4.随分と皮肉な命名だ

「付き合ってくれないか」


 一瞬頭の中を真っ白にした和希カズキは、硬直した体勢のまま、相手の胸元にあるスカーフを眺めやった。衣装を着替えていないのは、和希も同じだ。


 祖父のこだわりによって、小学校を卒業する間際まで、祖父がくなるまで、少なくとも家では男としての扱いを受けて育った。

 そのせいもあるのか、和希の色恋に関する感情は幼い。いまだ、友達に男女の区別はなく、恋愛は遠い。

 成長が遅すぎると思うものの、感性ばかりはどうしようもない。


 この人のことは好きだ、と思う。劣等感を刺激されはするが、好きだ。

 しかし、その「好き」は、微塵みじんも色を含まない。


「――今から打ち上げの買い出しとか、そういうのですか」

竜見タツミ


 傷付いたような、とがめる声に、焦りを憶える。あまりに真剣な表情が、いつもとは別人に見える。

 そして、ふざけた格好にも関わらず、「男」をまざまざと見せつけられ、感情の奥底に押しやったはずの想いが、空気を探して浮上しようとする。

 それはいやだ。


「ごめんなさい」


 顔を上げることもなく伝えた言葉に、相手の肩から、力が抜けたのがわかった。


「…そっか」

「ごめんなさい」

「謝るなよ。なんとなく、わかってた気もする。――悪かったな」


 首を振るのが精一杯で、そうしていると、二、三言葉を残して、力也リキヤは去って行った。

 行ってしまうと、大きく息を吐いた。


「女の子、かあ…」


 呟いて、天井を見上げる。

 梅雨祭第一日目も終わり、明日には一般公開はしない二日目が続くこともあり、校内にはまだ多く生徒が残っている。

 それでも、屋上に続く扉の前には、誰もやってこないだろう。

 屋上は開放されておらず、時々さぼる生徒がたまっていることはあるが、授業中でもないのだから、帰ればいいだけのことだ。

 あーあと、まぶたを下ろす。

 女として扱われることには、居心地の悪い違和感を憶えてしまう。髪を伸ばしているのは、自覚を持つためだというのに役に立っていない。


「竜見」

「え、うぁ?!」

「…大丈夫か?」


 突然現われた幸に、咄嗟とっさに後ずさろうとしてもたれていた壁にぶつかり、妙な具合に身体がかしいだ。

 体勢を立て直して声の主を見ると、下の踊り場から、呆れたように見上げてきていた。


「な、何?」

「大丈夫か」

「…一応。何か用でも? もう帰ったと思ってた」

タカラが。羊羹ようかんの礼に、一緒に飯でもどうかって言ってきたから」


 誰だそれはと言いかけて、もらった名刺を思い出す。

 照れくささを隠すように、怒ったような表情をするサチに、和希は、微笑をこぼした。


「それでわざわざ探してくれたのか。ありがとう、だけどよく判ったね?」

「なんとなく」

「それは立派な探知能力だ」


 和希が階段を下りるのを、幸は、黙って見つめていた。

 ああ、返事を待ってるなと、思う。待機を命じられた犬のようで、微笑ましいと言ったら怒るだろう。幸は、既に制服に着替えていた。

 最後の一段を抜かして、両足をそろえて着地する。


「こんなこと言われても困るだけだろうと思うけど、今、キミに会えて良かったよ。気分として救われた」


 揺れていた思いが、静かに収まる。それが良いことでも悪いことでも、とにかく和希にはありがたい。

 幸は、困惑するように顔をしかめた。


「前から言おうと思ってた」

「何?」

「…俺には、関わらない方がいい」

「どうして?」

「幸せになれることは、きっと、ないから」


 本気かと、思うまでもない。ひどく真剣な表情は、役者であれば大したものだ。

 そして和希は、幸が、そんな引け目のようなものを引きずっていることに、なんとなく気付いていた。

 冷ややかに、笑みを形作る。


「それは、随分と皮肉な命名だ。名付け親は誰?」

「冗談で言ってるわけじゃない、俺は、化け物にしかなれない」


 苛立つような声だった。

 和希には、「化け物」という言葉が、何故か、酷く禍々しく聞こえた。おそらくそれは、幸がそう思っているからなのだろう。

 少し、泣きたくなる。

 すうと、深呼吸をひとつ。ここで、泣くなんて厭だ。あわれむわけでも、責めたいわけでもないのだから。

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