14.何がどうなったの?

 和希カズキが目を開けると、タツミの顔があった。


「あにさま――って違う、たつ兄。何がどうなった?」


 自分のものでない記憶の余韻を振り払い、急いで身体を起こすと、勢い余って、巽に頭突きを喰らわせかけた。

 向こうが身体を引いてくれたおかげでまぬがれたが、阿呆、と、額を叩かれた。

 見れば和希の部屋で、まさか熱にうなされた夢なんておちじゃあと、和希は、もしかすると今までの人生はじめて、自分の記憶をあやぶんだ。

 寝起きで混濁した記憶と意識は、このときには既に、いつも通りに戻っていた。

 巽は、なんだか懐かしい笑みを浮かべる。


「気分は? 何か飲むか食べるかするか?」

サチは? 浅葱アサギさんは? 会長もいたでしょ? あの大雨は? それに――」


 あの記憶の数々。それは、鍵を掛けて仕舞しまった。

 科学的にどうであれ、例えば思い込みの産物としても、あの情報量では、耐えられない。発狂してもおかしくはなかった。

 断片はまだ残っているが、和希はあれらの記憶を、自分の意思で押し込めた。

 しかし和希の記憶は、少しだけさかのぼって始まるようになった。両親の優しい手を、覚えている。


「とりあえずひとつに絞れよ、一度には無理だ。俺の知ってることでよければ、全部話すから」

「…幸は?」

「別の部屋で寝てる。怪我もしてないから、安心しろ」

「何がどうなったの?」

「あー、ちょっと待て、腹減った。何かあるだろ、探してくるから、その間にしっかり着替えとけ」

「しっかり?」


 言われて和希は、自分が、寝巻きに使っている浴衣ゆかたを一枚羽織はおっただけだと気付いた。帯すら、ゆるく巻かれている程度だ。

 考えてみれば濡れ鼠のはずで。巽も着替えている。巽も和服を選んだのは、祖父のシャツでは、多少窮屈だからだろうか。

 和希は、そそくさと立ち上がって部屋を出ようとする巽の着物のすそを、体ごと倒して捉まえた。


「たつ兄が、着替えさせてくれた?」

「濡れてちゃ風邪ひくだろ?」

「うん、それはありがとう。ボクにも何か食べるもの、よろしく。起きてたら幸にも」

「…はいはい」


 ふすまの閉まる音を聞きながら、和希は、畳に上半身を乗り出すような状態で寝そべっていた。

 怒るか恥ずかしがるかといった反応を取った方がいいのだろうが、そういった感情は生まれていない。ぼやりとする。

 ただ、ぼんやりと。

 結局、巽がれたてのほうじ茶と土鍋のおじやを運んでくるまで、和希はそのままでいた。とりあえず、足音で身体を起こし、帯を締め直しはしたが、浴衣のままだ。

 梅雨冷のする日で、それだけでは少し肌寒く、出しっ放しにしていた白のパーカーを肩に羽織る。


「少年は寝てた。まあ、色々やって疲れたんだろうな。実際に動いたのは浅葱の方だけど」

「色々? 雨降らせただけじゃなくて?」


 それぞれ、茶碗に湯気の立つおじやをすくい入れる。のりとごまが散らしてあり、白菜と葱、鮭を卵でとじてある。

 昨日の夕飯だった塩鮭は残っていたのかと、和希は妙なところで感心した。

 一口飲み込んで満足げに頷いた巽は、俺も詳しくは知らないが、と前置きをした。


「雨を降らせただろう? それで取り囲んでた奴らは完全に戦闘不能になって、俺たちも身動き取れなくなって、それからあいつは、一人であのビルの胡散うさん臭いオヤジに会いに行ったらしい。姿を見せたときには、腕環うでわめていた。で、そのままぐっすりお休みだ」

「はあ」

「大変だったんだぜ。お前と後輩君かついで、大分ましになったとはいえ雨の中! 道がぬかるんでるどころじゃなく水流れてるし、重いし」

「あ、ありがとう。って、会長は?」

「寝てる」


 一体いつからうちは民宿代わりになったんだろうと、場違いなことを考える和希だった。

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