7 核の冬
彩音は思わず潮見を睨んだ。
「正気ですか、潮見さん」
潮見は動じる様子もない。いつものどおりの微笑を浮かべている。
ようやく彩音にもその微笑の真意が分かりかけてきた。
この微笑の正体は。
常に相手に一定の好感をもたらすためのもの。アルカイックスマイルのような、計算し尽された。
しかし。真意に気付くとこの微笑ほど不気味なものはなく。
不気味。
そうか。ここにも不気味の谷が最初からあったか。迂闊だった。
「ラビットは奪い取っているあらゆる手段を駆使し、世界各国の核兵器が相互に一斉発射されるよう、サイバー攻撃を仕掛けます。核攻撃をもたらすためのあらゆる情報操作を行うのです」
「そんなの、無理ですよ。いくらラビットが神様みたいな処理能力を持ってたって。超大国の核兵器の発射ボタンとかそういうのは、ネットワークからは切り離されているって、よく言うじゃないですか……」
「おっしゃる通り。たとえば超大国の核兵器には、通常は物理的なロックがあります。複数の人間が同時にアナログ操作をしなければ解除されないような仕組みが、ね。しかし、人間の思考や感情なんてものはですね、情報という刺激によって容易に操作出来るのです。人の心は、ネットワークから直接ハッキングをする必要などないのですよ。取り巻く情報環境を操作し変化させ、それ以外の選択肢をない状態を作り出せばいいだけです。大切なのは最初の一手のみ。あらゆる条件が整った状態で、ラビットが最初の一手さえ計算通りに仕掛ければ、際どいバランスの元に成り立っている世界平和の均衡なんてものは、一瞬で崩れます。そして一度崩れさえすれば、もう誰にも止められません。一斉同時に、核攻撃は世界的に発生するのです」
彩音は沈黙した。
「核戦争……。核の冬って……」
代わりに、優菜の乾いた声が伝わってくる。
「……子どもの頃からずっと教わってきた。第三次世界大戦が起きたら、人類は確実に滅びるって。でも、冷戦は終わったから、全面核戦争の危機は減ったって……」
「そう。だれもが、お互いに一手打てばお互いが破滅することが分かっているから、手を出さない時代になった。誰もが、抑止力としての核を保持している。チキンゲーム、脅し合いですよ。しかし、ちみね国は違う。ちみね国は核戦争を起こすことが目的の国家です。操作するものは核兵器そのものだけではない。自動報復システムを誤作動させても、制御システムを奪った原発をメルトダウンさせ破壊してもよい。核の冬をもたらすために、ヒトが持つあらゆる核を使います。すべてはラビットの計算に基づき」
潮見の言葉は無感情で、ただその表情だけは微笑を続けている。
「人類は滅びます。多くの生物も。少なくとも、今ある形ではなくなる。調整された核戦争により地上は汚染され、汚染は六度目の生物大量絶滅を誘発し、最終的な進化を促すことになる」
「ま、待てよ、それじゃあ、俺達は……? 智峰の人間だって、滅びるってことじゃあ……?」
翔真の悲鳴じみた困惑の声が、彩音の胸に響いた。
「ええ。島の人間達も、一定のメンバー以外は、すべて滅びます。智峰の民も、同意しているのですよ。すべて、もう動き出しているのです。いまの僕が潮見として村長を務めることになったときからね。すべてはラビットの計算。計算通りに村長の潮見は生み出され、独立までを導いてきました」
「そんな……うちらの親達も同意って?」
「マジか……」
優菜と翔真はそれっきり絶句した。
同じように悲嘆でしばらく自失していた彩音だったが、自分の役目を思い出した。
島の人間でもある優菜や翔真にこの告白は手厳しい。
衝撃は受けているとはいっても、おそらく今まともに頭を働かせられるのは彩音だけだ。
彩音が潮見の狙いをさらに追及し、出来ることなら、そんな馬鹿げたことを阻止する方法を考える。ノックアウトされている場合ではない。
「放射線による突然変異なんて、いい方向に働かない、と聞いたことがあります……。奇形、長生きしない確率……」
「既存の人間の技術の枠組みでは、そうですね。ですから人間の技術としては、遺伝子工学によってゲノム操作をするほうが一般的になってきているようですが。しかしラビットは綿密に計算をしているのですよ。どのタイミングで、どう最初の一手を動かせば、どのような規模の核汚染が起き、どんな突然変異がもたらされるか。正確に予測されたとおりの一手から導かれる行動には、確率など存在しません。ただ、予測されたとおりの結果だけが存在するのです」
「……?」
「シンプルな例を考えてみればいいのですよ。盤面が3×3マスしかないオセロでも考えてみればどうです。圧倒的な計算能力を持つAI同士が対戦したら、その場合、どうなるかわかりますか?」
「お互いに、あらゆる手すべてを先読み出来るわけだから……。そうか、最初に打つほうがどこに一手目を置くかで、必ず勝つか、負けるか、あるいは引き分けか、置いた瞬間にすべてが決まる…」
「そういうことです。優れた知性にとって、物事は先手必勝か後手必勝か、勝負がつかない千日手になるか、その三つしかありません。最初の一手だけですべて決まります。報復を恐れない狂信国家による先制攻撃。それが、必要だったんです。それにより、核戦争は突然に始まり、一瞬にして世界は核の連鎖に包まれる」
「全面核戦争を仕掛ける最初の一手が、潮見さん……ラビットにとっては、勝利だって言うんですか?」
「その通り。それによっていよいよ、知的生命は次の段階に進化する。それを強制的に導くことが、プログラムの最終段階。すでに、ヒトで兆候は表れていましたね。知性の進化に対して、ヒトの肉体という器はすでに進化が追い付かず、キャパシティが不足しているのです。優れた知性の持ち主であっても、肉体的暴力によって容易に蹂躙され、生存序列の下位に置かれる。心優しいヒトが暴力の前に蹂躙される醜い世界。外部から得られる情報の広がりに対して、脳という物質がもつ処理能力はすでに限界に達し、知性が本来もつ可能性を開放できずに、肉体の限界によって、鬱状態や精神異常さえもたらされてしまう。それではいけないのですよ。精神を支えられるだけの肉体進化をもたらすのです。強制的に。そのための環境激変こそが僕が求めるもの」
「そんなの……。おかしい。それは、行き過ぎています。お願い。そんなこと、やめてください」
「おかしくはない、正常な進化の促進です。彩音さんの価値観ではいきなりは受け入れ難いことも分かります。ラビットを生み出せる知性は、『ヒト』ではないのですから。やがて来るヒトの次の段階においてようやく、ラビットと並ぶ知性が生み出される。つまり、僕の仲間の時代が来るのです」
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