第15話 絡んでくる人
後藤が、俺の右手を、自分の両手で包み込んで、ぎゅっと、握った。
「佐々木さん、これってドキドキしますか」
そう訊いてから、答えを待たずにパッと離した。
「…どうですか?」
めちゃくちゃドキドキした。
嘘をついた。
「わ…分からない」
後藤はそれを聞くと小さく頷いた。それからふと悲しい顔をした。
「俺は、もし石原さんが俺の手を握ってくれたら、嬉しくてドキドキして離したくないって思います」
…うん。
「そう思っているのに、その後石原さんが俺の手を離してしまったら、胸がギュッと締め付けられて、もう二度と手を握ることなんてないんじゃないかと思う」
ああ、うん、そうだな。思った。今。
「実はそれって、とても単純な感情じゃないかなって思っているんです。石原さんの性別なんて気にしなくていい。ただあの人を好きってことでいいんじゃないかって」
そっか。
やっぱり俺、後藤が好きなんだ。
「佐々木さんがなんで俺に興味があるか全く分からないから、それで今ちょっと試してしまいました。すみません」
「いや」
「まさか俺のこと好きなのかと。自意識過剰でした」
ううん。違うよ。お前は正解している。
「佐々木さんは、俺が簡単に理解できる人じゃない。俺の今まで会ったことが無いタイプなんでしょうね」
そこまで言うと、また後藤は歩き始めた。俺も並んで付いて行く。
…どうしよう。
このまま、誤解しておいてもらった方が良いんだろうな。こいつは石原が好きなんだから。俺が自分でも気付いたばかりのこの気持ちを打ち明けて、わざわざ引っ掻き回す必要は無い。
でも。
横目で後藤を見る。
石原のことを思い出したのだろう、少し頬が赤い。そして寂しそうな表情をしていた。
石原の話題は避けてきた。でも、これだけは聞いておきたい。
「後藤は…」
「はい?」
「…拒否されても好きでい続けるのか」
それに対する後藤の答えは簡潔だった。
「はい」
「そうか」
人は、この状況を失恋と言うのだろうか。
「いつか好きじゃなくなる日が来るかも知れないけど、今はまだ好きだから」
「…そうか」
じゃあ、少し苦しいが、今は俺の気持ちは言わないでおこう。
「なあ、後藤」
自分の心は隠しておこう。
「はい」
普通の学生みたいな後藤が俺を見上げる。そんなに大きくない目が見上げる。でもその顔や表情も、しばらく見ていたくなるし、とても気になるんだ。
好きって、こういうことか。
「また、勝手に付いて行ってもいいだろうか」
後藤に興味を持っている変な先輩というスタンスで、これからも付き合っていくことができるか。
「日程や興味が合えば」
その言葉と声は、厳かに俺の胸に響いた。
駅で後藤と別れると、自分でもびっくりするくらい落ち込んでいる自分がいた。
こんな気持ちは何年振ぶりだろう。
そもそも、相手に好かれてもいないのに自分から好きになったのは小学生以来ではないか。
向かいのホームで、電車を待っている後藤が見えた。
やっぱり気持ちを伝えたい。
しかし、人の目が多すぎる。
そもそも、気持ちを伝えたところで何かが変わる気がしない。
なのに、どうして伝えたくなるんだ。
俺の冷静な判断はどこへいった?
後藤は石原が好きだと俺に何度も言っている。
俺は向かいのホームの後藤を、声も出せずに見つめるしかない。
…後藤…!
今、叫んだら、何かが変わるか?
変わりたい。
変わるのが怖い。
月曜日の朝、石原の顔を見た瞬間俺の中で「チッ」という声が弾けて驚いた。
めちゃくちゃ性格悪くなってる、俺。
石原は何も悪くないのに、石原を逆恨みしている自分がいるのだ。
「これは…キツイな…」
思わず声に出してしまっていた。
「何がキツイって?」
石原が、俺の肩に手を置いた。
「身体ダルいのに、まだ月曜日なのがキツイ」
誤魔化しでそう返したら、石原が『俺も』と言いながら自分の席に戻っていった。俺は心の中に苛立ちを抱えた。
「おはようございます」
グレーのスーツの後藤が挨拶をしながら部屋に入ってきた。
昨日の学生みたいな後藤も可愛かったが、やはりスーツの方が引き締まっていて良い。ダークグレーも似合うのではないか。
目が合った。
小さく会釈をしてくれた。昨日はどうも、みたいな感じが、『俺だけが知っている後藤』感が凄くて、手も握っていないのに『嬉しくてドキドキして離したくない』の気持ちに襲われた。
やばい。
自覚したら色々しんどいことが増えすぎる。さっきみたいに嬉しくなる瞬間も増えたが、所詮後藤は石原が好きなわけで、嬉しくなった瞬間毎に失恋を味わっているような状況に陥る。
昼休み頃、後藤の姿を探したが、居なかった。
代わりと言うかなんと言うか、石原が俺を昼飯に誘ってきた。
「いつもんとこ行かね?」
「…ああ」
後藤は?と訊こうとして、やめた。
「名古屋の資料できたのか」
そう訊いたら、石原はウンウン頷いた。
「うん。週末までにだいたいオッケーもらった…ていうか、お前にそれ言ってたっけ」
あ…後藤情報だった。
「いや、先週の部屋の空気と会話で」
「そっか」
そんなことを話していたら、鯖の味噌煮定食が二膳並んだ。いただきまーす、と石原が言って食べ始めた。しばらくお互いに無言で食べる。
そのうちに、石原が口を開いた。
「あのさ、佐々木さ」
なんでもない口ぶりだった。
「ん?」
「あの…お前が週末言ってた日曜のデート、後藤?」
鯖を噴きそうになった。
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