8.間違っても慰めじゃないな

「これはまた、派手に荒らされたね」


 サチ杉岡スギオカとともに借りていたのは、小さなアパートの一室だった。

 待ちきれず、鍵を開けた幸の肩越しに覗き込んだ和希カズキは、呆れるよりも感心したように声を上げた。

 入った狭い上がり口からすぐ、部屋につながっているつくりだ。

 その部屋の中には、家具とおぼしきものは、和希に見える範囲内では、小さな箪笥たんすとちゃぶ台のような低いテーブル。それと、本棚。あとは、雑誌と衣類などが雑多に散らかっている。

 とりわけ衣類が、棚や本棚の上の方に引っかかっている。まるで、子供が遊びで放り投げたかのようだ。本棚の本がきっちりと収まっている分、落差が激しい。


「…いや」

「何?」


 小さい声に聞き返すが、返事は返らず、幸が背をかがめ、靴を脱ぐ。そのまま、ずんずんと進む。

 和希もそれにならおうとしたが、敷き詰めるように散らばった服を踏んでいいものかと、足を浮かせたまま踏み出せない。


「ええと、あの?」

「上がれ。変なものは落ちてないはずだ」

「…ねえ。まさかこれ、元からってことはないよね?」

「…悪いか」

「大いに悪い、信じられない。片付けるよ」

「は?」

「それどころじゃないだろうけど、どうせやることないし。散らばってる服、着たやつ? 洗濯済み?」


 言葉を忘れたかのように立ち尽くす幸に、繰り返す。

 未洗濯のものなら洗濯かごに一時保留だし、洗濯されているものなら収納だ。和希は、当然とばかりに、そんな算段を立てる。それとも、どちらにしても洗った方がいいだろうか。食べかすなどは、見当たらないようだが。

 唸り声に顔を上げると、幸が、睨み付けていた。


「ふざけるな」

「言っておくけどボクは、遊びだってからかいだって、手を抜くことはあっても、ふざけてやることはないよ」

「状況がわかってるのか」


 低い声に、苛立っていると判る。他のクラスメイトであれば、一言たりとも口を開くことができなくなっているだろう。謝ることもできず、真っ青になるに違いない。

 しかし和希は、いっそ傲慢ごうまんなほどに真っ直ぐに、幸を見つめた。


「しばらくここにいるんだろう。それで、どうするつもり? じっと、二人で陰気に顔をつき合わせていれば満足? ある程度どんな行動を取るかは、来る途中で話したはずだね。つき詰めて話すかい? 不確定部分をおいておかないと、柔軟な行動を取りそこねるおそれがあるから、ボクはすすめないね。それとも、杉岡タカラさんの現状について話し合うか? 推測ばかりになると思うけどね」


「…悪かった」

「謝るようなことじゃない。キミが落ち着いていられないのもわかる。つもりだ。とりあえず着替えて、動物園の熊よろしくうろうろするなり、体を休めて座るなり、あらゆる状況のシュミレーションをするなりすればいいよ」

「間違っても慰めじゃないな」


 そうぼそりと言って、苦笑いを浮かべた。

 幸は、悪かった、ともう一度繰り返し、軽く肩をすくめた。そしてそのまま、自室があると思しき方へ姿を消す。

 竜見タツミ家には生憎あいにく、現在は男性の居住者がおらず、室内なら多少寸足らずでも祖父の着物で事足りたが、それで外出させるというのも問題だ。

 しかし、洋服はといえば和希か節子セツコ、祖母のものは論外として、祖父のものはサイズが違う。

 着て来た学生服を洗濯はしたものの、乾いていないと節子に取り上げられた。

 そこで出されたのが、梅雨祭のために和希が作り、持ち帰りを拒否された衣装だった。

 目をくことは仕方がないが、和希は、自分を基準に動きやすいものを作ったから、途中、襲撃されてもある程度の立ち回りはこなせたはずだ。

 嫌がっていたそれを失念しているくらいだから、本当に、気が気ではなかったのだろう。

 無理に引き止めて悪かったかな、という気もしないでもないが、あのまま帰していれば、下手をすれば今頃、誰も知らないままに杉岡と揃って行方不明だ。冗談ではない。

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