第14話 話題として避けられている人

  


 美術館前で待ち合わせた。時間より十分程早く着いたのに、もう後藤は待っていた。

 シンプルな白いシャツにブラックジーンズ、白いスニーカー。いつものスーツより様になっているが、学生のようでもある。

 いや、こいつ、つい最近まで学生だったっけ。

「おはよう」

 声をかけたら、パッと顔をあげた。

「おはようございます」

 いつもの昼休みに俺に向ける牙は引っ込められて、素直な後輩くんの表情で挨拶された。

 …本来、後藤はどっち寄りの人間なんだろうな。ふとそんなことを考えたりする。どちらも後藤だと分かっているけど。

 入口のところで、後藤が俺に訊いてきた。

「音声ガイド、どうします?俺は今日は初見だから無しで行くけど、もう来ないんだったらあった方が」

「音声ガイド?」

「作品に近づくと、解説してくれるんです。訳もわからず眺めているよりは面白いと思います」

 後藤が勧めるのならと思って利用することにした。

「後藤はまた来るのか」

「多分。期間中何回かは」

 そう言うと、俺が音声ガイドを耳にセットするのだけ待って、後はスタスタと自由に歩き回り始めた。

 エッシャー展、騙し絵とかの類で、結構楽しかった。ガイド音声を聞きながらじっと見ているうちに、後藤とはぐれた。

 まあ、良いか。

 同じ建物の中で、同じ人が作ったものを見ている。


 ぼんやりと、視覚が騙されるに任せる。驚いては冷静に辿ってゆく。ああそうか、写真とかじゃ無いんだから、こう表現しても良い。歪んでは目を覚ますようだ。脳の感じている常識がそう常識でも無いと知りながら。


 メインのホールらしき場所にたどり着いた時、後藤と再開した。やっぱり学生のようだ。石原と違って何の色気もない。ただその学生のような佇まいに、可愛らしさや自分が決して手にできない何かを感じる。

 不思議。

 不思議だな、なんだろうな、と思って、それから後は音声ガイドの音を絞って、少し離れて後藤を見て歩いた。

 この興味はどこから。普通を絵に描いたような後藤に、これまで誰にも感じたことのない気持ちが生じているのはどうしてだろうか。

 手に入らないもののように感じる。

 でも、手に入れてもどうしていいか分からないものでもある。


 昼飯に誘った。断られずに済んだ。

「館内の店行く?」

「いえ、俺ここ来た時行く店が近くにあるんで、そこにしませんか」

 美術館に、そんなによく来てるのか。

「すごいな。よく来るんだ」

「実家暮らしで毎日何かとざわざわしているから、たまに一人になりたくて。静かなところが好きなんですよ」

「そっか。俺らくらいの年で美術館に行くのって、美大出身の人くらいだと思ってた」

「普通に経済学部です。佐々木さんは?」

 俺のことなど訊いてくるなんて珍しい。

「情報工学」

「そんな学部あるんですか」

「学部でいうと工学部」

 そんな話をしながら後藤に連れてこられたのは通りに面した小さなイタリアンだった。

 窓際の席に着き、後藤に勧められるままにランチメニューを頼む。

「佐々木さんは、一人暮らしですよね。休みの日は家ですか」

「まあ…一週間分の家事して、ちょっとぷらぷらしてって感じか。後藤は一人暮らし始めないのか」

「ええ、しばらく予定ないです。職場も遠くないし、なんだかんだで実家はラクだし」

「後藤は家を出ても困らないだろう」

 綺麗になった石原の部屋を思い出し、つい言ってしまったが、後藤はそこには引っかからなかったようだった。

「いや、多分俺めちゃくちゃ大変なことになりますよ。メシ作れないし」

 あ、そうなんだ。

「メシぐらい何とかなるよ」

「そうですか?一番恐怖ポイントですけど」

 恐怖?

「恐怖は言いすぎだ」

「いやいや、食べることは大事です。…佐々木さんは、普段どうしてるんですか」

「晩飯は外食が多いかな。行くところだいたい何軒か決めてて」

「自分で作ったりします?」

「たまに。もう炒めるだけ、とか鍋、とか」

 後藤が、表情を崩した。

「男の料理!みたいなのが出てきそうですね」

「ああ…確かに。野菜足りないなぁって思ったら、ひたすらキャベツ齧ってる時ある」

「それ、料理じゃないし」

「六年間無事」

「ははは。レベル低すぎ」

 笑っている。

 後藤が笑うと、本当に単純に、嬉しくなる自分がいる。


 なんとか奢らせてもらって、店から出た。駅に向かって歩く。

「旨かったな」

「でしょ?」

「エッシャー展も面白かった」

「そうですか?良かったです。偉そうに『勝手に付いて来い』みたいなことを言ってしまって、ちょっと不安でした」

 そっか、不安だったのか。

 そういえば今日はずっと『良い後輩』モードだったな。そんなことを思っていたら、後藤が少し小さな声で言った。

「佐々木さんが、もっと嫌な人だったら良かったんですけどね」

「ん?」

「そうしたら、俺、もっと悪くなれるのに」

 どういう意味だろう。

「それって、もっと地が出せるってことか」

「…まあ、そんな感じ」

 俺は後藤の素の部分がもっと見てみたいと思っているが、そもそも先輩後輩として知り合ってしまったのだから、それは無理なのかも知れない。それこそ我を忘れるような、感情の揺れが無い限りは。

 …寂しい。

 寂しくて、胸のあたりがざわついて、つい何も考えずに思ったままを口にした。

「俺は…お前の素の部分ももっと見たい。それが難しいのも分かっているけど」

「…俺の観察、まだ続いてるんですか」

 後藤の声が少し呆れている。

「観察っていうか…後藤のことが気になって、もどかしい」

 お前が、俺に感情をぶつける程の間柄になりたい。

「佐々木さん、それってどういう」

「分からない」

 後藤が足を止めた。つられて立ち止まると、急に後藤は俺の手を掴んだ。

 自分の両手で包み込む。

 え?え?何?

 慌てふためく俺に、後藤は言った。

「佐々木さん、これってドキドキしますか」

 

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