第19話 羨ましい人

 後藤を好きになる前だったら、後藤のお姉さんに会った時に『いいな』と思っただろうか。

 ちょっと思ったかも知れない。

 でも正直なところ『後藤のお姉さん』としか思えなかった。後藤と姉との絡みが面白くて、結局後藤を見ている状態だったから。

 姉ちゃん姉ちゃん言ってる後藤が可愛過ぎてヤバかった。ミスタ―普通が、ミスター弟になってた。あれ、姉から見ても可愛いだろうな。めちゃくちゃ仲良さそうだったしな。お姉さんいくつだろう。俺より下だろうけど『お姉さん』オーラが出ていたのは、とにかく弟があれだからかな。


 ぐあ…もう、何、あれ。


 後藤って、知れば知るほど色んな顔が出てきて困る。つい最近まで、素の後藤に悪口言われたい、みたいな気持ちだったのが、今は弟っぽい後藤に懐かれたい。

 っていうか、『姉ちゃん帰ろ』って、何なのあれは。

 俺…完全にやられた。

 あの時、後藤に告白して振られて距離を置こうとしていたのに。

 これからどうすべきか悩む。新たな後藤を堪能したくなっている自分がいる。これじゃあ玉砕どころではない。しばし自分を隠して生きる必要がある。

 …自己嫌悪。


 好き、か。

 好き、って本当に何なんだろう。何かを好きだと思う気持ちは、こんなに人を潰しにかかってくるものなのか。

 それは、気が付いたら昨日までの『好き』なんて全然小っさかったんだって思う大きさで、俺に俺の嫌な所ばかり見せようとしてくる。

 最悪。



「おはよ」

「…おはよ」

 俺の肩に手を置いて、朝から給湯室であんぱん食ってる石原がホントに羨ましい。後藤って、お前が好きなんだよな。

 おーい、後藤、ここで石原があんぱん食ってるぞ。

「寝坊か」

「大したことないよ」

 遅刻はしていないから、確かにそうか。


 石原を羨ましく思う日が来るとは思っても見なかった。

 朝の後藤の目線の先。

 仕事を一緒にしようとして、断られた後の何もなかったような強がった顔。

 ずっと石原を見ているわけじゃ無いけど、意識しているから、石原が立ち上がった時にはすぐに目線が動くし、声にも反応が出る。

 それはチームで仕事をしている先輩だから、という以上に機敏さを保っている。

 運動能力ゼロって感じの後藤の全身が石原を追うアンテナみたいに動いている。

 それを、持久力だけで生きてるみたいな俺が、じっと待っているんだ。


「佐々木さん、俺、今日すごい筋肉痛です」

 昼飯に誘っても、そんなに嫌な顔をされなくなった。

「どんまい」

 午前中の様子では、そんなふうに見えなかったが、無理していたんだな。

 定食の添え物のサラダの椀を持ち上げる時に、角度が悪くて顔をしかめた。

「…あああ、いてて」

「人は負荷をかけると成長するんだよ」

「…はい」

 しおらしい。 

「佐々木さん、一つ訊いてもいいですか?」

 何?改まって。

「…石原さんって、なんで強いんでしょうか」

 ああ、俺から石原の話を訊きだすのが嫌だけど、知りたいんだな。

「知らね」

「そうですか…」

「親が警察で、子どもの頃に柔道剣道合気道って、なんかそれっぽいもの全部習わされたって言ってた」

 でも石原が強いのは多分それでは無い。

「そういう習い事とか、親の振る舞いが嫌いで、中・高って荒れてたみたい。ま、一部推測だが」

「……」

「だから内緒な。要はあいつ、かなり実践積んでると思う。本気出されたら俺、絶対勝てない」

 正直、石原から見た俺と後藤との体力差など、どんぐりの背比べでしかないだろう。

「じゃあ佐々木さんは今まで」

 後藤がそう言って、言いかけて、止まった。

「ん?どうした」

「いえ、なんでもないです」

 なんだろう。

「いや、いいです、何言おうとしたか分からなくなったな…」

 後藤の目が少し泳いだ。

「それより、うちの姉貴、どうですか?」

「え?」

 急だな。

「そんなにブスじゃないでしょ」

「いや、滅茶苦茶綺麗だろ」

「やったぁ。佐々木さん、姉貴結構タイプ?」

「ごめんタイプでは無い」

 間髪入れずに答えたら、後藤がちょっとムッとした。

「即答過ぎ」

「すまん」

「でも綺麗って言った」

「一般論」

「脈無く無い」

「本当にすまんが脈は無い」

「彼女、いないんでしょ」

「好きな奴はいる」

「え…」

 俺の返事に後藤が一瞬固まったが、俺も自分で言ってしまってビックリした。

「佐々木さん、好きな人がいるんですか」

 改めて訊かれた。

「いる」

 目の前に。

「職場?」

「…言わん」

「あ、その言い方は職場だ」

「知らん」

 後藤がため息をついた。

「…残念、姉ちゃん押し付けようと思ったのに」

「勝手に押し付けるな」

「まさか、石原さんじゃないですよね」

「あほか」

 お前じゃ。


 今、凄く告白しやすい流れだが、なにしろ昼飯時だし、周りに人が多すぎるし、急すぎて自分の気持ちが整わないし、なあ、後藤よ、俺たちタイミングのズレが酷いな。昨夜こういう会話があったら言えたのにな。

「好きな奴ってことは、まだ相手に言ってない?」

「うん」

 言えんから困っている。

「じゃあまだチャンスあるなぁ。あ、それよりさっさと告って白黒つけて下さいよ」

「それ、フラれろって思ってるだろ。お前はホントに俺の都合を考えないな」

「へへへ」

『へへへ』って、何!その可愛い『へへへ』は!

「佐々木さんには、なんか何でも言えちゃうなぁ」

 それは滅茶苦茶嬉しいけれども!

「…っていうか、すいません」

 全然悪いって思ってない顔。


 あああああ、悪い顔と弟顔の両方をぶつけてきやがった。

 神様…!



 



 

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