賢人たちの造物

 趣味がなかったら俺の人生はどうなっていたんだろうと思うことがある。


 味気のない奴隷のような日々を繰り返していたか……。

 それとも、人並みに結婚とかして、少ない給料を嫁に嘆かれていたか……。


 何はともあれ、今の俺の生活において、一〇代前半から続けている趣味――トレーディングカードゲーム――は欠かすことのできない寄る辺となっていた。


「和泉さん。それじゃ俺、そろそろ帰りますわ。これ以上はさすがに嫁に怒られる」

「ごめんな。新婚さんなのに、デッキの調整に付き合わせちゃって」

「いいんすよ。和泉さんのデッキ、大体へんてこなギミックが入ってて面白いし。勉強になります」

「パワーカードが嫌いな偏屈者ってだけだよ。たいしたもんじゃない」


「プレイングは半端ないのに、妙ちきりんなネタデッキ使うからなぁ。環境トップのデッキ使ったら、普通に地方大会でもいいとこ行くでしょ」

「さて、どうかな……ここぞというところで運弱いからね。それに今の環境って速攻とロック系ばかりだろ。さすがに痛いって、三十路過ぎが勝利に飢えてる感じは」


 夜九時を回った。

 仕事帰りの俺は、二四時間営業の大型レンタルビデオ店――そのデュエルスペースで、ポロシャツ姿の眼鏡男・落合忠信と対峙していた。


 カードゲーム販売コーナーの一角に設けられたデュエルスペースには、長机が並べられ、客が自由にカードゲームで遊べるようになっている。

 無料開放されているため夕方は学生たちでにぎわうが、さすがにこの時間だ。三六人同時対戦可能な広いスペースには、俺と落合くんしかいなかった。


 落合くんがカードの束を通勤カバンにしまいながら言う。

「そういや前に言ってたライブチケットの抽選どうだったんす?」


 俺はサムズアップして、その質問に答えた。


「さすが持ってるなぁ。つーか誰推しですっけ? 妙高院静佳?」

「うんにゃ、冴月晶さん。オールスターライブだから妙高院静佳も出るけどね」

「いいんすか? カードゲーマーのくせに、アイドルにも金落として。結婚できませんよ?」

「だって……社畜やってると、アイドルに癒されたい時しかないし……」

「はあ? アイドルとはセックスできないじゃないすか。ほんと、不憫な人だなぁ」

「でもまあ、年末のライブまではなんとか生きていけそうだよ。うっかり自殺もできない」

「ははっ、ブラック勤めの和泉さんが言うと洒落になりませんって。それじゃあ、また」

「おう。また」


 そして落合くんは小走りでデュエルスペースから出て行った。


 俺は涼しそうなポロシャツの背中が見えなくなるまで目で追いかけてから、「…………」無言のままカードの片付けを再開する。


 ――さて、落合くんは今週末のショップ大会には出てくるだろうか?

 そんなことを考えていた。


 落合くんとは知り合ってもう三年になる。

 就職でこの町にやってきた彼とは、まさしくこのデュエルスペースで出会ったのだ。ずいぶんと丁寧なプレイングをする好青年だと思った。店舗主催のカードゲーム大会で何度か対戦し、世間では『使えない』と思われているマイナーカード重視のプレイングスタイルで意気投合してから、飲みにいったのも一度や二度じゃない。

 今ではSNSでちょくちょく連絡を取り合い、都合が合う日はこうやって仕事終わりに落ち合ってカードゲームを楽しんでいる。

 とはいえ、彼の結婚を機に、顔を合わせる機会はかなり少なくなっているけれど。


「……いつまで……こうやって遊べるものかな……」


 不意に、いつかは落合くんとも疎遠になってしまうんだろうな……としんみりした。

 今はまだいい。だが、子供ができれば、向こうはカード遊びどころではなくなるだろう。


 学生時代の友人ともこの頃は滅多に会わなくなった。

 あと一〇年もすれば……四〇歳も半ばになれば、きっと俺は一人っきりなんだろうな。

 …………そんな確信がある。

 未来を思えば不安が積もるばかりだ。

 そもそも、明日の仕事をこなせるかも怪しい人間に、将来を語る資格があるわけがない。


「おにーさん」


 明日も朝の会議で課長から――こんな成績でどうやって責任を取るつもりだ――なんて問い詰められるのだろう。


 出勤まであと九時間ちょっと。


「おにーさん」


 カードゲームに現実逃避する時間が終わり、憂鬱で心臓がシクシク痛んだ。いっそのこと死んでしまった方が楽かもしれない。


「ねえ、おにーさん」


 その時ようやく呼びかけに気付き、「んぁ? お、おう――」慌てて顔を上げた。


「おにーさん、大丈夫? 顔、真っ青だよ?」

 見知らぬ少年がいた。

 まったく見たこともない児童が、俺の顔を横から覗き込んでいた。


「――ッ」

 俺が瞬間的に声を失ったのも無理はない。

 その少年は、信じられぬほどに美しかったのだ。


 日本の映画史を彩った数多の美少年など、束になっても太刀打ちできぬほどの超絶美形。

 俺の顔認識能力の限界を突き抜けていたせいか、最初、俺は、その少年が同じ人類であることを把握できなかった。

 三度まばたきして初めて――なるほど。この子、人間だ――と納得する始末。


 本当に美人だった。

 おでこを見せるほどに短い黒髪。

 蛍光灯の光を反射させてつやつやと輝く小麦色の肌。

 どんな血が混ざっているのかまったく想像できない、少年として完璧な目鼻立ち。


 『美』という一点に特化してあらゆる人種をかけ合わせていったら、こういう芸術的生命体も出来上がるんだろうが…………そんな存在が、ただの凡人である俺の前に現れたことの意味がわからない。


「おにーさん?」

 首をかしげる仕草も完璧だった。


 紺色の半袖半ズボン。

 どこかの小学校の夏用制服から伸びる細い手足が、至上のエロスを醸し出している。


「え――あ、ああ……なに? 俺になんか用?」


 平静を装って返答したものの、俺の背中は一気に吹き出した汗でびっしょり濡れていた。心臓だって、少年に聞こえてしまいそうなほど高鳴っている。


 少年は自己紹介することなく俺の手元を指差して言った。

「そのカード……ワイズマンズクラフトやってるんでしょう?」


 ――片付け途中のカードたち。

 それは、ワイズマンと呼ばれる魔法使いたちが引き起こす奇跡の数々を具象化したものだ。

 火・風・水・土の四大元素を操るなどお手の物。その気になれば、人智の及ばぬ神域の怪物たちを自由自在に召喚・使役したり、無骨な無機物に新たな命を与えることだってできる。

プレイヤーはそういった一五〇〇〇種に及ぶカードの中から五〇枚のデッキをつくり、お互いのライフポイントをかけて一対一で戦うのだ。

 発表から二〇年を超えてなお、愛好家たちを魅了する対戦型トレーディングカードゲームの金字塔――ワイズマンズクラフト。

 この日本生まれのカードゲームは、今や、北米を中心として世界的にもそれなりの地位を築いていた。


 そして――少年が半ズボンのポケットからカードの束を取り出し、俺に突き付けてくる。

「お手合わせ希望なんだけど」

 ワイズマンズクラフトのデッキだ。


「………………は?」

「お連れさん帰っちゃったみたいだし、僕とも遊んでよ。いいでしょ? これでもね、僕も結構やるんだから。楽しませてあげる」


 すると俺は手元に置いてあった自身のデッキに視線を落とし。

「いや……」

 できるだけ少年と目を合わせないように苦笑いを作り上げた。


「悪いね。もう九時過ぎだし、俺も帰るところなんだ。ていうか、君、何歳だよ? このデュエルスペース、七時以降は小学生がいちゃ駄目なんだぜ。店員に叩き出される」

 そう言ってカードの片付けを終えようとする。


 しかし――「堅いなぁ。童貞かよ」

 突如として、少年の細い指が、カード束を掴む俺の手にからみついてきた


「んな――!?」


 なんと自由自在に動き回る指だろう。

 なんという色香だろう。

 頬が触れてしまうほどの距離に、少年のふくらんだ唇がある。


 前触れもなく行われた乱行に、まったくと言っていいほど身体が動かなかった。上司に無理矢理連れていかれたセクシーパブで嬢にからかわれた時でさえ、ここまで蛇に睨まれた蛙になったことはない。


 触れ合った手から伝わってくる少年の体温は、俺が想像していたものよりもずっとずっと冷たかった。


「ごめんなさい、手が滑っちゃった」

 少女のようにそう微笑んで、ゆっくりと離れていく少年の指。


「僕さ、おにーさんのことずっと見てたんだ。面白いデッキを使う人だなって。お友達とのバトルに夢中で気付いてなかったでしょう?」

「あ…………ま、まあ……」

「ずっと探してたんだぁ、おにーさんみたいなカードの使い方をする人間を。どうせだから、おにーさんみたいな人がよかった」

「は……?」

「気にしないで、こっちの話。そうだねぇ……多分、きっと――おにーさんは、僕となら、肌がひりつくような戦いができると思う。おにーさんが体験したことのない興奮を、僕なら与えてあげられる」


 俺は手の中のカードを見つめながら、少年の声を聞いていた。


 少年は言葉を紡ぎながら、勝手に俺の対面に腰掛ける。

「戦おうよ。毎日毎日必死に働いて、それでも報われなくて――何のために生きているのかわからない、クソみたいな明日を、忘れちゃうくらいに」


「はあ?」

 俺は、何言ってんだこのガキ――と思って顔を上げた。


 ところが、目の前にいたのは、フフフと媚笑を浮かべながらカードを切る、あまりにも美しいカードゲーマー。


「一戦だけ。一回だけでいいからさぁ」

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