第46話 出会い

「この配管は、今日までに済ますって言ってたじゃないですか!?」

2つ折りの携帯電話に向かって、あかりが怒鳴る。


「んー。そんなこといったってさあ、こっちの現場が押しちゃっててね。ここ仕上げないと、こっちの元請けさんが来月の支払いも遅延するっていうからさあ。」


「そんなことは、そっちの都合でしょ!そもそも、連絡もしないで、こっちの現場にすら来ないってどういうことですか!もう、明日から内装の手配してるし、アナタが午前中に終わらせるっていうから、今日は大工さんもこっちに呼んでるんですよ!」


「いや、まあ、今日こっち終わったら、明日なんとかそっちに顔出せるようにしてみるからさ。まあ、なんとか頼むよ。」


言いたいことだけを言って相手の電話が切れた。


「え?ちょっと?明日ってなによ!もしもし!おい!!」


再度、あかりが電話をかけてみるが、電源を切ってしまったのか、もうつながらなかった。


「小田さん。どーすんの今日は?あんたが今日中に配管の修正やるからって、向こうの現場切り上げてきたんだけどね?」


あかりの電話を後ろで聞いていた型枠大工があかりに言う。


「すいません!とにかく今日中には配管の修正やらせますんで、なんとか明日また来てもらえませんか?」


「・・・来られるかわかんないよ?まあ、なんとか調整はしてみるけどね。それから、今日の分は請求に載せとくから頼みますよ」


「え?今日は作業はしていない・・・。」


「支払いの確約してくんないんだったら、いいよ。明日は来ないから。」


「・・・わかりました。請求に載せてください。」


型枠大工は引き上げ、現場に一人取り残されたあかりは途方に暮れる。


「どうしろってのよ。まったく!」



◇◇◇



あかりの勤め先である、中堅ゼネコンが請け負ったのは、渋谷の某再開発地域の商業ビルの一角だった。

といっても、元請けは大型ゼネコンであり、あかりの勤め先はその4次請けになっている。

そのため、実際の発注金額より中抜きされ、運用金額は低く、そこを作業する職人に見透かされてしまうと「勝手に作業を断っても差しさわりの無い会社」とみなされてしまうため、平気で現場をすっぽかされたり、手を抜いた作業をされることがある。


今回も、設備工事会社が、排水の配管レイアウトを図面をまったく無視して行ったため、組んだ配管が、床に飛び出している。というとんでもない状況になっており、その部分を直させようとしたところ、その会社も、さらにその<下請け>に工事をやらせたことが発覚した。

しかも、自分たちが請け負った工事でありながら、「やったのは俺たちじゃないから」。と他人事のような応対で、工期が詰まっているため、今日、配管の直しをやらせて、すぐ、床のコンクリート打設のための型枠直しをさせようと、職人を手配していたにも関わらず、作業を進めることができなくなっていた。


だからといって、「もう、あんたのところは使わない!」なんていうことは、一介の監督であり、発注権限をもっていないあかりにはないし、会社としても、この工事会社を切ってしまった後、工事を引き継げる業者のストックはない。

大工も同様で、「じゃあいいよ。仕事はあんたのところだけじゃないから。」という姿勢なので、



そんなあかりの視線の向こうを、元請けのゼネコンとおぼしき一団が、ぞろぞろ通っていく。

先頭を行くのは、背の高い、テレビでよく見る有名建築家だ。

この一角を設計した神戸の有名設計事務所の主宰で、そのあとを、その事務所の所員であろう、見るからに有能そうな一団が続く。

さらにその後ろに続く、のゼネコンの一団は、ワイシャツにネクタイの上から作業着を着る、おなじみのスタイルで、その上着にも、スラックスにもシミ一つない。

コーキングや接着剤がこびりついているあかりの作業着とは、雲泥の差だ。


「結局、元請けになんないと、いい目はみれないのよね。」


ヘルメットを取り、ショートボブの髪についてしまったヘルメットのバンドの跡をなでつけながら、あかりはため息をつく。


◇◇◇


結局、その日も翌日も、件の設備工事業者は現れなかった。

携帯電話に電話をしても、電源を切っているのか出ない。

明日は床のコンクリート打設を行う段取りをしている。

日程をずらせば、ポンプ車、人員、コンクリートミキサー車の手配がすべてダメになり、各車両のキャンセル料はもちろん、コンクリートの損金が発生するので利益が大幅に減る。

さらにキャンセル即次の日程の手配ができるかというと、そういうわけにはいかないし、件の設備屋がいつ来るかわからないと次の工程の手配もできない。

そうこうしていたら、このあとの全体の工程にも影響がでる・・・。

昨日上司に相談したが「そういうところを調整するのも、現場監督の仕事だ。」と精神論に終始し、自分の知り合いの業者を紹介してくれ。と頼んでも、「難しいなあ。」と言って逃げ回るばかりだ。


完全に途方にくれた、あかりの状況が分かっているにも関わらず「だから、オンナ監督はダメなんだよな」、「もっと業者を縛んなきゃ。」「どうすんだ?明日から?」と、他の区画の監督や職人は無責任な言動を浴びせかけてくる。


「ああ!もう、ほんとにいやだ!もう、やってらんないわよ!!!」


半べそをかきそうなあかりに、


「ここの配管の確認をしたいんですが、あなたがここの責任者ですか?」


と声をかけてきた者がいる。


顔をあげると、この現場の規格の作業上着を着た、端正な顔立ちの青年がいた。

年のころは、30前後ぐらいか?あかりより、ちょっと上って感じだ。


「無理です。そもそも配管が終わってません。」


完全にふてくされたあかりは答える。


「でも、ここは明日、コンクリートの打設がありますよね?大丈夫なんですか?」


こぎれいな身なりと、おだやかな口調に、頭にきたあかりは、


「だめにきまってるでしょうが!見ればわかるでしょう!コンクリ打設どころか、型枠さえ組めませんよ!もう、これ以上、あたしにどうしろっていうんですか!」


こういった言動は現場監督として御法度だが、もう限界だった。

今の会社に入って5年目を迎えるが、これ以上はどうしようもない。

この会社での今後の業務への展望の暗さも手伝って、あかりは叫んでしまった。


「わかりました。会社名とあなたのお名前を教えていただけますか?」


と彼は静かに問いかけてきた。


ああ、これでクビかな・・・。と社名と名前を言うと、彼はあちこちに電話をかけ始める。

すると数分後、あかりの携帯電話が鳴った。


「あ、小田さん、○○設備だけど。これから行くから。申し訳ないね。今日、午前中になんとかするから。」


驚いたあかりがを見ると、彼は苦笑いして、


「すいません。職権外なんですが手配をさせていただきました。」とはにかみながら答える。


それから一時間も経たず、設備屋は到着した。

しかも5人でやってきたので、件の問題個所は午前中にカタがついてしまった。

元請けの設備会社の社長もやってきて、一緒に作業をやっていた。

作業後、社長はにさかんにアタマを下げたにも関わらず、あかりには通りすがりに「すまないね。」の一言を言っただけで終わった。


◇◇◇


「結局、元請けさんなんですよね。」


作業が終わった後、彼と休憩スペースの自動販売機の前で、あかりは言った。


「そうですね。結局、元請け・・・。というより、直接お金と仕事をくれる人が一番偉いんですよ。お金を直接くれる人。くれる人に、強い影響力を持っている人が一番偉いんですよね。あ、BO○Sと、ジョー○アどっちがいいですか?」


あかりは青い方の缶を指差して、受け取る。


缶を差し出す、そのはにかんだ笑顔にあかりは見覚えがあった。


「あなた、あれでしょ。安西事務所の高根さんってヒトですよね。こないだテレビにも出てたでしょ。」


「まあ、そうですね。」


缶のプルトップを上げながら彼は答えた。


「なるほど、安西事務所のエースの言うことなら、みんな聞きますよね。いいよなあ。元請けのさらにその上ってことかあ。」


あかりは缶コーヒーを一気に飲み干す。


「そうですよ。どんなに仕事をきちんとしていても、人は信頼と義理人情だけでは動かない。結局、お金と仕事を出す人の言うことしか聞かないのが基本なんです。」


彼、<高根いすみ>は、あかりの顔を覗き込むように、持論を展開する。

その物静かな端正な顔立ちと、眼力のギャップに、あかりは顔が熱くなる。


「あなた・・・。小田さんは、そんなポジションになるつもりはありませんか?」


胸につけられているネームプレートを見て、名前を呼んだ彼は、あかりに語りかける。


「・・・そんなポジションって?」


「私はこの仕事を最後に、安西事務所を辞めて、こっち東京で、工務店に勤めることになっていて、新たなスタッフを探しているところなんです。これもご縁だと思うのですが、いかがですか?」


「そんな、急に言われても・・・。」


「お返事はこの現場が終わるまででいいです。よろしければご連絡を・・・。」


彼は、安西事務所の名刺の裏に、名刺に書かれているのとは違う携帯電話の番号を書き、あかりに渡す。


「待ってますね。」


断ることなんてできないだろう。というで、彼はあかりに微笑みかける。

この微笑みを向けられて、断る女なんか絶対いないだろう。


・・・ズルいやつだ。



◇◇◇



「まあ、ここに居ても、先はなさそうだしなあ。工務店か・・・。なんか冴えないけど、あのイケメンと一緒なら、ちょっとは楽しいかな・・・?。」


空き缶をごみ箱に放り込み、彼から受け取った名刺を空にかざして、あかりはつぶやく。



「そうだ、指輪してなかったみたいだしな。」

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