第5話 腹を立てても仕方がない人
『泊めていただき、ありがとうございました。
朝は驚かせてしまい、すみませんでした。
石原さんがゴミだと言ってたもの、ゴミ袋に詰めました。
洗面所に置きました。ゴミの日に出してください。
玄関で、部屋の鍵を見つけたので帰ります。
鍵はポストに入れます。
回収しておいてください。
いろいろ、勝手にしてごめんなさい。後藤』
字が、意外とキレイだった。
この感じ、多分昨夜は何も無かったのではないだろうか。
石原が勝手に脱ぎ散らかして、勝手に寝てしまって、後藤は一晩中忠犬ハチ公みたいに石原の目覚めを待っていたのでは…。
いや、それとも…。何かあったからこそ、かいがいしく部屋の掃除をして出ていったのか。
「石原、お前マジで後藤と結婚しろ」
「何言ってんだ」
「ベランダ見てみろ。洗濯、お前が干したんじゃないだろう」
「…ほんとだ」
この馬鹿が眠ってしまったのを、一人で待つ後藤。思いを募らせていたことだろう。
朝になって、やっと馬鹿が目覚めたと思って『酔っていないときに告白する』を実行したら、馬鹿はろくな返事もせずに自分を置いて出ていってしまう。
ショックを受けながら一人で部屋の片付けをし、洗濯物を干している後藤を想像したら、心底イライラしてきた。
「帰る」
無性に、一人になりたい。
「送る」
「いい」
石原に、俺が考えたようなことを想像することがあるのだろうか。もし想像できなかったとしても、この状況を見て何も感じないなら友達をやめたい。
今まで、石原の適当でちゃらんぽらんで、どうしようもない部分を人一倍見せつけられてきたが、今回ほどモヤモヤしたことは無い。
しかし、どうしてモヤモヤするのか自分でも良く分からない。今回のことは石原と後藤の関係性の中で起きたことで、俺に口を挟む余地は無い。
駅まで歩いて行った。
電車に乗った。
昼近くになっていて、座席もところどころ空いていた。でも座ろうという気がしなくて、ドアの傍に立って窓の外を見ていた。
明るい。
青い。
揺れる。
ムカつく。
石原に腹を立てても仕方がないことはこの六年で理解している。
「後藤って、身長何センチある?」
今日も嫌がる後藤を昼飯に誘った。
「…百七十五です」
「体重は」
「五十五」
カウンター席に並んで座っている。隣の後藤の体つきを眺めたが、どう見てもガリガリだ。もっと食え。
…なんてことを言ったら、また悲しい顔をするのだろうか。
「ジムに行くか」
「ジムですか」
「鍛えろよ。勝てないだろう、あいつに」
そう言ったら、後藤は即座に『いいです』と断った。
「勝ちたいとか、思ってません」
頼りなくて、人が好さそうで、いつも申し訳なさそうで…石原と仕事をしている時だけ嬉しそうな後藤。そういう印象だったが、本当はすごく芯があるように思えてきた。今も、真っ直ぐに俺を見ている。
「腹に、痣が出来ているだろう」
そう言ったら、後藤は否定もせずにみぞおちに手を当てた。
実は俺も膝が少し腫れているので、こいつもそうじゃないかと思って言ってみたが、正解だったようだ。
しかし、後藤の病は本当に深いところまで進んでいた。
「痣は、自分が悪かったから出来たんです。殴ってもらえて良かった。取り返しのつかないことをするところでした」
こいつ、石原のことを…好き過ぎる。
やっぱりシロだな。
この前泊まった時、こいつは何もしていない。石原がウンと言わなければ、後藤は何もしないのだ。
「じゃあさ…」
ちょっと仕掛けてみよう。
「もし俺が、酔った石原を襲ったら、どうする?」
後藤が、ギョッとして目を見開いた。
「…え?」
「お前には止められないだろう。石原に勝てなくてもいいかも知れないが、俺にも勝てないぜ」
さあ、どう出る?
「それは…」
隣に座っている俺の、頭からつま先まで眺めるような目線。俺は背が百八十二センチあって、そこそこ鍛えている。体重は…六十七、八キロくらいか。石原のような俊敏さは無いが、後藤に負ける気は全くしない。
どうする?
「……」
案の定、後藤は完全に固まってしまった。
「俺は…」
今まで、そういうことを考えたことが無かったんだろうな。目が泳いでいる。
ちょっとだけ、その顔が見たかった。
…ごめん。
「ははは。そんなこと、するわけないだろ」
「え?!」
「石原はただの同期だってば。言ってるだろう」
顔が引きつっているのが面白くて、後藤の頭を撫でた。
「けど、そういう可能性とは別に、やっぱお前はもうちょっと身体作った方がいい。とりあえず飯食え」
後藤はかつ丼の入った器をじっと見つめて、『はい』と呟いて、それから意を決したように食べ始めた。
泊まった日のことも聞きたかったし、掃除していた時のことも知りたかった。
でも、それを聞いたらまた『情報筒抜け』といって嘆くだろう。もう、そういうの…いいや。
だから、泊まった日の話は聞いてない自分として接した。
もちろん後藤からも何も言ってこなかった。
職場では、後藤は後輩らしく石原に接し、石原は石原で『何も無かったかのように過ごして、結果的に利を得るスタイル』を貫き通している。
要は、職場では二人は普通の先輩・後輩のままだ。俺だけが知っている。
後藤が、俺の隣で無言でかつ丼を食っている。一生懸命だ。本当は、お前の味方だ、石原とうまくやれと言って励ましてやりたかったのに、うまくできない。後藤に嫌な空気だけを味わわせている。
次は、ちゃんと励まそう。
…からかい過ぎたと思ったので、その日は奢ってやった。
ライバルと思っている俺に奢られるのが嫌なのか、後藤は少し抵抗していた。
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