第8話「罪と罰」
事件の決着はついたはずである。
宮司が完全に故意を否定したことで、宮司は不起訴となった。(そもそもが形式的な書類送検であったが)宮司が不起訴である以上、監督、コーチの責任も刑事上はない。
とはいえ、刑事上の責任がなかったことが、結果全員に対しておとがめなしということにはならなかった。監督は責任を取って日明の監督をやめたが、約束されていた日明高校、日明グループ役員への道は閉ざされた。
「いくら仕方ないこととはいえ、イメージが悪過ぎてね」
それが、日明の理事長の言葉である。多少予想はしていたが、牛頭の老後プランは大きく崩れた。このとき牛頭が思ったことは、井狩へに対する懺悔や謝罪の気持ちではなく、恨みである。
「あいつさえいなければ、こんなことにならなかったのに」
相変わらずそれだけだった。
コーチの名前はさほど、ネットでは話題にならなかったため、芝が牛頭の後を継いで、監督になることに弊害はなかった。むしろ、あとを継いで監督になろうなんて酔狂な人間がいなかったのだ。
芝は予定通り監督になることができたが、残念ながら監督業は長く続かなかった。そもそも、日明高校の野球部が長く続かなかったのだ。あの死亡事故と同時に、日明高校の野球部には誹謗中傷が相次いだ。
『日明高校は、勝ち上がるためにわざとぶつけて、井狩を殺した』
『人殺し集団の日明野球部』
『あんな野球部と戦うことになったら殺されてしまう』
似たようなコメントが掲示板を覆いつくされ、日明野球部部員と分かったSNSのアカウントは容赦ない攻撃を受け続けた。耐えきれない日明野球部は次々と退部していった。そもそも、そういったネット上の攻撃など受けなくても、日明野球部員のモチーベーションは低く、どこかに自分たちが勝ち上がっていいものかという思いを抱えながら練習をしていた。
気づけば、部員の退部の連鎖は続いていき、事件から1年もたたずに野球部は存族ができない事態となった。
ちなみにエースの清流院は事件が起こると早々に転校していた。彼は、試合に出場しなかったおかげで、元日明高校だというイメージもほとんどなく、野球を続けることができ、翌年の甲子園では大活躍することになる。
結果、事件から半年と持たずに、日明野球部の部員はいなくなり、芝コーチが監督として活動できた期間は1年にも満たなかった。
さて宮司である。
刑事訴追こそされなかったものの、宮司のその後は散々なものである。
事件があり事情聴取のあと、すぐに宮司は保護者とともに、井狩の家族の元を訪れた。監督やコーチの動きがあまりにも遅く、あげく謝りに行く必要はないとまで言っていたので、宮司の保護者の判断で動くことにしたのだ。
相当の批判を覚悟したのだが、井狩の父の言葉は予想に反して穏やかだった。
「……無念ですが、あなた方を責めても仕方ないことです、こういうこともあるのが野球ですから。ただ、挨拶をするのもこれを最後にしてください。仕方ないこととはいえ、あなたを見るのはあまりにも辛い」
震えながらこの言葉をだした父親の姿を見るのは、宮司にとってあまりにつらく、普通に罵倒されるよりもはるかに堪えた。
さらに、井狩の父は言葉を付け加えた。
「私も、息子もつらいですが、宮司くんあなたはきっともっと辛いでしょうし、つらい目に合うでしょう。どうか息子の分まで頑張って生きてください。それが君の責任です」
この言葉はさらに宮司に重くのしかかった。責められないということがこんなに辛いとは……。
宮司ははっきりと嘘をついているのだ。
今回の事件は仕方がないことなんかではなく、明確な意思をもって、宮司が井狩にボールをぶつけた事件である。
目の前にいる父親に真実を言わないことで、罪悪感が彼を押しつぶしそうだった。
しかも、後日分かることだが、井狩の保護者は警察に対して、宮司の刑事訴追を求めないという嘆願を出していた。(それもあって、宮司は刑事罰を受けなかった)
その事実を知った時、井狩の父親の言葉と相まって、宮司の良心がさらに大きく彼自身の精神をむしばんでいくことになる。
あの事件以来、宮司は学校に行くことはできなかった。井狩の父親の態度とは裏腹に世間は宮司に対して厳しく、毎日いたずら電話がかかったり、郵便箱に怪文書やら鳥の死骸が入ったりしていた。
すぐに引っ越しを余儀なくされるのだが、それでも世間は執拗に彼を追い詰めていった。
徐々に彼の心は死んでいった。部屋からは出れず何もすることができない。見たくなくてもどうしても自分のことをネットでチェックしてしまう。そのたびに、深く心は沈んでいき、自殺も何回も考えた。
そして、自殺以上に考えたことが、『真実を話す』ということである。このまま、真実を隠しておくことが、あまりもつらすぎた。いっそ罪を受け入れたほうがどれだけ楽なことだろう。今は罪悪感が彼を殺そうとしていた。
しかし、一度不起訴になった事件は、同一事件で改めて起訴されることはない。この事件は刑事的には完全に終わっているのだ。
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