10.否定しないけど

「あれ。お久しぶりです、水無瀬ミナセさん」


 和希カズキが乗り込んだのとほぼ同時に発車した国産セダンの中で、そう挨拶をげる。

 和希を家まで送り届けたものとは別の車で、そのときの運転手に言伝ことづてして、来ていてもらったものだ。


「和希君、今度は何に巻き込んでくれたんだ」 

「せっかくおしとやかに挨拶したのに、それ無視するなんて酷くない? それに、ボクは水無瀬さんが戻ってること自体知らなかったよ。巻き込んだのは、お祖母様あたりでしょう?」

「悠長にしてていいのか。とりあえず走らせろ、としか聞いてないが」 

「これ見て行って」


 淡々とした反応には慣れているので、和希もさっさと、モバイルパソコンを取り出し、サチに渡した発信機の居場所を拾っていることを確認し、左肩越しに運転席に差し出した。

 水無瀬タツミは、昔、地方議員をしていた祖父の秘書の息子ということだった。

 しかし、和希の実感としては、「よくわからないけど家にいて遊んでくれたお兄さん」だ。


「事故を起こしたくないなら、前に来い。そもそも、二人しかいないのに後ろに座るなよ」

「それくらいいいじゃない」


 ひょいと、運転席と助手席をつかんで、それらに挟まれた空間に、手を軸に体を浮かせ、滑り込む。

 巽は、眼鏡越しにそんな和希を一瞥いちべつし、これ見よがしに溜息をついた。


「和希君、何歳になった?」

「えー、ひどい、覚えてないの?」

「…もう十六歳になるのに、馬鹿なことをするな。その程度の常識は、叩き込んだと思っていたが?」

「はぁい」

『たから!』


 ぴくりと、イヤホンからの声に、体が動く。理論に反して一時間強で特設効果の切れた盗聴器が、再び音を拾い出す。受信圏内に入ったらしい。

 安定した運転を続けたまま、巽は、耳を澄ます和希を横目で見遣った。


「事情説明はなしか?」

「友達を助けに行く」

「了解。一応、シートベルトしてろ」

「はい」


 素直にベルトを引き寄せる。すっかり忘れていた。

 やはり、頼りになる。


 巽と和希がはじめて顔を合わせたのは、幼稚園に通っているような年齢のときのことだ。

 巽は当時、中学一年生。

 祖父から子守を押し付けられた形になる少年は、しかし、真面目に和希の相手をし、異常な記憶力を知るに到っては、面白がって暗記対決をしたりもした。もちろん和希の圧勝だが、手を抜けば怒られた。

 一貫して巽は、和希の頼れる師匠だった。


 その師匠が、目線を上げる。  

 そこは、北上市でも珍しい高層ビルだった。もっとも、北上市で珍しいだけであって、もっと人口が多くて交通の盛んな都市部に行けば、ありふれたものに違いない。

 現在は兵庫県に住んでいるはずの巽は、だが、それを見上げて嘆息した。


「俺のいない間に、変なものを作ってくれたもんだ」

「否定はしないけど、ビルのオーナーが聞いたら怒るよ」

「考えてみろ。無背ナセまで行けとは言わんが、少し動けば土地はたくさんあるんだ。だだっ広いところにひょろ高いビルなんぞ建てて、何になる。お誕会のケーキのロウソクでもあるまいに」

「それだったら、おめでたかったんだけどねえ」

「いっそ、なくなったほうが喜ぶな、これは」

「あー、否定しないけど」


 どう考えたところで片田舎の駅前にはふさわしくないビルの前で、モバイルを置いてきた和希と、車を置いてきた巽は、のんびりと穏やかでない会話を交わしていた。

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