第5話「沈黙の木曜日」

 井狩は倒れこんだ。

 倒れこみ方でそれを見てたアンパイアは察した、これはただあたっただけでは済まないのじゃないかと。

 倒れた井狩は、痛がるようなそぶりも見せずピクリとも動かなかった。


 アンパイアはデッドボールを宣告するかしないかのタイミングですぐ、倒れた井狩に駆け寄った。キャッチャーも同様である。すぐに、ベンチのあかつきのコーチ、監督も駆けつけてくる。

 相変わらず井狩はうずくまったままピクリとも動かない。

 

 そして投球を終えた宮司は、ただ茫然とそれを見つめて立ち尽くして、帽子をを脱いで頭を下げることさえできずにいた。

 

 当てた瞬間は、軽い興奮すら覚えていた。

 俺は、命じられたことをきっちりこなすことができた。チームのために憎き井狩を倒すことができたとそう思ってすらいたのだ。

 

 しかし、倒れこんで動かない井狩をみて、徐々にぞぞっぞっと背筋がこおって来ていた。とんでもないことをしてしまったのかもしれない。

 そう思うと同時に、今自分がいる場所がどこかわからなくなってきた、足元はふわふわとして、周りの音声が一切入らない。目の前に広がる景色は、ただの色と色が重なる抽象画のようにしか見えなくなってきた。


 一方で、井狩は担架で運ばれていった。ピクリとも動かない井狩ではあったが、彼が運ばれる際には、球場の観衆は彼を拍手で送っていた。

 これはこういう時の慣習であるのだが、現場に居合わせたドクターは一人、おいおい拍手なんて送ってる場合じゃないぞと思っていた。

 デッドボールを受けて退場した選手がその試合中に無事帰ってきて拍手で迎えられる光景なんていうことはよくあることだったが、ドクターは戻ってこれるようなたやすいものじゃないと直感していたのだった。


 残酷なもので、退場者が出ても試合は進む。

 ルール通り、デッドボールによって、走者は一塁ずつ進み、あかつき高校には1点が入る。

 そして、もちろん宮司はマウンドを下ろされた、このときのことを宮司は覚えていない。宮司が気づいたときには試合は終わっており、更なる絶望が彼を待っていたのだ。

 ただ宮司はマウンドを下ろされるときに、いくつかかけられた声だけは覚えていた。誰が言ったかだけはわからない、しかし何人かの人間が、嬉しそうに、しかし小さな声で「よくやった」と、そういってたように聞こえた。



 試合中に、井狩が帰ってくることはなかった。

 これは圧倒的なあかつきのピンチであり、日明の望んだ展開である。


 しかし、あかつき高校は意地を見せた、井狩がいない間に負けるわけにはいかない。その思いがチームに火をつけたのか、あかつき打線は爆発した。

 

 もちろん、日明高校は宮司の後にエースの矢部がマウンドに上がったが、結果としては誰がマウンドに立っても同じであった。満塁だった初回には結局5点取られ、矢部はあかつき打線を抑えることはできなかった。

 それどころか回を重ねるごとに、点を取られていき、逆に奮起したあかつきピッチャー陣から、日明打線は点数を取ることが一切できなかった。

 

 それはあかつきの奮起が原因だっただろうか、それ以上に、日明の気おくれが原因にあったのではないだろうか。今年のドラ1と目されるようなピッチャーを負傷退場させてしまった、そんなチームが果たして勝ち上がっていいものか、そういう気持ちをナインが抱えても一つも不思議ではない。そしてそんな選手たちが果たしていつも通りのプレイができるだろうか。

 わからない。


 しかし結果ははっきりしていた、日明高校は負けた。それが事実である。大エースを欠いたあかつきに対して12対0で敗れたのである。


 はっきりと牛頭監督の誤算である。牛頭は井狩さえ何とかすれば何とかなるとそう思っていた。それはちがった、牛頭はあまりにも選手のメンタルを考えることができなかったのである。

 

 ひたすら泣いていた。宮司はひたすら泣いていた。チームのためにあそこまでやったのにチームは勝つことができなかった、なぜだ。それ以上に、相手の選手を退場に追いやってしまったという後悔がずーんと彼にのしかかっていた。二度とボールは投げることができない、そんな思い。


 コーチの芝はそんな彼にこういった。

「お前はよくやってくれた、何も悪くない。褒めたいくらいだ。責任はすべて俺たちにあるから、お前は胸をはっていい」

 心から救われる言葉だったが、この言葉がいかに軽薄なものだったのかを知るのは相当にあとのことであった。


 試合が終わり、日明高校は帰り支度をする。

 帰りのバスの中のテレビで宮司、牛頭を含む日明高校のメンバーはあるニュースを知る。


『あかつき高校のエース井狩選手、デッドボールを頭に受けて死亡』


――――沈黙の木曜日。



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