怒号から始まった。

「おい和泉!! お前今どこだ!?」

「もっ、申し訳ありません! 家です!」

「家ぇえ!? そりゃお前の家か!?」

「は、はいっ……!! 自宅です! 昨晩は本当に申し訳ありませんでした!」


 やばいなと思った。うちの支店長は仕事中は大体不機嫌だが、今日のは度を超している。ネチネチ系パワハラ男が怒鳴ってくるなんてよっぽどだ。


「警察とか病院には世話になってないんだろうな!?」


 ――警察――その単語にドキリとして、俺は反射的に辺りを見回した。


「……はい。大丈夫です」

「そうか。だったらまだいい。お前、社会人何年目だ? 今回の件は成績考課に響くからな。覚悟しておけ」

「も、申し訳ありませんでした」

「謝罪なんぞいらんわ。申し訳ないと思うなら、支店全員分の菓子折でも用意しておけ」

「はい……本当に、すみませんでした。この度は私の不徳で、支店長にご迷惑を……それで、あの……うちの課長は……?」

 俺がそう言った途端、支店長の激昂が再度燃え上がる。

「はあ!? あいつは病院だ! 急性アルコール中毒で運ばれたわ! 救急車に!」

 こっちまで唾が飛んできそうな怒号に耳がキンキンした。


 俺はどうしても課長の状況を確認しなければならなかったのだ。俺がカードを切ってしまった結果、あの人がどうなったのか――しかし、急性アルコール中毒? 課長自身が?


「だ、大丈夫なのでしょうか?」

「知るか! あのクズめが。役員の親戚だからと目をかけてやったのに、儂に恥をかかせおって。いいか!? お前ら二人とも社会人失格だ! 和泉っ、お前も今日は出てこんでいいぞ! 頭を冷やして、反省文でも書いておけ! 月曜朝一で持ってこい!」

「すみませ――」


 俺の謝罪は間に合わず、通話をガチャ切りされてしまった。


 静寂が戻ってくる。

 俺は深い深いため息を吐いた。心臓はまだ高鳴っている。


 支店長には仕事に出てくるなと言われたが、本当に休んでもいいのだろうか? 本当に有給休暇を使ってもいいのだろうか? それに結局、課長はどうなったんだ?


 とはいえ、上司に電話して謝罪するという大仕事を終えて、気持ちだけは少し軽くなった。


 渉外係の後輩・田辺の携帯電話を鳴らす。

 二日酔いが酷いと嘆く彼と幾つか話しをした。


 どうやら俺は本当に有給休暇を使っていいらしい。というか、既に支店長から命じられて田辺が俺の休暇願を提出したという。

 昨晩の惨状に、支店長も何か思うことがあったのだろうか……? いや、それはない。どうせ、俺が昨日の飲み会で行方不明になったら支店長の監督不行届になるから、今朝俺から有給休暇の申請があったことにして責任逃れをした――というのが現実だろう。


 そして田辺からは、渉外課長の容態のことも少し聞くことができた。

「さっき課長の奥さんから電話があったんすけど。あいつ、脳卒中も併発したらしくて、緊急手術みたいですよ? 当分は仕事に出てこれないし、障害も残るかもって。ざまあみろですよ」


 電話を切った後……田辺の奴、本当に嬉しそうだったな……と思う。

 俺は、ざまあみろとは笑えなかった。課長を襲った急性アルコール中毒と脳卒中……それはもしかしたら俺の仕業かもしれないのだ。


 何度も死んで欲しいと願った大嫌いな上司だったが、いざ倒れられてしまうと強烈な罪悪感に吐きそうだった。


「……もう……正当防衛だったと思い込むしか……」

 一人の部屋でそう呟いてから――クリーニング済みの背広に袖を通す。


 有給休暇を獲得したからとて、俺には休んでいられる時間なんて一秒もなかった。

 しっかりと歯を磨き、洗面台の鏡でネクタイの位置を整える。通勤カバンも忘れない。

 仕事に行く時と同じ格好で家を出た。


 一番近くのコンビニのATMから現金を調達。何があってもいいように二〇万円を財布に入れた。貯金の残高はこの際気にしない。


「東京の……ど真ん中、なのかな……?」


 コンビニで買った缶コーヒーを飲みながら、アイドル事務所サウスクイーンの場所を調べた。スマホの画面に場所が表示されても、いまいち場所感が掴めない。東京とかあんまり行ったことがない。ワイズマンズクラフトの全国大会に出場した時以来か……だいぶ前のことだ。

 空き缶をゴミ箱に突っ込み、駅へと歩き出した。


 魔王に対抗するために、俺は、サウスクイーンアイドルを頼ることにしたのだ。

 事務所を訪ね、事情のすべてを話し、魔法少女たちに助力を願う――それぐらいしか思い付かなかった。もう、普通の人間が対処できる事態じゃなかった。

 新幹線に飛び乗れば、昼過ぎには東京に到着できるだろう。


 人目から逃げるように足早に進んだ。


 スーツの内ポケットにはデモンズクラフトのデッキが入っている。その中の一枚は、本物の冴月晶をカードにしたおぞましいものだ。持っているだけで重罪を犯した気分だった。


 新幹線乗り場があるターミナル駅までは徒歩で一時間近くかかる。

 キョロキョロ首を回したらタクシーの姿が見えたので、これ幸いとばかりに手を挙げた。


「どちらまで?」

 運転手はずいぶんと若い女性のよう。顔は見ていないが、声が抜群に可愛い。


 そして俺が駅名を言おうと口を開いた瞬間だった――タクシー急発進。

 後輪が踊る。

 俺は助手席の背もたれにしがみついて、「ちょ――ちょっと! 何っ!?」声を引きつらせた。


「――――っ!?」


 気付けば右手の先に『切り落とされた左手を材料にした箱』が浮かんでいた。勝手に魔王の呪いが発現していた。


「ちょっと! いったい何なんですか!?」

 俺の文句を無視して、タクシーは飛び降りることができない速度にまで加速した。


「俺は駅に行こうと――って、赤ぁ!!」

 赤信号に躊躇なく突っ込んだタクシーが、ドリフトみたいな激しい右折を決める。

 俺は舌を噛まないようにするのが精一杯。


「はあ? 駅ぃ?」


 アクセルを一切ゆるめることなく運転手が笑った。

 今度は左折――『俺たち以外に車のいなくなったガラガラの大通り』を爆走する。町中だというのに、チラリと見えた速度メーターは時速一二〇キロだ。


「ばーか。逃がすかよ」


 そして振り返った運転手の顔――俺は『デモンズクラフトの箱』へと右手を伸ばしていた。

 タクシー運転手の帽子を被っていたのは、『悠木悠里』というサウスクイーンアイドル。


 デモンズクラフトの箱が俺にカードを渡す形に変形している。

 初手の五枚を引き抜いた。

 胸ポケットに入っていたはずのデッキがどうして箱の中に? なんて考えてる余裕はない。


「魔王なんかに手を出す奴には、死あるのみ、だ」


 反射的にカードを一枚切った。


 赤い光を見た。俺とサウスクイーンアイドル・悠木悠里の間に炎が生まれた。

 急膨張した炎。俺が見たのは単なる炎じゃなくて大爆発の種火。


 やばい、死んだ――そう思って固くまぶたを閉じる。

 熱を感じた。しかし次の瞬間、俺の身体は誰かに抱えられて車外へと飛び出したらしい。


 爆音と熱風にハッとして目を開けたら。

「ひぃ――っ」

 俺は、俺の召喚した“イナゴ頭の悪魔”に抱えられて空を飛んでいた。


 カードのイラストでも不気味な悪魔だったが、現物は俺の想像を遙かに超えてキモかった。

 直立二足歩行する身長二メートル超のイナゴ。

 腕は節足そのままだし、硬そうな外皮がヌラヌラと光っている。


 ――道路のど真ん中に着地。


 召喚した俺が言うのもなんだが、あまりにもキモすぎて、すぐさま身をよじった。虫は得意じゃないんだ。絶望的に駄目ってことはないが、できれば触りたくない。


 イナゴ頭はあっさりと俺を下ろしてくれた。そして轟々と燃え上がるタクシーを不安げに見つめた俺の前に立つ。


 異常だった。平日昼間の町中のくせに、車の往来どころか、人っ子一人いなくなっていた。


「……魔法少女……」


 状況は大体理解できている。俺は四枚のカードを握る手に力を込めた。


「……未成年が運転していいのかよ……一六だろうが……」


 俺は、多分、結界とか異世界みたいなのに閉じこめられてしまったのだろう。

 サウスクイーンアイドル――魔法少女・悠木悠里は、この無人世界で俺を殺す気なのだ。

 不用意にタクシーなんて乗るんじゃなかった……そう後悔しても、もう手遅れだ。


「へえ。なかなか上等そうなの飼ってんじゃん」


 命乞いは通じるか。俺の話は信じてもらえるか。魔王の呪いを解く手助けをしてもらえるか。

 すべてはやってみなくてはわからない。

 ……最初から全力で俺を殺しに来ている悠木悠里が、聞く耳を持ってくれている可能性は低いだろうが……。


「さすがは魔王召喚者。悪魔召喚もお手のものってわけだ」

 炎が揺らいだ。誰かが燃え盛るタクシーの屋根に立っている。


 ――白い。


 ボンネットをトンッと踏みながら、炎の中から白マントの美少女が現れた。

 ウェーブのかかった赤髪に、健康的に日焼けした肌。

 頭にはマントと同じ色のマリンキャップが載っている。白のセーラー服と赤のミニスカートが、大仰な白マントによく似合っていた。


 気の強そうな瞳――これが、サウスクイーンアイドルの悠木悠里……。


 アイドルよりもファッションモデルとしての活躍が有名で、パリコレ出演だったり、ティーン向けファッション雑誌の二四ヶ月連続表紙モデルが話題になったはずだ。

 とはいえ、俺の前に現れた悠木悠里は一六歳のカリスマモデルではない。冴月晶を倒してしまった俺を罰しに来た魔法少女だろう。


 とにかくまずは話し合わないと。下手に出て、こちらに攻撃の意図がないことをわかってもらわなくては――そう焦った俺は、一〇代の少女相手に深く頭を下げた。


「あの、私、和泉慎平と申しまして――」

「はあ!? 知ってるよ!」


 大きな声に驚いてしまい、それ以降言葉が続かない。

 いつの間にか、悠木悠里が腰の剣を抜いていた。


「知ってるよ。和泉慎平、三四歳、独身彼女無しの童貞オタクだろ? 魔王をこの世界に呼び込んで、晶も倒しためんどくせぇ奴」


 刃渡りが一メートル以上もある大振りの剣だ。

 ギラリと光った凶器に俺はゾッとする。おたおたと言葉を吐き出した。


「そっ、それには色々と事情がございましてっ――お時間をいただければ、きちんとすべてお話しさせていただきます。あのっ、ていうか、助けてください! 私、自分で魔王を呼んだわけじゃないんです……!!」

「助けてくださいだぁ? んな面倒そうな悪魔出しといて、今さら何言ってんだテメェ」


 俺の前に立つ“イナゴ頭の悪魔”に臆することなく、ズカズカと距離を詰めてくる悠木悠里。

 ていうか、口の悪い女の子だな。テレビで見た時は普通に敬語で話していたはずだが……猫でも被っていたのか。


「ちょっと待ってください! 私が悪魔を使えるのは、あいつの呪いのせいなんです! 魔王の奴がカードゲーム好きで、それで、多分――」

「あー、はいはい。訳わかんねぇことは言わなくていいよ。とっととあたしに殺されろ」


 イナゴ頭の前に立った悠木悠里がゆっくりと剣を上段に構えた。

 ……なんて女だ。俺の話なんてこれっぽっちも聞いてもらえない。こんなことなら、さっさと逃げ出していればよかった。


「――んだテメェ。意外と硬ぇ」


 まっすぐに振り下ろされた大剣を、イナゴ頭の腕が受け止める。

 イナゴ頭の太い腕が半分以上切り裂かれ、しかし刃を止めることには成功していた。


 俺は『箱』からカードをドローして、きびすを返した。

「あっ――こら! 逃げんな!」

 駄目だあの女は。話が通じる感じがしない。ここは一旦退却して、体勢を立て直すべきだ。できればこの無人世界を抜け出したい。なんとか結界を破る手段を見つけなくては。


 必死に頭を回しながら走った。

 俺が今回ドローしたカードは二枚。一枚は防御用のマジックカード“生き残りの障壁”で、もう一枚はモンスターカードの“冥府喰らいのネビュロス”。悪くない引きだった。

 “イナゴ頭の悪魔”も俺に付いてきてくれる。


 しかし――

「なんだ。体力はふつーのオッサンなのな」

 ドタドタと走る俺にあっという間に追い付いた悠木悠里。あんなに大きな剣を担いでるくせに、まるで飛ぶような機動力だった。


 ――――――――

 横薙ぎの一撃が来る。イナゴ頭が今度は腕二本で防いでくれた。


「ああもう! うっぜぇ!」


 そして必死こいて走る俺と併走する形で、悠木悠里とイナゴ頭が戦い始めた。悠木悠里が一方的に剣を振って、イナゴ頭は防御に徹するという展開。

 当然だ。“イナゴ頭の悪魔”には、攻撃を命じていないのだから。


「い――いいか!? その人には絶対に手を出してくれるなよ!?」


 俺は、押し付けられた力――『魔王の呪い』とやらの使い方をなんとなく理解し始めていた。

 デモンズクラフトのルールの通りなのだろう。


 ――俺は一分ごとに一枚のカードを与えられ――

 ――使役できるモンスターは一体――

 ――モンスターに攻撃を命じることができるタイミングは一分間に一度だけ――

 ――モンスターがいる限りは、戦闘能力の範囲内で、自動的に守ってもらえる――


 と、イナゴ頭の腕が一本斬り飛ばされた。

 やばい。“イナゴ頭の悪魔”では悠木悠里の猛攻をしのぎ切れそうにない。そりゃそうだ。この悪魔は俺のデッキの中で一番か弱いのだから。

 攻撃力だけはそれなりにあるが、俺が攻撃を命令していない状況では宝の持ち腐れだった。


 だからって魔法少女に攻撃なんてできるわけがない。

 そんなことをすれば、俺の退路は本当に閉ざされてしまう。この先、魔法少女からの助力を一切期待できなくなる。俺は冴月晶を元に戻さなくてはいけないのに――!!


 ヒィヒィと喉を引きつらせながらカードを一枚ドロー。


「あっははは! 足もつれてんぞオッサン! しっかり逃げろよ!」


 なんとかこの場を穏便に切り抜けて、話のできる魔法少女に会う。それだけが望みだった。

 とはいえ体力の限界だ。足が止まりそうになる。


 ――鉛玉に頭蓋を砕かれたのは、そんな瞬間――


 頭を横殴りにされたような衝撃にもつれ、派手に転んだ。

 すぐさま身体を起こした俺は、極度に混乱しながらも頭を触る。あれ? 無事だ。脳髄は飛び出していない。頭を撃たれた気がしたのに。ヘッドショットを喰らった気がしたのに。


「ド下手がぁああ!! 外してんじゃねえ!!」


 “イナゴ頭の悪魔”を縦に両断した悠木悠里が、ビルの屋上をギッと睨み付ける。

 すると屋上で白マントが風になびいた。誰かいる。逆光で顔は見えない。

「はああっ!? ちゃんと当てたわよ!! 当たったのに死ななかったのよ!!」

 かすかに聞こえた強烈な不満。


 俺は、転んだ拍子に散らばった手札を拾い、黒いモヤになって消えようとしている“イナゴ頭の悪魔”へと視線を移した。

 すまん。せっかく守ってくれたのに、ライフを減らした……!!

 走り出す。とっくに限界のはずなのに、不思議と身体は動いてくれた。息は上がったままだ。


 さっきの現象――きっと、俺は一度殺されたのだろう。頭を撃たれて、殺された――しかし死ななかった。死なない代わりに、『ライフポイント』を一点失った。


 デモンズクラフトでは、プレイヤーのライフポイントは五点。ライフが〇になったら敗北。


 これも『魔王の呪い』だ。俺の死すらも自由自在。

 どの程度の負傷でライフポイントが減少するかは定かではないが、死に至る攻撃を喰らえば確実に一点持っていかれるはずだ。

 残りライフポイント四点……あと四回殺されれば、俺は本当に死んでしまう。


 ちらりと後ろを振り返った。

「逃げんな魔王召喚者ぁあああああああああ!!」

 悠木悠里が目を血走らせていて、本気でゾッとする。

 もう一人の白マントがビルの上から飛んだのも見えた。


 思わずカードを切った。

 モンスターカード“冥府喰らいのネビュロス”を宙に放り投げ、追加で手札を四枚捨てる。


 次の瞬間、俺の影が形を変えた。

 四車線道路を横断するほど横に広がり、夕暮れ時かと見間違えるほどに黒々と色付いた。

 手札を四枚破棄するという召喚条件を満たした結果、悪魔“冥府喰らいのネビュロス”がこの世に顕現しようとしているのだ。


「…………おい、ふざけんなオッサン……なんだよ、その悪魔……」

 悠木悠里が足を止めて、呆然とこちらを見つめている。


 俺だって言葉が出なかった。俺の影から這い出てきた悪魔の巨大さに「……嘘だろ……」と息を呑むばかりだった。


 巨人。怪獣。魔神。

 どんな表現が適当かは、今ここでは思い付かない。


 俺が召喚した悪魔の偉容…………顔はどこかネズミに似ている。王冠のように幾つもの角を生やしたネズミのミイラだと思った。枯れ枝のような腕は六本。そして胸の大口だ。ネビュロスは、頭部だけじゃなく、胸部にも口腔を有していた。犬みたいな長く大きな口から、黒いよだれがボタボタと滴り落ちている。


 道路が大きな大きな影に覆われた。


 ネビュロスは身体半分しか姿を見せていない。腰から下を俺の影の中に残したまま、召喚が完了してしまったのだ。だが、その上半身だけでも一〇階建てのビルよりも背が高かった。


「ちょ――ちょっとぉ! 高すぎ! いらないです! こういうのは別にいいですから!」

 ネビュロスの掌に乗せられた俺は、一五メートル近い高さに目を回す。柱のような指にしがみついて、下ろしてくれとギャーギャーわめき立てるのだった。


 しかし――ふとした拍子に、ネビュロスを見上げる悠木悠里と目が合って、我に返る。


 勝ち気な美貌に浮かんでいたのは、俺の加虐心を駆り立てる不安げな表情。あれほど俺を怒鳴り回した魔法少女が、ネビュロスに恐れを抱き、途方に暮れていた。


 少しいい気分だった。幾分か溜飲が下がった。

 さすがは四枚もの手札破棄を強制してくる大型モンスターだ。戦闘力だって“イナゴ頭の悪魔”の比ではない。俺のデッキの中堅を担うにふさわしい怪物である。


 俺と目が合って、悠木悠里の方も我を取り戻したらしい。

 いきなり朗々と唱い出した。


「灼熱の赤土 南天の枯れ草 黒き瞳たちは礎を描き 暁に踊る 雲間より始祖が猛り 大いなるエルムガーヤ 強き人々は忘却されて それでも鬨は響くだろう――」


 意味のわからぬ言葉の群れが、幾重にも重なって広がる。

 すぐさま――呪文だ――とは気付いたが、俺にはどうすることもできない。やがてもう一つの言霊が重なるのだった。


「シャハルザハラ 祈り深く 眠る山麓を駆けゆく狼 ハディッドサハル 狩人は古き牙にて命を落とす 女が泣き 土へと帰る青き長銃 そして数多の怒りがやってきた――」


 顔を上げる。

 白マントに赤チェックのミニスカートと黒タイツを合わせた魔法使いが、俺の頭上の空中に立っていた。

 銃身の長いオートマチックピストルを俺に向けている……間違いない。さっき俺にヘッドショットを決めたのは、この子だろう。この子も当然テレビや雑誌で見たことがあった。


 高杉・マリア=マルギッド。

 日本人とイギリス人のハーフで、見事な金髪碧眼。


「高杉さんっ、私の話を聞いてください!! 私はあなたたちの敵じゃあないんです!!」


 必死に叫んだ。だが無駄だった。

「ファイア」

 たった一言、それで高杉・マリア=マルギッドの魔法が発動する。


 彼女の背後に巨大な魔法陣が現れたかと思ったら、そこから幾筋もの光線が放たれたのだ。

 まるで猟犬みたいに俺だけを狙ってくる。

 ネビュロスが張ってくれた灰色のバリアがなければ、瞬時に消し炭になっていたはずだ。凄まじい威力なのだろう。光線が当たるたびに、バリアが激しくきしんだ。


 しかし頭上ばかりを心配してもいられない。

 熱気を感じて視線を落としたら、下界が炎の海と化していた。


 悠木悠里が、ネビュロスの左手二本を相手に、炎の剣を振るっていたのだ。一振りごとに大剣から火炎が吹き上がり、怪獣みたいな二本の腕を燃やし尽くそうとしていた。

 すげぇ……熱でアスファルトが溶けてる……。


 ――もしかしたら――と思った。


 もしかしたら“冥府喰らいのネビュロス”でも押し切られるんじゃないか、と。

 それぐらい、魔法少女たちの攻撃は容赦がなかった。

 不安でドキドキしてきた。


「勘弁してください!! 後生ですからっ、私の話を――!!」


 土下座である。

 目の前で高杉・マリア=マルギッドの光線が弾けた瞬間、思わず俺は土下座していた。

 両手両膝をついて、年端もいかぬ少女へと懇願した。


「嘘は言いません! あいつにハメられたんです! 知らない間にこんな力を押し付けられて、冴月さんにとんでもないことをっ!! 本当に申し訳ありません!!」


 ふと、魔法の砲撃が止んだ。

 高杉・マリア=マルギッドは魔法陣を背負ったままだ。それでも、俺への攻撃を取り止めてくれたらしい。


 魔法を用いた空中歩行でネビュロスと俺に近づくと、ニコリと笑った。

「おやめください、命乞いなど。例えばあなたが魔王に騙されたのだとして、それがなんだというのですか?」


「……え……」

 死刑宣告を喰らったかのような衝撃。俺は今、どんな顔をしているのだろうか。


「当然でしょう。すべては手遅れなのです。魔王は和泉慎平を見つけてしまった。大いなる者はやがて、あなたを目印にして、この世界にやってくる。そんな危険なもの、今すぐに消さなければね。世界のために」

「でっ、でも! 私を殺せばっ、魔王の怒りを買う可能性だって!!」

 よほど滑稽なことを口走ったのだろう。高杉・マリア=マルギッドの営業スマイルが崩れ、普通の笑みとなった。金髪碧眼の美少女が、歯を見せて笑う。

「ありえませんよ、そんなこと。あなた程度の凡人が、どのようにして魔王の気を引くというのですか。あなたが選ばれたのは、『たまたまそこにいた』からでしょうし。死ねば次の目印が選ばれるだけです」

「……そ、それは……」


 俺は途方に暮れるしかなかった。どうすりゃあいいんだ。魔王がただのカードゲーマーだなんて、魔法少女たちは絶対に信じない。


 俺が死ねば、魔王は対戦相手がいなくなったことを悲しむはずだ。なぜかはわからないが、そんな確信がある。だが、そのことを伝える術を俺は持っていなかった。


「とはいえ、永遠を生きる者が事を急ぐ理由はありません。例え魔王がこの世界を諦めないとしても、時間だけは稼げます。あなたが死ぬことで、数百年、あるいは数千年の平和が訪れる」


 ――違う――俺が死ねば、多分、魔王はすぐにやってくる。意外とせっかちだからな。泰然とした立派な王様なら、俺との対戦でつまらないプレイングミスなんてするものか。何度も何度も対戦してるんだ。あいつの性格ぐらいわかってるさ。


「わかってください。あなたはもう、生きていてはいけないんです」


 高杉・マリア=マルギッドにそう宣告された直後、俺の周りから音が消えた。

 視界が桃色に包まれる。

 重力がなくなった気がした。

 チリチリと肌が沸き立つような感覚があった。

 そして、俺が最期に見たのは、崩壊していくネビュロスの巨体だった。


 ――――――


 ――――――


 ――――――生きてる。


 気付いたら俺は道路に投げ出されており、手にはカードも握ったままだった。

 不意に『箱』が目に入り、反射的にカードをドローした。

 駆け出しながら、背後を振り返る。


 ちくしょう! ネビュロスがやられた!!


 俺が見たのは、溶けかけのソフトクリームみたいになってしまったネビュロス。そして、それでもまだ動いていた大悪魔の胴体を、天を突くほど巨大な炎の剣が両断する瞬間だった。


 燃え上がる肉塊の影で、悠木悠里が俺に歯を剥いている。


 怖ぇぇっ……!! どんだけ俺を殺したいんだ……っ!?


 色々と泣き出したくて仕方がなかった。

 女の子たちは見た目が可愛いだけで、漏らしそうなぐらいに怖いし。俺が攻撃を決断しない臆病者だったせいで頼りになるネビュロスは失ったし。命と同義であるライフも一つ減った。


 そうだ。俺はさっきの桃色光線によって殺されたのだ――残りライフポイントは三つ。

 どこかにライフポイントが表示されているわけではないのだが、なぜか、ライフポイントの残数が三つであることは激しく自覚している。こういうシステムなのだろう。


「えー。魔王召喚者って不死身ー?」

「ねえねえ。さっきの悪魔って結構やばかったよね。大災害レベル? ジャガーノートが通ってくれてよかったぁ」

「……めんどくさい……一回で死ね……」

 次々と声が聞こえた。

 走りながら視線を回したら、三人の白マントが俺の頭上にいた。鎌、斧、錫杖を振りかぶっていた。


 俺は咄嗟にカードを切る。マジックカード“生き残りの障壁”。


 その瞬間――世界が止まり、いつの間にか俺の右手はダイスを一つ握っている。


 マジックカード発動の成否判定だ。

 三人の魔法少女が空中で静止し、ネビュロスを燃やす炎さえも揺らめかない――完全に時が止まった灰色の世界。俺の下半身も時の静止に巻き込まれているらしく、俺にできるのは、手にしたダイスを放り投げることだけだった。


 祈る――偶数だ!! 偶数なら何でもいい!!


 “生き残りの障壁”は、二・四・六の出目で発動する。発動さえすれば、俺はどんな攻撃からも守られるはずなのだ。


 出た。

 地面に落ちたダイスの目は、六。歓喜に叫びたい気分だった。


 世界に色彩が戻ったのと同時、俺は、「きゃっ」という短い悲鳴に小さくガッツポーズした。俺を打ち殺そうとした三人の魔法少女が、見えない障壁に弾かれたのだ。


 一分間の完全防御。“生き残りの障壁”が効いている間であれば、多分、神様でさえ俺を殺せない。だって“生き残りの障壁”のカードテキストは、『このカードを発動したプレイヤーとその支配モンスターは、六〇秒の間、攻撃を受けず、相手の効果も受けない』というものだ。目を疑うほど強力な効果。発動確率も二分の一だし、便利すぎる。


 地面に転がった魔法少女たちに構うことなく、俺は走り続けた。

 背後から高杉・マリア=マルギッドに撃たれたようだが、今の俺は無敵状態。魔法少女のビームなんぞ効くものか。


「はああああ!? どうなってんだありゃあ!?」

「知らないわよ! あなたも行きなさい! 逃げられるわよ!!」

「ちぃっ! めんどくせぇな!」


 ドタドタと走りながら俺は手札を確認する。

 現在の手札は五枚。しかしモンスターカードは一枚もない。全部マジックカードだ。まさか“冥府喰らいのネビュロス”がやられるとは思ってなくて、ネビュロスの召喚条件を満たすために全部捨ててしまったのだった。

 きついな……と思った。マジックカードはどれも強力だが、発動はダイスの出目次第だ。人並みの運しか持たぬ俺では、マジックカードはいまいち頼りにならないかもしれない。


「おい魔王召喚者。テメェ、いったい何をしたよ?」

 大剣を構えた悠木悠里に追い付かれた瞬間に、俺はカードを一枚ドロー。またマジックカードだった。“氾濫する焔”。


 “生き残りの障壁”の効果はまだ続いている。悠木悠里の横薙ぎを、不可視の障壁が難なく受け止めた。悠木悠里の唇から舌打ちが聞こえた。


 そこに三人の魔法少女が合流する。 

「せんぱぁい。お手伝いしまーすよ」

「もー!! おとなしく死んでください! ちゃんと弔ってあげますから!」

「……はあ……帰りたい……」

 四人の魔法少女による同時攻撃。障壁の向こう側が地獄と化した。炎が巻き上がり、電光が走り、石のつぶてが降り注ぎ、紫色の煙が沸き立ったのである。


「ああああああああああ!! こいつも効かねぇし!!」


 悠木悠里の短気をガン無視しつつも、「なんで――なんで俺ばっかり、こんな――」俺は金玉が縮み上がる思いだった。


 もうすぐ一分だ。俺を守ってくれた無敵の障壁が消えてしまう。

 防御用のカードはもう一枚手札に握っているが、またダイスを振らなければならない。


「オッサン、ほんとウゼぇな」


 “生き残りの障壁”の効果――消失。


 ライフポイントが減るのが怖くて、俺は手札に握っていた“聖者の驕り”を使用する。六点以下のダメージを三分間無かったことにしてくれるカードだが、六点ダメージがいまいち想像できなかった。ネビュロスを溶かしたあのビームを撃たれたら、もう駄目だろう。


 また時が止まり、俺はダイスを振った。

 ――失敗。


 絶望する暇もなく時は動き出し……気付けば、俺の横っ腹にブーツの底がめり込んでいた。

「う――」

「ぁん?」

 運動不足の腹を容赦なく蹴り飛ばした悠木悠里。俺はギャグ漫画か思うほどに吹っ飛び、二回バウンドして、ビルのシャッターに飛び込んだ。


 生きているわけがない。ライフポイントが減った。残りのライフはたったの二点だ。


「なんだ、効くじゃねえか。焦らせんな」

 悠木悠里がニヤニヤ笑っている。三人の魔法少女を引き連れて、ゆっくり俺に近づいてくる。


 スーツはズタボロだが、不思議と痛みはなかった。ライフポイント減少によって、腹蹴りからシャッター激突までのダメージすべてが無かったことになっているらしい。


「お願いです。私の話を……」

 むくりと起き上がった俺を見て、悠木悠里が唾を吐いた。

「しぶてぇ。ゴキブリかよ」


 俺がカードを一枚ドローしたと同時に、「頼むからそろそろ死んでくれ」大剣の切っ先がこちらに向けられる。後ろの魔法少女たちも、それぞれの武器を俺に向けた。


 防御用のカードはもうない。


 だから俺は背後のビル群に対して、マジックカード“南風の激怒”を使った。

 発動は成功。

 空気の刃が、数棟のビルをブロック状に切り刻んだ。問答無用に崩れ落ちてくる。


 そして、全力ダッシュの俺は、今さらながらに思うのだ。魔法少女の結界内で行った破壊が、現実世界に反映されませんように――と。ビルなんて弁償できるわけがない。


 轟音とホコリと瓦礫にまぎれることには成功した。


 不意に――ガツンと頭部に激しい衝撃だ。

 跳ねた瓦礫がひたいを直撃したらしい。大丈夫だ大丈夫、これは致命傷じゃあない。実際、ライフポイントが減った感じもなかった。


 派手に転ける。何に足を取られたのかはわからない。立ちこめたホコリが俺の視界を奪い、しかし俺は速度をゆるめなかった。転倒するたびに跳ね起きて、逃げの一手を貫いた。


 俺の隣を幾筋ものビームが抜けていく。あぶねぇ、当たってたら死んでた。


「ちくしょ、う……っ。ちくしょう、ちくしょう!」


 後方のビル群に向かって再び魔法を撃つ。ホコリと瓦礫を追加したかったのだ。

 手札にもう一枚握っていた“南風の激怒”は発動に失敗。

 すぐさま“氾濫する焔”のカードを切るが、これも失敗。

 “雷雲の落とし子”も失敗。


 諦めない。半泣きで使った“不意の火花”はちゃんと発動してくれた。

 火花どころではない大爆発が、高層ビル三棟をまとめて赤色で包み込む。


 一瞬遅れて、凄まじい爆風だ。

 一〇メートルは吹っ飛ばされただろうか。道路に身体を打ち付けたらしく、正直、全身骨折を疑うほどの衝撃だった。幸か不幸かライフポイントは減っていない。


 死ぬほど痛い。しかし、それでも。

「……死ぬ…………マジで……死ぬ……」

 それでも俺は立ち上がり、また走り始めた。


「ち、くしょう」


 汗を落としながら強く思う――本当に申し訳ない、と。

 アニメや漫画の中で魔法少女たちに倒されてきた悪役に、俺はなんて不寛容だったのだろう。いくら創作物の敵役だとしても、俺だけは、いつも彼らに同情すべきだったのだ。彼らの死に様をぼんやり眺めている場合ではなかった。いつか魔法少女にリンチされる身として、『明日は我が身だ』と悲しみに暮れるべきだったのだ。そんなことをぼんやりと考えた。


 視界が真っ赤だ。さっきの瓦礫直撃でひたいが裂けているのだろう。顔を濡らす鮮血が、顎の先からポタポタと滴り落ちていた。


カードを一枚ドロー。待望のモンスターカードが二枚目の“イナゴ頭の悪魔”だったことにひどく落胆する。


 ふと見上げた空――魔法少女の結界内だからだろうか、不気味なほどの赤黒さだ。


 地響きが聞こえる。音に反応して振り返れば、“不意の火花”に呑み込まれたビルの一棟が完全に崩れ落ちるところだった。


 そして俺は、やがて、大きな交差点に辿り着いた。


「きっつ……はあ、はあ……きっつ……」


 さすがにもう走れない。逃げなくてはという焦りはあるが、自然と足が止まってしまった。

 一〇秒ほど立ちつくした後、ふらつきながら歩き出す。しかし転がっていたコンクリート片につまずいて転けそうになった。


 瓦礫が散乱し、街並みは崩壊している。

 魔法少女たちが行使した魔法の数々と俺の使った二枚のマジックカードが、この街を瓦礫の山に変えてしまった。まるで対地ミサイルでも打ち込まれたかのごとくだ。


 そして。

「お疲れ様です。もう――諦めては?」

 俺は、交差点の中央で、五人の魔法少女に追い付かれた。


 車両信号の上に二人――矢神カナタとレオノール・ミリエマ。


 外灯の上に一人――アレクサンドラ・ロフスカヤ。


 標識の上に一人――高杉・マリア=マルギッド。


 電柱の上に一人――悠木悠里。


 ホコリっぽい風に、魔法少女たちの白マントがたなびく。


 俺は、ゴミでも見るような目で俺を見下ろしてくる五人の美少女を、逆にじっとり見上げてやった。ここぞとばかりに可愛らしいコスチュームをじっくり眺めてやった。


 本当にみんなサウスクイーンアイドルだ。写真集で見た健康的な水着姿よりも、魔法少女の衣装の方がエロい気がする。いったい誰の趣味なのだろう。


「いいかげんお疲れでしょう。もう、諦めては?」

 高杉・マリア=マルギッドのゾッとする冷たい声。


 しかし疲れきった俺の反応は薄かった。標識の上に立つ彼女に視線を移しただけだ。

 ひたいを濡らす汗と血をスーツの袖でぬぐう。そして……どうしたものかな……と左手に握った『三枚のカード』に目を落とした。


 その瞬間、高杉・マリア=マルギッドから警告が飛んでくる。

「左手のカードを今すぐ捨ててください。カードを手放さない以上、抵抗の意思があると見なします。痛いですし、少しでも尊厳のある死を選びたいでしょう?」


 なんだよ……結局どうやっても殺されるのかよ。

 そう思ったら、自然と笑いが出た。薄笑いのままカードを一枚ドローする。


 モンスターカードが出た。切り札というべきデッキ最強のモンスターカードだった。だが、今は召喚できない。厳しい召喚条件をクリアすることができないのだ。この場面で『こいつ』が来ても意味がなかった。


「あの……」

 喉が渇いたなと思いながら、俺はまた深く頭を下げる。

「もう許してもらえんですか? 来週も、仕事で」


 すると美少女たちは顔を見合わせた。変わった命乞いだと思ったのかもしれない。

 なんだか物凄く恥ずかしいし、さすがに情けなかった。俺の半分も生きていないような女の子たちに、嘲笑の的にされるというのは。


 高杉・マリア=マルギッドが、笑い涙をぬぐいながら銃口をこちらに向けた。

「ごめんなさい、あまりにも無様だったものですから。惜しいと思うほどの営業成績でもないくせに、大変ですね、不出来なセールスマンというのも」

 

 それを聞いて俺は「……あー……はあ、まあ……」と力なく苦笑するだけだ。

 ――なんとしても、生きよう――そう思った。

 カードを握る左手に力を込める。


「不遇な日常に戻りたいというのならば、どうぞ全力でお逃げください。追いかけて殺します。必ず殺します。あなたはもう、この世界には必要ない」


 その言葉に少しだけ動揺し、しかし俺は一つの決意を固めていた。


「それでは皆さん、正義を執行してあげましょう」


 ――戦う――

 ――戦って、生き残る――


 俺が歩んできた人生……カードゲーマーとしてのすべてを懸けて、この場を切り抜ける。

 後悔はしない。

 例えそれでサウスクイーンアイドルの命を奪う結末を迎えたとしても、俺は『俺自身』を助けてやりたかった。後悔はしない。俺はまだ死ねない。死にたくない。


「和泉慎平。今から私たちは、容赦なくあなたを攻撃します。慈悲はなく、生かしはしません。そのおぞましい力で抗おうというのならば――是非」


 カードを切った。魔法少女たちが一斉に飛びかかってきた。


 二枚目の“氾濫する焔”は発動成功。空中に投げたカードから炎が吹き上がる。止めどなく溢れ続ける紅炎が、まるで蛇みたいに魔法少女たちに襲いかかった。


 俺の視界は赤一色。空気の燃える音で何も聞こえない。

 こんな大熱量のそばにいたら俺も危なくないか? ――そう思ったが、今さらどうしようもない。巻き添えを喰らわないことを必死に祈る。


 ドロー待ちの一分が経過し、カードを引いた。

 美しいモンスターカード。だが、ドキリとした。……まさかここで、このカードかよ……。


 “光亡の剣 冴月晶”。


 そうだ。魔王の大いなる力によってカードにされた冴月晶本人だ。


 使うのか!? このカードを!? サウスクイーンアイドル同士を戦い合わせるのかよ!?


 心の中でそんな葛藤が生まれ。

「和泉ぃいいいいいいいいいい――!!」

 しかし“氾濫する焔”を切り裂いて現れた悠木悠里が、俺から甘さを消し去ってくれた。


 ――手札を切る――


 悠木悠里の大剣が俺の頭に落とされた。俺は反射的に身をかがめて頭をかばうのだ。

 そして、背筋がしびれるような金属音。


 おそるおそる目を開けると……。

「よく気丈に振る舞われました。もう心配ありません」

 彼女は、当たり前のようにそこにいた。


 天に向かって足を持ち上げ、黒い脚甲で白刃を受け止めていた。


 俺は、その凛々しい後ろ姿に、ある魔法少女の姿を重ねてしまう。銀髪の双剣使いを思い出してしまう。熱い何かが込み上げてきて、少し泣きそうだった。


 ――冴月晶――


 だが白マントの魔法少女ではない。

 銀髪から伸びた山羊の角も、両腕を後ろ手に固定する拘束ベルトも、露出度の高い衣装も、真っ白な背中から飛び出した骨の翼も……すべてが悪魔的だ。


「晶……テメェ……いったいどうして……っ?」


 突如として立ちはだかった元仲間に、さしもの悠木悠里も動揺を隠せないでいた。

 俺はその瞬間を絶好の好機と見る。歯を食い縛ってから「やってください!」右手を挙げた。


 美少女悪魔の長い腰布がひるがえり――そして飛び散った大量の鮮血。


 刃物のような黒脚甲に包まれたつま先が、悠木悠里の左腹部から左鎖骨までを切り裂いたのだった。

 深い。多分、致命傷に近い。


 仰向けに崩れ落ちていく悠木悠里の姿…………俺は――もう戻れない――と思いながら。

「行きましょう!」

 悪魔に堕ちた冴月晶にそう声をかけた。他の魔法少女たちもいいかげん“氾濫する焔”を抜けてくるだろう。さしもの“光亡の剣 冴月晶”といえども、四対一では分が悪い。


 ドタドタと走る。もう一歩だって走りたくないのに、走るしかない。


「和泉様? お掴まりになります?」

 俺と並走していた美少女悪魔が見かねてそう言ってくれた。


「お願いします!!」


 すると彼女の長い腰布がしゅるりと俺の左手に巻き付き――次の瞬間、俺は大空のまっただ中にいた。足場がない。世界が逆転している。顔を上げれば、立ち並ぶビルが見えた。


 悲鳴も上げられない。いったい俺は地上何メートルにいるのだろう。


「ご命令ください。逃げるのですか? それとも皆殺しに?」


 その声に反応すると、目に入ってきたのは黒ビキニに包まれたお尻。なんという至福のローアングルだ。こんな場面でなければ、もっとじっくり眺めていたかった。


「にっ逃げましょう! ここはやばいです! 元の世界に――」

「では次元結界の基点を砕かなくてはいけませんね」

「基点!? 連れていってもらえます!?」

「御意に」


 やった! この冴月さん、めちゃくちゃ有能だ! 心の底からそう思った。カードスペック的には“冥府喰らいのネビュロス”ほどの戦闘力はないだろうが、元魔法少女っていうのがでかい。意思疎通だって容易にできるし、最強の味方が現れた気分だった。


 冴月晶はどこかのビルの屋上に音もなく着地。すぐさま地を蹴り、再び大空へと飛び出した。


 強い風音の中。

「あの! どこまで、冴月さんなんですか!?」

 試しに聞いてみる。


 悪魔化した冴月晶に飛行能力は無いらしく、移動手段はアニメみたいな大ジャンプだけだった。腰布の先っぽで俺を掴んだまま、ビルや大通りの道路を楽々跳び越えていく。


「どこまで、とは? どういうことでしょう?」

「いえっ、アイドルだった頃の記憶はあるんでしょうか!?」

「もちろんありますよ? 魔法使いだった頃の記憶も、もちろん、和泉様にワイズマンズクラフトで負けたことも」


前にドローしてから一分が経った。俺の右手につきまとう『箱』がカードを一枚排出したので、空中で受け取った。結果は“蠅の悪魔騎士ザザン”。うん、悪くない。


「すみません! 私の『災難』に巻き込んでしまって!」

「お気になさらず。このボクは、あなた様のシモベになったのですから」

「シモベって、そんな……」

「すべてご命令ください。ボクはあなた様の所有物。和泉様のお言葉があれば、かつての仲間でさえも血祭りにあげましょう。死ねと言われれば、よろこんでこの首をはねましょう。もちろん、ベッドの上で呼び出していただければ、夜とぎのお相手だって」


 違う――と思った。

 予想はしていたことだが、この美少女悪魔は冴月晶であっても『以前の冴月晶』じゃなかった。冴月晶の声と顔だからこそ、強烈な違和感があった。まるで別人だ。これが悪堕ち……いったい彼女は何をされて、性格まで変えてしまったのだろう。


「なんとかしますから! 責任をもって、あなたを元に戻しますから!」


 今の冴月晶に俺の言葉が届くかは知らない。だが、言わないではいられなかった。

 すると冷静にこう告げられた。


「和泉様、お気を付けください。マリアたちが来ます」


 嘘だろ!? この速度に追い付いてきたのかよ!?

 俺は咄嗟に手札を見た。モンスターカードが三枚に、マジックカードが一枚だ。

 マジックカードは“終末の断片”。発動確率は六分の一と低いが、発動すれば魔法少女たちをまとめてミンチにできそうなぐらい強力な攻撃魔法だった。

 いよいよって時はこれを使うしかないが……まずは“光亡の剣 冴月晶”を信じよう。


 どこから攻撃してくるのかと警戒していたのだが――光輝く魔法陣を背負った高杉・マリア=マルギッドは、俺たちの真上にいきなり現れた。

 透明なガラスが砕けるみたいに、空が割れるのを見た。


「シャハルザハラ 祈り深く」


 テレポート直後、高杉・マリア=マルギッドの魔法陣から大量の破壊光が放たれる。


「眠る山麓を駆けゆく狼」


 冴月晶がジャンプをやめて、広い道路をジグザグに走り始めた。

 彼女の動きに合わせて俺もあっちこっちに振られまくる。とんでもないジェットコースターだ。ビームを避けるためとはいえ、さすがに気持ち悪くなってきた。


「ハディッドサハル 狩人は古き牙にて命を落とす」


 そして俺たちの行く手に待ち構えていたのは、大鎌を携えた魔法少女。深く腰を落とし、ぬらりと光る大鎌を真横に薙いだ。

 電光石火。冴月晶が身を反転させながらジャンプする。勢いよく尻を振ってくれたおかげで、腰布にひっついている俺も大鎌から逃げることができた。


 漆黒の脚甲が飛んできた光線のすべてを空中で蹴り殺す。

 俺は――どうか一発も当たりませんように――と祈るだけ。


「女が泣き 土へと帰る青き長銃」


 着地の瞬間を狙ってきたのは、神速の錫杖だった。

 錫杖の先端は冴月晶のトップスピードを超えているらしく、さしもの俊足悪魔も小刻みなバックステップを踏んで錫杖から逃げる。それでも何発かが冴月晶の脇腹をかすめた。


 そしてその隙を、斧を使う魔法少女に狙われた。

 超大威力の一撃が天空から降ってきて、冴月晶の立っていた付近の地面を爆発させる。


「そして数多の怒りがやってきた」


 空中へと跳ね上げられた俺たちを狙うのは、完成した高杉・マリア=マルギッドの魔法だ。

 彼女の背負っていた魔法陣がドクンドクンと脈動し、その大きさと複雑を増していく。


 やばいと思った。きっと今までとは比べものにならないほどの弾幕が来る。


「冴月さん!! 特殊能力使って!!」

 ほとんど反射的に、冴月晶にそう命令していた。


 カードゲーマーとしての性だろう。俺の頭は“光亡の剣 冴月晶”の特殊能力を忘れていなかった。


『攻撃する代わりに、直前に使用された相手モンスターの特殊能力かマジックカードの効果を消失させることができる。または、相手モンスターに【斬撃:六ダメージ】を与える』


 そして、俺が意図したとおりに、冴月晶が呪文を唱い出すのだ。

「極北の鋼 白夜の硝子 吟遊詩人は口をつぐみ 天秤は星空をこぼすだろう ロヴンエイルの水面 乙女たちは凍土の剣を掲げ 明星の捕食者へと指を向ける――」


 剣が現れた。俺と冴月晶の周りに、何十、何百という透明な剣の群れが現れた。

 それは陽炎のように揺らめきながら、更に数を増やしていく。あっという間に千を超えて、まるで大軍勢が天に向かって剣を掲げているようだった。


「和泉様、少し眩しいかもしれません」

 冴月晶がそう忠告してくれるが、少し遅かった。

 高杉・マリア=マルギッドの光線と冴月晶の剣――その大激突が俺の目を貫く。


 雨あられのように降り注いだ大量の光線。隙間なんてほとんど見えなくて、大きな柱が落ちてくるような圧迫感があった。


 それに剣の大軍勢が飛びかかっていったのだ。


 光線と剣はまったくの互角で、ぶつかった端からただの光へと変わっていく。ただ、その数が尋常じゃなかった。強烈な発光現象が俺の目を貫いて、一時的に視力を奪っていった。


「申し訳ありません。大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です。大丈夫」


 白と黒が明滅するばかりで何も見えない。しかし風を感じた。冴月晶が、結界の基点とやらへの疾走を再開したのだろう。魔法少女たちも俺たちを追いかけてきているはずだ。


 ――――――


 やがて俺の目がモノの形を捉え始めた頃。

「見えました。あれです」

「えっ? ど、どれっ?」

 俺が最初にしたのは、『箱』からのカードドローだった。そして前方へと目を凝らす。


 それは……細い路地裏に浮かぶオレンジ色の立体魔法陣だ。塔のような形をしていて、クルクル回っている。ゲームのセーブポイントみたいだなと思った。


「見えますか? アレを砕けば、次元結界は崩壊します」

「お願いします! 攻撃してください!」

「承知しました。お任せください」


 そして疾走の勢いそのまま、冴月晶の飛び蹴りが立体魔法陣を粉砕する。


 と同時に――「逃がすわけがないでしょう!!」――俺たちの頭上に魔法少女四人の姿。

 瞬間、いきなり足下が崩落した。

 バラバラになっていく景色の向こうに青空が見えた。


 というか――俺も冴月晶も、高杉・マリア=マルギッドら魔法少女たちも、みんな青空のど真ん中にいた。重力が襲ってきて、地面に向かって落下している。


 なんだこれ!? こんな結界解除ありかよ!? そう愚痴る余裕すらない。冴月晶と腰布で繋がっていなければ、気絶していたはずだ。


 景色はテレビで見るスカイダイビングの映像と同じ。街だけでなく遠くの山並みすらも眼下に見える。白雲すらもが俺たちの下にあった。


 きっと、魔法少女たちは、結界が破壊された時のために保険をかけていたのだ。なんという手の入れようだ。パラシュート無しのスカイダビングだなんて、俺への殺意が凄い。


「だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――」

 叫んだ。声の限り叫んだ。


 その間にも光線や魔法の石つぶて、雷撃は飛んできていて、さすがの冴月晶でも蹴り切れないみたいだった。


 あの『剣の軍勢』も今は使えない。あれは“光亡の剣 冴月晶”の『攻撃』と引き替えに使う能力なのだ。モンスターは一分間に一度だけ攻撃できる。俺はついさっき『結界の基点』を攻撃させた。一分待たないと“光亡の剣 冴月晶”の特殊能力は使えない。


 手札を見る。さっきドローしたカードを確認した。


 そして俺は、意を決して、冴月晶に向かってこう叫ぶのだ。

「冴月さん!! 必ず助けますから!! 必ず!!」

 モンスターカード〝イナゴ頭の悪魔”を切った。


 冴月晶が俺の言葉に反応してこちらに振り向く。しかし、次の瞬間、その姿は黒い霧となって風に流れてしまった。俺の目に入ってきた最後の表情は――微笑み――ハッとした。


 そして“イナゴ頭の悪魔”が俺と魔法少女たちの間に召喚される。

 だが弱い。イナゴ頭に雷撃が撃ち込まれ、光線がイナゴ頭の土手っ腹をぶち抜いた。


 大丈夫だ、問題ない。俺はイナゴ頭の戦力に期待したわけじゃない。むしろイナゴ頭を倒してくれて助かった。読み通りだ。


 即座にカードを切る。マジックカード“報復する飛蝗の群れ”。

『【種族:インセクト】の自分モンスターが破壊された瞬間に発動できる。このカードは発動判定を行わず、必ず発動する。相手は五分間こちらを攻撃できず、プレイヤーを対象とするマジックカードを使用できない』


 カードが効果を発揮した瞬間、イナゴ頭の身体がボコリと膨らみ、爆発した。


 イナゴ頭の亡骸から飛び出してきたのは大量のバッタだ。トノサマバッタからショウリョウバッタ、クルマ、オンブ、コバネイナゴまでいる。


 止めどなく溢れるバッタが魔法少女たちにびっしりまとわりついた。

「きゃっ――なんですかこれは!?」

「わっ、わたしっ虫は駄目なの! ちょっと待って! 嫌ぁ――」

「来るな! 来ないでって! なによこいつら!? 殺してもすぐ――!!」

「……もぉ、やだぁ。キモイよぉ……」

 魔法で殺されても、武器で潰されても、あっという間に魔法少女たちの肌を蹂躙する。ただの妨害工作とは思えぬほど、おぞましい光景だった。カードを使った俺ですら背筋が凍った。


 本当に申し訳ない。俺も生きるのに必死なんだ。


 五分間の安全が確保され、俺は悠々と“蠅の悪魔騎士ザザン”を召喚する。

 身長二メートルを超える漆黒の騎士が現れた。


「あなた飛べます!? この状況、なんとかできそうです!?」

「……ブブ……」


 黒騎士は俺を抱きかかえると、全身鎧の中に隠れていた羽を展開する。ビリッ、バリッと何かを破く音がして、透明の膜が現れた。昆虫の羽だ。


 羽が小刻みに震え、黒騎士は、俺の想像を遙かに超える速度で空を切り裂いた。

 あっという間に俺をビルの屋上まで連れていってくれる。


 どこだここ? ……ああ、ここなら知ってる。俺がさっきまでいた街だ。俺がマジックカードで壊したビル群も無事なようだし…………なるほど、本当に帰ってきたんだろう。


「ふぅ~~~」


 心底ホッとして深い深いため息が出た。疲れ切って壁にもたれかかった。


 気付けば黒騎士がいない。俺の右手にまとわりついていた『箱』も消えていた。ただ俺の手の中に、デモンズクラフトのデッキがあるだけだ。


 ……もしかして……俺は逃げ切れたのだろうか……。


 ……現実の街に戻ってきて、危機が去ったから、魔王の呪いが引っ込んだのだろうか……。


 ………………。


「なんだったんだ……いったい……」


 五〇枚のカードを一度手の中で広げてから、「なんだったんだよ……本当に……」スーツのポケットにデッキを入れた。


「本当に何なのかしら、魔王って」


 隣から聞こえた少し低めの声。反射的に振り向いたら、黒髪の美貌と目が合った。

 正真正銘、真っ赤な瞳にドキリとする。

 棒付きキャンディをくわえた官能的な唇が目に入ってきて、思わず喉が鳴った。


 男みたいな格好をしている。細身の白シャツとデニムパンツだ。白シャツのボタンは上二つが開いており、綺麗な鎖骨がチラリと見えていた。


 ふと、美少女がパンツのポケットに手を入れる。気だるそうにポケットの中を探ると。

「食べます?」

 包装された棒付きキャンディを俺に突き付けてくるのだった。緑色の飴――メロン味だ。


 俺はそれをおそるおそる受け取り、ごくりと生唾を飲んだ。


「………………妙高院、静佳……さん?」


 ガリガリとキャンディを噛み砕く美少女は、俺を見ることもなく、眠そうに目をこする。


「はあ、まあ、そうですね。妙高院静佳です。はじめまして」

「……本物です?」

「ですよ。思ってたよりも美人で驚いてます? あたし、テレビ映り悪いからな」

「……魔法少女?」

「そりゃまあ、こんなとこにいますしね。ああ、警戒しなくてもいいですよ。あたし、撮影明けでクソ眠なので。やる気なしです」


 その言葉を聞いて俺は膝から崩れ落ちた。

 ようやく俺を攻撃しない魔法少女に出会えたのだ。油断するつもりはなかったが、身体の方が言うことを聞いてくれなかった。緊張の糸が切れてしまったのだろう。

 立ち上がれない。下半身にまったく力が入らない。


「静佳さんっ!!」

 鋭い声にビクリとするが、もう動かせるのは頭くらいだ。


「あはっ。ソロモン騎士が五人もいて、素人さんにしてやられたわねぇ」


 妙高院静佳が腹を抱えている。彼女が指差す先には、さっきまで俺を攻撃し続けた五人の美少女が並んでいた。高杉・マリア=マルギッドが悠木悠里に肩を貸している。よかった……悠木悠里は一命を取り留めたのか……手負いの狼みたいに俺を睨んでるし、意外と元気そうだ。


 見れば、五人の魔法少女たちも薄汚れていた。砂ぼこりで真っ白になったサウスクイーンアイドルなんて見たことない。戦士って感じがした。


「どうして何もしていないんですか!? 抹殺は!?」

 俺に拳銃を向けながら、高杉・マリア=マルギッドが妙高院静佳に叫ぶ。

 妙高院静佳はきょとんとしていた。

「え? なんで?」

「最優先討伐対象ですよ! 任務を遂行してください!」

「いやいや。あたし言ったじゃん、和泉さんをこのまま殺すのはどうもなーって。マリア聞いてなかったっけ?」

「こっ――個人の意見がどうこうって事態じゃないでしょう!?」


 激昂する高杉・マリア=マルギッド。

 おもむろに歩き出した妙高院静佳はくわえていたキャンディの棒を取り出すと。

「落ち着きなよ。たかが魔王じゃない」

「むぐ――っ」

 唾液まみれのそれを高杉・マリア=マルギッドの口に入れたのだった。


 それから、ポケットから色とりどりの棒付きキャンディを取り出す。「はいはい、みんなもカリカリしない」と他の魔法少女に配り始めた。

 最後に自分で包装フィルムを剥いて口に放り込む。またガリガリ噛み始めた。


「上の許可はもう取ってあるからさ。ここはあたしに収めさせてもらえる?」


 五人の魔法少女は呆然と立ち尽くしているようだ。妙高院静佳の方が偉いのだろうか。どうにも同格という感じがしない。


「和泉慎平の身柄は、妙高院静佳が預かることになりました。文句がある奴はあたしが叩きのめします。以上、終わり」


 いきなり俺の名前が出て少し動転。あの妙高院静佳が俺の身を預かる? 何の冗談だ?


 しかしそれは俺の聞き間違いとかではなくて――いきなり抱きつかれた。


 そして俺の耳元で、聖女のように、魔女のように、彼女はささやく。

「我が名はシズカ。ソロモン騎士、妙高院静佳。人類の安寧を見守り、叡智の光当たらぬ不条理を屠る者。“聖痕の獣”の天啓を戴きし女」


 とろけるような甘い匂いがした。

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