二人のカードゲーマー

 課長にメチャクチャ怒られた。

 こんな時間まで何やってたんだ!? とか。オレを待たせやがって何様のつもりだ!? とか。


 まあ、課長が怒鳴りたくなるのも理解できる。俺が戻ってこないと支店が閉められないから、いつも以上にイライラしながら待っていたんだろう。


 時刻はとっくに夜一一時を回っていた。支店に残っていたのは課長一人だった。


 俺が佐久間さんから受け取った財務書類は、どれもこれも部外秘の重要なものだ。もしも外部に漏れれば俺のクビはもちろんのこと、課長や支店長の立場すら危うい。


 平謝りの俺は全速力で書類を整理し、いつもの手続きで金庫に入れた。

 支店中を走り回って、ほとんど俺一人で戸締まりを終える。終電がどうのこうのとがなり立てる課長の背中が夜の街に消えるまでペコペコと頭を下げ続けた。


 そして――気が付けば、二四時間営業のファミレスの前。


「……………………」


 呆然と立ちつくしていた。手にした通勤カバンを取り落としてしまいそうなほど、フワフワした気分だった。


 遊び慣れしてそうなカップルが、ひどく邪魔そうに俺を避けて入店していった。

 夢遊病者のような足取りで俺もカップルの後に続く。


「いらっしゃいませぇー。おタバコ吸われますかぁ?」


 化粧の濃い女店員に声をかけられるが、「いえ、待ち合わせしてまして――」と一言告げて、禁煙席の方をキョロキョロ探す。


 手を振られた。……………………セーラー服の美少女に。


 俺は小さく咳払いをしてから、深呼吸で気持ちを整え、隅の席に向かって大股で歩き出す。


「すみません。お待たせしました」

 深々と頭を下げた。大の大人が一五歳の女の子にする態度ではないが、『憧れ』を前にしているのだ。これぐらいの礼節では生ぬるいとも言える。


「――ボクの方こそ申し訳ありません。明日もお仕事でしょうに、付き合っていただいて」

 彼女も慌てて立ち上がり、会釈してくれた。


 テーブルの上には食べかけのカルボナーラとドリアとハンバーグとシーザーサラダ、そしてメロンソーダ。といってもほとんど食べ終わっている。

 椅子に座り直す彼女は、目の前に並んだおよそ一人分とは思えない皿の数に「たはは――」と笑うのだった。


「ごめんなさい。お腹すいちゃって」


 俺は緊張で食欲なんてない。ちょうどホール担当の店員が通りがかったので「あの、ドリンクバー一つ追加で」と注文してから、彼女の対面の椅子に通勤カバンを置いた。


「ちょっと、飲み物を取ってきます」


 ドリンクバーで選んだのはブラックコーヒー。甘いカフェラテでもよかったが、ちょっとだけ格好を付けた。

 また深呼吸してから、席に戻ると……なぜか彼女の前の皿が片付けられているところだった。


 ……すべての皿が綺麗に平らげられている……俺がコーヒーを取りにいった数十秒で、残りを完食したというのか? いったいどんな食欲――いや、手品だろうか?


 店員が立ち去るのを待って、満を持して俺は席に着いた。

 すると、「身体は重くないですか? かなり入念に障気は消したので、大丈夫だとは思うのですが」と彼女の穏やかな声色。


 俺はまた深く低頭した。

「助かりました。あなたが助けに来てくれなかったら、どうなっていたことか――」


「それは“いずみん”様が懸命に生きようとしたからです。わずかな時間といえど……あなたが逃げていてくれなければ、ボクはきっと間に合わなかった」


 そして彼女は姿勢を正す。

 目立つ銀髪を黒髪のカツラで隠し、瞳にはおそらく黒のカラーコンタクト。

 彼女が装うのは、一見、地味めな黒目黒髪のセーラー服女子中学生――とはいえ、こんな美少女、そんじょそこらにいてたまるか。


「では、改めまして――冴月晶と申します。普段はアイドルとかやってるんですけど、これはもうご存じですよね?」


 知っている。当然知っている。俺はこの少女の年齢はおろか、水着グラビアだって見たことがある。そして……公表されていない『特技』すらも、今日知った。


「和泉慎平です。この近くの信用金庫に勤めてまして――」


 一応身分は明らかにした方がいいだろうと名刺を出した。

 俺の名刺なんかゴミになるから出さない方が親切だったかな……渡してからそう思い直したが、「へえ、渉外さん。こんな遅くまで外回りなんて、信用金庫って、大変なお仕事なんですねぇ」という優しい気遣いにホッとした。


 コーヒーを一口すすってから、おそるおそる尋ねてみる。

「あのぅ……それで、冴月さんは、どうして私のことを?」


 冴月晶は手元に名刺を置くと、わずかに視線を反らし、ためらいがちにこう言うのだった。

「それは……“いずみん”――和泉様が、一番ボクを上手く使ってくれたから……」


「はい?」

「あー、ええとですね、実はですね……あれ? これって言ってもいいんでしょうか……? まあ、いいですよね。悪いことしてるわけじゃないですし……」


 あの屋上……あの星空の下で、俺は、白マントの霊能力者が冴月晶だと確信した次の瞬間、彼女にサインをお願いしていた。悪霊に襲われても手放さなかった渉外カバンからメモ帳とサインペンを出して――ほとんど反射的な行動だった。

 しかし冴月晶はサインペンを受け取ってくれない。『この近く、本屋隣のファミリーレストランでお待ちしております』そう口元だけで微笑むと、霞のように消えてしまった。あの悪霊を見た後だ。冴月晶が瞬間移動で消えたとて、少しも驚くことではないように思えた。


 冴月晶は何が目的で俺を呼び出したのか。

 果たして俺は彼女のサインがもらえるのか。


「うぅ……いざとなると、なんだか気恥ずかしいですね……」

 もじもじと何かを言いにくそうにしていた冴月晶だが、やがて意を決したのだろう。


「あの、実は――」

 ぎゅっと目を閉じて言った。

「ボクもワイズマンズクラフトやってるんです! それでっ、和泉様に色々と教えてもらいたくて――!!」


 飛び出た言葉に俺は耳を疑うばかり。

 冴月晶は照れくささを隠すためか、矢継ぎ早に言葉を並べるのだった。


「あっ――アイドルがカードゲームなんておかしいと思われるかもしれませんけど、今はネット対戦ができますし、声だって簡単に変えられます。ネット内での大会もあります。これでもボク、結構有名なんですよ、ハンドルネームですけどっ」

「………………え?」

「ハンドルネームですけどッ」


「え? まさか……カードゲーマー、なんです?」


「はい。もうホント、ワイズマンズクラフトが大好きで――ですからですねっ、ワイズマンズクラフトがボクらとコラボするって聞いた時はワクワクしましたし、ボクのカードがウルトラレアで出るって聞いた時は本当に嬉しかったんです」

「なるほど。そりゃあそうでしょうな。私だって、ファン冥利につきました」


「でも、“千刃の舞姫 冴月晶”は、凄く弱――使いにくいじゃないですか……アンリエッタ様とかクリス様とか、静佳様とか、あんなに強くなくていいんです。ボクはまだ未熟ですから……でも外れカードって言われるの――少し辛くて……」


 と――その時、冴月晶がまるで祈るがごとくに指を組む。かなり力がこもっているのか、指先が赤くなっていた。


「でもそんな時にあなたの動画を見たんです! あんな大きな大会で、ボクのカードを使って、準決勝まで進んだ和泉様のプレイを!」


 俺は、動画? 何のことだ? と眉を動かす。

 そして思い出した。俺が大活躍したワイズマンズクラフトのイベント大会で、準々決勝以降の対戦がネット配信されていたことに。


 ……じゃあ、この人は見たのか……俺が勝った準々決勝と俺が負けた準決勝を……。


「耐えて、耐えて、耐えて。冴月晶のカード効果の一撃で決める……!! 準決勝では惜しくもクリス様に届かなかったですけど……それでも、ボクのカードでここまでできるんだって、感激で。ボクの効果で静佳様を倒した準々決勝の動画は、三〇回ぐらい見ました。本当です」


 光栄だと思った。まさか俺のプレイが『本人』の救いとなっていたとは……。


 俺はファンだから“千刃の舞姫 冴月晶”を使っただけだ。俺のプレイが冴月晶本人の目に触れるとは思うわけがないし、それが縁となって夜のファミレスで彼女と二人っきりなんて、今でも何かのドッキリじゃないかと訝しんでいる。


「……もしかしたら、一般のファンの方とこういう形でお会いするのはあまり良くないことなんでしょうけど……」


 少し落ち着いたのか、細い吐息を漏らした冴月晶。

 わずかな沈黙の後、一五歳とは思えぬほど大人っぽく微笑むと。

「どうしてもお礼を言いたかったんです。和泉様にボクを使っていただいたお礼を」

 俺なんかに向かって丁寧にお辞儀した。


 俺は「いや……恐縮、です」と声を震わせるのが精一杯。


「ふふふっ。少し驚かれました? アイドルが魔法使い、そのうえカードゲーマーで」

「いえ――あっ、いや、まったくもって」


 ……魔法使い……魔法少女……霊能力者じゃなかったのか……。 


「ただ、どちらかといえば魔法使いの方が驚きですが。私、今まで幽霊とか信じてなくて……あるんですね、あんなこと……」

「世界は未知で溢れてますから。あまり他言しないでくださいね」

「冴月さんは昔から?」

「そうですね。アイドルとしてデビューさせていただくよりも前から」

「では、この街には、やはり、幽霊や不思議な事件を解決しに? 私たちが知らないような」

「それは、秘密です」

「他のサウスクイーンアイドルの人たちも魔法使いだったりするんでしょうか?」

「それも、秘密です」


 他にも尋ねたいことはあったが、多分、魔法使いのことはほとんど教えてもらえないはずだ。あまり困らせたくないからこれ以上は追求しないでおくことにした。


 ちょうど、以前耳にした『サウスクイーン所属のアイドルたちが魔法少女』という噂のことを思い出した。

 どこぞの高校生たちが話していた荒唐無稽な噂……しかし、あれは真実だったのだ。俺みたく彼女らに助けられた誰かから漏れ広まったのかもしれないが、きっと――妙高院静佳も、アンリエッタ・トリミューンも、クリス・キネマトノーマも。


 コーヒーを口に含んで、改めて冴月晶を見た。


 ああ……なんて美しい――

 しみじみとそう思った。彼女の仕草一つ一つが俺の感性を強く刺激していく。


「あの……それで、和泉様はボクのカードを、どう思われます? ボクにはデッキを作ることすら難しくて、そもそもどうやって戦っていけばいいのかも……」

 照れくさそうに俺にアドバイスを求める姿も。


「えぇと……突破力だけなら全カード中でもピカイチでしょうね。禁止カードの“プレスター・ジョン・ドラゴン”すら超えてます。あとは、重たい能力発動条件とどう付き合うか、だと」

 強すぎて今も使用禁止になっているカードを比較対象にした俺の批評に、ほころぶ表情も。


「刀剣カードを三枚も破棄しないといけないってイジワルですよね。ボクも一度デッキを作ってネットで対戦してみたんですけど、手札が刀剣カードで埋まって、『ボク』を召喚するところまで辿り着けないんです」

 そう言って、少し悔しそうに眉をひそめるのも――何もかもが現実のものとは思えぬほどに美しい。


 俺は大変なことを思い出して「そうだ」と手を打った。


「私の冴月さんデッキ、ご覧になられます? 実はちょうど持ってきてて」

 そう言って通勤カバンを引き寄せる。良かった。昨日の夜、友達の落合忠信といつもの店で遊んでいて。その荷物を通勤カバンに入れっぱなしにしていて。


 カバンの中身を探りながら、珍しく活躍した俺のずぼら癖に感心していたら――。


「対戦してください!! ボクもカバンにデッキ入ってるんです!」

 興奮のあまり思わずテーブルに乗り出してきた冴月晶に少し驚いた。


「い、いいですよ――もちろん」


 俺が目を丸くしたのを見て、冴月晶が「あ……ごめんなさい……たはは……」と手で口を覆う。おずおずと席に座り直し、場を取り繕うような落ち着いた声を出すのだった。


「この前、ネットの大会で優勝したデッキを使います」

「えぇぇ……優勝デッキが相手ですか。何もできずに負けたらすみません。その時は、私の運がどうにも振るわなかったってことで一つ」

「ふふふっ。勝負する前から言い訳だなんて。しっかりしてください、『ボク』の使い手様」


 それから俺たちはデッキをシャッフルして、右手側に置いた。


 先攻は冴月晶だ。俺は指先がしびれるほどに緊張しながら、彼女の第一ターン目を見守るのだった。


 ……とても信じられない……アイドル・冴月晶とカードゲーム……とんでもない人生だ。


「――“幼き騎兵隊員”を召喚して、山札から白エーテルを一枚出します。ターンエンド」

「ほう、白デッキ。手堅いのがお好みなんですね。なら私は“剣神社の巫女”を出して、デッキの上から四枚オープンで――お? これは幸先いいかな――刀剣型カードが二枚めくれましたんで、二枚とも手札に加えます。こちら終わりです、どうぞ」

「剣神社? 初めて見るカードです」

「古いカードですからね。一五、一六年ぐらい前の。イラストの感じが既に古いでしょう? 多分、ネットの通販なら、一枚一〇円ぐらいで売ってます」

「本当、和泉様は物知りでいらっしゃるんですから。……では、参ります。ドロー。デッキの一番上を無色のエーテルとして場に出します。それからボクのエーテルすべてを使って“双頭の庭師ニコラ”を召喚。ニコラでアタックします」

「ははぁ。早速動いてきましたね。二点ダメージならそのまま受けましょう」

「和泉様の動画は何度も見てますから。そのデッキの弱点、立ち上がりの遅さを突かせていただきます」

「やめてください。死んでしまいます」

「せっかくですし、本気で戦わせていただかないと」

「なるほど、容赦なし、ですか……では、こちらも少しだけ反撃をば――」


 ゲームが始まっても、どうにも集中できていなかった。

 あの冴月晶が本当にワイズマンズクラフトやってるよ。手札から何出そうか考えてるのすら綺麗で可愛い……まつげ、グラビアで見るより長い気がするな……。


 それでも俺は反射的に最善手を繰り出していく。限られた手札の中で何ができるかを瞬時に判断し、未来に向けて罠を仕掛けていく。

 人生の半分以上をカードゲームに費やしてきたのだ。いくら集中力を乱されようとも、これぐらいの芸当ができないで何がカードゲーマーだ。


「――えっと……この場合、ニコラは助けた方が…………“白銀の魔法鎖”を使います」


 おっ、こっちの特殊能力を打ち消すアイテムを使ってくれた。俺なら今のタイミングじゃあ使わなかったな。“双頭の庭師ニコラ”を見捨てでも“白銀の魔法鎖”を温存したはずだ。それとも、もう一枚手札に握ってるのか? いや、さっきの彼女のカードの使い方はそういう感じじゃなかった。惜しがりながら使った感じだ。


 その後も俺は少しずつ盤面を整えていった。二回攻撃されたら一回反撃する感じで、ユニットやライフポイントを犠牲にしながらも時間を稼いだ。


「さて、ボクの切り札も引けたことですし、そろそろ終わらせましょう。“白の車輪巨兵レイオットライオ”を召喚。和泉様のユニットをすべて手札に戻してから、アタックを宣言します。いかがですか? そのまま受けたら致命傷になりますよ?」

「もちろん逃げます。手札から“アヴァロン島に来た冬”を」

「ライフ減らなくなるんでしたっけ?」

「ええ。それと冴月さんのユニット一体を次の冴月さんのターンまで行動不能に。まあ、ニコラに止まってもらいましょうか」


「……ぐぬ……ターンエンド、です……」


「はは、睨まないでください。これも“千刃の舞姫”のためですよ」

 そして、このターンも俺は守りを固めただけだった。

 手札にはすでに“千刃の舞姫 冴月晶”がある。だが盤面が足りていない。この超高コストユニットを召喚するだけのエーテルがないのだ。


 ……あと三ターン……。


「もうっ、本当に逃げるのがお上手でいらっしゃるんですねっ」

「なに、これが持ち味ですから。動画でご覧になってるでしょう?」


 口では余裕をかましながらも内心冷や冷やしていた。

 このアイドルさん本気で強いぞ。持ちこたえられるかどうか……ギリギリだな。


「もーぅ、なんで決まらないんですかぁ!?」

「あ、“シャンバラからの手紙”の追加効果です。私のライフが三点以下なので、手札見せてもらえますか?」

「ぴっ、ピーピング効果なんて卑劣ですっ。あー、見ないでくださいー」

「ふむ……わかりました、ありがとうございました」

「…………にやけてますよ……お顔……」

「おっと失礼。いや、特殊能力無効化のカード持ってたら嫌だなぁと思っていたもので」

「もういいです。次のボクのターンで決めきりますから」


 そうだ。次の冴月晶のターンがすべてだ。彼女の怒濤の攻めが俺に届くか、俺が逃げ切って“千刃の舞姫 冴月晶”で斬り伏せるか。


「……しぶとい……こんなに粘る人、ネットにいない……」


 しかし冴月晶は楽しそうだった。手札に悩み、敗北の気配に焦りながらも、勝負所の緊張感に口元は笑っていた。まるでネット対戦では味わえない現実の感触に酔いしれるみたいに。


 そして、手札やユニット効果の応酬の挙げ句――


「……嘘でしょう……? ……耐え、られた……?」


 俺は冴月晶の猛攻をしのぎきる。正直言うと、ワクワクするぐらいには間一髪だった。あと一手が彼女にあれば、俺は負けていただろう。


 俺のターン。確実に勝負が決まるラストターンがやってきた。

「それでは――」と俺はもったいぶってから、「“千刃の舞姫 冴月晶”の一撃必殺をご覧じろ」ホログラム加工で光り輝くレアカードを召喚する。


 その瞬間の冴月晶の顔といったら……勝負に負けて悔しいはずなのに、心を溶かしてしまうほどの歓喜に満ちていた。なんか、女子中学生とは思えないほどのエロい顔をしていた。


「手札から刀剣カードを三枚破棄して、“千刃の舞姫 冴月晶”の特殊能力を起動します。対象は“白の車輪巨兵レイオットライオ”。何か対抗手段はありますか?」

「ありません」

「ではレイオットライオは破壊で。その後、冴月さんに一五点のダメージを与えます。何か対抗手段はありますか?」


「……ありません……ボクの、負けです……」


 満を持して登場した『自分自身』にやられて満足したのだろうか。

 俺の手元にあった“千刃の舞姫 冴月晶”に手を伸ばすと、うっとりしながらカードを眺めるのだった。


「……これが、ボク……この強いカードが、ボク……あはは……あははは……」


 俺はホッと胸をなで下ろす。

 ――良かった。カードゲーマー・冴月晶を楽しませられた上に、“千刃の舞姫 冴月晶”の強さを披露することができて。


 テーブルに広げたカードを片付けながら――ふと、辺りを見回した。

 深夜のファミリーレストランに客はそれほど多くない。禁煙席も埋まっているのは俺たち以外に六テーブルだけだ。


 だが、それでも……と、疑問が浮かぶ。


 浮ついていて今まで気にもしていなかったが、なぜ視線の一つも感じないのだろう?

 こんな夜更けに制服の中学生とくたびれた中年男だぞ? ホール担当の店員に援助交際を疑われたっていいのに。

 なぜ、客の誰も、少女の美しさに気付かないのだ。冴月晶だぞ? 軽くパニックが起こるレベルの国民的アイドルだぞ? 万が一、美少女の正体が冴月晶だと気付かれないにしても、普通、物珍しさに俺たちの様子をうかがったりするだろ。

 いくらなんでも平穏すぎると思った。

 自意識過剰じゃない。俺だったら――なんだろうあいつら――ってチラ見すると思うから。


 ……もしかして魔法か? もしかして、アニメとかで見るようなご都合主義のステルス系魔法か? 俺たちを目立たなくするような……。


 それで俺は、自らを『魔法使い』と名乗ったアイドルを再び見やった。

 しかし、その美しい少女には、魔法を使っている素振りなど微塵もありはしない。俺の視線に気付くと、俺なんかに深く微笑んでくれるのだった。


「本当……“いずみん”様にお会いできて幸運でした。そして勇気を出してお誘いしてみて。こんなに嬉しい敗北は初めてです」


 そうだ、サインもらわないと。

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