第6話 同じ人に会う話
最近、と言ってもここ数年ホントにテレビを見なくなった。たまに家人が見ているテレビを見ると、CMが何を言っているのか分からず、不安になるので、なるべく見ないようにしているのだ。え?どゆこと?アナタハニッポンジンデスカ?と言われそうだが、分からないものは分からないとしか言えない。
俺が子供のころは、次々と大きな建物や橋などが日本中でできていったのだが、夕方のニュースで「○○橋の完成に沸く街の様子」というような映像がよく流されていた。そういう映像の背景には、浴衣を着て頭に大きなかんざしを挿して「○○橋音頭~。」なんてとってつけたような歌に合わせて踊る婦人会のおばさま方が映っていた。
そして数年前、東京スカイツリーが完成したころ、偶然見た夕方のニュースのレポーターの後ろで「東京スカイツリー音頭」を踊る年配の女性たちの中に一人無表情で踊るおばさんの姿を見たときに、これまで何度も俺の頭をかすめたある考えが、ある疑いが、確信に変わった。
あの人だ。
間違いない。
俺が子供のころからこういうニュースを見るたびに、○○音頭を踊るおばさんの中に、同じ人がいる。
しかも、少し頬がこけた背の高いそのおばさんは何十年も年を取っていない様子で、いつも同じ浴衣で同じ髪型なのだ。見間違えようがないじゃないか。だっていつも同じなんだもの。俺は何を言っているんだ?俺が確信したのはつまり、時間を超えて○○音頭を踊り、しかも夕方のローカルTVニュースのレポートに映り込むおばさんがいるということだ。
この確信はほかの考えにも伝染した。子どものころから住む場所も何度も変わったけれど、違う町の人波を歩くときにふとすれ違う見覚えのある人がいる。こういう人たちは年を取らない。きっとこの人たちも同じ人なんだ。おそらく住む場所を変えて、年を取らない不自然さをカムフラージュしているのか。あるいは時間を超えているだけなのか。
いずれ俺の言っていることが正しいことがわかる時が来ると思っている。なぜなら、いまどき○○音頭も流行らなくなってきたし、そんな企画があっても若い人はもう踊らない。踊ってくれるご婦人方が軒並み70歳を超えていくような中で、40代半ばに見えるその女性の姿はおそらく異様に映るに違いない。
ふと、遠い未来、誰もいなくなった荒廃した夕暮れの都市のタワーの前で、ひとり、浴衣を着て無表情に踊るあの人の姿が頭に浮かんだ。
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