第3話「芝の思い」

「なあ、芝よ。うちのチームで、井狩を打てる奴はいるのか」

 選手が誰もいなくなった後のミーティングでコーチの芝と監督は二人きりで話し込んでいた。


「……正直、相手のエラーとか、まぐれ当たりに期待しないと、点数をもぎ取るのは難しいかと思います」

 芝は現状を素直に伝えた。しかし同時に芝はこの質問に何の意味があるのか疑問だった、それは監督も十分わかっていたはずだからだ。


「井狩か……これがせめて、2試合目とかであれば疲れもあるだろうに、よりによって初戦。……甲子園の神は私の最後の戦いに華を添える気はないようだな」

 寂しそうにそう語る牛頭うまならず監督。

 芝にも監督の気持ちはよくわかっていた。ここ数年のマスコミの叩き方はひどかった、沈んだ太陽と言われ早数年、牛頭の前近代的なやり方は、選手を育てることができない悪いモデルの代表として紹介されることも多かった。もちろん学校側からもそれは厳しく言われていた。

 そんな中つかんだ今回の甲子園出場はまさに汚名を返上する最後の機会であった、それは芝もよくわかっていた。


「監督、あきらめないでください。逆に言えば井狩さえ攻略できれば、勝てるということです。うちのチームだって、清流院だけではないですよ」

 間近で選手たちの努力を見てきた芝にとっては当然の言葉だが、牛頭には届かない。

「だめだ……清流院以外は凡人だ、天才の井狩には勝てないよ。ただ、芝よ、お前の言う通りだ、井狩さえ攻略できれば、どうにかなる。それが野球だな」

 監督は何かを決心したように、重い低い声で芝にそう伝えた。


「そ、そうです。みんなで勝つ。それが野球です」

 芝は監督の言葉をそのまま返した。


「――私は今年で退官だ、順調にいけば、次の監督は君だろうが。それもどうだろうか?もし1回戦で大敗なんていう事態があった場合、監督の私のもちろん、コーチの君の地位も怪しいんじゃないだろうかね」

 牛頭に表情はない、淡々とそう語る。


「も、もちろん、コーチとして責任は取らなければいけません」

 毅然と芝は答えた。


「……私はね、君に監督をしてほしいのだよ。このまま私とともに退くのでは可哀そうすぎる。今回の戦いは、何が何でも勝たなければいけないと、そう思わないかね」


 芝の仕事は日明高校のコーチだ、はっきり言って給料は良くないが、それでも野球にかかわる仕事で飯が食えてることは幸せである。

 

 口では責任はとるといったが、もし、職を失えば、妻と5歳の娘に苦労を掛けさせることは間違いなかった。正直、来期監督への道を疑ってなかった芝は激しく牛頭の言葉に激しく動揺した。

 

 牛頭の問いに芝は口をつぐむ、監督の言いたいことがわからなかったからだ。いや分かったからこそか。

「勝たなければいけない、そのためにはどうすればいいか。芝君ならわかるだろう?

別に珍しくもなんともないことだ。私はただ井狩君に出てきてほしくない、それだけだ」

 重い空気が流れる。


 芝は察した、いや、とっくに察していた。監督は言っている、『もし、おまえが監督をやりたいならば、この初戦を何が何でも勝たせろ、そして責任はお前が取れ』と、そういっている。

 もし、このまま何も手を打たなければ……どうなるか、忖度せざるを得なかった。

 覚悟を決めて、芝は口を開いた。


「……2年生に一人、よく曲がるピッチャーがいます。ただそれだけで、来年の戦力になるとは思っていません」


「そうか、名前は?」


「宮司です。」


「ぐうじ、ぐうじ……?あぁ、あいつか、宮司の息子か。ならばちょうどいいんじゃないか、甲子園の土を踏ませたやれよ。やるからには全力で当たれと伝えろ」

 こうして、2年生の宮司に白羽の矢が立ったのだった。



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