第18話 偶然そこにいる人


 チェストプレス数回で『もう駄目です』『ダメ』『無理』と弱音だか文句だか分からない言葉を吐き、休んでばかりの後藤の姿は、俺にとってかなり新鮮だった。

 職場では『真面目で我慢強い子』だったからだ。

 俺一人なら、いつも一時間半程度マシンを使うのだが、後藤があんまりなんで三、四十分で終了した。

 シャワーブースへ同時に行くことになってしまったが、あまり見ないようにする。何ごとが起こるか分からない。

 俺は今、後藤が好きだが、まだ知らないことや見たことが無い面がいっぱいある。服装などの見た目もそうだし、性格などの内面についても。

 それらを、思いもよらぬタイミングで見て、知って、それについて自分がどう思い、どう反応するかが本当に分からないのだ。

 とりあえず、裸に近いものは見ないようにしよう。



 着替えてから、スポーツドリンクを奢った。

 シャワーブース外のベンチで、後藤が『燃え尽きたジョー』みたいにへたばっている。

「佐々木さん、毎週来るとかドM」

「俺はMじゃない」

「M、じゃなくて、ど、え、む」

 はっきり区切って言わなくても。

「お前こそ、よくこれまで生きてこられたな」

「それはね、平和なね、世の中なんでね」

 憎まれ口。

「捻り潰すぞ」

 そう言って濡れた髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。

「怖い怖い」

 本気にしていない。本気じゃないけど。


 今、この頭を本気で掴んだらどうなるんだろう。

 この細っこい身体を抱きしめたら。

 そんな良からぬことを考えていたら、急に後藤が顔をあげたので慌てた。

「ねえ、佐々木さん」

「ん?」

「週に一回でも通ってたら、だんだん力付きますか」

「え?」

 マジか。

「…それは…なんにもしないよりは」

 あんなに苦しんでいたのに、こんな事を言い出すとは。たまに一緒に来られたらいいなと期待していたが、今日の様子を見て無理だと思っていたので驚いた。

 すると、後藤はもっと俺を驚かせることを頼んできた。

「佐々木さんの気の向いたときに誘ってもらうって、迷惑ですか?」

「誘う」

 即答してしまった。

 案の定、後藤が笑った。

「佐々木さんって…」

 変?

「良い人ですね」

 …それは…。



 罪悪感が半端無い。



 やっぱり、気持ちを伝えた方が良いのだろうか。正々堂々と。

 後藤の気持ちを考えて、黙っているつもりでいたけど騙しているみたいだ。

 相手を油断させて、近づき放題…って程は何もしていないのだが、時々暗い気持ちに襲われる。

 しかし、今告白したら、一緒にジムに行けなくなるな。

 などと計算高く考えている自分もいて、また更に自己嫌悪に陥る。

 後藤を好きになってから、自分の良いところが見つからないぞ。どうしてしまったんだ。


 ジムを出て、二人で駅へ向かって歩きながら、俺は人気のなくなるのを待っていた。

 もう、言おう。

 どう考えても今じゃ無いって分かっている。でもこのまま放っておいたらもっとタイミングを逃す気がする。


 駅裏の階段が見えてきた時、周りに人が居なくなった。

「あのさ、後藤」

「はい」

「俺...」

 あ、ダメだ、誰か来た。

「いや、何でもない」

「え、何ですか?って、あ、あれ?」

 後藤が、俺の邪魔をした人間の方を見た。

「姉ちゃんだ」

 え?


 白いシャツ、グレーのタイトスカートを着た、清楚な感じのセミロングヘアの美人が、ヒールの音をコツコツと響かせながら近付いてくる。

「姉ちゃん、なんでこんなとこにいんの」

「あれ?文昭?」

 後藤って『ふみあき』って名前だっけ。

「佐々木さん、姉の優美です。姉ちゃん、職場の先輩の佐々木さん」

「こんばんわ。弟がいつもお世話になってます」

 お辞儀の仕方などが百点満点の人だ。

「こんばんわ、こちらこそ」

 なんでこの『超普通っぽい弟』に、こんなハイグレードっぽい姉がいるんだ?

 あと、なんで俺がその『超普通っぽい弟』に告白しようとした瞬間に現れる?

 俺が軽い混乱状態に陥っている間に、二人が状況報告をし合っている。

「仕事?」

「うん、取引先に書類を手渡しに。文昭は?」

「佐々木さんにジムに連れてってもらった」

「え?文昭がジム?」

 優美さんがフフフと笑った。後藤、家族にも笑われているぞ。

「佐々木さん、この子全然運動しないので、是非また連れて行ってやってください」

「あ、はい」

 いや、どうしよう、はい。これからも、是非連れて行きます…って、ほらまた告白のタイミング逃した。

「姉ちゃんに言われなくても鍛えるから」

 後藤が強がっている。

「文昭が鍛える?ふふふ」

 優美さん、また笑っている。

「笑うな!鍛えるのやめるぞ」

 弟らしく拗ねてみせているが、どんな脅し方なんだ。

「ごめんごめん。楽しみにしてるね」

 お姉さんは、お姉さんらしく微笑んだまま。

「姉ちゃん、会社戻るの?」

「ううん、直帰。一緒に帰ろ」

「うん」

 仲良いな!

 っていうか、こんな綺麗なお姉さんがいて、なんで石原のことが好きになるんだ、後藤よ。

 三人で階段を上がった。改札のところで、後藤が定期入れを探し始めた。切符売り場の棚に鞄を置いてゴソゴソやっている。

 優美さんが、俺に話しかけてきた。

「あの子、ご迷惑かけていませんか?」

「いや、凄く真面目で、努力するし、よく気が付きます。助かっています」

「家では口も悪いし…」

「職場では、そういうのは全く無いですよ」

 俺には時々口が悪いですが、それは俺のせいなので。

「引きこもりっぽいところあるんですけど、なんか皆さんに良くしていただいているみたいで、家でお仕事の愚痴も全くありませんし…。それに、あの子が身体を鍛えると言い出すなんて本当にびっくりしました。これからもよろしくお願いします」

 愛されているなあ。

 優美さんから見た後藤…新しい角度で、話を聞くのがまた嬉しい。

「こちらこそ、後藤くんは自分の周りに居なかったタイプで、一緒にいるとすごく面白いです。付き合ってもらっているのはこっちの方です」

 と、そこへ定期入れを見つけた後藤が駆け寄ってきた。

「佐々木さん、お待たせしました、ありました!…姉ちゃん帰ろ」

 弟成分百パーセントの後藤。

 ああ、めちゃくちゃ可愛いじゃないか!

「佐々木さん、それではまた」

 お辞儀をする優美さんの髪が肩からサラサラと流れる。少し離れてみると、姉と弟で髪の色や質感が全く一緒だった。

 

 

 

 


 




 


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