8.窓でも見張ってよう

「さて」


 片付けるか、と、近くにあったシャツを拾い上げる。

 これは、男二人だけの生活だからというよりは、性別に関係なく、どうしようもなく生活のできない二人が、共同生活を送ってしまった悲劇…あるいは喜劇じゃなかろうかと思ってしまう。

 和希カズキとて掃除好きというわけではないのだが、明らかに書籍にだけ注意を向けたこの部屋は、どうかと思う。節子セツコが見たら、悲鳴を上げること受けあいだ。

 和希が六着ほどを拾い上げたときに、来客を知らせる音が鳴った。


「はいはい」


 郵便かお客サンか、と身軽に立ち上がった和希は、扉とは逆方向に小さく駆けた。

 開けなければ確認できない扉なので、お客サンだった場合、不用意に家に上げてしまうのはまずいだろう。


「家主さん家主さん」

「来たか」 

「わからない。開けていい?」

「訊く必要もないだろう」

「宝箱と思ったら吃驚箱びっくりばこ、ってのが定例だけどねえ。さてこれはどっちやら」


 軽口を叩きながら方向を変えた和希は、唐突に肩をつかまれ、間の抜けた声を漏らし、上向いた。

 サチが、真剣な顔で前を向いている。


「俺が出る。お前は――」

「窓でも見張ってよう」


 適当に決めて、立てかけてあったほうきを持って移動する。

 分散して襲う、というのも常套じょうとう手段だ。おそらく幸は、そこまでは考えていなかったのだろう。一瞬、驚くような顔をした。

 本当に入ろうと思うならどこからでも入れるだろうが、とりあえず和希は、玄関の向かいの窓の辺りに立って、うなずいて幸をうながした。

 これで書留郵便なら、驚いた配達人の顔が見られるかもしれない。ぐちゃぐちゃの部屋と、窓でほうきを持って立つ人だ。和希なら、何事かと訊いてみたくなるくらいには驚く。


 ゆっくりと幸が開け放つと、黒いスーツの男が立っていた。


 ここで、外開きの扉に頭をぶつけてたらコントなのに、と考えてしまった和希は、逃避しているなと、一人、苦笑をこぼした。

 残念ながら、そんな事態にはならなかったのだが。


長良ナガラ幸、と、名乗っている方ですね?」

「…!」

「幸、殴ってもよくは転ばないいよ」


 とっさに拳を振り上げた幸に、静かに声を投げかける。

 安心はできないが、とりあえずは情報を持ってきてくれたらしい人物だ。無論、それは十分に取捨選択されたものだろうが、ないよりはずっといい。

 幸も、そのくらいのことはわかっているのだろう。すぐに、拳は下ろされた。


「そちらは、竜見のご長女ですか」

「正解をめてあげるから、名刺のひとつでももらいたいものだね。呼んでもいない訪問販売の人は、無理矢理にでも置いていくものだよ。品切れなら、口頭でも許してあげよう」

「お祖母ばあ様は、お元気ですか」

「おかげさまで、湯治とうじに出かけようとはりきっていた。あの人も、きっかけを提供してくれたことに、感謝の言葉くらいはくれるかも知れないね」

「そちらは、私が頂くべき栄誉ではありませんね」


 互いに笑顔ながら――もっとも、男は黒の濃いサングラスで目元が隠れており、和希は、男に対しては逆光の位置に立っている――、氷山の一角の言葉をやり取りしている。

 芝居じみてるなあと、和希は、心の中だけで呟いた。

 それも、まったく面白くない芝居だ。


 和希カズキは、溜息をつき、何気ない動作で外向きに開く窓を開けた。

 隣の部屋の窓から身を乗り出し、なんとか開けようと手を伸ばしていた別の黒スーツに、遠慮なくガラス窓のわくをぶつける。

 男は、その拍子ひょうしに外れてしまった黒眼鏡をあたふたとつかもうとして、危うく落ちかける。その、おおきく泳がせた腕を、和希がにっこりと笑って引っ張った。

 生憎とあるいは幸いに、落ちはしなかったが、大いに肝を冷やした黒スーツは、素顔をさらして、凍りついたように和希を凝視した。


「ああ、どこか覚えがあると思ったら。昨日、田んぼの中に尻餅をついて、両手で苗を握りしめてた人だね。そう言えば、梅雨祭にも来てたか。2-6の屋台で焼きそば買ってた」

「なっ…何故!」

「サングラスで印象は変わるけど、さらされてるパーツは多いからね。体型だって変わるわけじゃないんだし。逐一照らし合わせれば、そのくらいの判別くらいはできるさ」


 勿論もちろん、写真機並みの性能を持つ脳をもち、自在に記憶を引き出せる和希だからこそ、実現できたことだ。

 男は、自分の半分ほども生きていないだろう少女に、怯えるような、化け物を見るような視線を投げつけた。それを鼻先で笑い飛ばすには、虚勢とあらかじめの想定で十分だ。

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