第11話 襲う人


 床は硬かったが、酒も入っていたし週末で疲れていたので、ウトウトしはじめていた。

 何かが動く気配を感じてうっすら目を開けると、暗闇に白くて細い何かが、ぼんやりと浮かび上がっていた。

 綺麗だな。

 目を閉じた。

 思い返せば、それはベッドマッドの上で半身を起こして、着ていたものを脱ぎ始めていた石原だったのだ。

 それに対する感想が『綺麗だな』は自分でも馬鹿としか思えないのだが、脱いだ石原は正直美しいので、仕方が無いことでもある。


「…ささき…」


 耳元で声がした。

「…ん?」

 両肩を押さえつけられた。

「え?」

「ささき」

 部屋が静かだから、夜だから聞こえるような、小さな声だった。

 それは、前回みたいな勢いや無茶苦茶ではなくて、とてもゆっくりと慎重に、柔らかく重なった。

 そっと下唇を吸い、舐めるように辿った舌が俺の唇を割って入る。

 キス、うまいな。

 身体が動かない。

 石原はもう酔っていないのか、酔っているのか。

 酔ってないとしたら、石原はバイセクシュアルなのか。

 フラれたと言っていたし、泣いていた。彼女が好きだったんだろう。

 だから、俺は理解していなければ。

 

 今、俺のことが好きでキスをしている訳じゃないってことを。


 しばらく、したいようにさせていた。

 フラれたと言って泣いているのを見た後で同情していたし、疲れて身体が動かなかった。

 あと、単純に気持ち良かった。

 またどこかのタイミングで寝てしまうかも知れない、と期待していたのだが、しばらくすると石原は俺のシャツのボタンを外し始めた。

 あ、次があるんだ。

 もう、止めるべきだろうか。

 今から抵抗して、こいつに勝てるかな。

 ぼんやりと考えている間にも、石原は俺のシャツのボタンを全部外し終えて脱がしにかかり、中に着ていたシャツもいそいそと脱がして抱きしめてきた。抱きしめられると肌と肌が直接重なった。吸い付くような感触で、いろいろと持っていかれそうになる。相手が男だという戸惑いはそれらで消し飛んだ。キスといいこの状況といい、正直このまま何が起こるか最後まで付き合ってもいい。ただそこに恋愛感情が無いことを理解したうえでだが。

 そもそも、石原は酔ってる時の方が力が強い。意識があるときはセーブができるのだろう。それがこれまでの付き合いで分かっているから、どうしても逃げたいのなら、相当うまくやらないといけない状況だ。

 離れないキス。

 身体中に触れる手の感触。

「…あっ」

 それは…。


 お前がフラれてヤケになっているのは分かっているけど、俺でいいのか?

 同僚で、そこそこ友だちになったつもりだ。そういう、これまでに積み上げた何かが壊れるかも知れないけど、それでも。

 それでも、今日のお前の相手は俺でいいのか?

 今、本気の一線を越えそうになっているが、失って構わないのか?


「いし…はら…」


 苦しい。

 平気だと思っていたことが、実際に現実となるにつれ、そうでもないと知る。

 気持ちと身体が耐えられなく苦しい。全く真逆の状態だから。

 このあとどうなるとしても、その苦しさだけは今、伝えておきたかった。もしも石原が酔って何も分かってないのだとしても。

「石、原…」

 荒れた呼吸の合間に、名前を呼んだ。

 押さえつけられ、身動きが取れない。

 なあ、俺、やっぱりやめたい。

 

「…苦しい」

 友だちでいたいな。

 だめかな。



 たとえ石原が酒で意識を失って動かなくなってしまっても、お前が誘ったんだと言って一時的な欲に負ける方法はあるだろうと思う。それを『有り得ない』と言い切れないくらい、酔った石原からは色気が溢れる。

 しかも、おそらく大抵のことを、石原は覚えていないだろう。それを利用することさえできるのだ。

 けれども、そんな石原と一線を越えることは、あまりに悲しいんじゃないか。何度も唇を奪われて、何度も誘われて、もし何かが起きたとしても、こいつは何も覚えていない。そんな虚しい関係に陥ったら、俺は精神的にやられてしまうだろう。


 実際に何度もキスを繰り返した。

 しかし、それを覚えているのは俺だけなのだ。


 石原と、友だちのままでいる。どれだけ誘われても襲われても自ら応じることは無い。あの日、俺はそう決めた。

 いや、決めたというよりも、そう自分を理解したのだ。

 そんな俺にできることは、飲み会で脱ぎはじめた石原を、ちょうど良いタイミングで救い出すことだった。 

 そして、自分自身にも、できるだけ何も起こらないように細心の注意を払って、家に連れて帰る。

 この一連の流れ、その最中に、恋愛感情は無かった。ただ石原が傷付かないように祈る気持ちだけがあった。この、俺より多分かなり強いであろう男をどうしてここまで守ろうとしているのか、自分が馬鹿に思えることもあった。しかしそれは俺にとって、友情からくるものであると同時に、生半可な気持ちでは誰にも石原に触れて欲しくないという、ほんの少しの嫉妬だった。


 

 

 

 

 

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