第4話「マウンド」
2018年8月9日、宮司は甲子園のマウンドに立っていた。
それも先発で出場である、練習試合ですらマウンドに立ったことがないというのに、甲子園の舞台でいきなりの先発出場である。
「ど、どうしてあいつが?」
当然、他の選手からも多くの疑問の声が湧いていた。
何より不満の声を上げたのは、日明高校エースピッチャーの矢部であった。自分が外されて、宮司が先発のマウンドに立つということはわけがわからない。当然のごとく、監督に抗議した。
「監督、失礼ですけど、あいつが先発で俺が控えという意味が分かりません。いっちゃあなんですが、あいつは大したピッチャーじゃないですよ」
声を荒げて主張する。
監督は、一瞬ぎろりと矢部をにらみつけたが、すぐに視線を外すと、静かに伝える。
「出番はすぐ来る、なぜ、あいつがマウンドにいるかはすぐわかる」
〇〇〇
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1回の表、宮司は早くもピンチに立たされていた。ノーアウト満塁、すべてフォアボールによる出塁である。宮司の球はまったくもってストライクゾーンに入っていかなかった。無理もない、中学時代はともかく高校では練習試合でさえ、ろくにマウンドに立っていない男が、いきなりの甲子園で緊張しないわけがない。
そして、それ以上に宮司を緊張させる理由が宮司にはあった。
1週間前にコーチから言われた言葉。
『お前を甲子園に立たせてやる、だから井狩をつぶせ』
はっきりと、宮司は芝コーチにそう言われた。宮司には何のことかわからなかったので、当然のことながら聞き直した。宮司はその時のことを、この満塁の場面で思い出していた。
「つ、つぶせというのはどういう意味でしょう」
芝はふぅと静かに息をはいた。
宮司は逆に息をのんで、回答を待った。
「―――井狩からまともにヒット打つのは難しいというのはわかるな?」
「は、はい」
「もし、その井狩がケガでもしたら、気の毒ではあるが、日明にとっては大きくプラスになるということもわかるな?」
「……は、はい、不謹慎ですけど、ラッキーだと思いますが……」
芝は宮司の肩に手を当てる。そして耳元で話しかけた。
「……俺は、その偶然が起きてほしいんだよ、宮司。チームのためなんだ。もしお前がマウンドに立ってくれれば、そういう偶然が起きてしまうかもしれない。それはチームにとって一番の貢献になると宮司は思わないか」
肩に当った手に力が強くこもった。痛いわけじゃないが、ずっしりと重い。宮司は何も言うことができない。
「―――宮司は推薦入学だったな。これから先お前は、自分でこのチームに貢献できると思うか。いままでチームに貢献出来たことがあったか、清流院がダメになってしまったこそ、チームのためにできることをやるっていうのが、仲間ってもんだよな?」
「……はい。」
「もし、井狩に何かあった場合、それはチームのためのことなんだ、決して悪いことではない。どこのチームでもやってることさ。……もちろん無理に宮司にこの役目を
させるわけにはいかない、ただ、お前がだめなら違うやつがその役目をやるだけだ」
そういって、宮司の肩から芝は手を離した。
いろんな考えが宮司の頭の中を駆け巡っていた。
(チームのため、仲間のため、俺の役目、甲子園に立てる。悪いことでない?)
導き出された答えは一つだった。
「……分かりました、……井狩をつぶします」
決して前向きに決めた決断ではない、しかし、宮司の選択肢は他になかった。宮司なりに自分の立場はわかっていたのだ、『他のやつが役目をやるだけ』ということは、もし提案を断れば、宮司は
それを聞いて、今度は宮司の両肩をがっちりつかんでいった。
「よし、よく決めてくれた。……いいか、マウンドに立つ以上はやっぱりできませんはないからな!覚悟を決めろよ!」
しっかりと念を押されて、宮司はマウンドに立つことになった。もう後には引けない、マウンドに立った以上やるべきことをやらなければ、あとで何を言われるか。
宮司を支配している感情は恐怖であった。
これが1週間前のやり取りである。
そして、ノーアウト満塁にして、いよいよ宮司の目の前にはあかつき高校のエースにしての4番の井狩が打席に立った。
このときのためだけに、宮司はマウンドに立っていた。満塁になってはいたが、日明のベンチは一切動こうとしない。ただ選手だけが落ち着きなくマウンドを見守っている。宮司はちらっと芝コーチの方を見る。
それに気づいた芝は、黙ってただうなずいた。
『やれ』という合図なのだろう。
そして審判の合図があって、ほとんど間を開けずに宮司は投げた。宮司にはこの1週間この場面でのイメージのみをしてきた、この一週間このときのことだけを考えていた、宮司にとっての過去一番の集中力だったかもしれない。
(狙うは憎き井狩の頭部のみ!)
井狩が打席に立った瞬間に、なぜか宮司には怒りがこみあげていた。
ほとんどボーク気味のあまりにも唐突な宮司の投球に、ほぼなんの反応もできない井狩。
ボールはキャッチャーミットではなく、まっすぐ井狩の頭部に向かっていく。
井狩は気を抜いていた……相手はコントロールの定まっていない2年生である、絶好球を待ってホームランだ。そういう気持ちで初球からうちに行く気など、さらさらなかった。
それが井狩の反応を鈍らせた。向かってくるボールに微動だにもできなかった。
最悪なことに、ボールは、井狩の顔面を直撃した。
井狩は、そのまま膝から崩れ落ちて、打席に倒れこむのだった。
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