第5話 地獄という名の天国
冬になって茶碗が持てなくなったのは気のせいだと思っていた。
子どものころちゃぶ台にご飯茶碗を置きっぱなしで箸でコメをつついていると、
「チャンと手に持て、チャワンと!」
と怒られたものだ。
そのうちギターを弾いても指が思うように動かなくなってきたのでこれも練習不足かなと思っていた。
ここんとこ、オープンチューニングでスライドばっかりだったので、まともにコードを押さえたりしてなかったからなあ。薬瓶を薬指にはめてデュエイン・オールマンやデレク・トラックの真似をしたり、ガラスのチューブを小指にはめてサニー・ランドレスの真似をして遊んでいたのだ。
と、こんなことを俺が言っても、おそらくほとんどの日本人はこれらのギタリストが誰だかをしらない。エリック・クラプトンはサニー・ランドレスを「この世で最も過小評価されているギタリスト」と言ったが、日本でのスライドギターの評価は評価以前のものだ。
おっちゃん、サニー・ランドレスって知ってる?
って俺が工事現場で赤い指示灯を振っているおじさんに尋ねたとしても、おそらくは無視されることだろう。気のいいおっちゃんなら、
「ああ、知っとるよ。ソニーやろ?ランドセルも作っとんのけ?ほんま、かなわんな。なんぼすんの?」
とか答えるかもしれない。
あ、ちょっとギタリストで思い出したこと書いていい?
最近ギブソンというギターの老舗メーカーが破産申請した。俺がギブソンの335というギターを使っていたので昔バンドのメンバーだった黒人ギタリストが俺のことを「GIB(ギブ)」と呼んでいた。その頃はなんかクールだなあと思って喜んでいたが、今になって考えると、ニックネームのセンスとしては「メガネくん」と同じじゃねーか。
ああ、また脱線した。んで、結局左手の握力がほとんど無くなっていることにようやく気付いた俺は大嫌いな病院に行くことになった。
診断は頸椎ヘルニア。
医者は俺に、
「なんかカッコイイでしょ?
などという不謹慎なことを言わなかったが、
「重いものとか持たないで下さい。」
とだけ言った。
それからしばらく職場に首のコルセットをして通っていたが、首のコルセットは本人が感じるよりも周りから見ると重症に見えるらしく、以前38度の熱でふらふらしながら仕事をしている俺に、
「アルコールで消毒すれば治りますよ。飲みに行きましょう。」
と言っていた同僚も、
「どうしました?大丈夫ですか?死なないでくださいよ?またおごって下さい。」
とホントに心配してくれたのだ。
おお、これは。ひょっとして?
ためしに仕事場の机で椅子に座ったまま爆睡してみたが、コルセットのおかげで首がうな垂れることもなく、眠っているのか、ただ痛みに耐えて目を閉じているのかわからないではないか!しかも頸椎ヘルニアは腕とかにしびれや違和感はあるけど首は痛いわけじゃないのね。
家に帰って夜更かししても、仕事場で誰からも非難されることなく十分な睡眠をとれることに味をしめた俺はすぐさまアマゾンプライムに入会して夜中にポテチとチューハイを飲みながら映画を2か月で100本近く見た。そして太った。
そんな夢のような日々は春の訪れとともにコルセットの暑さに俺が耐えきれなくなった時に終わった。握力はだいぶ元に戻ったが、体重だけは元に戻ることはなかった。
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