鐙に足を
北八
第1話
幼い頃から祖父の影響で競馬を愛し、14歳の頃に騎手を志した。
18歳でJRA(日本中央競馬会)所属の騎手となり、それからは美浦トレーニング・センターの独身寮で暮らしている。現在21歳。
霜月中旬の、まだ日の上がる気配もない早い朝。東見は独身寮を出て厩舎に向かった。
「ぅうーーさっび。クッソ...この季節はホントにヤだなぁ」
その隣をボヤきながら歩いているのは東見の同期である
「なぁ東見、今日は何頭だ?」
「4頭」
「ハッハッハ。俺さ今日6頭だぜ?わらいがとまらねぇよ」
二人は首に掛けたネックウォーマーに顔を埋めながら肩を縮こまらせて歩いていく。
東見から見て戸山は純粋な男だった。騎手として上を目指しながらも、根本は何処までも馬を愛する心だと東見は確信に近いモノを感じていた。
賑やかしが得意な男で、何時も話を振ってくれる友人との会話は、一般より比較的口数の少ない東見にとって心地良かった。
「なぁ、俺達がGⅠ獲るのはいつなんだろうな」
「......どうしたよ急に」
「いやさぁ。やっぱ早く獲りてぇよなぁってな」
東見には戸山の言葉が意外と思えた。
「GⅠ一着は決定事項なんだな」
「あったり前よ。あーいい馬と出会いてぇなぁ、スーパークリークみてぇな」
「お前が大騎手になれるとは思えんけどな」
「いってろ」
毎回十万人以上が競馬場に観戦に来るGⅠ。その観衆のなかで名誉ある馬と共に何よりも速くターフの上を駆け抜ける......。騎手としての悲願であり目標でもある大舞台。東見も今までに何度も夢見てきた。
途中で戸山と別れ、目的の厩舎に着いた東見はそこにいるスタッフの調教の準備を手伝い、本日の調教内容と出走予定のレースの打ち合わせをする。
「じゃあ今日は坂路を二回でお願いします」
「分かりました」
この日は調教コースを走りながらも、東見の頭の片隅にはGⅠという言葉が占拠していた。
午後、東見は週末のレースに向けて厩舎を回り独身寮に戻ると戸山が呼び止められた。
「なぁ、お前」
「今から中山(中山競馬場)」
「21時まで時間あんだろ聞けって。さっきお客さん来てたぞ」
「?」
「名前聞く前に帰ったがお前に会いに来てた。バリバリ仕事出来そうな美人なネーチャン、誰だ?」
「分からん」
「あ、そう。ふーん、へぇー、ほぉー?」
「じゃ」
「あっ、おい!」
準備を終え、独身寮を出て他の騎手と共にタクシーに乗り中山競馬場へと向かう。
(バリバリのキャリアウーマン風の女......誰?)
タクシーの中で一時間、今日自分を訪ねに来た女の身元を考えるが、東見のは思い当たる人間がいなかった。
中山競馬場の調整ルームで仮眠を取り、目が覚めてからはストレッチと簡単な運動を行い、前検量と鞍検量を受けて馬房へと向かう。その後、騎手控え室へ行き、調教師と打ち合わせをする。
今からのレースは二歳新馬戦。栗毛の牝馬『ユメノプリンセス』に騎乗する。調教師は
「悪い癖はない。スタートは良い。まぁ瞬発力がまぁまぁあるから差しかな」
「今までの感じ追い込みで行けそうですが」
「1600mだからなぁ......。まぁソコは君の判断で。ユメノプリンセスは良血じゃないから人気は低いだろうけど新馬戦程度ならイケると思うよ」
東見は頷いた。
騎乗合図がかかり、東見はユメノプリンセスに騎乗する。
パドックや返し馬ではユメノプリンセスは、いつもと変わらない様子だった。
聞き慣れたファンファーレが鳴り、ゲートへと入って行く。ユメノプリンセスは大外枠だった。
東見はここで違和感に気づいた。
(普段より安定してる......?)
ユメノプリンセスは気性は穏やかな方だが、いつにもまして落ち着いていると東見は感じた。
──ガッシャンッ
ゲートが開く。
ユメノプリンセスは綺麗なスタートを決め、その栗毛の身体を踊らせた。
2番と4番の馬が前に行き、他の馬はその三馬身後方についた。ユメノプリンセスは自らゆっくりと下がっていき中段の馬群の最後尾から二馬身ほど後ろについた。
(なるほど、後ろが良いのかお前は)
新馬がターフの上を駆け抜けて行く。
ハイペースなレース展開。
東見は、前の馬の動きを見ながら、ただ機を待ってた。
そのまま、ハロン棒を何本か通過していき、残り700m。
先頭4番が少し下がり2番が上がる。中段につけていた1番と7番も上がっていった。残り600m。
(そろそろ、か)
先頭とユメノプリンセスの差は約八馬身。東見はユメノプリンセスに鞭を見せる。残り450m。
(いくぞ)
東見が合図をすれば、ユメノプリンセスは前に上がっていく。
残り300m。
東見は、鞭を振るった。
(!?)
「んな───ッ」
東見の知らないスピードで、ユメノプリンセスは一気に加速した。ターフの上をまるで弾丸のようの走って行くようだった。
前方の3番をまるで眼中にないとでも言うように抜き去り、そのまま中段をを抜いてあっという間に1番と7番の真後ろまで追い付く。残り250m。
そして、1番7番も抜き、笑うように4番2番も抜いていった。残り150m。
目の前の路には何もない。ただ芝の道が在るだけ。
全ては後ろに置いていった。
だが、ユメノプリンセスは減速しなかった。
そしてそのまま後ろの馬との差はグングン広がり、残り0m。
二着と五馬身差の圧勝だった。
「............」
レースが終わって後検量に行きながら、東見は先程のユメノプリンセスの走りに唖然としてた。
ハナ差で一着を狙ったのに鞭を振れば五馬身差の勝利。
偶然なのか、実力なのか。
(多分、ユメノプリンセスの実力だ)
検量を行いながらも、先程のレースが東見の頭から離れない。
中山の芝1600mでの大外枠、追い込み。
ラスト300mをあれほどのスピードで、一杯にもならないし減速すらしない。
(間違いなく、GⅠを狙える馬だ.........!!)
ウイナーズサークルに向かえば、ユメノプリンセスの馬主である女性と岩垣調教師が話をしていた。
「ユメノプリンセスはどうでしたか?スッゴク速かったんですけど」
「驚きました。恐らく相当良いところまでいってくれると思います。あ、東見さん。良いレースだったよ。どうだった?」
東見は取り敢えず馬主に一礼して話始める。
「鞭を入れた瞬間の速さが段違いです。これ程の速さで最後まで走れる馬は見たことありません。GⅠも狙えそうです」
「そうなんですか!」
馬主の女性は驚きながら喜んでいる。
「ああ、
「どうも」
「どうも。馬主の柳川です。今回は有り難うございました。ごめんなさいね、競馬はイマイチ分からなくて......」
「大丈夫ですよ」
柳川は20代前半ほどの女性だった。
「どうですか柳川さん。ユメノプリンセスの主戦騎手を東見さんするのは」
「そうですね。では、主戦騎手をお願いできますか」
「は、はい」
東見は驚いた。
あれほどの馬、自分ではなく他のフリーの騎手に任されると思っていた。
そして同時に嬉しくなった。
また、ユメノプリンセスの背に乗って走れるということに。
「撮りますよー」
カメラマンの声がウイナーズサークルに響く。
東見は小さく礼をして、ユメノプリンセスの左側に立ってゼッケンを掲げる。
──パシャッ
二歳牝馬 ユメノプリンセス 1戦1勝 主な勝ち鞍:二歳新馬戦
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