14.フシャとは知らなかった

 タツミが出て行くと、和希カズキは、長い溜息ためいきをついた。

 人との間に壁を感じて、それを感じない人に対しては、どこまでも甘えてしまう。そうして、相手にも悪影響を与えるなら。

 いない方がいいのかなと考えかけて、和希は、母の手を思い出した。

 助けてもらったのに、情けない。

 和希は、食器を載せた盆を持って立ち上がった。外の様子が知りたい。ついでに、食器も片付けてしまおう。

 このまま置いていれば、節子セツコが怒るのは目に見えている。


「降ってるなあ」


 雨が。あの土砂降りと比べれば同じものだとは信じられないような細い雫が、降りそそいでいた。

 廊下のガラス戸越しにそれを眺めながら、冷たい床を踏んで歩く。裸足はだしに、ひやりと冷たかった。


「被害、出てないといいけど」


 いやきっと出てるけど。苗が流れてなきゃいいなと、和希は思った。

 「神様」に出会って、自分自身、あの本流のような記憶を体験したというのに、考えるのはそんなものだ。小さいなと、苦笑がこぼれた。

 流しに食器を置くと、汚れが落ちやすいように水を張った。そのまま、節子が使っている丸椅子を持ち出して、流しの正面の窓を開けて、ぼんやりと外を眺める。

 色々とありすぎて、考えもまとまらない。何を考えればいいのかもわからない。下手に記憶力だけがいいと面倒さ倍増だと、和希はうそぶいた。


「和希」


 どのくらいそうしていたのか、声が聞こえた。電気もつけていない暗闇に、黒い人影がたたずんでいた。


浅葱アサギさん? あれ、どうして?」


 あの気配には、早くも慣れてしまった。そうして声は同じだが、サチが和希を名で呼ぶことはないだろう。

 闇で、相手の表情は判らなかった。


長良ナガラ幸は、ワレに明け渡してしまった。和希。説得してはくれないか」

「幸が許してくれたら、って言ってなかった?」

「ああ。そう思っていた。だがあれは、吾の起こした結果を見て、比べて、吾がいる方が有益だからと、誰にも迷惑をかけないからと譲ろうとする。卑怯だ」


 憮然とした声に、つい笑ってしまう。怒っていないところがおかしい。まあ怒ったところで、自分相手の喧嘩など不毛でしかないのだが。


「そりゃあ、話すくらいならいいけど。結局無理かもしれないよ?」

「それでも構わない。…和希」

「はい?」

「お前はあれを――いや、いい。フシャとは知らなかった」

「え?」

「気にするな。頼んだ」


 再び言い逃げられて、待て、と言う間もなく、目の前に立っているのは幸だった。


 フシャフシャ、と繰り返し、巫者かと漢字を当てめる。つまりは、巫女みこ。なるほどと、和希は自分の能力の一端がに落ちた。

 膨大な記憶の蓄積があれば、異能者と見做みなされただろう。

 また、それらを有効活用できれば、十分に不思議な脅威の力となる。情報や知識はいつの時代のどんな場所でも有用だ。

 やはりどうあっても異人らしいと、和希は思った。しかし何故か、もうそれがいとわしくはない。

 だが、今の問題はそれではなく。

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