第2話

 東見の騎手デビュー戦。体がいつもよりもガチガチになるのを東見は実感していた。

「おい東見、キチッとしろ」

「は、はい」

 東見に話しかけたのは別府べふ。今年43歳になるベテランであり騎手の顔だ。昨年はGⅠを3勝している。

「そんなガチガチだと馬も困惑するぞ。戸山とは大違いだな。あいつは笑いながら検量してたぞ」

「能天気と一緒にせんでください」

「そうか?二人でよくツルんでるから、同じようなもんだと思ってたがな」

「はは......」

(さすがだな戸山......)

 東見は戸山のプレッシャーに強い性格を羨ましく思った。

「お前の馬は......8番人気か。俺の時も8番人気だったなぁ。まぁ俺は一着取ったけど」

「それもう10回くらい聞きました」

 別府は東見の言葉を聞いて笑った。

「そーいう口答えできるなら問題ないだろ。ほらはよ検量してこい」

「......はい」

 東見は立ち上がり、検量台へと向かう。

「あ、東見。今日中に一着取ったら明日の夜に酒おごってやるよ」

「まだ未成年です」

「じゃあ俺のお供として居酒屋についてこいよ」

 別府は笑いながら東見に提案する。

「お供じゃなくて、騎手仲間としてなら」

 東見は別府にそういって検量に向かった。別府の目からは、先ほどと違い、東見は完全にいつも通りの生意気な後輩にしか見えなかった。

(そういう生意気なところやぞ。小心者な癖して戸山以上に無神経だな)

 別府は東見への言葉を心の中で発言するのに留めた。


 ◆


「んで?土曜の新馬戦の牝馬ねぇ......。確かにいい脚してるが、これでGⅠ確実は言いすぎだろ」

「いやいける」

 トレセン(トレーニング・センター)内の独身寮の一室で話し合う東見と戸山。話の主題は東見の騎乗したユメノプリンセスだった。

 東見はスマホで自分のトレーニング内容を確認しており、戸山はパソコンで先ほどまで見ていたユメノプリンセスの新馬戦レースの動画を見ている。

「確かに300mからの追い込みで5馬身差だけどよ、いかんせん血統がなぁ。微妙なメンツだしハイペースだったから他の馬がバテてたんだろ?どう見たって300m切ってからがクタクタじゃねぇか」

「ハイペースだからな」

 戸山はため息をつきながら動画視聴をやめ、パソコンを閉じる。

「東見さんや東見さんや」

「何」

「もしその馬が牝馬三冠いけるかって言われたら、いけるって答えられるか?」

「飛躍しすぎてるぞ」

「いいから答えろ」

 東見が戸山のほうを見ると、戸山は強いまなざしで東見を見ていた。

「......行かない」

 戸山はその言葉を聞いて先ほどよりも大きなため息をついた。

「まぁ、GⅠは狙えるだろうさ。だが確実じゃないだろこれは。桜花賞3着以内とかならまだしも一着はなぁ」

「牝馬三冠は狙わない」

「............は?」



 時期は師走後半。競馬関係者や競馬ファンが有馬記念を心待ちにするこの時期、トレセン内の岩垣の厩屋に東見はきた。

若駒わかごまS(ステークス)ですか」

「ん?驚かないね」

「いえ......行ってほしいと思ってたので」

 東見の言葉に岩垣は笑った。

「なんだ、希望だったのか。相当迷ったが、やはり行くべきだと思ってね。やっぱり乗ってる方が見てる方よりも馬のことがわかりやすいんだねぇ。調教師に転向してからはそこが悲しいとこだ」

 岩垣はぼやきながらも話を続ける。

「騎手の希望と同じでちょっと安心した。さっきいった通り次のユメノプリンセスの出走は若駒Sだ。そこで一着とれば......弥生賞だ」

 東見は気持ちが昂ってきた。

「まぁ取らぬ狸の皮算用だが。ああ、それと馬主のお嬢さんは競馬初心者でね、父親が急病で入院してるから代わりだそうだ」

 東見は新馬戦での馬主の女性の振る舞いに納得した。

「とりあえずユメノプリンセスの方針に関しては私が取る。いいかい、私が君の主戦騎手を推したんだ。ちゃんと意識持ってくれよ」

「わかりました」



 東見が出た後、岩垣は椅子に腰を下ろし息をつく。

(別府は推していたが、私にはあの男を推す理由に確信が持てない)

 そのまま岩垣は、机の上に投げ出された騎手表を開いた。

(勝率0.083。いい数字だがGⅠ勝利は0。重賞勝利も少ない。優秀だがココ一番な所で震えあがる典型的なエリート君......。ユメノプリンセスの主戦騎手にはなったが、本当に勝てるんだろうな)

 騎手表を閉じ、直す。

 岩垣の頭には、一つの言葉が浮かび上がっていた。

「馬の上はそう簡単に変えるな、かぁ......」

(先生の言い付け。今回は破らないといけないのかも、な)

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