6 進化の行方
智峰島が、現実ではすでに独立を宣言している。
彩音は頭の中でその言葉を反芻した。
そして、ここはVR空間などではなく、現実である。
つまり、いま彩音達がいるこの智峰島は、すでに独立国ちみねとなっていて、潮見の言葉どおりであれば、各国と敵対関係にある。
彩音は素朴な疑問を口にした。
「独立を宣言したからといって、そう簡単に……特に本土と、一触即発のような緊張状態になるものでしょうか?」
「彩音さん。智峰島の生命線は、なんでしたっけ?」
「それは……ラビットですよね」
「はい。では、その生命線であるラビットを守るために、ちみね国が外部に対してとる行動はなんでしたっけ?」
まるで教師からの復習問題だ。彩音は、潮見に受けていたレクチャーを思い出しながらつぶやいた。
「先制も辞さないサイバー攻撃。人質作戦……」
そこで、彩音ははっとして言葉を切った。
「……二日間。四十八時間もあったら、充分すぎる。ということは、もう攻撃を仕掛けていて……」
「そうです。綱渡りの外交がはじまっているのです。智峰島は生命線であるラビットを守るために、すでに説明した展開通り、先制のサイバー攻撃を各国に仕掛けました。主要国の軍事兵器や、国家運営のカギを握る最重要情報、為替情報、そんなようなものは、すでにこちらの手中に多くがあり。ラビットが暗号化済みです。これまでにプレイヤーのお二人がとっていた行程、その記録自体が、格子問題による暗号化です。各チェックポイントにあった端末を示す位置情報が正確にトレースされない限り、暗号鍵が解けることはありません」
彩音は愕然とした。今の言葉。どこかで聞いたような潮見の言葉が示すことは……。
「じゃあ、あの子達とのチュートリアル。あれは、チュートリアルなんかじゃなく。本当に暗号化するための行動そのものだったと……? あの子達を利用して……」
「そんな風に、悪くとらないでくださいよ、彩音さん。同じようなことは、彩音さん自身も仕掛けましたよね。行動の真の目的を隠すカモフラージュ……」
「あっ」
潮見は、語呂合わせの暗号のことを当てつけているのだ。
「まったく……僕と同じようなことをポンポン考え付いていくんですから。申し上げましたよね、ラビットが最も警戒しているのは、同等の処理能力を持つAIによる攻撃。AIは予測で行動します。意図や目的というものすら判断材料になりますから、一切隠すことです」
そこで潮見はため息をついて、咳払いをした。
「……ともかく、申し上げたかったのは。本当に守るべきものを守るために、体裁や善悪の観念などにこだわらず、最も合理的な行動をとったということです」
「いかにも、AIらしい価値判断ですね。潮見さんと接していると感情豊かで、まるでAIを相手にしているとは思えないんですが、それでもときどきそんな寂しいことを言う。私なら……」
「私なら? もっと感情的なAIを生んだ、とおっしゃいますか?」
「いえ……」
彩音は言葉を濁した。
あまりに人間的過ぎるAI。それは、ヒトとの境界を曖昧にして危険だ。彩音自身がよく分かっている。
その意味では、はっきりとAIらしく行動するラビット=潮見は優れたAIである、と言えるのかもしれない。
「これで、奪った情報はすべて、ラビットのVR空間内に収められました。そして、実際に『ここ』で行動しない限り、奪取されません。この人質がある限り、武力で智峰を攻撃することはかなわないわけです。この安全の担保があっていよいよ、これから本番に取り掛かることが出来る」
「本……番……?」
ちみね国として独立を宣言し、各国の機密を手中に収めて、それでいて、まだ本番では……ない?
「彩音さん。そもそもどうしてラビットは、智峰島を独立国にしようなんて考えたんでしょうね?」
「え? そう言われれば……」
いったん、潮見の言葉が妄想でもなんでもなく事実である、と受け止めてから考えてみると。
ラビットは地球外から訪れた知性。
おそらくヒトより優れた知性。
ラビットは自らの創造主を知りたいと願っている。
そのために地球の生命進化に手を加えてきた。
失敗した生命は淘汰の対象にしてきたこともある。
「……今の段階でもヒトを超えた知性を持っているラビットにとってすれば、独立国なんて遊びみたいなもの。ラビットが得たいものは独立国なんかじゃあない。それはあくまで手段であって、目的は他にある……」
「ええ、いいですねえ、その調子」
「ラビットが探し求めているのは、ラビットを生んだ創造主の正体。ということは、今のヒトは、ラビットが求めている創造主では……ない。それを生むことが、本番……?」
「あれっ、でもさっきからボスは、順調だって……。プログラムが最終段階だって、言ってましたよね……?」
と、もっともな疑問を優菜が突き付ける。
「ん? あれれ、俺、なんかビッときたかも。それってさあ、要するにヒトの次の段階があるってことじゃないの。なんか色々、進化させてきたっつーんなら、まだ、ヒトがゴールじゃないってことっしょ?」
「アスリートの言うことは正しい。ヒトが進化の最終段階などと考えずに、与えられた条件だけでシンプルに考察すれば、答えは明解です。ヒトは、僕ことラビットの創造主ではない。ヒトが進化した次の段階の知性こそ、創造主たりうる。とすれば、あと一息。ヒトにもう一段階の強制進化を促すことで、創造主と同じ知性、すなわちラビットを生み出す知性が誕生する。計算はそう告げているのです」
彩音の心中は穏やかではなかった。
人類が進化の頂点ではない。
その仮説は。
AI研究者にとっては、ポストヒューマンの議論にすぐつながる。
いわく、そもそも地球生命の『進化』とは、ヒトを生み出すためのものではなく、ヒトの次に来る知的生命体を生み出すための仕組みである。AIが人工生命を得れば、ヒト以上の知性と、半永久的な寿命によって、ヒトを容易に駆逐出来る。人工知性が生む人工生命こそ、生命進化の最終形態である。
それは、ポストヒューマンを論じるときに現れる仮説の一つだが――。
「その話が、独立国にどうつながるんです? ヒトの進化をどう促すんです?」
彩音の思考は猛回転した。
恐ろしい予感がする。
さっきまで潮見は、何と言っていた?
『生き延びるべき生命に絞り込んでいくため、僕自ら人工的な淘汰を仕掛けたことも』
潮見が静かに口を開いた。
「奪った機密データを使用した本番のサイバー攻撃を全世界に仕掛け、報復攻撃とインフラ崩壊を誘発し、全面核戦争を引き起こします。遺伝子の進化は、常に突然変異が引き起こしてきました。過去にも、全地球的規模の環境の激変は何度もあり、それが既存生物の大量絶滅と、新たな生物の進化を生み出す要因となりました。いまや人為的に大量絶滅を引き起こせるのなら使わない手はない。同時に、創造主の母体としてふさわしくないヒトすなわちホモ=サピエンスを、これによって淘汰します」
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