14.遠慮する必要がどこにある?

サチ

竜見タツミ――?」


 はっとしたふうに、幸は手首を押さえた。相変わらず影だけで顔は見えないが、動きに気付いた和希が、その腕をとらまえる。


「逃げるのなし」

「離せ、俺はっ」

「ここにいたくない? 全く? それを外してしまえば、幸の記憶は全く残らないんだろう? それでいいの?」

「…お前に何がわかる」

「わからないから訊いてるんじゃないか。知ってるなら訊かないよ」


 とりあえず、台所に立ち尽くすのも間抜けだと、和希は幸の手を引っ張って連れ出した。

 廊下に出ると、とうとう雨がんだのか、雲の割れ目から、月だけが顔をのぞかせていた。


「ああ、止んだね。溜まってるらしい水も引くかな」


 幸はむっつりと黙り込んだままで、和希は、盛大に溜息をついた。用心のために手首は離さないまま、冷えた廊下で向かい合う。 


「言ってくれないとわからない。本当に厭なら、める権利なんてないしね」


 幸はかたくなで、自分や祖父以上の頑固者ははじめて見たかもしれないと、和希は密かに嘆息した。いや、これは頑固というのだろうか。


「…俺は。いれば、迷惑を掛けるだけだ。…タカラにも、お前にも。戻れば、簡単に片付くことだったのに。逃げて、危険な目に遭わせた」

「だからって、幸がいなくなる方が厭だ」

「何を――」

「言ったじゃないか。幸が大好きだって。そう言った相手は、浅葱アサギさんじゃなくて幸なんだよ。あの人は幸が羨ましいって言って、生きていてほしいって言ってるのに、遠慮する必要がどこにある?」

「竜見、お前…」

「何?」


 手は、もう離してしまった。

 差し込んだ月の光に、うっすらとではあるが、呆然とした幸の顔が見えた。そうして、ふっと笑う。


「…もう少し、いてもいいか?」

「いいに決まってる」


 良かった、と胸をで下ろす。

 好きにすればいいとは言ったが、いなくなるのが厭なのも本当で、恐かった。

 安心すると、日常が戻る。


「あ。とりあえず、何か食べた方がよくない? 簡単になら」

「暗いところで何してる、飯なら作ったぞ」

「あー。絶対全部聞いてたな、たつ兄」


 言葉と一緒に明かりのついた台所に、足を向ける。行ってみれば、一口大のサンドウィッチが並んでいた。本気を出せば手早い。


「そうだ、少年。杉岡スギオカ氏は無事だ。今は神戸の学園都市にいる」

「どうしてそんな遠くに?」

「俺の大学があるからだ。教授にも一枚噛んでもらったんだが、どうやら知り合いだったらしくてな。何か知らんが、少年が無事だと知ったら、二人で酒盛りを始めて研究分野のことやら何やらで盛り上がって、他の奴はついていけてないらしい」

「…あの人も、なかなかに面白い人なんだね…」


 さすがは幸の育ての親だ、と、ふっと和希は視線を遠くへ飛ばした。

 そうして壁掛け時計が目に入り、あ、と短く声を上げる。


「明日、学校あるのに。うわー、面倒だなー。休みたい」

「休めば? どうせ梅雨祭の片付けだろ。というより、休みじゃないか?」

「どうして?」

「土砂崩れ。おかげで俺は、お前と後輩君かついで難儀なんぎした。いやあ、ここは無事でよかった。俺の家なんて、流されてるかも知らん」

「そ…そういうことは早く言ってよたつ兄…」


 確かに、あの降りなら不思議はない。早々に土砂崩れが起こり、山津波にならなかっただけましとも言える。

 しかし呆れ顔の和希に対し、巽は、からからと笑った。


「何、民家がまばらなおかげで、そこまで大したことにはなってない。後片付けが大変なくらいだろう。ただ、道がいくらかつぶれてるから、多分学校はない。むしろいいことくめだろ?」

「いや、よくはないと思う」


 溜息をついて、いつの間にか黙々とサンドウィッチをつまんでいる幸を見て、しかしそれでよかったのかもしれない、とも思う。

 幸は、もう二、三日、休んで杉岡と話をした方がいいだろう。

 本当に全てが片付いたのかは知らないが、一旦は、これで収まったと考えてもいいのかもしれない。


「ところで、カズ。俺のこと好きか?」

「うん、好きだよ? 何、突然」

「いやいや、気にするな」


 そう言ってタツミは、幸に笑いかけた。

 「ふふん」とでも言いそうな笑い方で、うわがら悪い、と、和希は軽く顔をしかめた。何か妙なところで、幸に対抗意識を持っているような気がする。


「…竜見」

「はい?」

「いい性格をしてるな、こいつは」

「カズ。友達を作るなら、もうちょっと選んだ方がいいぜ?」

「…巻き込まないでくれる? 二人の気が合ったのはよく判ったから。もう、寝るよ。おやすみ」


 ああ疲れた、と、小さくぼやく。起きたら、何が起こったかの確認をして、祖母と節子セツコに連絡を取ろう。

 本当に片が付いているのなら、明日には、日常に戻れているだろう。


「ああ、カズ。俺、明日か明後日には大学に戻るから」

「…わかった」

「で、秋には教育実習で一旦戻ってくるからな」

「何!?」


 和希よりも先に、幸が厭そうな声を上げた。驚いて振り返っていた和希は、睨む幸と、不敵に笑う巽の両方を見ることになった。

 なんだか、楽しそうだと思った。

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