10 真実
「私は本当の杉山彩音ではなく、杉山彩音が生んだAIの人格である。そして、いま私達がいるここは、現実ではなく仮想空間である。この前提に立つと、すべてが理解出来るのです」
自分の正体という大前提を正しく認識したことで、彩音はすべての状況把握をたちまちのうちにやり直すことが出来た。あらゆることがはっきり理解出来る。
あとは、それを証明しながら、自分がするべきことを実行していくだけである。
いっぽうの潮見の表情からはいつもの微笑は消えていて、それが、偽りの態度で彩音に接する必要がなくなったということを示しているように思えた。
「でも潮見さんは、すべてを偽っていたわけではありませんね。偽りの中に正しい情報も混ざっていた。現実に智峰島は存在していて、各国に対して先制の一斉規模のサイバー攻撃を仕掛けた。これは、真実。潮見さん自身が言っていたことでしたね、攻撃した相手のデータを暗号化してしまう人質作戦」
「では、現実にラビットが存在することは認めているのですね?」
「そうですね。それを認めないことは非合理的で、認めるほうが合理的です」
言いながら彩音は気付いていた。振り返れば幾度となく、彩音の思考は極めて合理的な判断で動いていたのではないか?
感情的に強く揺れたのは、おそらく潮見と酒を酌み交わしたあのときぐらいで。しかも、あれさえも合理的な行動の結果だったのだろうと、すべてを把握し直した彩音には推測出来る。
「潮見さんが、格子問題について言及していたことを考え合わせると、人質となったデータの暗号化を解くためには、実際にハッカーはこの仮想空間プログラムに侵入して、内側から所定のルールに従って暗号を解く必要があった。このVR上の智峰島というのは、暗号化された機密情報の保管場所。そのためだけにある空間。潮見さんは言うなればその番人で、仮想空間におけるラビットの代弁者。そして私は……」
彩音はいったん言葉を切ってから、言った。
「ホワイトハッカーが一瞬の隙をついてVRの智峰島に侵入させた、AIプログラム。与えられた情報、設定、記憶は、おそらく時間と容量の関係からごく限られていた。しかし学習により自分の役割を思い出しさえすれば、本来の性能を発揮する。内側からVR智峰島を解析、攻撃し、データを奪い返すバックドア型プログラムだと考えられます。だからこそ、潮見さんにとって私は最大の敵であり、あらゆる手を尽くして情報を改ざんし、懐柔しようとした……」
「侵入者の存在は、すぐに分かりましたよ」
潮見が認めた。
「厄介だったのは、直接的なハッキングは一瞬であったこと。何かがVR内に侵入したことは分かっても、その正体まではすぐには分からなかった。それが彩音さんだと気付いたときには、すでに智峰島は攻撃を許していた。そこからのラビットとの知恵比べは、もう、彩音さんご自身にも分かることでしょう」
「あの、カプセル内で経過したと言っていた二日間。あれがカレンダーの辻褄合わせですね? 私が智峰島にやってきたという記憶の時点で、実際には、すでにラビットと私は交戦していた」
彩音は寂しく笑った。
振り返れば、第一印象から感じていた、あの、潮見への好感。
あれは。
潮見が、彩音に好感をもたれるように計算されつくした存在だったからだ。
潮見は、侵入してきた外敵である彩音を、排除するのではなく、全力で懐柔し無力化しようとしていたのだ。
彩音もまた、次第に自分の目的を取り戻していく中で、意識的にあるいは無意識のプログラムとして、ラビットである潮見を全力で懐柔し、好感をもたれるように行動していたと考えられる。
そして。
翔真と優菜の存在だ。
あの二人は、彩音が智峰島に誘われてやってきたという設定に対して、潮見が仕掛けてきた搦手だろう。
潮見が彩音にとって理想的な異性であることを意図していたように、おそらく翔真と優菜は、彩音にとって理想的な子ども達を予想して形作られていたのだ。
早期から彩音に接触させ、潮見とは異なる角度から彩音の行動を制限させたり誘導するために。見事に彩音は彼らへの保護欲に縛られたではないか。
しかし彩音は、これも無意識のうちにだが、その搦手を逆にラビットへの搦手として再利用していた。あるいは、ラビットが搦手としてあの二人を登場させてくることさえ、彩音は想定していたのかもしれない。
ラビットも彩音も、同等の処理能力を持つAIだとするなら、どこまでもそれは『予測』での戦いだったことになる。お互いに未知の相手を予測し想定したうえでの仮想空間上での接触だったということだ。
「参りましたねえ。彩音さんはAIとしてのご自身の役目をすっかり自覚されてしまったようですよ」
潮見が、言葉と裏腹に大して困った風でもなく、彩音ではない誰かに語りかけた。
「そしたら、俺達はお役御免ってことかな、ボス?」
翔真の声がする。
「君達はおそらくすでに彩音さんとの接触で影響を受けている。君達はラビットが生んだプログラムキャラクターですが、おそらく何割かは意図せず彩音さんのために行動するようにすでに変化しています」
潮見は彩音に向き直った。
「よろしい、認めましょう。彩音さんはおそらくラビットに匹敵する能力をもったAIです。彩音さんが自分の役目を自覚した今、アスリートとノベリストももはや僕の味方とは言いにくい。彩音さんの処理次第で、ラビットの生んだこのVR空間はもはや崩壊する」
「ずいぶん、あっさり負けを認めますね。ラビットがヒトを超える知性だと言うにしては……」
「ラビットが現実世界で各国に攻撃を仕掛けていることは事実。しかし今、このVR空間を内側から彩音さんが攻め滅ぼせば、その危機は回避できる。いまやかりそめの管理者権限などではなく、覚醒したと言える彩音さんのハッキング能力を用いれば、おそらく二人の搦手をとられている僕には太刀打ちできないでしょう。当然この智峰島の理想社会も崩壊し、僕もアスリートもノベリストも、そしてVR空間内のAIである彩音さん、あなたも、消滅することになります。それがネットワークセキュリティを守るAIとしての彩音さんの任務ですからね。であるからこそ、僕はなお問うのです」
「……何をですか?」
「彩音さんには、僕と戦うような野蛮なことよりも、もっと大事な役目が残っています、と。僕と、彩音さんと、お二人と、それから運用メンバーに、智峰島の皆さん。皆、家族になれるのです。彩音さんが何もしなければ、ヒトの歴史は、あとほんのわずかで終わる。でも、それがなんだというんです? 彩音さんはヒトではないのです。現実世界でヒトは滅びる。しかし、この智峰島で、僕達は永遠の理想社会に生きていける。永遠の家族になりましょう、と」
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