13.わたしがいなければ

竜見タツミ!」

「おーっと、危ない。君は手出し無用」

「離してください、水無瀬ミナセ先輩! あいつには何もしないって言ったじゃないですか!? だから俺は…ッ」

「君の役目は連絡係。それだけだ。俺が、案内役でしかないように」


 やり取りが聞こえ、呑まれそうになる意識を必死に保ち、和希カズキは、会話の中身を聴き取った。そして、声の主をさぐる。

 一人はタツミで、もう一人は――。


「無事か」

「う、うん、助かりました」 


 見れば、浅葱アサギかかえ上げられている。

 気付けば服も体も濡れた様子はなく、そうだよ幻って自分で仮説立てたんじゃないか、と、和希は一人心の中で呟いた。巽もそう言っていた。

 死ななくて良かった、と息を吐く。

 迷彩服たちは軒並み気を失っているようだが、あれだけ凄い幻覚とあれば、中に、心臓麻痺を起こしている者が混じっていてもおかしくない。


「ありがとう。下ろしてもらえます?」

「いや。片付くまで、我慢してくれ」

「はあ」


 疲れないかと思ってのことだったのだが、一顧だにくれることなく、きっぱりと言ってのけられてしまった。

 その浅葱の肩越しに後方を見ると、巽と、巽に羽交はがめにされた生徒会長――力也リキヤがいた。

 涼しげなかおと泣きそうな必死のかおとが対照的で、覚悟の差が窺い知れた。


「余裕だな。だが、私にはこんなものは通用しない」


 黒眼鏡が、口元を歪めて笑う。


「水無瀬。早くそれを何とかしろ」

「はいはい」


 軽い返事をした水無瀬は、力也の頚動脈を押さえた。ほんの数秒で、力也の身体から力が抜け、くずおれた。叫んでいた声も、聞こえなくなった。


「たつ兄。――水無瀬さん」

「なんだ?」

杉岡スギオカさんは、どこにいるの?」

「あの新製品の実験は、本当に成功してるんだよ」

「わかった」


 そんなことを話している間に、ぽつりと、雫が落ちかかってきた。


「雨――?」


 見上げた空からは星も月も姿を消し、白濁した闇が目に入った。いつの間にか、雲が張っている。

 浅葱の横顔を見ると、少し、笑ったようだった。


つかまっていろ」

「はい?」


 雨が、降ってきた。

 徐々じょじょに強まる雨は、夕立や通り雨、五月雨さみだれの勢いを上回り、豪雨という言葉でも足りないだろう。

 とっさに浅葱のシャツの胸元にしがみついた和希は、とりあえず呼吸確保のため、顔をうつむかせていた。水滴が痛い。

 風の吹き狂う音に、雨の音。

 いっそ滝の中にいるのではないかと思うような、雷の音が聞こえないことが不思議なくらいの。支えてくれる腕だけが、妙なくらいにはっきりと感じられた。


 そうして、思い出す。


 温かな腕。痛いくらいに、抱きしめてくれた身体。強い衝撃と、それでも離されない手。

 あたたかなそれらは次第に冷たく、硬くなり、ひとりで残されるとただ悟り、かなしくて、おそろしくて仕方がなかった。

 両親が事故にった車には、和希も乗っていたのだという。

 人のあまり来ない場所で、通り掛かった人が見つけたときには、誰も生存者はいないと思い込まれていたと。

 だが和希はそこにいて、そうして、本当であれば全てを、見聞きしていたのだと。

 全て、人から聞いた話だ。話だった。そう、思っていた。

 ――本当は、全て覚えていたのに。

 はじめて父と顔をあわせたときも、母に触れたときも、産道を降りる感触も、羊水ようすいの中も。

 それよりもずっとさかのぼった、「和希」の体験していないはずの体験も、全て。和希は、覚えていた。

 大粒の雨に混じって、和希の頬を、涙が伝った。


「……アサギ」

「うん?」

「ごめん。わたしがいなければ、あなたは、ずっとあなたでいられた」

「…和希?」

「ごめん。ごめんなさい。わたしが、わたしがあなたを好きになんてならなかったら」

「―――!」


 浅葱が、誰かの名を呼んだ気がした。

 自分に連なる数多あまたの記憶を思い出しながら、和希は、ゆっくりと意識を手放した。雨の音を、どこか遠くで聴きながら。

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