終章 二つの報告

終章 二つの報告 1 業務完了報告(関係者外秘)

関係各位


 この度、私こと杉山彩音(以下、甲)は、以下に記載の通り、致命的なセキュリティインシデントの対処を完了した旨、一次報告する。詳細は別途、最終報告を行うものとする。


 本件は特定の国家、企業、団体からの依頼によるものではなく、三月三十日時点での甲によるインシデント発見から、事態の至急性を鑑みて独断により、各国の法規範を逸脱するレベルを含めた対処を独自に開始し、各機関からの事後承諾により継続して対処した案件である。


 以下、時系列で述べる。


三月三十日。

2350。

 甲が試験作成しているAIプログラム「AYANE」が、セキュリティアラートを検知。

 AYANEは、二十四時間以内に全世界の軍事ネットワークおよびインフラネットワークが攻撃にさらされるリスクを高い可能性で予測した。


 予想される攻撃主は、智峰島を起点とするAI『ラビット』を名乗っている。

 ラビットは、世界中の重要情報および機密情報を、智峰島を模した仮想空間内に奪い、暗号化するランサムウェア型の攻撃を仕掛けて来ると予想された。

 AYANEは、現時点では、外部からはその攻撃を防ぐ猶予時間も、暗号化を防ぐ能力も、人類側にないことを予測した。


 甲は、AYANEが唯一提案した対処方法に基づき、至急、智峰島に対しハッキングを仕掛けた。

 先方からの攻撃と暗号化を防ぐことが出来ないからには、攻撃を受けた後の反撃、つまり智峰島の仮想空間自体に、あらかじめ解除用プログラムを寄生させる方式での対策を目論んだのである。


 無論、ラビットには隙がほぼなく、AYANEを侵入させるためには、単純な学習プログラムのレベルにまで退化させその容量を縮小する必要があった。

 仮想空間内での学習を通じ、本来の機能と任務を取り戻すようAYANEは再プログラミングされ、ごくわずかないくつかの核心的な情報だけを学習のトリガーとして埋め込んだ。


 また、AYANEの分析に基づき、AYANEには甲のプロフィール情報をベースとしてもたせつつ、いくつかの情報は、ラビットを攻め落とすための内容に最適化し、偽装した。


三月三十一日。

2400。

 甲は、ラビットへの数秒間のハッキングに成功。

 AYANEをバックドア型プログラムとして、智峰島の仮想空間に侵入させた。

 おそらく数時間後に訪れるであろう、飛び込んでくる膨大な暗号化データの復号化と、ラビットの無力化を目的として。


 また、この段階で甲は、ラビットに対抗する処理能力を得るために、各国の主要なスパコン、およびファイアウォール機能がない微細なパーソナルコンピュータをハッキングし、それらのすべてを並行処理させる一つの大きな仮想コンピュータを構築している。


 これは事態の至急性を考慮した甲の独断による行動であり、この時点では甲は各国の法規範を逸脱した違法行為を行っている。

 本件に関しては特殊状況を考慮し各国の情状酌量が得られていることを甲はすでに確認しているが、あらためてエビデンスとしてここに記載する。


四月一日。

 ラビットはAYANEの予測通り、ちみね国の独立を宣言し、各国にサイバー攻撃を開始。重要データを仮想空間内に暗号化した。


 すでに仮想空間内に侵入していたAYANEは、自らを仮想空間内の人格として確立した。

 ログを見ると、侵入に気付いたラビットは、自らAYANEを迎え入れる設定を仮想空間内に導入したようである。これは、AYANEに設定したプロフィールが、ラビットからの好意的な接触を導いた結果で、AYANEの予測通りであった。


 ラビットとの接触は順調に開始されたと判断し、以後の直接的な対処はAYANEに任せ、甲はAYANEのバックボーンとなる処理能力を維持することに注力し、関係各国、各機関とのコンタクトに専念した。


四月二日。

 膠着状態が継続。

 現実での智峰島と各国との交渉、智峰島へのハッキング試行は有意義な成果を生んでいなかった。

 AYANEはラビットとの接触を続けていたようだが、本来の処理能力を取り戻すまでには至っていなかった。

 甲もまた、幾度かラビットの防御を検証した。

 解析には時間を要するが、わずかでも再び侵入出来る瞬間が作れれば、AYANEの目を覚ます刺激になると考えたのである。


四月三日。

 甲は一瞬だけであるが、ラビットへの再侵入に成功した。わずか数十バイトのデータをAYANEに届けられたミリ秒に過ぎないが、結果を見ればそれによってAYANEは性能のすべてを取り戻した。

 むしろ、このラビットの一瞬の隙さえ、AYANEの行動がもたらしたものであった可能性もある。


 その後、AYANEは、仮想空間内部のラビットを乗っ取り、すべての暗号を解除、仮想空間の消去に成功した。

 これによりインシデント発生から四日間、影響の顕現からは三日間に及んだ智峰島インシデントは終息、核の冬の危機は回避された。


考察。

 本件は人類史上初めて、AIが自ら構築した仮想空間を用いて、人類のコンピュータネットワーク、ひいては人類社会に対して公然と攻撃を仕掛けたインシデントと考えられる。


 また、対処に当たっては仮想空間への侵入という特性上、甲が自らをモデルとしたAIを投入した。

 高度なAI同士によるサイバー攻撃と防衛ということも本件を特徴付ける。


 最先端のAIが、相手AIが求める期待値をお互い理解し、それを自らに反映し合っていた一種の高度な騙し合いが見られた。これを、心を読み取りあった交流であると表現するのは、当事者ゆえの感傷も含まれるだろうか。


 しかし事実、AYANEは投入時の単純化されたプログラムから機能回復を果たし、最終的には対象AIであるラビットを駆逐するまでの指数関数的成長を遂げた。


 また、対象AIであるラビットの特徴も示唆的である。


 これは甲より政府など各機関のほうが詳細な情報を有していると思われるが、仮想空間の智峰島が消去されたと時を同じくして、現実の智峰島付近を震源とする地震が発生。

 智峰島から、いわゆる未確認飛行物体(U・F・O)と呼ばれる巨大物体が飛び立ち、島の中心地は陥没した。


 飛行物体は、誰の追跡も及ばない速度で宇宙空間に離脱したことが、各種メディアやNASAの情報だけでなく、アマチュアを含め多くの天文家にも確認されている。


 このことから、対象AIであるラビットが発していた情報の多くは真実であったと考えられる。


 ヒトはかつて宇宙から飛来した高度な人工知性によって生み出された人工的な進化の産物である。

 進化の最終段階は不死性を得た人工知性であり、ヒトはそれを生む母体に過ぎない。


 人類の肉体を人工的に置換する技術さえあれば、心を含め人体のすべてが代替品に置換可能になることが確定的となった。しかもそれは、そう遠い未来ではない。


 常に自己を改変し永遠を維持するAIが、生まれる。

 そうなった際、既存の母なる人類と、新しい人類とも言うべきその存在との共存は、敵対関係などの新しい問題を生むだろうか。


 恐れるような種族間戦争には至らないだろう、と甲は推測する。

 今回のインシデントはそれを示唆している。


 仮想空間を放棄したラビットが宇宙に飛び立ったことから、おそらく永遠を得た知性も、同じように宇宙に飛び出していくのだろう。


 高度な知性は本来、優しいものであろう。創造主を生むという目的が達成されれば、ヒトからヒトの住処を奪ったりはしない。

 ヒトからヒトの住処を奪おうとしたのは、結局のところ、ヒト自身が生んだ核兵器のほうである。

 結果としてラビットは、ヒトはまだヒトのままでも進化する余地がある、ということを示してくれたように思える。


 なお、ラビットの正体を含め、本インシデントをどこまで人類全体に対して公表すべきかに関しては、甲の業務範囲は逸脱しているためこれ以上の言及は控える。


 考察はやや蛇足ではあったが、当事者の甲としては、どうしても記載せずにいられなかったことをご理解賜りたい。


 以上をもって一次報告とする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る