第4話 工務店ネットワーク
安西と別れた後、社長は自宅に戻ったが、いすみは事務所に戻った。
午後8時を過ぎているが、事務所には、まだ明かりが点いている。
「あ、専務・・・。いすみさん。おかえりなさい。」
残っていたのは、華江だけだった。
「お疲れ様です。まだ、残っていたんですね。」
「ええ、こないだの工務店ネットワークでやった講演での反響がなかなかよくて、新規の問い合わせが多いんで、その返信をやってました。」
工務店ネットワークとは、工務店や職人が集まり、技術研鑽や情報交換をする会で、いすみが座長となって、月に一回程度、会合や講習会を行っている。
どうしても、顧客と、自分達の職人程度しか、付き合いがなくなってしまう、工務店や職人の情報交換の場として、続けられている。
その工務店ネットワークでは、華江の発案で大学の建築学科や、建築の専門学校の学生達に、工務店での職場体験や、大工や左官。内装工事や電気工事といった、あまり一般的でない職種の作業体験会の紹介を行っている。
建築学科や専門学校の生徒の職場体験・・・。というと、設計事務所の「インターン」といったものだけが一般的で、建築という仕事の職種はたくさんあるのに、「設計」以外の仕事を体験したり、検討したりするのはなかなか難しい。
建築学科に入っても「建築家」になるために設計事務所。特に、独創的な建築を設計できる意匠系の事務所に入るには、かなりの競争率の狭き門であるし、建築学科に入ったからと言って「建築家」になりたい。と希望している者ばかりではないのにも関わらず・・・だ。
ゼネコンやハウスメーカーといった、少しでも「建築」に関われる仕事に就ければいいが、2年から4年間「建築」を学んだにも関わらず、進路が定まらず、建築以外の仕事に就いてしまうものも多い。
対して、工務店や職人といった職種は、未だに3K仕事で、親方にさからうと鉄拳制裁で、給料は安く、割に合わない仕事・・・。というイメージが強いため、人手不足で、跡継ぎがおらず、廃業してしまうところも多い。
だが、実際は、いすみのように、設計事務所で技術を身に着けたものが在籍し、設計事務所以上の設計ができる工務店や、自社で施工ができる強みで、設計、施工の両面からアプローチができる、明確なコストコントロールで個人住宅をリーズナブルに建てることができるような工務店等もある。
職人も、ネットをはじめとした情報共有が積極的に行われた結果、技術研鑽の向上や、大手の下請けでしかシゴトがとれないといった「下請け」だけではなく、「直請け」で、しっかり利益を取って、「食える」仕事に推移させている若手の親方も多い。
ただ、そういった職種は、「宮大工」や「お城の壁面を塗る技術を持った人間国宝級の職人」など、特殊な者しか、メディア等では紹介されることはなく、普通の町場の職人が一般の学生の就職の選択肢に加わることは難しかった。
そこで、工務店と職人の集まりである「工務店ネットワーク」で、学生を対象とした、各種の職人や工務店の「お仕事プレゼンテーション講演」を行った後、気になる職種の職業体験をさせることで、学生に、進路として興味を持ってもらい、自分に合うと思えば、就職。体験させた会社では、新たな新人を得ることができる・・・。といった一石二鳥の活動を華江の提案で行っている。
イマドキの若手の親方たちは、ITに強いものが多く、その講演会の素材も、パワーポイントや動画を使い、BGMや効果も凝ったものが多く、学生たちの目を釘付けにしているし、SNSや各社のサイト、動画配信サイトでも見ることができるため、参加希望人数はどんどん増えている。
また、「体験」とはいえ、職場に来た者には、少額でも必ず給金を払うように、華江は徹底させている。
「インターン」という名のタダ働きは、会社にとっては無償の労働力を得ることができるので、メリットになるが、学生にとっては、貴重な時間を浪費するだけでなく、会社側が就職させる気もないのに、労働力を搾取するだけの関係は絶対だめだ。というのが、華江の考えだ。
きちんと、給金を払えば、もし、会社側に就職するさせる気がなかったとしても労働と給金の等価交換がきちんと行われるという関係を学生にも体験させることができるし、学生にとっても、お金をいただく以上は、プロとしての心構えも経験することができる。
そんな活動の講演会の感想や、職場体験の結果、その職種に就職をしたいのだが・・・。といった問い合わせについての、MAILによる質疑応答を華江はやっていた。
「華江さんが地震のあとに言っていたコト。軌道に乗ってきましたね。」
「なかなかに大変ですけどね。でも、この活動、ほんとに楽しいですよ。それに、これから職人さんや、工務店が元気になれば、工事力が上がりますし、ウチのメリットにもなりますから、まだまだやりますよ!」
「そういえば、新規の案件って、どうでした?」
華江は今日、現場直行だったので、社長と出掛けたことは知らないはずだが、誰かから聞いたのだろう。
「場所は、一応、立川で、ちょっと難しそうな案件なので、一度、取りまとめて、みなさんに相談しますね。」
そう言ってから、<おみやげです。>と立川の駅ビル内で買ったチーズタルトの箱を空ける。
ちょうど、甘いものが欲しかったので、コーヒーを入れます!
と給湯室へ向う華江の後姿を見ながら、自分も、自分が信じる「工務店」という業種でできる仕事をやって行こう。と改めて決意を固めた。
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