第13話 三十六計逃ぐるに如かず
細い路地のカーブの先から結構なスピードで現れた軽トラが、俺の車に気付いて急ブレーキをかけた。
危機―ッ!
パンチパーマに無精ヒゲ、首にタオルといった
「アブねえなあ、バカヤロウ!なんでそんなとこにいるんだよ!俺が通るんだよ!俺が通る道は誰もいちゃいけないんだよ!俺にブレーキをかけさせるんじゃねえよ!」
しかし、このように、このタイプの怒りを言語化することは無意味である。なぜか?それは論理が破たんしているからではなく、その怒りそのものが「反射」だからである。反射と言えば俺たちの世代は「
このことを知っていれば、僕らはむやみにヤカンのように怒っている人に近づいて、
「こら、オッサン!なに見とんじゃ?俺はこの路地をこの時間にもう何十年も通っておるが、そんなにスピード出して車走らす奴はお前の他にはもうアウディのババアだけじゃ!バカか?バカなんか?ここはスクールゾーンやど?オッサン!俺もさっきからオッサン言うとるが、お前、明らかに俺より年下なんよ。俺が高校のときオッサンはまだ小学生ぐらいやど?なんでそんなに
などと、いくら僕が言ったとしても、それは、郵便ポストに向かって「お前はチト赤すぎる」と文句を言うのと同じことで何の意味もないことなのだ。
考えてみればこのオッサンも不幸なのである。おそらくこの人は自分のこれまでの人生において一度も「どうして俺は怒りやすいのか?」という問いをたてたことがなかったし、それゆえ自分の感情のコントロールができずに損をすることが多くあっても、誰にも手を差し伸べられることもなく、この先もずっと、自分の抑えられない感情に信号を送ってくる他人を怨んで生きていくのだ。
自分の不幸を他人のせいにすることが言い訳になり、それに慣れてしまうと、他人を責めずには生きられなくなる。他人を責める必要条件は、「自分の不幸」なので、うっかり自分が幸せになりそうになると全力でそれを阻止することになる。
ヤンキーがピカピカの新車をガードレールに突っ込ませるのはその一例である。
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