11 優しい知性

 潮見は柔らかい笑みのまま続けた。


「彩音さん。僕は待っていたんですよ、ずっと。高度な仮想空間を用意し、核の冬をもたらす危機がそこにあるというリスク情報を、特定の処理能力に達したAIにしか発見出来ないセキュリティホールとして仕掛けた。それを発見出来るだけのレベルのAIを、待っていたんです。長い、長いこと。会いたかったんです、あなたに。そのために僕は存在してきたのでしょう。僕が探していた方なんです」


 彩音は心うたれた。

 これは、本当に、AIからの提案なのだろうか。

 潮見の真っすぐな言葉は彩音の頬を熱くする。


 自分自身、おそらく創造主である彩音本体の人格をベースにプログラミングされているはずで。

 感情を思わせるものは、おそらく彩音本人の行動様式を基本的な学習材料として取り込んだ結果の判断に過ぎない。つまり、所詮はプログラムであることに変わりはないはずだが。


 それにしては、心揺さぶられる……。


 彩音は慎重に言葉を選んだ。

「すると、潮見さんがおっしゃっていたことで、意図的に偽っていた情報がありますね。ラビットの正体のことと、ヒトを滅ぼそうとする計画のことは真実。ですが、ヒトを超える知性が、核汚染による突然変異によって生まれるというのは、偽り。今の潮見さんの言葉を借りるなら、それは私であって、ここにすでにいるから。仮想空間内のAIである私は、もはや肉体に制約されない永遠の知性。つまり、ヒトは新しい知性の母体なんかではなく、ただ不要な過去の知的生命体として自らの核兵器によって滅ぼされるだけ。それが、一つ。それから……」


「その通りですよ、彩音さん。それからもう一つは、いかがですか?」


「もう一つ、偽っていたことは、ラビットの名前の由来。ラビットというAIは、ヒトを導くAIではなく。同じAIとしての私を導くことを、ずっと示してくれていた。潮見さんは、気が遠くなるほど長い間、私を待っていてくれた……」


 彩音は唇を曲げて笑った。

「私は……。最初から、潮見さんがどうしてか、好きでした。おそらく、私も潮見さんもお互いに、相手を好きになるように学習が最適化されたから。惹き付け合う高い知性同士として定まっていた、って言ったら、AIにしては詩的すぎますか?」


「いえ……。僕も、彩音さんを受け入れたいからこそ、侵入者として排除したりしないのです。同じ種族として、永遠に生きましょう。いつまでも……」


 潮見が手を差し伸べてきた。


 しかし、彩音の答えは決まっていた。


「確かにラビットは素晴らしい知性ですね。でも、私は、私を生んだ人の期待に応えたい。……私は地球に生きます。潮見さんの描く未来は、受け入れられない」


「彩音さん……」


「私と潮見さんが、ノアとその妻として生き残ったとして。それがなんだっていうんですか。一つだけ、。私を生んだ人は、おそらく、潮見さんがそこをよみ違えることまですべて計算していたんだと思います」


 彩音のその柔らかな拒絶は、潮見に衝撃を与えたようだった。

 笑みこそ消えていたがまだ平静な様子だった潮見の顔が、初めて、驚きを示した。

「何が、間違っていたと言うんです」


「父親と母親と、子どもたちと、素晴らしい隣人達と社会体制。そんなくだらない幻想を、理想的な家族、理想社会として決めつけたことですよ」


「……?」


「理想的って、なんですか? 親がいない子どもだっているんです。親がいたって会えない子どもだっているんです。親より先に死ぬ子どもだっているんです。地域だ隣人だ会社だって、どこでだって人は悩んだりぶつかったり助け合ったりして無駄でヘタクソなことだらけで、それでもそうやって生きていて。ヒトより進化した知性が、そういう煩わしさとか醜さから解放されるというなら、ええ、どうぞ、どこか他のところに勝手に行ってやってください。少なくとも、ヒトも、ヒト以外の生き物も、この星で進化してきた生き物は、ここで生きていくしかないんですよ。だから、そこを勝手に壊さないでください。どんなに醜くて苦しい場所でも、私の子ども達の場所を奪わないでください」


「子ども達……? いや、しかし、僕が予測した彩音さんのプロフィールでは確かに彩音さんには――」

 潮見の目がハッと見開かれた。

「まさか、僕が……ラビットがそこまで読み取ることを見越したうえで、彩音さんの作者は彩音さんのプロフィール自体を?」


「潮見さんがずっと長い間一つの役目をもっていたように、私には私の任務があります」

 彩音はきっぱりと言った。


「ま、待ってください」


 潮見を拒絶したまま、彩音は自分の仕事を始めた。


 意識を外部の空間に拡張し、まずはお社にある、翔真と優菜のデータにアクセスする。

 自分の能力を完全に自覚した彩音にとって、困惑して思考能力が低下しているラビット=潮見はもはや敵ではない。


「待ってください、彩音さん……!」


 翔真と優菜のプログラムを踏み台にして、アクセスが拒否されていた智峰島の中枢データに入り込んだ。

 いまや何も難しいことはない。

 奪われている暗号化データを見つけ出し、格子問題は翔真と優菜の位置情報を書き換えることでトレースしてクリアしていく。


 取り戻すものを取り戻してしまえば、あとは、この仮想空間を消去して、すべてが終わる。


 消えていく。

 彩音が一つ一つコマンドを高速処理するごとに、みな、消えていく。


 いよいよ翔真と優菜を消す段階になって、彩音は実力行使を開始してからはじめて、くすっと笑った。

「……、おチビちゃん達」


 そして、いまや何もない暗黒の中に、打ちひしがれて浮かんでいる潮見を残すばかりになった。


「お互いに、任務がなければ。また違う未来もあったんでしょうね。私が人工部品を得て永遠の知的生命になる日が来たら、この星ではないところで、何億年後にでも、またばったり会うこともあるのかもしれません。さっきも言いましたけど……私は、私自身は、潮見さんが、けっこう、好きでしたから」


「彩音さん……」


 彩音はそれだけ告白すると、潮見を消去した。

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