第10話 性別という区別の無い人
石原の癖、酒が入ると『脱ぐ』ようになったのは就職一年目の夏で、先輩と飲みながら『暑いっすね』と言ってボタンを外し出したのが始まりだった。
同じ課の先輩三人と、俺と石原の五人で、居酒屋の、簡単な仕切りのある座敷で飲んでいた。
俺は横に座っていたが、石原が酔っているのに気付いていなかった。
石原はネクタイを緩め、ボタンを外し、ワイシャツを脱いだ。
白のTシャツ姿になると、細身だが筋肉質の石原の体格の良さが際立つ。
「いい身体してるなぁ」
三年先輩の久保田さんが、石原の肩に手を置いて言った。
「なんか運動やってた?」
「まあ…バスケとか…いろいろ」
実はその後、俺は『バスケ』よりも『いろいろ』の方がメインスポーツであり、それこそが石原の神髄だということを知るのだが…とにかく、久保田さん以外の先輩も俺も、石原の体格が良い事を褒めた。
「結構筋肉ある?」
「ただ細いだけに見えてたけど」
ちょうどその会は女子がいなかったこともあって、石原は更にTシャツまで脱ぐ流れになった。
「別に脱いでも今と変わりませんって」
そう言いながら、石原は脱いだ。
その場にいた全員が、息を飲んだ瞬間だった。
脱いだ石原はとにかく白くて、エロくて、綺麗だった。
基本的には細いが、なんというか全体にうっすら脂肪が乗っている感じで、柔らかそうな、触りたくなるような肌の様子に、その場にいた全員が一瞬、石原が男だということ忘れて見惚れた。
いや、あの瞬間、この世に性別という区別の仕方が無くなったように思えた。
石原と、石原以外。
先輩たちがどう思ったかは知らないが、俺はそんなことを考えていた。
そしてすぐに、そんな石原にキスされたことを思い出した。
「おい、早く服着ろ」
なんとなく恥ずかしくなって、石原のTシャツを拾って頭から被せた。
その瞬間、石原が俺に寄りかかってきた。
「え?あ、ちょっと!」
何が起きたのか分からなかったが、キスの時と同じだった。
石原は、そのタイミングで完全に意識を失っていた。
「酔ってんじゃねぇぞ」
起こそうとしたが、全く起きない。
「ビールのあと、日本酒七杯飲んでたから」
久保田さんがそう言って俺をなだめた。
風邪を引くからと、とにかくTシャツを着せた。
Tシャツを着せるときに触れた石原の肌は見た目通り柔らかくて、汗をかいているわけでもないのに妙にしっとりと手に吸い付いた。
男でも、色気のある人間っているんだな…。
それまで、そういう人間が身近にいなかったのでカルチャーショックは少なからずあった。
先輩と、タクシーで石原を送っていった。
例の部屋で、その日は何も起こらなかった。
俺が襲われたのは秋の異動発表の後の送別会のことだった。
石原が酔って脱ぎ、しばらく誰かと話した後寝てしまって、俺が服を着せる、連れて帰る、という流れが妙に定着していた。
最初のキスが衝撃的過ぎたので、部屋に入るときいつも俺は逃げ出せるように注意していた。
その日油断したのは、石原がタクシーで泣いたからだった。
「佐々木ぃ!フラれた!」
さっきまで、係長の異動とかそういう話題に終始していたのに、タクシーに乗るなり石原が叫んだのだ。
「は?」
「昨日フラれた」
「…彼女、いたっけ」
「大学の時からの彼女。忙しくて会えてなかった」
そう言われた時に俺が思ったのは、石原がゲイじゃないんだなということだった。
「二股かけられてた、クソッ」
「まじか。職場の人か何か?」
「…大学の時のトモダチ」
うわ、きつっ。
「最悪だ、最悪。もう最悪…!」
そう言いながら、石原が泣いた。
「もう、今日とか仕事無理って思ったけど、そんなので休めないし」
「風邪でも引いたことにすれば」
「それも考えたけど…あいつらに負けたみたいでムカつく」
ああ、それは分かる。
「けどもう…ムカつく!」
今度は、ムカつく、ムカつく、と呪いのように呟きながら泣いた。
可哀想なような、可愛いような、でも本人はどん底だし、もたれかかってくる時にシャツから覗く肌は白いし、とにかく男性好きでないことがハッキリしたし、俺的には妙な安心感。めでたしめでたし、と思ってしまったり、ああコイツフラれたんだなと同情したり。
そういういろんな感情が混ざり、とにかく油断してしまった。一人になりたくないという泣き言にもついほだされて、気易く部屋の中まで上がってしまった。
部屋の中は過去最高の荒れ具合で、廊下まで足の踏み場が無く、石原の心の不毛具合を表していた。
それでもなんとか、例の部屋の奥のマットレスだけが正常を保っていた。
「はいはい、もうここで寝ろ」
「佐々木ぃ…」
「今日はここに居てやるから。とにかく休め」
「うん」
石原をマットレスに寝かせて、その足元に座った。
「きったねぇ部屋」
「るさい」
「こりゃフラれるわ」
「黙れ」
「…今日は仕事に来て…偉かったな」
「……」
そのあとはお互い静かになってしまって、俺は石原が眠ったのだと思った。
このまま朝までここに居るんだったら、どこかで寝よう。
部屋、汚いな。ほんと。
ベッドマットの周辺に、雑誌や脱ぎ散らかした服がごちゃごちゃになっている。それらを片側にぐいぐい寄せて、自分の場所を作った。
その辺りにあったクッションをまくらにして、そのまま床に寝た。
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