悪魔たちの造物

「女の臭いがする」

 少年にそう言われて、俺は激しく動揺した。


 夜の大型レンタルビデオ店、いつものデュエルスペースで、日焼けの美少年が中年男の臭いを嗅いでくる。まるで猫のようにしなやかにまとわりついてくる。


 冴月晶と出会ったあの夜からすでに三日。

 いつもの辛い辛い日常に戻っていた俺は、馴染みのデュエルスペースで友人の落合忠信と遊び――そしていつものように、謎の超絶美少年に懐かれていた。


「はあ? そりゃ俺の体臭だ。おっさんのスーツに鼻を鳴らして、変態かよ」

「違うってぇ。思春期の綺麗そうな小娘の臭い――なーんかむかつくなぁ」

「うちの支店に一〇代の女なんていないぞ。一番若いのでも今年二一歳だ。ケバめだけどな」

 薄い肩を掴んで無理矢理引きはがした。


 思春期の綺麗な女性――思い当たるのは一人しかいない。


 冴月晶。


 しかしあれは三日も前のことだ。あれから風呂にも入ってるし、彼女の匂いは欠片も残っていないだろう。残っていたら俺が嬉しいよ。


「つーかお前さん、またこんな遅くまで遊んで……いいかげん親御さんも心配してるんじゃないのか?」

「いーのいーの。うちって放任主義だからさ。死んでなきゃ何にも言わないって」


 美少年が勝手に俺の膝に乗ってきた。

 嫌がる俺の腕を無理矢理こじ開けると。

「ちょっと待て。邪魔だ」

「別にいいじゃんかぁ。カード片付けるの、僕も手伝ったげるぅ」

 幼い身体が俺の胸の内に潜り込んできたのである。


 相変わらず得体の知れない子供だ……俺はこの少年の名前も知らない。いくら聞いてもはぐらかされてしまうから、しかたなく『お前』とか『少年』と呼んでいる。


 はて、俺がこいつに出会ったのはいつだっただろうか? 今年の八月上旬だったというのは間違いないが、日付までは覚えていない。ひどく暑い夜だったはずだ。

 初めはワイズマンズクラフトで対戦しただけだった。その時は俺が勝った。しかしそれ以来、俺はこの少年につきまとわれている。


 夜、友達の落合忠信とワイズマンズクラフトで遊んだ後にいきなり現れたり。

 夜、店で購入したカードを一人開封している時にいきなり現れたり。 

 夜、一八歳以上限定イベントであるナイトトーナメント終了後にいきなり現れたり。


 出現条件は――『俺が』『夜に』『この店にいる』こと。

 条件が整えば必ず現れてきやがる。


 夜遅くまで子供がデュエルスペースに入り浸ってるのはまずいだろうと思って、顔馴染みの店員に相談したこともあった。しかし、『はあ……まあ、あの子はいいんすよ』なんて言われてしまっては仕方がない。そういう生態の生物だと諦めることにした。

 美少年の出現に合わせてデュエルスペースから人気がなくなる謎の現象だけは、若干気になるが……真実を突き止める術など俺は持ち合わせていない。


「何でお前さんは俺にばっかり絡んでくるかなぁ」

「いつも言ってるよ? おにーさんが気に入ったって。好きでもない人間にこんなことするわけないじゃん」


 成長期前の小柄な身体が腕の中で伸びをする。

 すると綺麗な後頭部が俺の鼻先で揺れて、艶々の髪から甘い匂いが漂ってきた。この子供を襲ってみたいという衝動に駆られるが、俺は、咳払い一つで邪な欲求を封じ込めた。


「今日も対戦するのか? 負かされるのは、もうこりごりだぞ」

「何言ってんの? おにーさんは僕と四三戦して八勝もしてる。これは驚異的な数字だよ」

「ったく……相変わらず生意気な」

「でもねぇ、今日はワイズマンズクラフトって気分じゃないんだよねぇ」


 と――いきなり俺の膝から飛び降りてどこかに走っていった少年。やがてデュエルスペースに戻って来た時には、両手で何かを抱えていた。


「これやろっ。こーれっ!」


 ドンッと長机に置かれた『奇妙な時計』を見て、俺は「なんだこりゃ?」と首を傾げる。


「デモンズクラフトぉ!!」

「まるパクりじゃないか」

「違うってぇ。まだ開発中のゲームだから名前が決まってないの。デモンズクラフトは仮称さ。僕がそう呼んでるだけ」


 そうだ。それは、奇妙な時計だった。

 黒い箱にアナログ時計が二つ並んでいる。そして箱の上部には幾つかのボタンだ。一見すれば将棋の対局時計やチェスクロックに似ているが、それよりは大きい。ちょうどデッキが入るぐらいのスロットが空いていた。


 少年がこれ見よがしに両手を広げて言った。

「これぞ新感覚カードゲームっ! 時間の概念を取り入れたリアルタイムカードゲームがここに登場なのです! 従来のターン制を廃し、プレイヤーを縛るのは六〇秒という時間だけ! 刻々と変化する戦況に、今っ、あなたの頭脳が試される! ……なんてアオリで、どう?」


 少年が長い口上を並べている間、俺はずっとその時計をつついていた。

 持ち上げてみると想像よりもかなり重い。もしかして複雑な機械なのだろうか。


「どう? って言われてもなぁ。まだルールもさっぱり――」

 と、俺の前に真っ黒なカードの束が置かれた。


 それで俺はギョッとする。

 少年はこれが開発中のカードゲームだと言った。だからって裏面をここまで真っ黒にする必要があるのだろうか? 光沢はなく、見間違いかと思うぐらいに黒い。外枠が白く塗られていなければカードを数えることすら困難だろう。


「まあ、とりあえずやってみようよ。ルールはやりながら教えるからさ」

 俺の対面に座った少年が薄く笑いながら、カードを切り始めた。


「きっと、おにーさん向きのゲームだと思うんだよねぇ」


 ああ……この顔だ……この美しい笑顔が出たら俺はもう逃げられないのだ。いいかげん帰りたいのに、なぜか押し切られてカードゲームするハメになってしまう。いつものことなのだ。


「なんで開発中のゲームを少年が?」

「こう見えても僕は交友関係が広いからねぇ。それにほら、僕って可愛いし、ゲームも激強でしょ? 大体のことは思い通りになるんだよ」

「けっ。子供がわかったような口を……。で? 普通にシャッフルしたけど、これからどうすればいい?」


「この装置にデッキをセットしてね。うん、スロットに入れるだけでいいから」

「うおっ!? 勝手にカードが出てきたぞ!? ――五枚? これが初手か?」

「残りのカードは一分ごとに一枚ずつ排出されるから、好きなタイミングでドローしてよ」

「ふぅん。時計の赤い針が回り始めてるけど、これが次のカード排出までの時間ってことなんだよな」

「うん。別にすぐにドローする必要はないけど、手札は多い方が有利だからね。基本は――ほら、こんな感じでカードが出てくる。そんで、すぐさまドロー!!」


「忙しいゲームだな」


「じゃあ、さっそくモンスターの召喚からいってみよう。僕は“追憶の堕天使リグエル”を召喚! 各プレイヤーはモンスターを一体使役できるけど、強力な奴ほど召喚条件がキツいんだ。リグエルの召喚条件は手札を一枚捨てること。これで、新しいモンスターを召喚し直すか、相手に殺されるまでは、リグエルは僕の思いのままさ」


「えーと、それじゃあ俺もモンスター出すけど……こいつかな。“イナゴ頭の悪魔”」


「じゃあ僕はリグエルで攻撃しちゃうよ。モンスターに命令を出す時は、この機械の青色のボタンを押してね。小さな旗が立つから、それでリグエルのカードを横向きに。モンスターが相手を攻撃したら、一分間の待機時間が発生する。青色の針が一周して、この旗が倒れるまでは、もう攻撃はできないってわけ」

「防御はどうすんだ?」

「モンスターを出していれば、そいつが勝手に防御してくれる。だからこの場合は“追憶の堕天使リグエル”と“イナゴ頭の悪魔”のバトルだね。リグエルの方が戦闘力は高いから、イナゴ頭は殺される」

「身を挺して守ってくれたわけか。じゃあ次のモンスターを――」


「ちょぉっと待ったぁぁ! 僕はここで魔法を使うよ!」

「魔法だぁ? これか? このマジックカードって奴か?」

「魔法を使う時は、こっちの黄色いボタンを押すの。カードを見てみて。カードの左上に『成功判定』って項目があるでしょ?」

「ああ。何か数字が書いてある」

「魔法の効果がうまく発揮されるかどうかはダイスの出目次第ってことさ。僕は“灰色の炎”を使用して、ダイスを振るね。“灰色の炎”は三、四、五が出れば成功――ほい、四が出たから効果発揮っと。モンスターがいればそいつに四点ダメージ。モンスターがいなければ、プレイヤーにダメージが一点入るよ」


「これで俺のライフが減ったわけか」

「そう。お互いのライフは五。ゼロになったら死んじゃうから気を付けてね」


「忙しいゲームだな」

「スピード感があるって言ってよ。どのタイミングでカードを使おうとも自由自在。他にないよ、こんな臨機応変さを求められるカードゲーム」


「まあ……おおまかなルールは理解したよ。細かい部分はその都度教えてくれ」


 そして俺は手札を一通り確認する。

 少年がルール説明に時間を使ってくれたおかげで、手札はかなり貯まっていた。モンスターカードも、マジックカードも、よりどりみどりだ。


「モンスター召喚。手札を四枚捨てて“冥府喰らいのネビュロス”を出す。ネビュロスで攻撃」


 そこから先の少年とのやり取りは、手慣れたカードゲーマー同士のものだった。

 矢継ぎ早にカードを繰り出し。

 相手の召喚したモンスターをどう打ち崩そうかと、思考を巡らせる。

 初めてのカードゲームでも、今までの経験値で意外とどうにかなるものだ。


「そういえばサウスクイーンアイドルっていんじゃんかぁ」

「ああ、うん。今朝の情報番組でも妙高院静佳の特集が組まれてたな」


 盤面を動かし続けながらも、俺には、少年と世間話をするだけの余力が残っていた。


「新曲出るんだっけ?」

「ミュージックビデオが格好良すぎる奴な。俺、特装版予約しちゃったよ」

「それでさ。あのサウスクイーンアイドルたちが、全員、魔法少女って話知ってる?」

「……噂だろ? 噂なら聞いたことある――うっわ! 魔法しくじった!」

「にひひ。おにーさんツイてないねぇ」

「うっせ。こちとら少年みたいな反則級のツキは持ち合わせてねぇんだよ。“蠅の悪魔騎士ザザン”を召喚」


「僕さぁ、案外本当だと思ってるんだよねぇ。アイドルが魔法少女って奴」

「そうか……まあ、その方が夢はあるからな」

「多分悪くない手だよ。ああやって姿を晒せば、淫欲関係の有象無象は勝手に寄ってくるし、『騎士』を目障りにしてる連中だっておびき出せる」


「…………えっと……まさかお前も、事情を知ってる系?」

「ふへ? 何のこと?」

「いや……なんでもないけど……」

「いいよねぇ、魔法少女。人類の守護者。ワクワクする」

「ほら、今回は魔法通ったぞ」

「あー、はいはい。じゃあ防御魔法を使うね。ライフ削られませーん」

「ぐぬぬ……こっちはお前さんと違って魔法の発動が確定的じゃないのに……!!」

「あー、運の無い人はかわいそーだなー。僕の幸運を分けてあげたいなー」

「ぐ……いいさ。ここから逆転するから」

「できる? おにーさんに」

「まあ、子供になめられっぱなしってのも、大人としては癪に障るからな。“蠅の悪魔騎士ザザン”で攻撃――」


 そして――俺はそれから、少年を追いつめていく。

 夜の深まりに合わせて、薄氷を踏むがごとくに用心深く、勝利に近づいていった。

 少年はどこか嬉しそうに笑っていた。


「すごいすごい。やっぱりこのゲームは、おにーさんに向いてるよ」

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