第20話 探る人


 はあ…。

『誰とも付き合わない』って、傷付き過ぎている石原の気持ちが少し分かる。

 片想い程度でこんなに心が大荒れでしんどい。もうこんな風に乱れたくないって自分に誓ってしまうような辛さが、あの時あったのだろう。

 それと同時に、好きになったことに真っ直ぐな、後藤の気持ちも分かる。

 初めてそれを聞いた時には、真っ直ぐさが羨ましかったし、そのことに怖さも感じた程だった。挙句の果てには『若いなあ』なんて他人事のように思ったものだが、誰かを好きになるのに、そのことを認めて素直になるのに、若さは関係無かった。


「どしたん。ため息ついて」

「え?いや」

 石原と二人で飲むの、久しぶりだ。こないだ『週末飲みに行くか』って約束したので、実行。職場から少し離れたバー。

 バーと名乗っているが、何故かお好み焼きが美味くて日本酒の品揃えが凄い。

「女のこと?」

「違うな」

 違う。

「お前、水曜日に駅で美人と」

 それは後藤の姉だ。

「見たのか」

「噂」

 ブタ玉、うまい。

「それは後藤の姉貴」

「なんで後藤の姉貴が」

「たまたま」

「あ、お前まさか姉貴狙いで後藤と遊んでんの?」

 それだけは絶対に違うと言いたい。

「マジでばったり会った。後藤も居た。ジムに連れてった帰りだった」

「え?後藤とジム?」

 話がすり替わった。

「あいつ無理でしょ。体力ねえし」

 よくご存知で。

「でもまた行くと言っていた」

 そう言ったら、石原が仕方ないなというふうに苦笑いした。

「なんだよ、後藤…俺が体力ねえなぁって言ったの、気にしてんのかな」

 そっか。



 …なんだ。そっか。



 そんな会話があったんだ。

 胸が、ぎゅっとなる。

 ほんの少し息がしづらくなる。

 一度は断っておいて、でも俺に頭下げてジムに行こうとしたのは、石原にそういうことを言われたからだったんだな、って。

 そういう、二人の関係性を具体的に聞かされると堪える。

 後藤が石原を好きだと分かっている。

 そういう後藤のぶれない感じが好きだ。

 でも。


「ジムに行きたくなった理由は聞いてない」

「ふーん」

 後藤が鍛えようとした理由が自分だとしても、石原にとっては大した問題じゃないんだろう。

「ははっ、あいつ案外ムキムキになったりしてな」

「さあ、どうだろうな」

 この前の様子では、続くかどうかも分からん。

「で、後藤の姉貴とはどうなん」

 話が元に戻った。

「興味がない」

「そっか」

 豚キムチ頼もう。

 マスターに声をかける。

 それを待って石原が俺に追い打ちをかけてくる。

「じゃあ、後藤とはどうなん」

「普通」

「すげぇ気に入ってんじゃん」

「うん」

 嘘に真実を混ぜるのが大事。

「好きなん?」

「うん」

 好き。

「あいつ、変だぜ」

「うん」

 好き。


 今日、仕事が終わって石原と『どこ行く?』なんて話をしていたら、自分の席にいた後藤がこちらをチラッと見た。

 目が合った。

 俺と目が合いたかったわけじゃないだろうに、可哀想に。

 少し前の後藤だったらこういう時、悲しそうな表情をするか、俺に喧嘩でも売るかのような厳しい目を向けてきていた。

 でも今日は普通に、目が合った俺に一礼をした。何を考えているか全く分からず、心がざわついた。

 後藤が、何を思ったか知りたい。あの表情は何なのか。

 どんなに好きになっても、もしもどんなに近づけたとしても、他人の全ては分からないだろう。俺は後藤の全てを知ることができない。例えば石原のことも。それは当たり前のことで、頭では分かっているのに、今回の俺の片想いは、その単純な諦めを許さない。

 何もかも知りたい。


 ブタ玉の、最後の一切れを石原の皿に乗せる。石原がぴょこっと頭を下げてすぐ口に入れた。

「石原は?後藤のこと、どうなんだ」

「え?フツー」

「避けてるだろう」

「…そうでもないけど。ま、ああいう状況だから。距離感は大事」

 石原は距離感で生きているからな。『距離』じゃなくてあくまで『距離感』。

「で、佐々木はさぁ、俺と後藤のこと、正直どう思ってんの」

「くっつけって思ってる」

 言った瞬間、背中にパンチが飛んできた。

「痛ぇ」

「他人事って思ってるだろ」

 …思ってない、後藤が完全にフラれて諦めるのを待っている。

 いや、違うな。

 本心でも、付き合えばいいのにって、どこか思っている。

 そうしたら後藤が幸せな様子を見られるから。

「よくよく考えた結果、くっつけと思っているんだ」

「嘘つけ」

 今度は、足元に蹴りが入った。

「蹴るなよ」

「ムカつくわ、マジでムカつく」

 石原、ちょっと酒回ってきたかな。

 気をつけよう。力加減ができなくなっているかも知れない。

 何を飲んでいるんだ。あ、いつの間にか日本酒を頼んでいる。何杯目だろう。

「こら、ぽんしゅ飲むなって。酔うだろう」

「俺の勝手だ」

「この酔っ払いが」

「酔ってねぇし。お前の前で酔ったことねぇし」

 盛大に酔ってる。ああ、面倒臭い。

「あ、今、メンドクサって思ったろ」

「うん」

 だって、連れて帰るの、本当に面倒だから。

「ムカつく」

「何がだ」

「お前が素直過ぎてムカつく」

「石原の方が素直だろう」

「あほか、俺は本心隠して生きてるでしょ」

 本心を隠す?

 仕事で腹が立ってても、ヘラヘラかわした後、こっそり俺にだけぶつけてくるやつか?

 それとも後藤と付き合う気が無いのに優しくしていたあれか?


「つまり、うわべだけって事か」

 そう言ったら、今度は肩に、ストレートにパンチが入った。

「っつ…」

 痛い。

「ばぁか。佐々木の馬鹿、馬鹿木」

 俺は真剣なのに。

「俺は、そういう石原が羨ましい時があるんだよ」

「なんだよ、それ」

「言葉のままだ。俺にはお前が素直に見えるし、思ったことをすぐに言葉にしているように思う。好きなように生きているようにも見える」

 そう言うと、石原は鼻で笑った。

「お前、そういうこと言うってのが、それこそ、俺のうわべだけ見ているって、ことなんだよ」

「そうかな」

「そうなんだよ」



 酔っ払いの石原を抱えてタクシーから降ろす。

 こいつのいいところは小さくて軽いところだが、それでも三十前の男は重いのだ。よろよろっと歩いてくれるだけまだマシだが。

 勝手にカバンを開けて部屋の鍵を取り出す。今日は絡まれる気がするから、うまく玄関にこいつを置いて逃げたい。

 そう思いながら鍵を開けて、ドアを引いた。その瞬間。


 …あれ?

 違和感。

 本当に石原の部屋かな。


 …ああ、そうか、廊下に物が置いていないんだ。

 そういえば、後藤が掃除したあの日の後、部屋をキープしていると言っていた。

 いや、しかし、それからずいぶん日が過ぎている。あのゴミ溜め作成機のような石原が、こんなに長い間部屋を綺麗に保てるのだろうか。一体何が。


 そういうことをふと思ってしまったのだ。

 油断してはいけないと、今日は特に気をつけなければと思っていたのに、ドアを開けた瞬間に、俺に隙が出来てしまったのだ。

「佐々木!」

 いきなり、もの凄い力だった。

 石原に胸ぐらを掴まれて引きずり込まれ、そのまま廊下に押し倒された。









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